『おばあちゃんがくれた人形』

 ・・・とにかく眠ってしまうことだ。それしかない。

 僕はそう決めて布団に潜り込んでしまった。
 なるべく壁を見ないようにして。

『これはな、会わせてくれる不思議なお人形なんじゃ・・・』

 あの単語の頭にアクセントを置く、うちのおばあちゃん独特の喋り方・・・やめてくれ。

『ほうら。こうやってな、ネジを巻いて・・・』

 ・・・だからやめてくれ。もう分かったから。


 その人形をもらったのは・・・僕が小学生くらいだったか。
 もちろんおばあちゃんからもらった。

 木製の丸っこい身体。まるでペンキを塗りたくったみたいな赤いストライプと青の水玉のピエロの模様。
 いや、まんまピエロの人形だ。「服」のつもりだろうが、なぜかあちこちはみ出しているのであえて「模様」と呼びたい。
 そのピエロは半腰になって細い針金を握っている。
 ・・・これも針金、じゃなくてハンドルなのだろうけど。

 ピエロの立っている粗末な踏み台にはネジがついていて、これを巻くとピエロが動き出す仕組みだ。
 こいつがハンドルを回すと隣のオンボロ風車が回りだす、らしい。
 らしい、というのは風車が回ってるのを見たことがなかったから。
 だからずっと壊れてるんだ、と思ってた。

 でもおばあちゃんはこの人形を大事にしてた。誰か知り合いが作ったのかも知れなかった。
 失敗作をもらったんじゃないか・・・そんな風にも思っていた。
 あの時までは。

 おばあちゃんがこの人形をくれた時だけは、はっきりと覚えている。
 冬休みで家族揃っておばあちゃん家に行った時だ。おばあちゃんは優しいから大好きだった。孫はみんなそんなもんだろう。
 その時すでに八十は越えていたと思う。おじいちゃんは何年か年に亡くなっていた。
 おおみそかの一日前だったかな?いつもは早起きのおばあちゃんが珍しく遅かった。
 母にせかされて僕が起こしに行った。

「おばあちゃん?まだ寝てるの?ママが起きてって」
「ああ・・・」
 おばあちゃんはもう起きていた。言われてみれば・・・なんだか顔が青ざめていたような気もする。
「早く・・・僕がおこられるよ・・・」
「ね、待っとくれ。これを上げようかね」
 微妙なイントネーションの違いはお国言葉、というやつだ。慣れるまでは変に聞こえたものだった。
「これはな、会わせてくれる不思議なお人形なんじゃ・・・」
 そう言ってあの人形をあっけないほど簡単に手渡してくれた。
「へー?」
「ほうら。こうやってな、ネジを巻いて・・・」
 ぎりぎりっ、ぎりぎりっ、ぎりぎりっ・・・。

 かくん、かくん、かくん・・・。
 風車は回らなかった。
「やっぱりねえ・・・だめかねえ・・・」
「何のこと?・・・あ、ママが呼んでる」
 そのままおばあちゃんを無理やり起こしたんだ。

 帰りにはあの人形をしっかり抱えて車に揺られて帰った・・・。

 それからどれくらい経ってからか、おばあちゃんは亡くなった。

 まさかもう人形で遊ぶ年でもなかったので・・・いや、そういう人形じゃないけど。とにかくあの人形は物置か引き出しの奥にでも放り込んだままになっていた。


 ひょっこり出てきたのはそれから二十年も過ぎた頃のこと。


 大掃除も兼ねて部屋の中をひっくり返していた時だった。
 結婚したばかりだったので、実家の私物も整理しないといけない。その時に押入れの奥から出てきた。さすがにほこりまみれの汚いなりになっていた。
 ネジを巻いてみると・・・かくん、かくん、と健気にハンドルを回している。
 まあ、いいかな、とカバンにしまい込んだ。

 僕の奥さんになった人はあの人形を気に入ったみたいだった。僕はそうでもなかったけど。
 引越しも一段落ついて、二人でお茶を飲んでいた。左手薬指には真新しい指輪。もうすぐ正月だ。
「かわいい人形じゃない。手作り?」
 丁寧にほこりを拭ってくれた。きれいになると意外と上品に見える。
「たぶんね。おばあちゃんがくれたんだ。・・・子供の頃にね」
 ぎりぎりっ、ぎりぎりっ、ぎりぎりっ・・・。
 彼女は何気なくネジを巻いていた。

 かくん、かくん、かくん・・・。
「壊れてるのね」
「もらった時からそうだったからね。仕方ないさ」
 お湯がなくなった。僕はポットのお湯を足そうと立ち上がった。
「おばあちゃんかあ・・・もう亡くなられたんでしょ?一度会ってみたかったなあ・・・」
「そう?」
 かくん、かくん、かくん・・・。
「・・・あら?直ったみたいよ。ほら」
 あのオンボロ風車がゆっくりと回っていた。ピエロがいい所見せようと頑張っているように見えた。

