トップページにもどる
2004年の探訪記録へ

         2005年   
探訪記録  

探訪記録は、管理者馬念がきままに訪れた城跡や温泉・観光地の記録です。管理者の備忘録なのです。
 2005年の元旦からです。(訪城NO.361〜)

2005.12.29 額田城(490)那珂西城(491)木原城(492)土浦城(493)
2005.12.28 山入城(486)小場城(487)石塚城(488)石神城(489) 
今年の訪城終いとして、茨城にいてきました。ほんに、常陸の城郭は曲輪が広く、空堀の規模が桁外れで土木量の圧倒されます。平城や丘陵城なので堀を深くする必要があったのでしょう。
2005.12.23 加曾利貝塚・大椎城(484)土気城(485)
連れ合いの用事で千葉市に行ったついでにといっても小生は、こちらが主目的ハハハァ。
早くついたので加曾利貝塚に行きましたが、博物館は休館。祝日に開かずいつ開くのだー!といっても、広々とした公園に竪穴住居や貝が地表に見られます。落ち葉を踏みしめての散策は晴れの冬場のご馳走ですな〜。
大椎城は、案内板まで行ったのですが、私有地に付き立ち入りをご遠慮下さいとの文言があり少し遠慮しましてチョコッと入りましたが、藪がひどく退散です。
土気城は、主郭・二郭に日本航空の閉鎖されている研修センターがあるため立ち入れませんが、三郭の土塁・虎口や二郭の馬出は見られ、主郭南のクランク坂は切通しは圧巻です。
帰りは、連れ合いがまだ行った事が無いとのことでアクアラインの海ほたるによりましたが、景色はとてもよかったのですが、風かすごく強いです。
2005.12.4 浮御堂・西教寺
坂本はいいお寺が多く、今年は西教寺へ。明智の関係のお寺で光秀一族のお墓があり、あまりそういうもの思いは馳せる性質ではないのですが、なんとなくよかったです。勅旨門前の紅葉はすごかったです。坂本城の移築城門を見られたのは収穫でした。
2005.12.3 遅い紅葉見物で近江へ。黒川氏城・永源寺・安土城・近江八幡城
黒川氏城は、前回は夕方4時に行ったため薄暗い中で遺構もかすかで写真は全くといって取れずじまいでしたので、今回は、朝早く8時の登城としました。主郭の虎口二箇所や大堀切、横堀など見ごたえがありました。永源寺は昨年訪れていましたが、遅いと思いましたがまだ紅葉がきれいでした。安土城は、大手の虎口の様子を見に行ったのですが、修復中で立ち入り禁止になっていまして、遠目からの見学でした。八幡城は、ロープウェイで登り石垣を堪能しました。以前言っているのですが、これほど石垣がある記憶がなく何を見ていたのか唖然としました。八幡堀も良く、少しずつ観光化しているようで土産物屋が増えています。
2005.11.26 山中城・宮城野温泉会館
紅葉探しで、連れ合いと下の娘と一緒です。箱根の紅葉はイマイチで、山中の西の丸の馬出と障子堀を堪能。
2005.11.23 林大城・林小城(482)桐原城(再訪城)松本城・犬甘城(483)
Nさんと廻る。
2005.11.20 伊深城(479)早落城(480)波田山城(未訪城)八間長者城(481)
2005.11.5 亀井戸城(476)大洞若子城(477)青崩峠・和田城(478)有賀城・岡谷市立図書館
久しぶりの土曜日の晴天予想に、準備万端で4時前に東名に入り、費用軽減に努力。(笑)3割ほど安いです。
★亀井戸城 尾根の先端部に削平地がみられその背後にあるお墓のところが高くなっており、土塁か櫓台跡のように思えた。また、土塁がある郭も見られた。道路で背後の山と分断されていますが、そこにも多少の遺構があるのではと思いましたが先を急ぐため行っていません。
★大洞若子城 説明板のあたり車を留め、数分で大手口に着きます。大手口の巨石は、城門として利用されたような雰囲気です。その先を行ってしまい畑と水田(根古屋であったか)の小道を進んだのですが、右手(西)の城跡に続く道が見つからないのです。ええいままよと尾根の窪地へ直登しましたら三郭の南の堀切に出ました。(本来の登城路は大手の巨石の直ぐ先の右手の小道を登ります)これは、後世の杣道かもしれません。尾根を北に向かうと二郭・堀切と主郭にたどり着きました。主郭の背後は巨石が土塁の役割をしていたようで下は急峻な谷になっています。なかなかに山城の風情が感じられる城跡でした。
★青崩峠 国道152号が信州に繋がらないのは地盤が崩れやすく道路建設が困難なためだそうです。
林道青崩線のかなりきつい登りを15分ほどで峠下の駐車場につきます。そこから、石畳の道を15分で峠に着きます。標高1081mだそうです。この道を古人は行き来したのでしょう。そして、武田軍3万近い人数がどれほどの日数をかけて越えたのでしょうか。武田にとっての遠州侵攻は海に続く道であり、豊穣な土地の確保であったのでしょう。信玄公が天下を狙ったかはどうか分かりませんが、甲・信の将兵を引きつれ越えた思いを「腰掛石」は・・・。
★和田城 南信濃村は飯田市になりましたが、山深い遠山郷です。昔、岩村の遠山氏が移って来て和田城を築城したようです。家光の頃遠山氏は改易になり天領となったようです。和田城の跡地に資料館を村が作ったとのことです。
管理人さんがつきっきりで案内してくれまして、「千と千尋の・・・」で有名になった霜月祭りのことも知りました。
★有賀城 二度目の登城ですが、今回は千野家(諏訪藩家老)墓所の城跡北の尾根先端から登りました。尾根先の急坂に段郭が続き、その上に五・四・三・副郭と続きます。その西側に横堀と二本の竪堀・主郭の前後に2条の大堀切と、見ごたえ十分です。諏訪周辺の山城を見てきたのですが、この有賀城が諏訪一といえると小生は密かに考えています。
※岡谷図書館 また「山城探訪」のコピー取りに行ってきました。これでほぼめぼしいものはコピーできました。宮坂氏と図書館の方に感謝です。
2005.10.9 春日城(473)・前山城(474)・平尾城(475)
昨晩は雨が良く降り心配しましたが、雨も上がり曇り空ですが、行けそうと思いました。
まず奥まった春日城からです。麓の康国寺に車を留めそこから徒歩数分で登城口です。協会の隣の民家との間に鳥居がありそこから登りました。急坂が10分弱で三郭に出ます。三郭手前に堀切があり東の谷からの大手道の虎口が見られます。三郭の南側(主郭側に当たる)に土塁と堀切があり、70mほど登っていくと第三の堀切です。その上の切岸の上が秋葉神社のある二郭です。曲輪の切岸を東側から取巻いていきますが、曲輪の入口が少しへこんでいまして、どうも虎口跡のように感じました。主郭との間は、平堀(ちょっと変な言い方ですが)で郭のようです。主郭は、背後南面に高3mほどの土塁と背後に4条の堀切で守られています。特に主郭に近い2条は、上幅25mもある大堀切との二重堀切になっています。竪堀・横堀が余見られませんので、時期的には古い形式と思え、武田の手入れもなかったようです。
