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2月はそれほど動いた記憶が長年にわたってない。最近でこそ、仕事の関係で年末年始関連の特別休暇を2
月の連休と絡めてとって、あちこちへ行くケースが増えているがそれだけである。とは言いながらもこの月
の旅は結構豪華な展開になっている。 何せ、前年8月に乗りそこなった“トワイライトエクスプレス”の寝台券が“シングルツイン”とは言え、 ゲットでき、堪能した96年や、不意に『五能線に乗りたい!』と思い立ち、翌月のダイヤ改定で廃止となる “グランドひかり”の食堂車堪能と絡めて行った2000年など、これまでの展開からするとちょっと異色な旅 が多い。それでもJR完乗達成、国内完乗を目指していたころや、凡てにケリをつけ、新たなる展開を模索 していたころの旅といえよう…。 旅の醍醐味、と言うのは切符の手配から始まると言っても過言ではない。今回の“トワイライト”やデビュー 時の“サンライズ”等は人気も高く、1ヶ月前から準備しておかないと目的の切符を手中にする事はなかな か難しい。とは言え、このときにはゲットできなくても、何度か“みどりの窓口”に顔を出し、奇跡的に入 手出来たときの歓喜の瞬間もまたたまらないものがある…。このときは家経由で切符が取れたとの連絡が入 り、仕事からの帰りに立ち寄って引き取った。切符をよくよく眺めると“シングルツイン”で、あの乗りそ こなった“ロイヤル”とは違う種別。さすがに『無理やったのかな?』と思ったが、考えを転換させ『若い うちからそんな豪華な車両に乗ってどうする気や?こっちも珍しい種別だし、堪能すりゃいいやんか』と思 い込ませた(もっともこの時に舞い上がってしまい、ディナー券を買いそびれてしまったが)。 出発当日は結構早めに大阪駅10番線に上ったが、行先表示で普段見なれている“金沢”や“富山”、ある いは“大阪止”の文字の中でひときわ目立つのがこの“トワイライト”の終着駅・“札幌”である。何せ長 年見られなかった行先だし、おまけに週に数回、それも1日1回の貴重品(笑)だから尚の事である。 同じ事は北海道内でも言えて、就職直前の北海道行では東室蘭か苫小牧で大阪行“トワイライト”の案内を 見た覚えがあるが、このときもある種奇妙な感慨を持った…。 この日の“トワイライト”は出発こそ定時だったが、茨木付近から急に雪が降り出してしまい、数分づつ遅 れを生じていた。おまけにすれ違うはずの大阪行“トワイライト”がこの雪で予想よりちょっと遅れていた らしく、結局高槻〜山崎間で見かけた。さらに列車は進行、湖西線に入った辺りで食堂車に足を向ける。ディ ナーがとれないのであるなら、昼飯でも…てな訳ではないが、行ける時に行っておきたい気分だった。 実の所、“雷鳥”の食堂車は1、2回しか経験しておらず、おまけに北陸線内だったためかそれほど優雅な 気分にはなれなかったが、今回は眺めのよい湖西線、しかも内装もクラシックな落ち着いた雰囲気でより旅 情を掻き立てる。のんびりスパゲティなどを食べていると、翌日の朝食時間の確認を受けた。 雪の影響からかちょっとづつ遅れが生じていたが、敦賀や“サンダーバード”に追い越される武生で調整し ていたが、その後にまたも遅れが生じていた。糸魚川前後で個室に夕食が届けられたが、それを機にサロン・ デュ・ノール(サロンカー)へ足を向ける…。 と、“トワイライト”満喫を書き連ねると本人は気分がよかろうが、これを読んでいる方々が不快感を感じ るだろうし、話が前進しないので、大幅に省略、翌朝の朝食では智頭急行の起点・上郡で中学校の教師を勤 めているアメリカ人と相席になり、四苦八苦しながらコミュニケーションをとった。 札幌到着後は“さっぽろ雪祭り”を堪能、夕方には以前訪問して気に入った留萌本線・秩父別駅の近くにあ る温泉“ちっぷ・ゆう&ゆ”で疲れを癒し、再び札幌に戻って夜行特急“オホーツク”に乗車した。 …実はこの半年余り後、同じ日の同じ“オホーツク”が漫画の舞台に踊り出た。その数ヶ月前に連載が始まっ た“名物!たびてつ友の会”ではたまたま北海道篇で、私とほぼ同ルートを経由してしまったようである。 もっともこの事実を知ったのは前述の通り半年余り後に刊行された同作品のコミックス1巻で該当シリーズ を見てからだが…。たまたまあの“空手部”が完結した直後だけにうまい具合に“ポスト空手部”が見つかっ た事になろう…。 話がかなりぶっ飛んでしまったが、この“たびてつ”でも登場したノロッコ号を堪能、この後は道内で唯一 残った旧国鉄ローカル線廃止対象線区だった第三セクター“ちほく高原鉄道”を乗車、かねてから評判の高 かった置戸駅そばにあるそば屋で身体を温めると池田から敢えて釧路まで鈍行で行き、夜行特急“おおぞら” で札幌に戻ろうとしたが、最初の停車駅・白糠直前で“話題になっている(こういう話題はいややけど)”鹿 の直前横断に遭遇。よりによって前面展望の利く列車だったので何かいやな気分になり、結局運転席側に移 動、おまけに車内がガラスキなのをよい事に4人分の席をベッド代わりに利用した。 翌日は札幌の地下鉄や路面電車で乗り残しているところを処理、北24条駅のそばにある銭湯に寄ろうとした 時に、コンコース内の売店に置かれていた新聞のトップ見出しに目が釘付けとなった。作家の司馬遼太郎さ んが亡くなったとの事…。浪人時代に出会った代表作“竜馬がゆく”に出会って以来、それほどはまる、と 言うのではなかったが、人間としての生き様の指針、とでも言うのだろう、それを教えてもらった人だけに ちょっと惜しい感は否めなかった…。
続いて2000年は前述の通り、東京〜博多間で10年余り活躍していたJR西日本の“グランドひかり”の食堂
車が引退するとの事で、加えて不意に『五能線に乗りたい!』と思い始め、結局は鰺ヶ沢〜川部間の全ての
駅に乗り降りし、更には津軽鉄道のストーブ列車やかつて乗った“ノスビュートレ”の後継車(?)と言える
“リゾートしらかみ”にも乗車。東京(上野)から秋田への往復には“あけぼの”のソロを往復ともゲット。
かつてJR完乗時に利用した“なは”と同じ様式だったが、何故か当時に比べて妙に狭く感じてしまった。
JR完乗達成以来、寝台特急に乗る機会も増え、同様に個室寝台を使うことも増えたからだろうが、同じ様
式ながら上下方向に余裕のある“サンライズ”のシングルや、前述の“トワイライト”のシングルツインな
どのゆったりした個室に慣れてしまったからかもしれない…。 |