初めての出産   その日のことを忘れないように



●予定日はあくまでも予定日●

 期待と不安の入り混ざる、初めての出産は近づく。
 妊娠8ヶ月めには仕事をやめ、出産マニュアル本やマタニティ雑誌にそって、きっちり物の準備も整えた。さあ、いつでもOKよ。

 ところが緊張の予定日は、何ごともなく過ぎていった。そして翌日も、翌々日も・・・。
 でも、初産は遅れることが多いらしい。
 そうは言っても・・・。
 何の兆しもない日々に、日ごと不安を募らせていた。

 予定日を1週間過ぎた検診日。尿検査の結果で、検出されるべき体内物質が出ていないとのことで、検査のためそのまま入院。入院経験もなかったし、どうしたらいいのかわけが分からなくなり、パニック。しかし、翌日事なきを得て退院。

 予定日を10日過ぎた朝。俗に「おしるし」といわれる出血があり、いよいよか?と思う。ちょうど検診日でもあり受診するが、兆候はないと言われる。がっかり。お医者さんに、もう10日も予定日を過ぎている不安を話すと、「じゃあ、ちょっとマッサージをしますか」と、子宮口のマッサージをしてもらう。これが、一瞬で終わるのだが、激痛&出血を伴うものだった。
 「これで今夜あたり、陣痛がくるかもしれませんよ」
 去り際のお医者さんの言葉を、「・・はあ」と話半分で聞いていたら、ほんとにその夜早く、陣痛は始まった。

 徐々に痛みの波のやってくる間隔が狭まってくる。「10分間隔になったら入院」のマニュアル通り、日付の変わるころ、夫を起こし、病院に連れて行ってもらう。しかし陣痛室に入るも、2時間くらい経っても陣痛はそれ以上進まず、子宮口も開いてこないので、病室に移ることになる。
 ベテラン看護婦さんに、「初産だし、まだまだ(時間が)かかりそうですね」と言われてしまった。その言葉どおり、それからが長かった・・・。



●これが微弱陣痛?●

 目覚めると、さわやかな朝。うわっ、普通に眠ってしまっていた。陣痛はどこへ?
 しかし、起き上がるとまた痛みが戻ってきた。
 お医者さんに、胎児が自然分娩できるぎりぎりのところまで大きく育ってしまっていることなどの説明を受け、陣痛促進剤の点滴を受けることになる。

 6台のベッドの並ぶ陣痛室は、出産まじかの妊婦さんが、分娩監視装置をつけ、陣痛に苦しんでいる部屋だ。胎児の心音と、陣痛の状態がプリントアウトされる音、妊婦さんの苦しみにあえぐ声が聞こえつづける。看護婦さんがまめにまわってきてくれ、いよいよとなると、隣の分娩室に移って出産となる。
 わたしはそこのベッドで点滴を受けた。しかし、しっかり苦しんでいるのに、お産は当初からの10分間隔の陣痛、それ以上には一向に進まないのだった。疲労で食事も段々とれなくなっていった。ころころと点滴を押しながら行ったトイレで、なぜかいつも陣痛の痛みの大波が来てしまい、緊急ボタンを押そうか迷いつつも、波が去るのをがんばって待つ。立ち上がれるようになるまでひとり苦しんでいるわびしさ。

 22時になると点滴を外され、病室に戻り、陣痛の合間に眠ってるんだか起きてるんだか、朦朧としたときを過ごす。翌朝にまた陣痛室に出動。これを丸3日続けて、もうなにがなんだかよれよれなときに、ようやく変調が起きた。



●体力残量なし●

 深夜、トイレへ排尿に行ったのだが、不思議と出ない。ベッドに戻ると、やっぱり出たい。また行っても、やっぱり出ない。悪いなあと思いつつも仮眠中の看護婦さんを起こし、陣痛室で導尿してもらう。尿はそんなにたまっておらず、どうも子宮が膀胱を圧迫していたようだ。その時、子宮口が開きつつあるとのことで、そのままそこにいることにした。

 明け方、妊婦さんが次々陣痛室に入ってきて、あっという間にベッドはいっぱい。と思ったら、これまた次々出産となり、看護婦さんはバタバタ。
 わたしも、なにか今までと違う、これが「いきみたい」という感じなのか?という状態になるも、「分娩台が足りない!」「もうちょっとがまんしてね!」「次はどの人?!」などと走り回る看護婦さんたちの様子に、がまんを重ねていた。

 出産ラッシュが一段落する頃、やっと、子宮口全開と言われる。
 ようやく夢の分娩台。
 しかし・・わたしにはもう、体力が残っていなかった。
 子どもの頭が見えるところまでいきんだ。こともあろうにそんなときに、潮が引くように陣痛が遠のいてしまった。
 「このままでは赤ちゃんの状態が心配なので、かんし分娩にしましょう」と、お医者さんから説明を受ける。
 局部麻酔注射、そして切開。残った力を振り絞っていきむと同時に、お医者さんがかんしといわれる器具を赤ちゃんにひっかけて引っ張り出した。

 泣き声。
 「女の子ですよ」と看護婦さん。
 すぐに赤ちゃんを抱かせてもらう。
 それは確かに、「おおっ」と思うほど夫によく似た赤ちゃんだった。

 変な話、今までお腹に入っていたのは本当に赤ちゃんだったんだなあと、その時実感。
 そして、ああこれでお別れなんだな、と、なぜか思った。



●後日談●

 書類かなにかを書くためにだったか、看護婦さんに聞いたのは、わたしは「難産」あるいは「異常分娩」のほうに丸を付けるべきなんだろうか?ということだ。看護婦さんは、「普通ですよ。普通」とこともなげに言った。え?こんなに苦しんだのに?
 出産の世界はまだまだ奥深いと思ったのだった。

 とはいえ、人工的処置を行ったので、自然出産とは言えないようだ。出産時のトラブルで、子どもの片目は赤く充血。それも1ヶ月くらいかけて、徐々に消えていった。
 その後1歳半ころにかけて、発達が遅れ気味。乳児健診の際紹介された専門病院に受診したが、心配だけで済んだ。
 後に、ほぼ同じような出産の経過をたどり、お子さんは脳に障害をもつ結果となったかたと知り合った。なんと言葉をかけていいのかわからなかった。紙一重なのだ。出産は自分としてはすごく大変な経験だったのだが、口を慎みたいと思った。