前山城は、佐久平西面の裾野にあります。北は北沢川が流れ、南は急傾斜地で西の尾根は二条の堀切で遮断していて、東斜面は緩やかで段郭を幾重にも配置している。主郭と二郭に大堀切があり、珍しいのは東の尾根を切断する二条の堀切の間に高土塁に囲まれた武者溜りがあることです。搦め手口の重要な拠点と考えられます。
平尾城は、検索で調べましたがヒットしませんで、手元の地図と縄張図で行ったのですが、あちらこちらとうろつきまして、ようやっとたどり着いたしだいです。小竹で覆われて掻き分け掻き分けて、郭や堀切を見てきました。東から四郭〜主郭が連郭式につながり二郭と三郭の間に堀切があります。主郭の西側に二本の尾根伝いに城域が広がっているようですが、竹薮と雨が降り出したこともあり引き換えしました。
予定では、松原湖にある松原城と海尻城も廻ろうと思いましたが、雨のため帰宅となりました。またの機会と相成りました。おおよその佐久方面は廻りましたので一段落となりました。
2005.10.8 山吹城(470)・桜城(471)・岡谷市立図書館・芦田城(472)・立科温泉権現の湯(250)
あまり天気はよくないとの予想でしたが、山梨辺りは青空も見えてきましたのでこれはいけるぞと思ったのですが、図書館を出る正午頃から雨が降り出しましたが佐久に移動後一端やみ芦田城は廻れましたがその後雨で仕方なく温泉となりました。
山吹城大城は、諏訪下社春宮近くの慈雲寺の裏手にあります。清掃センターを過ぎて行った所にありますが、かなりわかりづらいです。表示は標柱が一本だけで、後は何にもありません。標柱の先を登っていきますと、虎口らしき様子で左手に土塁が見えまして、大手虎口で馬出状のようです。左手3m上に北郭へ続く削平地があり、二郭の下段にあたります。登ったのですが、藪のため東沿いに腰郭を進み途中から二郭に登ったところが主郭下の堀切で、埋まっていて主郭から見て堀切跡と確認できました。主郭は、周囲に1〜1.5mほどの土塁が囲んであります。西・東・北・出曲輪があるようでしたが、確認しませんでした。沢を挟んで小城があるようですが、確認していません。縄張図を入手後に・・・と思っています。数キロ南に金刺氏の居城の桜城にがありそれの詰城と考えられる。
桜城は、諏訪下社大祝の金刺氏の居城です。下社春宮の裏山にあり、鎌倉街道ロマンの道の一念坂を登っていきますと、10分弱出主郭に着きますが、その途中に木曾義仲(駒王丸)の遺構などありそれなりに楽しめました。主郭以外は、藪に覆われ二郭や主郭は以後の堀切4条は確認できませんでした。
芦田城は、佐久西部の立科にあり、依田信蕃の居城です。主郭西下に駐車場があり手入れも良く親切です。主郭を頂点にして、二・三郭がぐるりと取巻いています。大手筋は東側らしく主郭から降りていくとその道がたどれます。東に外堀と長大な横堀がくっきりと残っています。藪もなくその様子がよく分かり感激しました。
岡谷市立図書館は、二度目で今度も101枚ものコピーをお願いしましたが、快くしていただき感謝です。
2005.10.3 河村城・さくらの湯
2005.9.24 真田氏本城・真田氏館・戸石城
朝から小雨が降っていましたが、真田の里に行きました。霧に覆われいましたが、雨は上がり助かりました。
戸石城の麓の陽泰寺の北側の山も赤松があり、赤いすずらんテープが戸石城の登城口まで続いていまして、登城できるか心配しましたが、大手道を水の手郭を見ながら、砥石・本城・枡形城と見て廻れました。
正午を過ぎていましたので、上田の蕎麦ブランドの刀屋に行きました。20年ほど前から行っていますが、蕎麦が少し変わってきているのではないかと思うのですが、猫さんのだんなさんが「あまり美味くなかった」と言っていましたが小生もそんな感じがしました。しかし、相変わらず休日は観光客が多く行列のできる蕎麦屋です。
帰りは、山城に行く気もなくなり(ひざか少し痛くなっていたこともあり)岡谷市立図書館で「山城探訪」のコーピーをとろうと立ち寄ることにしました。山城探訪は、宮坂武男さんが長野県内の山城、砦等1000カ所以上を調査した記録で1冊1万円近いので手が出ませんので、いつか実物を見てコーピーしようと考えていました。実際に見ましてものすごいです。100枚も取ってしまいましたが、図書館の方も嫌な顔もせずにしていただきありがたかったです。次は、精査していい城を物色したいです。
2005.9.23 平賀城(466)・内山城(467)・志賀城(468)・望月城(469)・長窪城
佐久方面には、よく行くのですが、山城めぐりは今回が二度目です。昨年は、雨にたたられ平城巡りになってしまっていました。今回も台風17号の影響で佐久方面は曇とのご神託でしたが、良く晴れとても暑かったです。
大阪の猫さんご夫婦とのお城めぐりは、昨年に引き続き二回目です。
平賀・内山・志賀の諸城は、要害地に規模も大きく、石積み多く見られ見ごたえがありました。猫さんが事前に佐久市の文化財課からいただいた縄張図がとてもよかったです。(これは「山城探訪」のコーピーでした。)ただ残念であったのは、志賀城の主郭部が松茸採りのためか立ち入り禁止になっておりいけませんでした。時期を変えて行くしかないと・・・。
望月城ですが、町は何度か訪れていますが、ようやっと気になっていたお城へいけました。主郭・ニ・三郭ともかなり広く堀切も深く長大であった。
佐久は、まだまだ未訪城の城も残っていますのでこの秋に再訪しなければと思っています。
2005.9.17 石上城(464)・小長井城・花倉城・花沢城(465)
一ヶ月ぶりの訪城で大井川の上流に行ってきました。数少ない今川氏系のお城です。
石上城は、主郭と二郭のみの小ぢんまりしたお城跡でしたが、居館跡の神社からの痩せ尾根の大手道は山城の雰囲気がプンプンでありまして、主郭の前後に堀切といったぐあいでした。
小長井・花倉城の両城は再訪になりますが、小長井城の二・三郭の虎口や二重馬出・空堀はやはり圧巻です。花倉城の麓周辺は、第二東名の建設工事で地形が変わっていまして、以前行った記憶もおぼろげでしたがあちらこちら動きましてようやっと茶畑の登城口にたどり着きました。一騎駆けの土橋や主郭・ニ郭は記憶にありましたが、登城路の急坂は覚えてなくこんなだったかとあらためて記憶にとどめました。縄張としては単純ですが山城の雰囲気はとてもあります。主郭からの眺めはとてもよく、焼津・藤枝・駿河湾が一望のもとでした。
