スキー狂@たかし
1974年生まれ A型 いて座
自称スキーマニア
本格スキー暦10年ちょっとのサラリーマンスキーヤー
某県連に所属し、全日本スキー連盟公認 準指導員・C級検定員資格を取得。
整地は滑れるけれどもコブは超苦手!
妻1人・子1人の家庭もあります。
スキーを初めて履いたのは小学校4年生の時。
初めは怖くて楽しむ余裕なんてなかったが、自力で止まれるようになってから、突然、楽しくなったのを覚えている。
その後は、シーズン5日くらいの滑走日数で高校生まで過ごす。なんとかパラレルスタンスで滑れる程度のレベルにはなっていた。
中学時代に、アルペンレーサー岡部哲也に憧れ、「いつかはアルペン競技をしたい」と心に決めるも、中学・高校(地元の公立校)にはスキー部はなく、帰宅部となる。
その頃からスキー雑誌はたまに読んでいたが、高校時代に、「基礎スキー」というジャンルを知る。それまでもSAJバッヂテストは知っていたが、あくまで目安のテストだと思っていて、バッヂテストのために練習する、なんてことは想像もしていなかった。
丁度、渡辺一樹デモの全盛期(今も現役!)で技術選2連覇を2回、佐藤譲も優勝するなど、ニシザワスキーの全盛期であったように記憶している。
その後、大学入学(3流私大)。ようやく念願の「体育会スキー競技部」に入部。入部説明を受ける時に、「技術選に出たいのですが・・」なんて質問をしたのが懐かしい。
幸いにも、スポーツ推薦を積極的に行っていない大学だったので、新入生がパラレルで滑れるなら上出来!というスキー競技部であった。スキー競技部は、アルペン・ノルディック・ジャンプと3チームに分かれていたが、当然、私はアルペンチームに入る。
大学4年間、アルペン競技に打ち込むも、大した結果は全く残せずに卒業。
しかし、このスキー競技部での4年間は、今の私のスキーのベースになっていることは否定できない。この4年間の滑走日数は200日以上になり、2度のケガも含めて様々な経験ができた。
大学最終シーズンにSAJ2級を取得。1級を受検するには2級を取得してないとダメなので・・。1級も受検予定であったが、都合により受検できずに卒業、となる。
卒業後はしばらくの間、スキー休憩となる。
一応はアルペン競技用の板を買ったりしていたが、レースにはほとんど出場せず(1回だけ)。
その後、結婚という人生の節目を経験。当然、カミさんもスキーマニア。しかし、スキーに対する熱は夫婦揃ってかなり冷めていた。
そんな私が、突然、スキー熱に再び侵されたのは、会社の同期がSAJ1級を取得したから!
で、私も1級が欲しくなり、練習開始。これにはカミさんも激しく同意し、夫婦で1級合格を目指すことになる。
なんやかんやで、なんとか1シーズンで夫婦揃って1級合格に成功。
この1級合格証を頂くときに、「私たちと一緒にスキーしませんか?私たちのクラブに入って、スクールのスタッフとして一緒に技術向上しましょう」とこの時の主任検定員の方に誘われて、クラブに入会、同時にスクールスタッフにさせて頂く。
その後、カミさんは妊娠・出産・育児でスキーからは離れてしまう(クラブには入会)が、私はそんな家族を見捨ててスキーを続ける。
クラブ入会から2年後、準指導員を受検し、クラブの皆様の熱烈なご指導のおかげで一発合格に成功。
そして翌シーズンは子供も2歳になり、カミさん・子供同伴でスキーに。おかげで全く練習できず(泣)。しかしカミさんには逆らえず・・。
技術選(県予選)に出場するも、全くお話にならず・・・