7月の旅・空スカとサンライズ

学生時代は夏休みの取っ掛かり、と言う事でそろそろ最新版の時刻表で鉄道旅行のプランニングを建て出す 時期だが、社会人になった現在では、仕事柄一定の時期に夏休みが取れず、各職員が交代でほぼ1週間−名 目(規定?)は3日だが有休を組み合わせて1週間にしている−の夏休みを取っている。一応規定上『7月か ら9月』となっているものの、8月半ばのいわゆる旧盆時期ははどうしても家庭を持っている人が優先にな るため、私のような30過ぎても“独り者”は前後にスライドするケースが殆どで、この項の表題になってい る2つの旅行もこのケース故に起きたタイプである。

97年7月にメインルートを実施した『空スカ』は、実はその前年の夏頃から企画を立てていた。その年の春 に完結した漫画『押忍!!空手部』のキャラ名駅を訪ねるという、ちょっとまともな考えを持っている人なら 思いもつかないプランではあるが、『空手部』にズッポリハマってしまった自分自身へのある種のけじめ・ 総決算と言えなくもない旅の計画だった…。趣旨は異なれど、レイルウエイライター氏が何度か実施してい る“乗り継ぎ”−特に最近やった“銀つくし”や“朝焼け”等−もある程度似ているのではないのかな?と 思えなくもない。
企画自体はごく最近始めた、と前述したが、この旅行を“やってみたい”とプランニングのかなり以前にJ TB時刻表の名物コーナー“グッたいむ”に投稿、採用されたことがある。この当時は連載の一時中断時期 で、復活が何時になるかはっきり言って予想だにできなかった。加えて、既に連載開始から8年(当時)が経 過しており、既に数多くのキャラクターを輩出、そのかなりの数が駅名と共通の名前だった事から、当時ワ ープロで順次作成していた人名辞典[空手部紳士・淑女録参照]と時刻表とを首っ 引きでチェックした…。そこで確認できたのはまさに日本列島を縦横無尽に渡り歩くプランになってしまっ た。加えて、作品の主たる舞台になった大阪・京橋と東京・新宿に関してはキャラ駅に準じた扱いにする事 にしたので凄まじく煩雑になってしまった。結局、ルート上で離れ小島的存在になってしまった秋田県の戸 沢駅(秋田内陸縦貫鉄道)は97年春に発売されたJR10周年謝恩きっぷを活用した乗り歩きで処理し、更に地 元・関西圏に関しては本ルート実施前に処理する事にしたが、それでも1週間の夏休みを丸々使い切る羽目 となった…。
で、実際に乗り歩いた『空スカ』は結果的に当時未乗車だったローカル私鉄の乗りつぶしを推進、加えてか つて乗車したものの、時間の関係で立ち寄れなかった多くの小駅への立ち寄りを実現、この頃から薄々と目 指していた国内完乗への足がかりになった…、と言うのは勘ぐりと取れなくもない。事実、この『空スカ』 を敢行した97年は近年にしては珍しくJR東西線や北陸新幹線、北越急行等新規路線の開業が相次ぎ、加え て当時2年近く連続未乗路線乗車という珍記録(怪記録?)を継続していた。