花沢城は、日本坂トンネルの上部にありますが、登城口を捜すのに四苦八苦しまして、茶畑へ行く急坂を直登し、途中から茶畑の中を・・・。でしたが酔うやっと主郭にたどり着きましたが、草ぼうぼうでありまし田が、城碑を見つけ大満足。(苦笑)  徳願寺城も予定していましたが、本日の店じまいとしました。
2005.8.17 武居城(459)干沢城(460)駒形城(461)上原城・鬼場城(462)湯川城(463)
武居城は、麓に武居平の居館があり背後の山に城跡という形です。案内板や登城口の表示はなく、竪堀?の堀底道を登りましたが、段郭が4〜5段ほどの上に二郭・主郭がありました。下草は刈られているのかあまりのびておらず、主郭・二郭はよく確認できました。麓の居館跡の南の林の中に石積みの跡の石があり大手口の虎口のように感じました。(これ儲け、笑)
干沢城は、かなりの規模で、案内板の縄張図に従い主郭・二郭・三郭と廻りましたが、切岸の高さは十分で空堀・竪堀も見えましたが草に覆われよく見れなかったのが残念です。
駒形城は探すに苦労しました。集落の奥にあり狭い道を右往左往で、車の駐車も困りました。神社の急な階段をかなり登りますと、祠が二つある、ここが主郭のようで、諏訪の祠には小さいものにも御柱が四方に立っています。さすがと感心させられました。尾根の先端に主郭とその背後に郭跡とおぼしきものがありますが、尾根を断ち切る堀切が見当たりませんで、どうなんでしょうか首をひねるばかりです。
上原城は、二度目でして、主郭背後の大堀切はやはりすごいです、堀底から主郭まで15〜6mはあります。また、二郭の大石はものすごいです。諏訪氏の本城ですが、西側の大堀切あたりは武田の改修と思われる。
鬼場城は、上原城の支城で主郭・二郭の単純な構造であるが、小郭が取巻き急峻な斜面の防御は難く、背後は三条の堀切で守られている。
湯川城は、近くの枡形城と一体でその両城の間を棒道が通り、佐久・小県へつながる大門峠に至る大門街道もある。武田方の足溜りの城と考える。平場の城で、遺構はほとんどなく、枡形城には丸馬出があったようであるが、農地整理で消滅してしまったようである。

夏場の山城めぐりはとてもきついです。急坂を登り、あえぎあえぎ汗にまみれてながら、「どうしてこんなところに来ているのか?」とふと考えてしまいます。そんなことのこの夏場の城廻でした。
2005.8.16 長窪城(454)山家城(455)桐原城(456)北熊井城(457)大熊城(458)
丸子町に所用がありその前に長窪城に寄りましたが、予想外に整備され遺構も、堀切が五条連なり、主郭・二郭ともしっかり残っていますが、大手口方面がはっきりとした遺構が見られず、イマイチです。
山家城は、佐久・上田・諏訪からの扉峠方面の出入り口の要害で、むかえに小笠原氏本城の林しろと向かい合っている。本郭までに四条堀切が確認でき、切岸も高くなりかなりの防御力を感じます。主郭の神社の背後に土塁とかっては主郭全体を取巻いていたと思われる石積みが残され、つい声を上げてしまいました。また、背後の堀切も規模も大きく二重堀切?を含めて五条を確認できます。落葉期に再訪となりますか。
桐原城へは2時間半も使い、道に迷いあわや遭難か?と冷や冷やもので退散しました。ここも落葉期にリベンジです。
北熊井城は、気になっていた城跡でしたが、この時期で郭内は藪に覆われており、どこが主郭か二郭か分かりませんでしたが、堀切・横堀は見られ、武田の改修を感じました。大熊城は、諏訪湖の南端から連なる山の中腹に有賀城を最南端にして、有賀城→大熊城→武居城→干沢城→駒形城と続く一角にあり、諏訪上社大祝家系の城です。中央高速に南側を削られ・残る郭も畑地になっていますが、かろうじて主郭の土塁や空堀が見られました。この辺一帯は以前から気になっていたところです。
2005.8
  7〜9
一乗谷・名古屋城(453) 山中温泉(249)
17年間続く元の職場の旅行で金沢に行きました。金沢城は以前に何回か行っていましたのでパスです。東の茶屋や長町の武家屋敷を廻り郊外の金沢港でおいしいおすしを食べ、からくり館を見て廻りました。永平寺・一乗谷を廻りましたが、昨年の水害で一乗谷は水没したようで、その址が復興家屋にも残っていました。一乗谷城の位置や縄張図が手に入りましたので次回の訪問時に登城しようと・・・。
山中温泉はなかなかに温泉情緒豊かで、朝早く総湯に出かけましたが、地元の方が大勢入っていられました。
永平寺に回り、一乗谷に久しぶりに訪れ山城の位置や縄張図を手に入れましたので、またいつかと・・・。帰りがけに名古屋の味噌カツを食べようとなり、ついでに名古屋城によりましたが、本丸・二ノ丸だけでもとても広く石垣の壮大さに驚かされました。普段は4:30に閉まるようですが、この時期8:30まで入園できるようでラッキーでしたが、進入禁止の場が多く搦め手門は通れませんでした。リベンジです。ここで気になることは、天守閣の石垣の積み方がちゃちぃのでする。石の大きさや積み方が慶長期のものとして・・・。天守復興時に積み直したのかもと思い、調べていますが、???です。
2005.8.4 丸亀城(450)伊予松山城・湯築城・今治城(452)
 念願の丸亀城です。現存天守閣の最後の未踏城でしたので、ぜひ行こうと思っていました。大手門の前からまっすぐ上に高々とそびえていました。すごい石垣です。石垣の上に石垣といったぐあいで、真にすごいです。小ぶりの天守もよく、搦め手口もしっかりと構築されていました。今回の訪城で思うのは、大手口は、幾重もの防御力を備えてどの城にしてもそれなりに見れますが、搦め手口は様々ですが、名城の誉れはこの搦め手にあるようだと感じました。
松山城は、現在、天守・隠門が修築中でしたが、戸無門・搦め手の乾門などその全体的な景観はすばらしいです。大手門跡からの大手道を下りて見ましたが、趣のある道で、二ノ丸庭園周辺の石垣や五折の虎口は圧巻でした。
 湯築城は、国指定で公園化していて、二重の環濠に囲まれた根古屋を取り込んだ少し珍しい城跡でした。越前の一乗谷を小さくしたようでしたが、お城跡は整備が行き過ぎているようで、これといった遺構は見られませんでした。
 今治城は、お堀がすごいですが、鉄筋復興天守閣はイマイチです。

今回の訪城は、山城あり近世城郭とバラエティに富んでいましたが、どこにも石積み・石垣が見られたことです。西国は、中世城跡でも石積み・石垣があるということを認識させられました。縄張も関東と違うようで、いろいろ珍しいものも見てきました。また、比高も半端で無いです。この炎天下、だらだらの汗を拭きつつ登城してきまして、日に2〜3城も廻ればバテバテです。
 瀬戸内海の橋は、これで3箇所すべて通過できました。これらの橋は見るもののようですが、瀬戸内海の島々を見て渡るのもよかったです。来島の来島城跡へは、渡船で渡れるようで、次回行ってみようと思いました。
