善悪の最終決戦
これらの神の存在証明はすべて理性判断であり、信仰とは関係なく、単なる客観的事実である。・・・しかし、ここからはほとんど神話の領域になる。私の用語に従えば−変異体ゴブリンの大量発生による人類破滅の危機は、ハルマゲドンを行い得る最初で最後の機会である。
今大きな社会問題となっている彼ら現代の若者は非常にいかつい人相をしており、明らかな遺伝的変異を示している(これは昔の日本人の写真と比べてみれば一目瞭然である)。・・・ではその原因として何が考えられるか−ヒントは無論教育ではなく、進化論にある。例えばある細菌は飢餓状態に陥ると変異体になる、ミジンコは環境条件が悪化するとメスしかいなかったのに突如オスを生み出す。そして古代人類−気候変化によって森が減少し、食料が乏しくなると、二種類の新しい人類種を生む。つまり生物というものは、飢餓条件などの環境悪化に遭遇すると絶滅を緊急回避するために新しい種を生み出すのだ。現代の若者の非常にいかつい人相もこの生物の普遍法則によって説明できる−要するに飢餓条件が原因となり、現世人に代わる新たな変異体が発生したのだ。この豊かな時代にあってなぜ人が突然飢餓条件に置かれなければならないのか−それは豊かな飽食の時代だから起こりうるもの−即ち女性のダイエットである(原因の科学的根拠が推論的すぎると疑ったとしても、人相が変化しているのは客観的事実であるから、遺伝子的変化が原因であることだけは疑いない)。参考資料[NHK地球大進化]。なぜ参考資料かと云うと、DVD第六集に飢餓条件に陥ると、二種類の人類を産むという放映があったからである。
この警告が人類全体に伝播する速度は恐らく非常に遅いに違いないから、新民族の急速な増殖に対し既存の民族が寿命によって滅んでいくという必然的情勢の中では、変異体ゴブリン達に政治的、軍事的に対抗できるタイムリミットは非常に限られてくる−今から警告を発信し、人類に伝播し、政治的問題として取り扱われるまでにかなりの数のゴブリン増殖を許してしまう−仮に警告が全人類に伝わったとしても、それがもし遅すぎれば、変異体ゴブリン勢力がその圧倒的多数を以って政治権力を握り、女性にダイエットを義務付けるようになってしまい、事実上人類は絶滅したのと同じことになってしまうだろう。つまり、このページに対する一人一人の無関心が即人類絶滅へのシナリオを支持し、それを現実のものにしようとしているわけだ。我々人類はこの問題に対して政治的無関心を装うことはできない、なぜなら直接に生死に関わる問題だからである。このページを無視するという行為は即政治的行為−変異体ゴブリン勝利へ票を投じるということであり、人類絶滅へのシナリオに票を投じることである。タイムリミットは刻一刻と迫っている−政治的問題として取り上げられる時期が遅れれば遅れるほど、その解決は困難になる、情報量の拡大、地球規模のマクロ的事象に対する民主的無関心、個人主義と価値相対主義がそれに拍車をかけるだろう。この世のすべての事象が人類絶滅へのシナリオを支援している−この最悪の地点からの逆転勝利達成を可能にするのは、このページを見に来た個々人の危機意識と想像力だけである。人類勝利に票を投じるか(警告と行動)、人類敗北に票を投じるか(無視)−人類の総和としての危機意識と想像力が、人類史上究極の危機を乗り越えられるほどの値になるかどうかが、今後の未来の全人類の運命を決定するであろう。
現実の証言その一、創造目的学会の森田氏は『確かに今の若い人悪魔的な顔をしてますね』 現実の証言その二、私の祖母が大学の卒業式に来たとき『今の若い人みんないかついね』 現実の証言その三、友達の一人は私が『いかついよね』と云うと『確かにいかつい』 証言その四、古い友達の一人は『大学、いかちー系ばっか』と言い 証言その五、エホバの証人の西野さんは『その話が本当だったらめちゃくちゃがんばんないといけないじゃないですか』と言ってくれました。現実をしっかり認識出来る人ならば、人類が危機に瀕していることが理解出来ると思いますので、これを読んだ人はぜひ協力してください。
