![]() 久川城遠景ー城跡東側伊南川より |
場所 南会津郡南会津町青柳字小丈山(旧伊南村) 別名 伊南柳河城・伊南城 比高 比高70m 形式 丘城 遺構 郭・空堀・土塁・枡形虎口・櫓台 残存 きわめて良好 県指定史跡 会津若松市より国49号・252号・289号・401号を通り約2時間ほどで旧伊南村役場のある古町地区に入ります。古町温泉赤岩荘の川向こうが城跡です。 駐車場 二ヶ所あります。 @城跡南の大手口のトイレのある駐車場。5〜6台止まれます。 A城跡北東の搦め手口。1〜2台止まれます。 訪城 2006.7.16 参考文献 中世城郭事典 |
久川城は東に伊南川、西に滝倉川の渓流、北はこれと合流する久川が麓を流れ、四方を急崖に囲まれた丘陵上にあり、天然の要害となっています。
「新編会津風土記」によれば、この城は伊南川対岸の古町の館を根拠地としていた河原田盛次が天正17年(1589)伊達政宗の来襲に備えて築城したもので、のち蒲生氏の支城となり、慶長16年(1611)に至って廃城とされたといわれています。
久川城跡は、空堀や土塁などの遺構の保存の良好な点、歴史的背景及び築城廃城の時期の比較的明確な点など、戦国・近世初頭の山城としてきわめて貴重な史跡です。
また、指定区域の南に隣接する堂平地区は城下集落とくに侍屋敷跡と推測され、城跡とともに久川城を研究する上で貴重な地域です。
福島県教育委員会 現地案内板より
台地上の城跡へは、二箇所の規模の大きい外枡形虎口から入るようです。北東の搦め手口の枡形は消滅しており、城碑と案内板があり、九十九折の道が北の丸の虎口に至るようですが、ここはパスしまして、南の枡形に向かいました。こちらには、四阿やトイレがあり広い駐車場もあります。そこから少し歩きますと枡形です。石垣囲みの枡形と城郭事典にあるのですが、草に覆われて確認していません。

縄張図でなく景観図ですかな
河原田氏は、会津四家(葦名・長沼・山内・河原田)と称され、奥会津伊南の国人領主として15世紀中期には確固たる勢力を得ていたようである。その後16世紀半ばの天文年間に葦名盛氏と戦い、葦名氏の配下に降ったものと思われる。
天文16年の摺上原の戦いで葦名氏が伊達氏に敗れ滅んだ後も伊達政宗の誘いを拒み、本城の駒寄城では防ぎきれないとして、久川城を築城した。河原田氏は、後北條討伐の後、秀吉が政宗の罪を糺し、会津・仙道を収公したことにより危機は脱したが、参陣の遅れによる所領没収となった。
奥州仕置によって入部した蒲生氏は、奥会津の地域拠点として河原田氏の久川城を土の城ではあるが、枡形虎口を多用した織豊系城郭に改修した。


北東の枡形虎口跡
南の外枡形虎口
30m四方のかなり広い虎口です。
馬出と考え方もいられるようです。


九十九折の先の虎口
南郭下の帯郭からの枡形T
南の郭は、背後は高い土塁に守られていますが、現状としては南の通路へののりしろ面がとても甘いです。
しかし、現状はハッキリしていませんが、それなりの形状が見とれます。南の通路にかなりの広さの持つ枡形が見とれます。南の通路を進むと、二郭と三郭を区切る空堀が背後の土塁から続いています。
二郭は、主郭の西の郭です。東西で主郭と三郭の空堀で仕切られています。40m強四方の広さを持っており虎口を東(主郭より)にあけています。ここも明確ではありません。二郭下の通路には、折れを伴う枡形の虎口が見られます。この通路は、なかなかに厳重な防備を備えています。

南郭から見た枡形T


三郭西の枡形虎口
南郭と三郭の南側の通路にある枡形U
登り口の枡形TとこのUで二重の枡形
を重ねた厳重な備えである。




二郭南下通路の枡形V
二郭の虎口ー枡形
と言われている
二郭で削平度は、高い


三郭と二郭の間の空堀
主郭は、南北95m、東西50mの広さで、四方を土塁が廻り、東北・
東南部に櫓台がある。現在稲荷社があるところが高くなっていて、天守櫓があっと考えられているようです。東西に空堀があります。




主郭内部
主郭虎口
主郭虎口の南の
涯に突き出した郭があります。虎口は、枡形のようです。郭は、南北21.5m東西21mの不整形の平場で4×2間の建物があったようです。水の手にいたるようです。
伊南郷の望む格好な郭

主郭南前にある城碑
主郭虎口東から北に取巻く空堀

北郭は、建物が立っていたと考えられ、城内の家臣団の居住区と見られる。郭内に通路跡とおぼしき窪みが見とれまして、このような郭はあまり見たことがありませんで、とても珍しいです。通路は、北曲輪の虎口にいたります。北郭虎口北の郭は出丸あとのようで虎口を護るものでしょう。上から見ても伺えました。

北郭虎口は、埋込虎口と呼ばれる形式のようで、案内板によれば「凹状に方形に掘り込まれ、奥行3.9m、間口4.9mの城門と思われる建物跡が復元」できるようです。
この虎口は、大手口との説明があるのですが、お城の構造から見ると搦め手口と思えます。



北出丸から麓に下る城道
北出丸から見た北虎口
虎口の左右は高く、虎口部は凹
埋込虎口の形状の北虎口
郭背後の土塁ー尾根の一部を削り残して強力な遮蔽線を構築しており、当城の特徴となっている。



主郭北西端の土塁から
空堀と北郭を見る
主郭背後の土塁上の道
三の丸と二ノ丸の竪堀のよこ
土塁から郭まではかなりの比高がある
まさに「知られざる名城」です。この久川城へ行くには、かなりの時間
が必要で、訪れる人も本当にまれなのでしょう。しかし、ぜひ一度訪れ
ていただきたいお城跡です。築城時には虎口や主郭などに石垣もあったようですが、現状では全くといって見られません。しかし、土の城として、
保存状態もよく見学整備としても理想的です。小生にとってなりよりなのは、これほどの枡形虎口のあるお城は無いのです。