2005.8.3 富田松山城(448)備中松山城・下津井城(449)
 ここも比高200m余で、東の出丸まで登りそして一度下がり登るということで、主郭までに35分ほどで着きました。朝方(9:45登城開始)でもとても暑く汗だらだらの3日目の始まりです。この城跡の特徴は、主郭の周囲を高50cmほどの土塁がまわっている・主郭の周りを腰郭状に取巻いていて、その中の「大手郭」には郭中央に礫で頑丈に固めた土塁を築き敵侵入後の防備に意をはらっている。ここもいたるところに、石積みが見られる。
 備中松山城は、3〜4度目の訪城と記憶しますが、今回は背後の大松山を見ようと思いました。ここもいつもながら大手口の石垣の景観はすばらしく、その後の道々の城道もよく本丸に着き、修復のなった天守郭も見ごたえがありました。背後の天神丸・大松山に向かいまして、天神山乗り切りや主郭部を見た後、大松山ですが、三つ曲輪が連郭式に郭が並んでいますが、かなり古い形式でこの山中に築城の意義はと、考えてしまうところです。
 下津井城は、瀬戸大橋架橋記念公園の中にあります。ここは、慶長期に改修されたようで、本丸したから三の丸下の石垣はすばらしいです、大手口の虎口は藪の中埋もれていましたが、確認できました。
2005.8.2 津山城・白石城・金川城(447)
 津山城は、これで3回目ですが、この度備中櫓の再建もあり隅から隅をと考えました。泊まったホテルがちょうどお城跡でしたので早朝行ったのでしたが、閉まっていましたので8:40に行きだれもいないお城跡はすばらしいです。ここの石垣のすばらしさや縄張のすごさは何度来てもすごいです。備中櫓は、8億円かけて再建されたようでこれ以上の建物の復元は無いだろうと地元の方のお話でした。この備中櫓は本丸御殿の奥にあり、藩主やその近くの人物の利用した建物のようで内部も茶室・御座の間などありかなり他の櫓と違うようですが、位置的には、大手口の二ノ丸虎口を直撃できます。また、また中よりも天守閣前にあり象徴的な櫓だったようです。
 白石城は、国人クラスの田淵氏の持ち城のようで、主郭を西に取り東方向に郭を連郭式にならべています。切岸で、段を稼ぐようで関東の中尾中城のような感じがしました。
 金川城は、比高190mの備前国最大の中世山城の名があり、南麓の妙覚寺の西から登城口があります。この城は、松田氏の持ち城ですが、浦上氏に圧迫されその被官の宇喜多直家に責められ落城したようです。妙覚寺から登ると、道林寺丸の石垣に出会う。そして、この城跡の目玉は主郭部の東南の食い違い虎口2つに挟まれた空間自体が枡形になっていることです。野面積の石垣や破城の後の石材が散乱しています。主郭下にある「天守の井戸」は今まで見たものの中で最大級でした。
2005.8.1 八上城・置塩城(445)
 深夜1:30過ぎに出発しましたが、多少の体調不良の不安はありましたが見切り発車の気分で出かけ、丹波篠山の八上城の登城口に9:00頃着きました。以前に登城口は確認してあったので直ぐに春日神社は見つかり、鳥居前に車を留め早速登城相成りました。比高210mとありますが、ゆっくり登り尾根伝いの郭跡を確認しなが行きましたら、30分ほどで防御の要の「右衛門丸」に着き、三の丸・二ノ丸・本丸と切岸を積み重ねていまして、下草も刈られてとても見やすくなっていました。本丸の石垣も見つかり満足の城でした。ただ、虎口があまりハッキリしないのが・・・。
 続けて、80km移動しまして、置塩城です。登城口で比高310mということに気づきまして、八上城でも汗だく抱くなのにそれ以上に気が重くなりましたが、登るしかないと意を決して行きましたが、途中「OO丁」の表示があり最後は「18丁」で一丁が120歩余(バカですね。測ってしまいましたよ)ここも、石垣の遺構がよく残っていましたし、縄張図に沿っての遺構もこの時期としてはよく見えました。要害の様子が手にとるように分かり満足のお城跡でした。上月城もと思いましたが、時間切れで、津山に移動しました。
2005.30 土肥城(443)
ここ一ヶ月あまり訪城していませんでしたが、二週間前から右側の腰痛が始まり、それが多少よくなってから右足の太ももの裏辺りが痛くなり、どうも坐骨神経痛のような感じですが、昨日に湯河原温泉の「ゆっくり」に泊まり、近くの土肥城に行ってきました。かなり前に行った覚えがありまして、あまりたいしたことは無いと思っていたのですが、それが違うのですね。主郭から湯河原の町に下りる方向(主郭から東)に、堀切・郭・土塁・虎口と以降がこの時期でもかなりはっきりと確認できるのではありませんか。これはすごいです。ハイキングコースで改変されていますが、なかなか一見の価値のある城跡でした。冬場にもう一度行こうかと思います。
6/25 湯河原温泉:「ゆっくり」(247)ままねの湯(248)
「ゆっくり」という名の旅館です、変な名前の旅館ですが、お客さんにゆっくりすごしてもらいたいという気持ちを込めて付けたようです。湯河原温泉の中央にあり、昔ながらの温泉街の中にある宿で、B&Bで朝食つきで二人で13005円でした。温泉は、自家源泉で、掛け流しで加水・沸かしをしないで、小さな扇風機で湯温をしぜんに60℃から42℃に下げていました。湯船は小さいですが、ゆっくりお湯を楽しむ事ができました。気温が高いのか、湯に入った後あたたまり汗がいつまでも引きませんでした。
部屋は、広めの部屋を希望しましたので、二人で広々と気持ちがよく掃除も行き届いていました。トイレは、共同ですが、かなりの人が泊まっていましたがあまり気にならずに使えました。朝食は、宿自慢のアジの開きが出まして、30cm以上のアジでした。美味かったです。
ままねの湯は、共同湯で入湯料200円です。ここも源泉を掛け流しにしています。ただし、とても熱く、43〜46℃が適温と書いてありました。アトピーにいいようです。
6/18 火剣山砦(440)・諏訪原城・富田城・龍眼山砦(442)
梅雨の晴れ間ということでしたが、表は曇り空であまり行く気になりませんでしたが、7時過ぎに自宅をでまして、10時過ぎに第1目標の火剣山砦に向かいました。そこまでは、茶畑の中を縫いながら行くようで、火剣山神社下のかなり広い駐車場に着きました。そこから15程度で城跡に着きます。遺構としてはたいしたことはありませんが、牧の原台地の茶畑の様子が一望できます。
諏訪原城は、何度か訪城していますが、城址の地図や案内板の新設がありました。今回も城跡へのお誘いの「順路」に逆らいまして、城跡の最東の馬出に向かい、細い土橋を渡り枡形虎口や内部の馬出を見た後、三郭・主郭と回り、何度か訪城しているのですが、今度初めて搦め手郭の虎口や横堀を見まして、やはり何度か訪城しないとすべてが見れないことを実感しました。しかし、それも一度行ってすべてを見ようとしない「感覚派」のなせるワザかもしれません。