その後も引き続いて新路線乗車を続けていたが、九州方面にかけてはそうちょくちょく行ける所ではなかっ たので翌年の夏休みに一気にケリを着けるつもりだった。既にこの時期、新型寝台電車の噂が持ち上がり、 春先にはJR車輌を大量に作っている徳庵の近畿車輌でベージュに赤系のカラーリングに塗り分けられた大 柄な車輌がちらりと見える事もあった。これが公式な発表で“サンライズエクスプレス”と命名され、この 年の7月から東京〜高松・出雲市間で運用される事が決まった際に、『よっしゃ、九州の私鉄を乗り潰して、 その帰路に1番電車に乗っちゃろかい!』と思ったのは言うまでもない。
『空スカ』でももめたきっぷは初利用となる周遊きっぷとなったが、“サンライズ”に乗ることから自然と 東京経由となり、結果として東海道〜上越新幹線〜北越急行〜北陸〜湖西線経由で京都発着となった。とは 言うものの、ルート発注段階で前年の『空スカ』同様京橋のJTBで発注したがやはり一もめあり、当初は 大阪市内始発にしていたが、『これでは切符が出来ない』とのことで前述の通り京都市内発、山科終点となっ た。
出発列車はJR化後初の乗り潰しの際にも利用した『あかつき』。前回は一般的なB寝台車だったが、今回 は私のJR完乗とほぼ同時期に投入された独立3列シートのレガートシート車に乗車。やはりまだシーズン 前な為かガラ空きで翌朝は“桜の園”と揶揄されている女性専用スペースの洗面コーナーで身支度を整えた (本当はこれってだめなんですよね?)。
その日は長崎の路面電車を乗り潰した後、諫早からバスを使って加津佐まで先回りし、雲仙噴火前に途中ま で乗っていた島原鉄道、更に熊本へのフェリー(このフェリーの船中で同じルートに“オーシャンアロー”と 言う何処かで聞いた事のある高速船のチラシがあった)とバスを乗り継いで熊本市内に出ると今度は熊本市電 を乗り継ぐ。こちらは何だかんだと結構有名で、去年の『空スカ』では見ることすら出来なかった超低床電 車に早速乗車できた。
この後、いつものパターンで一旦博多まで戻り、“ドリームつばめ”で西鹿児島へ、JR完乗以来の指宿枕 崎線を鹿児島市内の谷山まで乗り、今度は鹿児島市電に乗るが途中、“相互信用金庫”という金融機関の看 板を見かけ、当時の勤務局(大阪・守口市内)のお得意先に同名の信用金庫があるため、当初は『何でやろか? 信用金庫にも都市銀行並の全国ネットのものがあるのか?』と不可解な思いがあった。これは後日判明した 事だが、正式には頭に“鹿児島”がつくらしいが、そうでなければややこしい事おびただしいから…。
この鹿児島市電、車両に国内外を問わない姉妹都市の名前を命名しているが、乗っている途中、“大垣号” を見かけた(乗っているのは中国の“長沙号”)。不意に(鉄なので)大垣=樽見鉄道の方程式が思いつき、 『そこまでするなら声かけて樽見鉄道に“鹿児島号”なんての走らせたら?』なんて箸にも棒にもかからな いようなヨタな事を思いつき、それだけならまだしも、早速“グッたいむ”に送りつけてしまったから笑い にもならない。兎にも角にも鹿児島市電もこれにて完乗を達成した。
この後、鹿児島線特急“つばめ”で八代まで乗車、更に肥薩線鈍行を人吉まで乗る。この鹿児島線や日豊線、 北海道ならば根室線(石勝線含む)や石北線などは昔から線内の夜行列車が走っていて、(旧国鉄〜)JR乗り 潰しに存分に活用できる列車である。それ故にこれら上記に挙げた区間を昼間に乗りとおした事のない人っ てかなり多いのではなかろうか。私自身もまさにこのケースで、今挙げた4線区のうち鹿児島線は今回の乗 車が(昼間の)初乗りだし、(この当時で)石北線は未だ昼間に乗車した事はない(*著者註)。
肥薩線からくま川鉄道にかけては前年の『空スカ』とごっちゃになってしまい、どっちがどっちだったかい ささか判りにくい状態になってしまうが、今回はくま川鉄道線を全線乗り通した後、鈍行で勝負師御用達の 一勝地まで先行、駅構内の郵便局で貯金後、熊本まで一気に駆け抜ける。
再び熊本市電に乗るが、今度は途中で下車、熊本電鉄の起点である藤崎宮まで歩く。えらい華やかなパチン コ屋のビルが立ちはだかるが、何と銭湯でしかも藤崎宮駅だった。とは言ってもこの駅の存在、あの『たび てつ』で上諏訪やほっとゆだ同様の駅構内温泉と言う事で取り上げられていたのだが、出来たのはごく最近 で、この情報がなかったら多分そのまますっと立ち去っていただろう。そしてつかれた身体を癒すのにどこ かの銭湯を探しまくって余計に疲れを増幅させていたかもしれない。

*石北線に関しては2001年1月に昼間の“オホーツク”でクリアした。

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