子供の教育について〜教説風〜 賢しらな現代教育家がしゃしゃり出てきてこういう−「厳格で厳しい父親像は暴力的であり、封建的であり、非近代的だ−だからこのように子供を教育してはならない、このような教育を行うと子供が歪んでしまう。そして彼らはもう一方を見てこういう−日常生活において優しく、そして叱るときさえ優しい父親像もダメだ−これでは子供を甘やかしていることになってしまうではないか。従って我々現代教育家はこう主張する−「常日頃優しく接し、間違ったことをしたら、徹底的に叱りなさい。これが最も合理的な教育法であり、子供を健やかに育て上げる」と。黙るがよい、侏儒よ。この賢しらな者、表層的な者、お前は心理というものが何であるか全く分かっていない−というのも、精神なき者に精神についてなど分かるわけがないからだ。お前はただ物事を論理的に考えているいすぎない−しかし論理的に思考することは、合理的に思考することと何の関係もないのだ。お前は精神防壁という現象が分からないのか、厳格な父に何度も叱られている子供には、すでにしっかり精神防壁が備わっており、「またか」などと思いながら精神的苦痛を容易に避けていることがお前には分からないのか。それに対して優しい親に優しく躾を受ける者は、めったにない現象に驚くから、意外性がある分充分その効果が大きいのだ。しかし日常優しくされ、急に厳しく叱る親の子はどうなるだろうか−当然こうなる−日常の優しさから精神防壁が100%降りているので、精神は剥き出し状態になっている−そこにいきなり鋼鉄の槍が徹底的な力を以ってして突き刺さるのだ。現代教育家よ、これを上司として仮定してみるがよい−優しく接し、優しく間違いを指摘する上司、日常から常に厳しく、指摘するときも厳しい上司、日常優しく接し、突然厳しく注意する上司(このタイプは現代において恐ろしいほどの数が発生した。大抵彼らは、怒る回数が厳しい上司タイプより相対的に少ないから私は善人だ、などと思い込んでいる分非常に厄介な者どもである)−この三人の上司の中で、精神にとって最も有害な者がどれか、お前にはわからぬのか。三人目の上司の優しさは、ただ何かが起こる前の建前と前触れにすぎなくなるだろう(民間企業においては自明の現象)−これは子供の教育についても同じことである。従って彼ら現代教育家のいう「常日頃優しく接し、怒るときはちゃんと厳しく怒る」などという教育法がどれほど精神にとって有害か、全く自明のことなのだ。これは心理学的観点からみれば、単なる矛盾なのだ、理性なき子供からすれば、全くわけのわからぬ矛盾にすぎないのだ。この教育法によって生じた子供は怪物になるだろう−なぜなら一切の優しさは建前と前触れ、わけのわからぬ矛盾にすぎなくなるからだ。軍隊の新兵教育官の方法は暴力的で封建的なものではなく、実は極めて合理的な方法だったのである、そして現在でさえ未だに取り入れられているのである。もしこの方法が心理的に不合理ならば、とっくの昔に廃止されているはずである−なぜなら富国強兵に邁進する諸国家が不合理な方法など採用するはずないからである。従って現在の若者の歪みは教育者の甘やかしではなく、突然の厳しい注意にあるのである。嘗ては最も合理的な教育法が採られていた−つまり、日常優しい母親に優しく接せられ、日常から厳しい父親に叱られる−これは子供の心理にとって矛盾とならない、一方は優しく、一方は怖いという合理的なイメージが生じ、叱られる際に必ず精神防壁が立てられるからだ(敵兵の攻撃に対して城門が閉じていれば街は荒廃せず、守兵は「富国強兵(改善)しよう」と思うだけだが、城門が開いていれば敵兵が内部に侵入し、街を荒廃させるだけである。