富田城は、ゴルフ場に隣接しておりますが、主郭・二郭やそれを区切る堀切・主郭に入る虎口など残っていまして、まあまあの感じでした。
龍眼山砦榛原町の榛原公園にあり、主郭、堀切などがありますが、案内板によりますと、武田系のようですが、イマイチ?ですな〜。
6/12 河村新城(439)・河村城
河村新城は、河村城より御殿場寄りの交通の要所にあり、現在も国246号・東名高速が走り、とても見晴らしの良い所にある。狭い農道を上へ上へと茶畑の中を上って生きます。途中で地元の方以外は進入禁止になり車を置き、さらに500mほど登ります。案内板の上が主郭のようでその入口に長さ4〜5mにわたり石積みが見られます。主郭は穂と程の広さですが、藪に覆われて全貌はつかめません。しかし、西尾根の先は削平地が2段ほどあります。城跡はこんな程度ですが、ふきがありましてふき取りをさせていただきゲットです。
帰りがけに、河村城によりましたが、何気なく行った西曲輪がですよ!!!藪が切り払われ,木々も伐採されているではありませんか。何度も藪に阻まれていけなかった西・北曲輪が楽々に見渡せるのです。遊歩道に沿って西曲輪・堀切・北曲輪・堀切・北外曲輪・堀切と続いており、茶臼曲輪辺りがもう草が長く伸びていましたが、ここはまだ草もほとんど無くとても見やすくなっています。
6/10 箱根の共済組合の保養所に行きましたが、以前は循環風呂でしたが内風呂がかけ流しの表示になっており、加水の表示とその理由が書いてありました。とてもよいことだと感じました。
6/4 太田道灌の墓二ヶ所(胴塚・首塚)・糟屋城・平間城・土屋城(438)
今日はお城めぐりというよりお寺めぐりのようでした。太田道灌のお墓は、洞昌院(胴塚)・大慈寺(首塚)で隆安寺(平間城)・大乗寺(土屋城)のぐあいです。どこも遺構はイマイチですが、平間城に高さ4〜5mの土塁が見られました。
5/28 埼玉:熊倉城・塩沢城(435)虎ヶ岡城
飛さんと秩父のお城めぐりとなりました。熊倉城は、登城口まで車で行けましてラッキーと相成りました。
2本の大きな堀切で区切って郭を連格式に造っている。虎口はハッキリしていないが、登城口から直ぐに尾根に出るが、そこからの二の曲輪・堀切となかなの景観である。塩沢城は、分かりにくい場所で間違えましたが林道の奥ありました。比高300m以上で久しぶりの登山となり疲れ果てました。城跡は、縄張図でようやっと分かるといった始末で、切り落としがきつく一段上の平場を上がるのに直登で10m以上ありそれを何段も上がるので、こっちの息も上がってしまいついに最終の郭はパスしましたが、飛さんは健脚で、最終の曲輪下の堀切まで確認したようです。この城は、切り落としと平場の構成ですが、主郭上の平場の登り口に枡形跡と思われる窪地と、最初の平場に至る前に石積みが見られたのが収穫でした。
虎ヶ岡城は、再訪しようと思っていまして、念願がかないました。前回は連れて行っていただいたのですが、今回はそれを思い出しながらいけました。尾根を堀切で分断した、典型的な直線連郭式の山城でこれがいいんですね。主郭にある枡形のへこみもいいです。
5/14 川崎城・伊王野城・芦野城・白旗城(432)・黒羽城   温津上村健康センター(246)
にっさん・五さん・おさんと那須の諸城を久しぶりに廻ってきました。腰痛のために連休後半、家にいることになって残念でしたが、ゆったりとして廻れてよかったです。
オフ会の前に時間がありましたので、川崎城寄ってみました。市の所有地のため公園化していて、そこそこに遺構は残っています。宇都宮氏の一族の塩谷(しおのや)氏の本城でした。郭は、T・U・Vがよく残り、連郭式の景観が見られます。特にいいのは、主郭西北の横堀と土塁です。攻め手からすれば、その土塁が主郭と錯覚するようなっていますが登れば横堀が延々とあるというしだいで、武者隠しの腰郭以上に効果的な防御横堀と思いました。
伊王野城は、道の駅の先の右手にあります。三の郭までは、何気なくいけますが、その先は縄張図があってもちょっと難しいお城です。堀切・空堀に隔てられた郭が独自に主張しているといった感じで縄張図作成者の五さんの案内がなかったらば迷い、分からないままに終わったと思います。しかし、那須一族の重臣であった伊王野一族のお城ですので、その規模は、なかなのものでした。白旗城は、黒羽城に行く前の大関氏の居城ということでしたが、ここも藪に覆われていますが、郭を仕切る堀切・横堀は明確に見れました。しかし、どこが主郭であるかについては迷いながらも???ということです。
黒羽城。砲台後・弾薬庫?見てきました。あるんですね。行ってもまだまだ見てないところが、そのことを知らされた遺構でした。
4/30 飯田城・鈴岡城・松尾城・伊豆木城・大島城・吉岡城(429)名号温泉うめの湯(245)
初めての飯田訪問でしたが、昨晩の居酒屋は初めてでも常連の方とのお話が弾み、とても楽しい時間がすごせました。また訪問したいですな〜。飯田の町は、町名や道が城下町の雰囲気を残し、落ち着いたいい町です。飯田城は、遺構としては、三の丸門の赤門・搦め手口の水の手門の石垣・本丸と二ノ丸の間の堀切が残る。飯田城初期の大手門(二ノ丸門)が松尾久井の木下家の門として残っています。鈴岡城は、いくつかの郭と堀切・空堀が残っています。向かいの松尾城の間には自然の深い谷で隔てられています。この鈴岡小笠原氏と松尾小笠原氏は骨肉の戦いをしたようです。松尾城は、公園化で県指定といえども案内板の図と現状が違いすぎていまして、鈴岡城に面した数段の郭群がかろうじて山城の雰囲気がありました。伊豆木城は、伊豆木小笠原氏の陣屋跡の裏山にありました。陣屋址は29日の祝日の振り替えのための休刊日で見れませんでした。この連休に信じられないです。城自体は、山中に郭・堀切が藪の中に見られました。堀切はかなりしっかりしており土塁・虎口等は見られませんでした。大島城は、再訪でやはり二重の三日月堀・馬出・深い堀等本当に見ごたえが有りました。城人と思しき若者を見つけまして話しかけたところ、HP「三河戦国記」の方でした。吉岡城は、国道を帰る途中に見つけ立ち寄りました。主郭と背後の小曲輪が残り、その間に深い堀切がありました。下條氏の居城のようで大学時代に下条という友人がいたことを思い出しました。
今回は、よく身しらずの方とお話が出来ました。連れ合いを連れて行きますと、城以外のところで時間を採られますが、単独の城しかないものに比べて諦めと余裕でそうなるのでしようか?
