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思い出のクルマたち!(その1)

四輪車(クルマ)は、バイクほどの思い入れは無いと言いつつ、今まで乗ってきたクルマ(現有車含めて3台だけだが)は結構個性的なクルマばかりだと思っている。
そもそも、バイクの免許を取るコトについても周りに比べればオクテだったので、自動車免許を取得したのは、専門学校卒業間近の事だった。
専門学校の友人たちは皆四輪派(一部バイク乗りがいたが)で、コトあるごとにクルマの良さを聞かされていたし、雨風関係無くラクチン(そうでない車もあるが)なのは判っていたが家にクルマが無く、免許も無いので『バイクで十分だい!』と思っていた。
そんな自分が、クルマに乗る(免許取得の)きっかけは、就職だった。

入社試験の面接でのひとコマ

面接官:「君はオートバイの免許は持っているが、自動車の免許はもっていないね。ウチに入社した場合仕事で車を使うことになる。免許を取る予定はあるのかね?」

私:「今のところ予定はしてませんが、必要とあらば考えますが・・・」

面接官:「では、ウチがキミを採用したら取りに行くのだね?」

私:「そうですね。採っていただければ免許取りにいきます。」

上記の様なヤリトリの末、めでたく採用の内定通知が来てしまったので教習所に通い免許を取得したのでした。

会社で仕事に使う車として私にあてがわれたのは、配属先の営業所でも一番ボロいスズキ・キャリーバン(2スト550cc3気筒)でした。
初心者が乗るのだから多少ぶつけたり擦ったりしても惜しくないようにと廃車寸前のクルマで外回りに出されました。確かエアコンも付いて無かったようなボロ車だったように記憶しています。

暫くして、外回りの無い部署に転勤となり会社の車は使用しなくなりました。しかし、免許取りたてで運転することが楽しくて仕方が無い私は、機会があれば友人の車を運転させて貰うことで技量の維持をしていました。


始めての所有車:トヨタ タウンエースバン(1300cc)

会社に入って2年目の春。その当時私は、ヤマハYSR50でMP12(YSRによるヤマハ主催のワンメークミニバイクレース)に出てました。最初の頃は、一緒にやっていた友人の親父さんが仕事で使っている1.5tトラックでバイクを運んでいたのですが、レースに出ているからにはトランスポーターが必要となり購入を検討しはじめました。
候補には、別の友人が所有していた軽トラが候補に上がってましたがあまり程度が良くなく、他をあたっていたところ会社の総務部で、営業所の統廃合にともない余剰になった営業車が有るとの情報を聞き、交渉したところ、価格は自動車税+1万円、条件として名義変更後、社名(営業用の車なので社名が大書きしてあった。)を消すといったことで譲り受けました。

ここで、問題なのはボディーの”社名”をどうするか?でしたが幸い、近所にスポイラー等の製造販売をしている知り合いの方が塗装をしてくれるとのこと。しかも、『ウチのカンバン(社名のロゴ)を入れさせてくれるのなら安くしてあげましょう。』との有難いお言葉。
そーゆー事ならとお願いして仕上がってきたタウンエースはなんとスーパーホワイト一色に。

結構カッコ良く、町中でも目立つ車となりました。(因みに塗装費用は13万円でした)

 

なぜかワイパーアームまで真っ白なタウンエース

これで、ホーイルを変えてやればよりカッコ良くなったんでしょうが、レースの方にお金が行ってしまい交換できませんでした。
さて、この車、1300ccエンジンの為高速や坂道が大のニガテでした。高速の追い越し車線を走り続けると水温計の針がレッドゾーンに近づく事もしばしばありました。また、山道に差し掛かると夏場はエアコンのスイッチをOFFにして走っていました。ちなみに、このワザは仲間内で”エアコンターボ”と呼んでいました。(笑)
この車の本来の特性である、”荷物を運ぶ”という面では重宝しました。特に車検などで整備工場に車を入れる場合、自転車(ときには、ミニバイク)を積んでおいて帰りは積んで行った自転車で帰るなどといった事も楽勝でした。
そういえば、鹿児島から、東京へ引っ越しの時コイツに荷物を積んで一人で帰ってきたっけ。(大阪までフェリーあとは高速で)


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