彼らはこれを繰り返し行っているだけなのである)。閉められた城門と守兵による富国強兵への意志(開門は母親の仕事)−これが最も子供が健やかに育つ教育法なのだ−しかし現代教育家は母親達にいう「男女は平等なのだ、役割分担など存在しない、そんなものは封建的なのだ。甘やかしてはならない、しかし愛情が欠如してはならない、従って(この従ってはただの論理学にすぎないのだ)、常日頃優しく接し、怒るときは厳しく怒りなさい、そうすれば健やかな人間に育ちます」→「優しいふりをして近づき、突然豹変してガンガン女性を犯した後、もう許す、などといってほっとさせたその瞬間、まだ終わりなわけないだろ!と怒鳴って上げなさい、ほっとさせてその瞬間怒鳴る、これを延々繰り返しなさい、そうすれば健やかな人間に育ちます」と云っているのと同じである(こんなことをしたらどんな精神が育つか自明である−彼らは最も攻撃力が低い方法を採用しているつもりで、実は最も攻撃力が高い方法を採用しているわけだ、そして同時に怒る回数が少ない分怒るという自分の苦痛に対してだけは徹底的に避けているわけだ、そしてかつ自分を合理的な善人とさえ思い込んでいるという−まさにこれこそ性悪説のいう人間だ、といわんばかりの有様である。愚かであることが即倫理的に悪であることの貴重な証左であり、現実の職場で恐ろしいほど日常的にみられる地獄の光景の一つである。上司が部下に対して必要以上にアットホームに振舞うというのは、実は最大の誤りなのである。常日頃部下には優しく接し、気を配る一方で、怒るときは徹底的に怒る、というのが最も合理的で善である、と思い込んでいる社員が実は最大の怪物なのである。彼らは徹底的におべっかを受けるから、ますます勘違いするのである。部下に対しては優しく接し続けるか、厳しく接し続けるか、いずれかしかないのである。実際軍隊では最大の愚行としてその方法は完全に避けられているのである、この説に反対する者には「もし君が云うようにそれが最も合理的な教育法であるならば、なぜ歴史上すべての軍隊でその方法が採用されないのか?」と問い返せばいいだけである−つまり逆にいえば、歴史上すべての軍隊で一度も採用されないほど、心理的に不合理な教育法なのである。優しく接し優しく叱るというのは生死を遣り取りする厳しい戦場という属性上不可能だ、では優しく接し厳しく叱るのはどうか−これをやるとみんな脱走してしまうか、ノイローゼになってしまう(むしろ拷問向きであるされ別の観点から採用されてしまうほどである)、従って厳しく接し厳しく叱る以外にありえない、という結論になる−理由なき現象などないのである。映画『フルメタル・ジャケット』の鬼新兵教官は実は正しく、それを正しくないかのように描いた監督は実は全く不合理だったのである。鬼教官は要するに大声でこう云っていたにすぎないのである「叱られて深い精神ダメージを受ける前に、徹底的に貴様らのだらしなく開いたその精神城門を閉じろ!それというのも、お前らが訓練でノイローゼになってしまっては戦争に勝てないからだ!改善せよという強い意思表示を示すと同時に、ストレスを必要以上に与えない方法はこれくらいしかないのだ!」と。無論限度というものがあるのは云うまでもないことだが)。わけのわからぬ現代合理主義教育法によって怪物が多数出現することだろう−人間は遺伝子と環境によって決定するから、ダイエットとこの教育法が合わさったとき、真の怪物が現れる−そして最後の戦いが始まるのだ。協力者募集
補記 もし片親ならばどうすればよいのか、という問いがなされるかもしれない。この場合は段階的に躾を行うべきである−始めは優しく注意程度、初期、中期、後期と段階的に行い、精神防壁が立てやすいように行わなければならない(これは両親がいる場合も同様)。自由の尊重などと云って放任しておいていきなり激しく、というのが最大の愚行である)。TOPへ