永遠の命 

  死による肉体の消滅に対して霊や魂の不滅を説くことは、各宗教の本源的課題であろう。死後の状態を有として取り扱うためには、肉体に全く依存しないものとして霊や魂なる概念を発案、提供せざるを得ないわけだ。その存在は目に見えないし、直接感じられるわけではないから、信仰心なるものが必要になってくる。唯心論的立場に立って死後の状態があると解釈するか、唯物論的立場に立って死後の状態はないと解釈するか、という二つの選択肢に対する個人的志向によって親宗教派と反宗教派に分かれることになる。大まかに言えば、これらが今までの通例的な二大世界観であった。しかし新たな世界観−人工世界論では、精神と物質とを分けず、それを因果律界として統合的に扱い、意識の存在を対立的に分離し、質感界として独立に扱うことになる。質感界がまるで霊という概念に一致するかのように肉体に依存しないことは、新陳代謝によって肉体、脳の質料部分は入れ替わっても、意識質感(クオリア)は入れ替わらない、という主要点と、加齢による老いによって脳が衰退し、記憶力や判断力が低下していくのと違って、脳に完全依存の状態にあるはずの質感空間に対しては老いによる欠落がなぜか全く発生しない、という補足点から、明らかに意識質感が肉体、脳に完全依存していないことが事実として浮かび上がってくる。では質感界は何に依存しているのか−という当然の問いに対しては、単純に、基底現実の存在性に依存している、という答えが理性的判断によって導き出される。質感一つ一つを取り上げて、赤は何であるか、紫は何であるか、と問われれば、それは粒子もしくは空間であるという答えが常識的な直感によって導き出されるであろう、間違っても、クオリアは生物である、という答えは発生しない(クオリアはそれ以上遡及できない純粋点であるから)。従って人工世界論においては、理性的判断によって己のクオリアを基底現実の無機質的な存在物(粒子、空間)として解釈し、それを人工世界内の有機的な生物脳に接続しているだけなのだ、とすれば、新陳代謝による入れ替え問題に対して合理的な解答を提供できることになる。当然これが意味しているのは、人間の死によって人工世界内の肉体が消滅しても、人工世界と質感空間との接続が断たれるだけで、基底現実の無機質的存在物(クオリア)は消滅せずに残留するということである。ということは、我々は肉体が滅んでも、その核である意識質感は滅ばないということであり(点は生物的な循環系に属さないから)、それは要するに我々が宗教を介してのみ認識していた死後の世界の存在性を合理的に容認するということである。従って人工世界論は[永遠の命]をすべての質感者に約束する。人工世界論の普及は古代からの究極的課題である死の問題を完全に拭い去ることになるであろう。TOPへ