4/29 野田城・長篠城・小里城・大森城・今城・顔戸城(424)
豊川ICを下りて国151を北上して新城の町に入った所で野田城跡の表示を見て急遽寄道。道に沿って三郭・二郭・主郭と並んでおり、二・主の堀切の所に案内板があり、入り込むと二郭から主郭を隔てるかなりの規模の堀切と土橋があり、苔の美しい小道が、主郭中央を通り搦め手口に行きましたら地元の方が居られ井戸があると教えていただき見させてもらいました。二・三郭は藪に覆われています。
長篠城は、ほんのついでに寄ったのみですが、幟祭で武将の幟が所狭しと翻っていました。馬場美濃守のお墓にまいったのが収穫。小里城は、山麓の御殿址に大手口に見事な石垣が残り、山頂の主郭部の六角形の天守台は圧巻です。また、東南に窪みがあり虎口(?)のようで東をまいて天守台に至るように感じました。大森城は、再訪で前回縄張り図がなく、神社の図を参考にしたのですが、えらくシンプルで参考になりませんでした。今回は、バッチシの図で土の織豊を堪能しました。今城は、小規模ですが比較的虎口がしっかり残り、横堀を巡らし堀切・土塁で郭を区切るという戦国末期の特徴が見られます。顔戸城は、街中に残る単郭の平城ですが、規模も大きく堀・土塁が良好に残っています。見終わった所で地元の山田さんが車のナンバーご覧になり航空写真を見せていただきお話も聞かせてくれました。この方は、地主の方と交渉して堀の竹の伐採・石製の案内板の設置等ボランティアの活動をしておられるようです。背後の山に見張り・狼煙台があることもお聞きしました。
4/23 粟野城・西方城・二条城・滝尾山城・上南摩下の城・久我城(420)・鹿沼温泉華ゆらり(244)
にっさん・五さん・鷹さんとのご一緒の鹿沼オフ。オフの集合時間のかなり前につくようでしたので、近くの粟野城を思いつき早朝一番に行きました。町の中心部にあり、お城跡の標識を見て道を曲がると大手門跡があり、向かいの山は規模の大きいローラー滑り台があるではないですか。(城跡の山のとなりの山です。)駐車場はかなり大きく誰もいませんでしたが、城の棒標と案内板があり、棒標の後ろから登りました。惟は城の西尾根のようで見張り台・曲輪跡があり直登しますと本郭に着きました。主郭の一段高い見張り台には戦中の防空監視所の跡がありました。東野尾根伝いにいくつかの曲輪が段をつけてあり、堀切で終わるようでそこに「本丸」の棒標で「?」でした。堀切の先が見張り台のようで見晴らしがいいです。
皆さん集合の後、西方城に。地図では確認できるが、長徳寺がなかなか見つかりませんでしたが、城跡間では10分程度でつき、はすばらしかったです。各郭はかなり広く馬出・空堀・土橋・竪堀・土塁とそろい、主郭からの南の虎口からの城道は枡形・強力な横矢と共に攻め手は4回も向きを変えざるを得ないように構成される城道で、東の郭の馬出のようで枡形小口が明確に残る。「関東の5本の指に入るぞ」(にっさんの言葉)と、すばらしい城跡でした。二条城は、予定にない所でしたが、余りHPに乗らない城で、地元の方に聴いていって見ましたが、藪の中に主郭を中心に郭が二重三重に取巻いており、土塁の高さもかなりあります。虎口はハッキリしないです。滝尾山城は、一城別郭ですが北の城跡のほうが遺構としては古いようで、南の城跡との間に3本の堀切を入れています。ここが?です。一城別郭といえどもこれほど厳重に北を意識した防御を採るのですかね。虎口はハイキングコースでハッキリしません。
上南摩下の城は、個人所有の山にあり許諾が必要でしたが、了解を得てほぼ直登の形で行きましたが、主郭を中心に連郭式に郭をならべ堀切で郭を区切るという山城の古い形を取っている。下の居館の詰城としては要害性にかけるようです。主郭の巨大な枡形と見違えるものは手掘りの石灰岩の採掘跡のようですが、すごい掘り跡です。久我城は、まだ少し時間があるのでいってみようということでしたが、主郭・二郭を取巻く空堀のすごさです。堀底からの高さが平均7mはあり直に切岸が立っています。平城としてはこのような深さの堀が必要だったのでしょう。儲けでした。温泉は、単純泉ですが、すべすべになりつかれも飛び、一部の湯船が源泉掛け流しでしたが、湯量が少し少ないようです。
4/16 足柄城
2月に見残した遺構を見に行き、今回は隅々までとなりました。五郭の横堀は規模が大きくその外側の大土塁もすごかったですぞ。
4/10 王城山城(414)
娘を大磯の野球場に送ったついでに行ってきました。主郭は貯水場になっていて、遺構らしきものは余り認められない。かろうじて、空堀が藪の中に見られ、主郭東南に帯郭があり下へ降りるような窪地が虎口か。
4/9 真田城・遠州一宮神社・秋野不矩美術館・掛川城・古掛川城・倉真赤石温泉( 243)・堤の城(413)
真田城は、空堀(横堀)からの竪堀や堀切がすばらしいです。山城の匂いプンプンでした。神社も規模が大きく勅旨道の杉並木は百mほどあり古式豊かな所です。秋野美術館は建物と良くかなり革新的な建物です。これだけでもいいですが、不矩の絵もよかったです。久しぶりの掛川城でしたが、「大河ドラマ」の宣伝文句がいたるところにあり、もう大河ドラマが始まっているようですが、観光客は余り多くありません。城やその周辺の様子は、前と余り変わっていませんでした。来年もいまのままがいいのですが、そうはいきませんよね?古掛川城は行こうと思っていたところでしたが、朝比奈時代の分厚い土塁と幅広の堀切が好く残っていました。満足!堤の城は、茶畑に覆われていましたが、二つの小高い岡にありました。
倉真赤石温泉は、久しぶりの不入湯温泉で、記録更新です。意外と山奥でお湯に入ったら直ぐにすべすべになり効きそうな温泉。一緒に入浴していた方とお話をしていました、ご先祖様の同郷の方で今まで分からなかったご先祖様の場所が分かり、一度行って見ようと思っています。すごい収穫でした。
