『おてがみ』
あなたは偶然を信じますか?それとも必然を信じますか?
話はそう・・・何年前になるのでしょうか。
そう固くならずに膝を崩してください。何、それほど長いお話でもありません。
当時私は海のそばに住んでいました。砂浜の美しいところです。
それまで勤めていた会社を辞め・・・ぶらぶらしていました。「ぶらぶら」と云えば聞こえはいいかも知れませんが(そうでもないですか?)要するに無職です。早いところ職を探さなくてはなりませんでした。
会社を辞めたのはそれなりの理由があったわけですが・・・よしましょう。あまり人様に聞かせるようなお話でもありませんし、私自身も思い出したくない話ですし。
貯金も残りわずか。働き口もありません。とりあえず、という形でバイトをやることになりました。
それがあの店でした。
今でも思い出すのはらせん階段です。古ぼけた、さわると崩れてしまいそうな木の手すり。一回転も進めばこれも古い木のドアがありました。階段も木製でしたが、今にして思えばよくもっていたものだと思います。海からの潮風をまともに受ける場所だったのに。
店内は一種の雑貨屋でした。砂浜の奥まった場所にありながらそこだけが別世界でした。日本ではない、外国を思わせるたたずまいでした。商品が外国の雑貨だったからかも知れません。アンティークの人形や石の置物。まるでヨーロッパかどこかのみやげ物屋に迷い込んでしまったようでした。
雑貨屋と云っても軽い食事もできました。
二組ほどのテーブルでしたが、海に面していたので洒落た感じの席でした。少し高い位置にあるので美しい海が一望できます。晴れていれば寄せては返すさざ波まではっきりと見えました。
私はここの雑用係兼ウェイターとして雇われたのです。
店主は四十・・・かそれより上の女性でした。日本の人ではありません。蒼い目・・・瑠璃色、というのでしょうか。透き通る海の色を思わせる瞳が印象的なブロンドの女性でした。
「ヨウコソ・・・ワタシ、busy、アナタ、help me.OK?」
要するに忙しい時に助けてくれ、という意味でしょう。片言の日本語に英語を混ぜて話すのが多かったように思います。唇の端を軽く上げるように微笑む仕草がとても愛らしくて、若い頃は美人だったんじゃないか、と思います。
「ええと・・・OK」
「good」
でも忙しい時はありませんでした。たまに彼女と同年代の女性が何人か来るくらいで、あとはヒマを持て余した観光客が冷やかし半分に来るくらいでしたから。
その日は風も穏やかで海も凪いでいました。夏も過ぎて秋になりかけていたと思います。・・・はっきりとは覚えていないのですが。
誰も客はいませんでした。
「cafe au let ノム?」
「いただきます」
カフェオレは彼女の得意な飲み物でした。手慣れた手つきで準備を整えます。
緩やかな湯気が香ばしい匂いと共に立ちのぼります。何度かご馳走になったのですが、本当に絶品でした。私は今でもあれより美味いカフェオレを味わったことはありません。
彼女は私の向かいの席に座りました。海から時折気持ちのいい風が吹いてきます。
こうして午後を過ごすことが何度かあったので、その時はたいして気にしていませんでした。
「アナタ・・・lover、イルカ?」
「ロバー?」
唐突に訊かれても何か分かりませんでした。
「uuh...girlfriend」
「え・・・あ、ガールフレンドですか・・・いませんよ」
あわてて手を何回か振ると分かってくれたようです。あの微笑を返してくれました。
「あなたはいるのですか?」
自分の胸の前で振った手をそのまま彼女に向けてみました。だいたいの日本語は理解してくれます。
「ワタシ・・・no,no lover.ムカシ、イル。I mean,イタ」
「昔ですか。今は?」
すると急に悲しい表情になってしまいました。訊いてはいけないことだったのか、と心配になりました。
彼女はつと、席を立つと人形が置いてある陳列棚に向かいました。
一つだけ、陶器の人形を手にして、また戻ってきました。
『NOT FOR SALE!!』
そう書いた張り紙が貼ってありました。若い女性の人形でした。もしかしたら昔、誰かが彼女に似せて買ってきたものかも知れません。蒼い大きな目が綺麗に輝く人形でした。
「today,キョウ・・・トクベツナ、ヒ」
「何が特別なんですか?」
その人形を静かにテーブルに置きました。そしてもう一つ。ジュースの空き瓶を持って来ました。
彼女はその透明な空き瓶に紙を入れ・・・しっかりと封をしました。
「コレ、ナガス、sea.ダカラ・・・special day.」
「その瓶を海に流すんですか?」
瓶を指すと小さくうなずきました。
「カレ・・・カエッテ、コナイ。コレ、テガミ」
「彼って・・・」
「モウ、イナイ・・・」
倒れるように席に腰を落としました。額の前で手を組んで顔を隠しているようにも見えました。
「あの・・・」
ぽたり、と何かがテーブルに落ちました。
「...Why? Why don't you come back? I have been alone for many,many countless month. No,countless years. You said you'll be back in a few days...But no,no,you didn't,you didn't come back. You didn't come back to my own place...」
英語の分からない私にはよく分かりませんでした。でも、彼女が誰かを待っていること、そしてその人が帰ってこないことは分かりました。
しばらく声を殺して泣いていましたが・・・やがて涙を拭いて無理に笑みを作りました。
「...sorry.キョウハ・・・モウ、イイデス」
彼女はあの後、瓶を海に流したのでしょう。おそらく、ですが。
それからしばらくして私は職を見つけました。知り合いに頼んでいたのがやっと決まったのです。
もったいない気もしましたが、この店もやめないといけません。
いつものようにらせん階段をのぼって・・・ドアの前にこんな札がかかっていました。
『CLOSED』
いつもなら彼女はすでに店を開けています。こんな札は見たことがありませんでした。鍵もかかっていて開きません。
札の裏に一枚、手紙がはさんでありました。彼女から私に宛てたもののようです。苦心しながら書いたらしい、たどたどしい日本語でした。
・・・店を閉めることになった。急なことで済まない、給料はすでに私の口座に振り込んである。本当に済まない・・・。
そういった内容でした。
最後に一言だけ、こう書いてありました。
“I've found him.”
これで私の話は終わりです。ちょっと長くなってしまいましたね。申し訳ありません。
あとで聞いたのですが・・・何年も昔にこの浜の沖合いで船が難破したそうです。乗っていた人たちは一人も帰ってこなかったそうです。
彼女の想い人もその中の一人だったのでしょう。
あの日は船が沈んだ日。彼女が海に瓶を流したのは彼に宛てた手紙だったのでしょう。
彼がどこかで生きていたのか、それとも彼女の思い違いか。
・・・もうどっちでもいいことです。
あの店にはもう、彼女はいないんですから。