さよなら宮脇俊三先生
銀河鉄道片道切符の旅
終りなき旅路・14万8千光年

2003年2月26日、一つの時代が終わった。その終りは一般の人には何事もない終わりではあったが、 一部の人々には重大な終りだった。
『時刻表2万キロ』や『最長片道切符の旅』等、鉄道旅行自体を目的とした作品を次々と発表した宮脇俊三 先生が76歳でこの日、永眠されたのである。ここ数年来、新刊と言えば例の『廃線跡巡り』がメインになっ た感は否めないものの、それまでは本当に多彩な作品を発表しつづけてこられた。そして、私を含めた多く の鉄道ファンが結果として国鉄(⇒JR)完乗を志すきっかけとなり、国鉄だけに飽き足らない人に至っては 国内完乗に至った人も少なくない。
上記の通り、私も先生の作品がきっかけとなって国鉄(当時)の完乗を志し、94年4月に達成、さらに99年9 月には国内鉄道の完乗をも達成した。加えて、JR完乗の翌年には私の完乗記・“鈍行スカタン電車”を刊 行、周囲に頒布したが、これを読んでJR完乗を目指し、達成した人もついに昨年現れた。
ここでは自分なりに感じた宮脇先生のお人柄や作品の紹介、さらには追悼の旅を記していこうと思う。
冒頭タイトルの“14万8千光年”ってのは完全に語呂というか、先生の作品タイトルに頻出している距離程 をモチーフにしたものです…って書いても、趣味嗜好がバレバレやな(苦笑)。
追悼紀行・終着駅へ行ってきます・2003

私の地元・片町線(学研都市線と言った方が最早通りは良いのだろうな…)は何度か宮脇作品の中に出てくる が、その最初は“最長片道切符の旅”である。因みに初乗りは正真証明“時刻表二万キロ”第1章のちょっ と手前で、今思うと少々残念ではある(苦笑)
当初構想外だった会津・越後・信州から一気に南下して紀伊半島を一周、その翌日の旅立ちが片町駅から描 かれている(ルール上、京橋〜片町間の乗車券は追加購入されているものと推測される)。もっともその前夜 の心理状態は私にも経験があるのだが、あまりの目まぐるしさ故に『何をしているのか?』と自問自答状態 に陥り、『最長片道切符の旅でなければ(同書文庫版214ページより原文ママ引用)』大阪から九州行きのブル トレに衝動乗りしてしまう可能性が高かったようだが、グッとこらえた末に(当時の)片町駅の風格ある駅舎 へ向かうその光景は朝ラッシュ前の爽やかさとあわせて心地よい。
ここで注目したいのは、この“最長片道切符”の旅の時期が78年秋、つまり翌年に完成した長尾〜四条畷間 の複線化工事のクライマックス時期で、既に忍ヶ丘・星田両駅の高架化工事は当時使用線路に関してはなさ れていたものと思われるが、この辺に関してはごくサラリと
(前略)片町から四条畷までが複線電化、長尾までが単線電化、そこから先は未電化で、(後略)
(同書文庫版216ページより引用)
と述べているに過ぎない。しかしながら、同書や氏の特集となった雑誌“旅”2000年9月号に掲載された使 用後の“最長片道切符”にはくっきりと“四条畷”の途中下車印が刻印されている。しかも上部真ん中辺り に記されている通用開始日の真下である−後に最終日前日に八代で駅員と“継続乗車”に関して熱い会話が 交わされる原因にはならなかったが、かなり場所的には際どい所である(笑)−。
ともあれ、この時の片町駅の佇まいや雰囲気に好印象を持ったのか、それ以降、“大都会の中の孤独”を味 わえる駅として横浜・鶴見線の海芝浦駅と共にピックアップするケースが増え、初期のエッセイ“終着駅へ 行ってきます”にも登場している。今回はこの当時のルートのまま、現状を記してみたい。
−この当時のルートのまま、現状を記してみたい−と書いたものの、ご存知の通り、97年春に開業したJR 東西線の為に既に片町駅はない。上記の“終着駅へ〜”には“婚約不履行型”の終着駅がいくつか挙げられ ているが、結果論としてはこの片町も駅名が“大阪城北詰”と今風の駅名に変わったが、位置的にはそれほ ど場所が移動した訳ではなく、東西線工事中の際の大阪城北詰駅の仮称も“片町”だった事からここまで行 く事とした。
まあ、片町がなくなっていたのは百も承知なので、当たり前だが当時のダイヤに近い乗り継ぎをしようと思っ て時刻表を確かめると最初に乗車した奈良行き直通快速、現在の大和路快速の大阪発の時刻が微妙に異なっ ていた。止む無く当初は関空快速で新今宮まで、そこからは高田行きの区間快速、さらに奈良行き普通に乗 ろうかと思ったが、見事にスジが繋がらず、止む無く木津の接続も考慮して大阪発が当時より10分早い大和 路快速で代用する形にした。さらに学研都市線の木津方は既に早朝深夜以外の奈良直通ダイヤはなくなって いたが、これは大和路快速が加茂までの直通になっているのでそれによって木津まで代用する。
3月とは言え、朝から雪や小雨がぱらつくいささかうっとうしい日ではあったが、妙な感慨を持って大阪を 11時24分に出る大和路快速を待つ。『中学・高校時代、ちょくちょくこうやって大回り乗車をやったな』と。 それでもちょっと寒いのでホームの京橋方にある立ち食いそばでかき揚げそばをすすって身体を温め、さら には売店で売っている暖かい缶コーヒーをカイロ代わりに持って乗りこむ。
国鉄時代はごく一般的な近郊用車輌を使っていたが、JR化されて、満を持して投入された221系の第一陣 投入時には京阪神間の新快速と共に投入されたグループである。今やすっかりおなじみ・当たり前になって いてちと怖いモノがありそうだ。

凡ての始まり−その出会い

今となっては、その時期ははっきりと覚えていない。しかし、中学校入学後であったのはまず間違いなかろ う。
たまたまその日、近所の本屋で購入した(河出)文庫版の“時刻表2万キロ”をむさぼるように読んだのは間 違いなかった。生まれ育った所が近鉄大阪線・長瀬駅近辺で、おまけにたまに帰省しては国鉄能登線のロー カル味あふれる車輌を見ていてこれで鉄道ファンにならないほうがおかしく、加えてこの当時既にいっぱし の車輌ファンだと言ってもよかった私だが、読んだ直後、『こんな旅行がしたい!』と熱望した。加えて同 時期に“最長片道切符の旅”も読んでしまい、よせばいいのに家に置いてあった“大時刻表”(作者註・現在 のJR時刻表の前身)の路線図に自分なりの片道切符のルートを殴り書きしてしまった(中学生のやることじゃ ねェな・笑)。
その後は自分のプロフィールや旅日記にも関連するので省略するが、高校入学と同時に本格的に乗りつぶし を始めた(そういや丸々20年間も変わらずこんな事してるのな、私って)。

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