3/30 田代城・仁田館・田代砦・柏久保城・長久保城・南一色城(410)・大畑城・千福城
HYDさんの訪城記を参考にさせていただいて、函南町田代城・仁田館と伊豆市の田代砦を主目的に出かけました。平日ともあって道はすいており田代城に着きました。ひこう20mあまりの尾根の先端にあり、一目でそれと分かり、主郭はかなり広く北に土塁を背負い南に二つ程度の曲輪を配置していて、南先端に石積み跡が見られる虎口がありました。仁田館は、鎌倉期から続く仁田氏の舘とで現在も仁田氏の子孫のかたがお住まいで、邸内には仁田忠常の墓や土塁・空堀が在る。800余年にわたり同一場所に連綿と続いていることは驚嘆です。伊豆市の田代砦は、田代地区の中央部の比高25m余の尾根先端にあり、郭は二つで、堀切で郭を区切り伊東街道の監視の城と思えるが、近くに柏久保城があり戦国期の役割については不明。柏久保城は、修善寺駅の裏山にある比高100mの愛宕山山頂にあります。今までも何度も麓を通り訪れてみたい城跡でした。主郭手前に堀切があり、土塁で囲まれている主郭と南側に土塁を配置した細長い郭ですが、土塁に拳大の石が積み込まれていまして、興味深かったです。
長久保城は、八幡・南郭に土塁が残っていまして、子どもたちが遊具で遊んでいました。三の郭跡に建つ小学校の正門前に土塁と深く幅広の空堀を見まして満足しました。小学校は、「敷地内禁煙」の看板はイヤですね。南一色城は、虎口のと堀切がよかったです。
大畑城は、神社裏から登り堀切は、木々が切られとても見やすく、その深さ幅広がよく見られました。今回城跡南下に竪土塁、横堀と、そしてその土塁に石積みが見られ柏久保城との類似はと考えてしまいました。千福城は、写真取で、今回で4度目の訪城です。         
3/27 赤館城・棚倉城・青葉城・白川城(404)・白河の関
連れ合いを旅館において朝食の後、棚倉町の赤館城に出かけました。ここも公園になっており、主郭は公園化でかなり改変されていますが、北の張り出し部の下は良好な状態で残っていましたが、昨年の台風の復旧工事の為か重機のあとか残り少し心配である。
棚倉城は、3回目になりますが、本丸を取巻く土塁の高さにはいつも圧倒されます。今回は、時間もないため棚倉城から赤館城をカメラに収めるのが目的です。木に邪魔されてイマイチでしたが、近さがよく分かったのが収穫でした。
青葉城は、旅館に帰る途中の淺川町の国118号線に「城山」の表示があり、それに誘われて林道を2km余行きましたら主郭下の駐車場に出ました。案内板を見ますと、鎌倉続く淺川氏のお城で、戦国期赤館城の支城であったようです。主郭から北に続く尾根伝いにいくつかの曲輪が堀切によって区切られていますが、林道で曲輪・空堀のつながりが分からなくなっていますが、曲輪の西側に横堀もあり戦国期にも使用されていた様子が感じ取れました。儲けのお城でした。
白河の関に行く途中に白川城にちょこっとより高い主郭に登りましたが、かなりの規模の城のようで次回に詳しく見たいと思いまして、白河の関に向かいましたが、こんもりとした森の中にありましたが、神社の横にかなりの規模の土塁と空堀があり、かって何かでここも城跡であったというのを読んだ記憶がありましたが、見まして確かにそうだと実感しました。
3/26 飛山城(400城)芦野城(401) 母畑温泉
先週の栃木訪城のリストに入っていた飛山城ですが、今月刊行された「城歩きハンドブック」にも掲載されていたこともあって訪れました。国指定で史跡公園として整備が進んでおり、段丘上に広がる高い土塁と深い堀が幾重にも取巻き、虎口への横矢はすばらしく戦国末期の様子が分かり、よい整備のと感じたが、五号堀東中央の枡形は土塁の高さが低く、堀の深さもイマイチの感があります。しかし、規模の大きい見ごたえのある城でした。400城の記念訪城にふさわしい城跡でした。
芦野城は、古く静かなたたずまいの宿場町の岡の上に連郭式の遺構のよく残る城跡でした。また5月に行く予定ですので、その時は武家屋敷や芦野氏旧墳墓も訪れてみたいと思います。城跡の駐車場の前になす歴史探訪館があり、『継志集』(伊王野氏年代記ー那須記に類似する)と『芦野家家中分限帳』(各500円)を購入。
母畑温泉の「高蔵内源泉」は2年前ぐらいに何回か行っていまして、お湯良し・料理良し・値段良しの居心地の良い旅館です。お湯は日本では珍しい弱放射能泉で敷地の中庭から出湯していて源泉掛け流しです。詳しくは、HPの温泉のページに載せます。
お昼は、白河の有名な「とら食堂」のラーメンを食べましたが、あっさり味のとても美味いラーメンでした。久しぶりに「なると」が入っていたのに感激しました。
3/20 大田原城・高館城・黒羽城・那須神田城・福原城・佐久山城・倉ヶ崎城(399)
大田原、黒羽城は、主郭を取巻く土塁の高さと空堀の深さには驚かされた。虎口もかなり残り見ごたえがあり、石垣のお城に負けない土塁のお城でした。高館城は、古い感じの城のようで曲輪の削平は甘いです。主郭下の腰郭からの登城道は気に入りました。
神田城は、国指定とはしりませんで、一部民家が食い込んでいますが、単郭の周囲を部厚い土塁がよく残っていました。福原城は、探すのに苦労しましたが、主郭の横堀はすばらしく藪漕ぎも少なく山城の風情が残っていまして、余湖・ウモ両氏に感謝です。佐久山城も整備されていまして、ここも土塁がすごく主郭背後のものと二の郭のものは見物です。倉ヶ崎城は、「お丸山公園」になっていまして、温泉施設や足湯もあり観光客が多かったですが、主郭・二の郭を区切る堀切は幅もあり深いりっぱなもので、形態もS字・鍵の手といったように違うようでした。喜連川城温泉に入湯。