 その時はたいして驚きもしなかった。そういうこともあるかな、と。

 でも・・・おおみそかの二日前の夜。奥さんは実家に急用があって前の日からいなかった。
 久しぶりにあの人形のネジを巻いてみた。
 ぎりぎりっ、ぎりぎりっ、ぎりぎりっ・・・。
 街灯の明りが妙に青く差し込んでくる晩だった。たしか、どこか一つだけ街灯が故障してたっけな。

「おばあちゃん、か・・・」
 そう言えば奥さんは顔も覚えてないほど早くに、二人とも亡くしたらしかった。だからそういう話をしたかったのかな・・・。
 かくん、かくん、かくん・・・。ピエロは一生懸命ハンドルを回している。
「・・・寝よう」
 人形を窓際に置いて布団にはいった。
 明日は忙しい。おおみそかが近いから、正月の飾りつけもあるし。買出しにも行かないと・・・。
 かくん、かくん、かくん・・・。
 寝返りをうって壁際に顔を向けた。
 白い壁にくるくる回る、あのオンボロ風車の影が映っていた。

 さっきまで回っていなかった。

 あれ・・・と思っていたらそれは風車の影じゃなかった。
 古風な日本髷を結った女の人だった。
 跳ね起きて窓際を見る。ピエロが汗だくになってハンドルを回している。見たこともない速さだ。
 ・・・なんだかこっちを見てにやりとした気がする。絶対気のせいだ、そうに違いない。

 ・・・かたかたかたかたかたかたかたかた・・・。

「・・・疲れているな」
『疲れているのかのう?』
 ・・・・・・。
『あんたの奥さん、べっぴんで良かったのう・・・』
 このアクセントは・・・まさか・・・。
 壁にははっきりと女の人の影が映っていた。シルエットだから顔は分からない。

 ・・・寝る。誰が何と言おうと、寝る。

『これはな、会わせてくれる不思議なお人形なんじゃ・・・』
 かたかたかたかたかたかたかたかたかた・・・。
 うるさい。これは夢だ。疲れているんだ。忙しかったんだ。
『ほうら。こうやってな、ネジを巻いて・・・』
 分かったから、もういい。
 僕は布団を頭まで引き上げて窓の方を向いて耳をふさいだ。でも、声は聞こえる。
『驚いたかねえ?私も驚いたもんさ。死んだじいさんが出てきた時はねえ・・・』

 布団のすきまから、ちらりと壁を見てみた。
 影絵の女の人は口をおさえて笑っているように見えた。
 かたかたかたかたかたかたかたかたかたかたかたかた・・・。
 見覚えのあるその仕草。

「・・・おばあちゃん?」
『はいさ。話はできるねえ・・・大きくなったねえ・・・』
「なんで・・・」
『詳しいことは知らんよ。でもな、この人形は誰かに渡さんといけんのよ』
「誰か・・・?」
『誰でもええ。その時が来たらあんたは渡すことになるんよ。そういうもんでな・・・』
 かたかたかたかたかたかたかたっかたかたかたっ・・・。

『じいさんは誰かに会って、あたしがじいさんに会った。あんたがあたしに会って・・・あんたがあんたに会いたい人に渡す・・・』
 かたかたかたっかたかたかたっかたっ、かたっかたっ・・・。

『そうなっとるんよ。少しだけ、話ができる』
 影絵の人はさびしそうにうつむいた。
「じゃあ・・・風車が回るのは・・・」
『これをくれた人に会いたい、と思えば少しだけ、回る・・・こうして話ができるのはおおみそかの前の晩だけでな・・・』
 かたっかたっ、かたっ、かたっ、・・・。
『もういけんね。道化師さんももう年かのう・・・』
 かたっ・・・かたっ・・・かたっ・・・・・・。
「おばあちゃん!」
『元気でな・・・』
 かた・・・っ・・・・か・・・た・・・っ・・・・・・・・・。

 オンボロ風車は止まった。影絵も消えた。

 それから何度かネジを巻いてみたけど、風車は二度と回らなかった。


 それから何十回もの夏や冬が過ぎた。色んな事があったけど、今僕は「おじいちゃん」になっている。女房は「おばあちゃん」だ。
 昨日から娘夫婦と孫が遊びに来ている。孫が冬休みとか。
 ちょっとだけ、寝坊してやろう。
 最初に起こしに来た人に・・・女房でも孫でも娘でも娘の旦那さんでもいい。
 あの人形を手渡すことにしよう。
 誰にも、女房にすら人形の秘密は話していない。誰に話すことになるのやら。

 ・・・ほら、足音が聞こえてきた。


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