帰りも渋滞にもまれ6時間もかかり、ぐったりの帰宅となりました。しかし、今回で栃木の城の特徴やよさを垣間見た気がしています。見上げる土の城壁は驚嘆の一語でした。
3/19 皆川城・上三川城・中村城・八木岡城・勝山城・佐良土城(392)
三連休の初日なのですが、少し寝坊してしまい、家をでたのが6時となりこの1〜2時間の違いが後々まで響き、首都高、東北道とも渋滞の連続で、予定変更での初城皆川城についたのは、11時でした。皆川城は、腰郭を多用していますが、西側しか見ていませんがなかなかの堅城のようで虎口もよく見られ満足しました。
上三川城は、街中に町の整備しすぎで3つの虎口の石垣はやはりやりすぎです。しかし、よく整備していまして訪れたときもお年寄りが芝生の草取りなどしていました。
中村城は、お寺の境内に空堀がぐるっと廻っていまして単郭の城として楽しめます。ただ、来たの空堀のに二重目の土盛があるるの気にになりました。八木岡城は、北側の横堀といっていのか分かりませんが折をつけたなかなかの深さを盛ったいいものでした。郭自体は削平度はあまりないのです。勝山城は、主郭と二の郭が残り綺麗に整備されとても見やすい。主郭を取巻く空堀も深く川に面して平城としてもかなりの要害性が感じられた。佐良土城は、土塁と空堀の一部が残っており、夕方でもあったのでウモ殿の仰せのごとく「那須氏の哀歌」を感じるようでした。
3/12 河津城・下田城・白水城・加納矢崎城・大沢城・丸山城(386) 土肥町楠の湯(
久しぶりにお天気になるということで伊豆方面に出かけました。しかし、なんと強風の吹きすさぶ日でした。川津は、戦国初期の切岸主体の城のようで、下田は、港を重厚に取り囲む尾根に郭を配置し、白水は、石積みと分厚い土塁、加納は、空堀と土橋・二条の堀切、大沢は、主郭の土塁、丸山は、郭を取り囲む石積みなど見ごたえがありました。
2/25 箱根大平台温泉にお泊り。今年になっての初めての温泉入浴であります。今年は、お城と共に温泉めぐりも努めていこうかなと思っています。
2/20 小田原城三の丸元蔵堀発掘現場説明会
新幹線の線路と小田急線の線路に挟まれた谷津口の三の丸元蔵堀で、二箇所から堀障子が計大小7基・縦障子1基でてきました。秦野でも発掘の障子堀は見ましたが、規模か違うのです、ものすごいですね。山中城の畝堀も綺麗でいいのですが、発掘現場のものは生々しくて地肌がでていて当時もこうだったのかなと思うしだいです。
2/11 小倉・杉山城(シンボジウム埼玉の戦国時代の番外現説バスツアー)と松山城
二城しか回れませんでしたが、発掘関係者の説明があり、色々と新しいことがでてきたようである。小倉城は、主郭の西の土塁下から石積みが見られ、西虎口の西側の櫓台跡のあたりにセットバックされた3段の石積みが発掘されています。杉山城は、主郭東虎口の石積み、出土品が少なくかわらけが比較的多いが15C末〜16C初頭のものであると。
2/5 苅野丸山城(380)足柄城
遠出する気にならず、近場の足柄城に久しぶりに登城。ついでに気になっていた、足柄古道の一角にある苅野丸山城に寄ってきた。遺構ははっきりしないが、竪堀・削平地が見られた。足柄は何度か行っていたが、いつも何かのついでであったため、写真を撮っていなかった。主郭・二・三の曲輪跡はしっかりしているが、他の遺構についてはどうも明確でないのが惜しい。
1/29 小田原城外郭めぐり
HPの写真撮りに行ってきました。
1/22 岩原・沼田城&小田原城陣場オフ会
岩原・沼田城は、以前一度行ったが、再度の訪城となった。沼田城は、以前主郭のみかん畑しか見なかったが、今回縄張り図もあり主郭を取り巻く空堀郡と主郭東北端の虎口・登城道を確認できた。陣場は、前に富士山陣場(376)に行ったが、今回は天子台(伝羽柴秀次陣場377)・水之尾天守(宇喜多秀家陣場378)佐野天守(379)と小田原城外郭を攻め手陣からみるものでした。遺構はほとんどありませんが、豊臣の陣形が分かりなかなかに興味深かったです。
1/9 山崎城・森山城・新村城・坂田城(375)
今まで行かなかった千葉の城廻です。山崎・新村城と森山・坂田城は趣が変わっています。
なんというのか、前者は、小生が見慣れている山城であり、後者は、前日の鹿島系に似ています。どちらがいいといえませんが、前者のほうが安心できる気持ちがあります。
1/8 長山城・島崎城・鹿島城・林外城・中居城・木崎城(371)
Nさん、Gさん、Oさんとまわる。茨城衆のGさん、Oさんの効率よい案内で、6城を回れた。常陸大掾氏系というのか、地形に限定されるという歴史の重みを感じたお城めぐりでした。
どの城も岡の先端に位置し、低い岡を欠点を補うのか堀底から10mを越える土塁を盛り、広大な曲輪の数々でした。茨城衆に言わせると、「今日の城は第一級のものである」ということでしたが、まさにそのとうりでありまして、すばらしい諸城でした。
1/5 高橋の城・朝比奈城・比木殿の山城(365)・横地城
高橋の城は、遺構も明確で、土塁・虎口・横堀・堀切などがしっかりと見れました。なかなかいい城跡で満足でした。一方、朝比奈・比木殿の山城は、登城口がなかなか見つからず、
あちっこっちとうろつきまして、住民の方に胡乱な者とされるのではないかと冷や冷やでした。両城とも林の中に段差を稼ぐ切岸に曲輪を構築してあり、まあまあでした。横地は、二度目で数年前に行っているのですが、県指定でよく整備されていますが、整備のし過ぎの用でもあります。
1/3 江尻城・庵原山城(362)
江尻城は、遺跡は、皆無で旧三の丸の小芝神社に案内・説明版が残るのみである。旧本丸は現在、江尻小学校になっている。庵原山城は、第二東名の橋桁が周辺に林立しており、城跡の真上を第二東名が走るようですが、橋桁は城跡の中にはありませんので避けたのかもしれません。城跡はこの時期でも藪ですが、掘りきり、曲輪跡が何段か見られた。