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秋の貧乏グルメ・特報 はびこる外国産アサリ 今泉弘吉
千葉は木更津もののアサリなら、その貝の模様も色合いも鮮やかで、味もよし。
きれい砂で育ったはずである。臭気もないから、むき身でレモンをかけて
食べてもうまいし、スパゲッティ・ボンゴレもいい。酒蒸しにしてもいける。
ことに寒さに向かういま、うまい。
それが、弱ったことになった。久々に、アサリの味噌汁でもと思って、近所
のスーパーに行ったら、中国産ばかりだった。
中国産ともなれば、すぐわかる。表面が泥色、模様なし。異様。韓国産は中
国産と似ているが、国内産と共通点もある。北朝鮮産は知らない。理由は、は
っきりしている。当地のスーパーには、原産国を名乗ってお目えしていないた
めだ。偽装しているのだろうか。
何でも、関西や北陸、北九州では、北朝鮮産を、一度浜に放してから回収し
「国産アサリ」として売っていると聞く。
関東でも、東京や埼玉あたりの人は、あの美しい模様の、安心して食べられ
る、うまい千葉の本場のアサリを見たこともなく、店頭で見分けようにも、術
のない人もいると思う。
総じて国産アサリは中国産などより値段が高いから、懐と相談して買う人は、
おそらく、北朝鮮産品で、国産あるいは中国産に偽装したものをつかまされて
いるのだ。
中国や韓国、北朝鮮の、アサリの棲む海岸の砂が、環境汚染の影響をどの程
度受けていものか、アサリ輸入業者には、欲に目がくらんでいるから、どうで
もいいことだろうが、食べる身分のわたしには重大関心事だ。
聞けば、生協の中にさえ、中間業者が「国産です」と言うまま、へんな外国
産アサリを販売しているという。
アサリにさえ油断も隙も見せられないご時世となった。嗚呼。
05・11
連絡先 〒27300350
シティコートフドウ中山六○三
エビフライ トマト 春の長生き粥 そして 春 の 貧乏グルメ エシャレット さよりのにぎり とんかつ 今泉弘吉 2005・04 時間に追いかけられることがないなら、ささやかながら、昼間の贅沢を試みる。 狙いはエビフライである。 エビを「海老」と書くのは、的確なエビに宛てるべき漢字が見当たらず、いたしかたなく、 古人が、そのようにしたのだろう。元来、クルマエビも伊勢エビも南の海の産であったもの を、明治維新後、西洋人が我が国にやってきてから、フライとして、広まったのではなかろ うか。洋食なら「エビフライ」で、「フライ」は、ほかに表記法なし。 東京湾にいるサイマキがクルマエビの子供であることはよく知られていて、てんぷらにす ると美味だが、クルマエビなら、さしずめ、フライだろうと思うのは、ブラックタイガーも 同じく、身が大ぶりで、ナイフとフォークを操るにつけても、なかなか、使い甲斐があって、 いい。 だから、エビフライは、洋食屋なりレストランなり、洋風のムードを漂わすうちで食う。 できるだけ、厳かに注文に及ぶ。 そのレストランは、その辺りでは、一番で、二番と下らないが、一階や二階は、昼間は、 そこらのおばちゃん連がたむろして、ぴーぴーぎゃあぎゃあ、やかましくてかなわなぬか ら、VIP用風に作られてある三階に上る。 もはや、自分は貧乏人の身分であることは忘れている。 黒っぽい服を着た、マネージャーがいるから、入室後は、席のことほか、万事、彼の世話 になる。 「ご注文は・・・」 とくるが、即答はせず、とにかくウイスキーの水割りを頼んで、「メニュー、よく見てか ら」という目をすると、マネージャーは心得て、恭しく一礼して引き下がって行き、ウイス キーの水割りを捧げてきて、そこへ控える。 「エビフライだな、ライスを添えて。それと、ブルーチーズをあしらってある、何かこう、 おつまみ風の、頼む。それから、サラダを適当に」 これで、わたしがただ者ではないということがわかってもらえる。というのは、このうち では、エビフライは自慢のひと皿なのである。 ブルーチーズのあしらってある皿には、時としてワカサギの薫製なぞが、クラッカーに乗 って出てきたりする。うん、よし。 それで、ウイスキーは終わる。見計らうかのようにして、エビフライの二匹乗った皿が 出てくる。こんどはビールを「サッポロで」と注文を付けて頼むのである。 そこで、おもむろに皿を見ると、頭も尻尾もきちんとした、すらーっとした大エビがペア で衣を着て寝そべっている。よろしい。やにわにナイフとフォークを取って、そこはヨーロ ッパで鍛えてきた業、すらすらすらっと操って、エビを切り分け、口に運ぶ。 ここのうちの油は上等、衣用のパンも特選、エビフライにまちがいはなくて、味は大満足。 結構。「よーし」。 思わず知らず、声が出る。 あ、うまいもんだ、洋食屋のエビフライ。 ウイスキーも、ブルーチーズも、ワカサギの薫製も・・・。 サラダは、これが、また、エビフライに合わせた、グリーンサラダ系で、具合がいい。ラ イスが、これまた、よし。 いいねええ、ニッポンの洋食。ささやかな、貧乏人の昼の贅沢。 (上野風月堂三階レストラン部、上野広小路松阪屋前)
トマト トマトは野菜であるが、果物風の格好をして気取っている。でも、それなりに、大事なお 役目がある。「下がれ」とも言えない。それをいいことにして、こいつめ、切られても平然、 皿の上でそっくり返って、汁をだらだら垂らす。可愛くないやつめ。 トマトはまずい。 終戦後、食料不足の折、焼け跡を整理して、父がトマトを植えて、成らせて、食わせてく れたが、まずかった。
春の長生き粥 夏、秋、そして冬。お粥はそれぞれの季節にすすって、それなりの感慨がるものだが、春 になると、いよいよ筋肉も活発に動き出すから、朝っぱらから、胃袋へ、硬い飯粒をどさど さっと落とし込むのは、まだ、ちと早い。 あくまでもやさしく、お粥をサービスしてやると、いかにも筋肉が、その配慮を感じ取っ て、感謝してくれているかのように思われる。 あの七草粥というのは、春を迎えるときの身体への挨拶であって、作法でもある。冬に続 き、立春を越えて、季節が移り変われば、春のお粥を作って、身体をいたわってやれよ、と いうことか。 春になったなら、一度と言わず二度三度、春の長生き粥を・・・。 この際、水加減は、ややたっぷり目とする。 糊になってしまっては一大事だから、炊く時間は、やや短か目にして、早めに火から外し、 余熱を利用する。つまり、絶対に土鍋でなくてはかなわぬところである。 合わせる青いものは、春らしく、九十九里の葉タマネギを選ぶもよいが、あの玉の部分は 以外に熱の通りが早くて、ややもするととろけてしまうので、いい加減粥が炊けてきて、も はや終盤というときに、きざんで用意しておいた、葉タマネギを土鍋に投じて、蓋をするの である。 このとき、緑の色濃い葉の部分も、もちろん、使う。これぞ、長生きの秘訣、葉タマネギ であるからには頂く。春の粥である。 葉タマネギでなく、春の菜の花の、花の出かかったものを、とくに入念に選んで、粥の具 にすれば、これは初春の、菜の花の出始めのものとはちがって、もう、あの独特の苦みも出 てきて、粥のコメの味となじみ、逸品と言える存在となる。 ごま油を数滴、そっと垂らせば、その香りが、春の感覚を増幅させてくれる。そんなこと ・・・などとおっしゃらず、どうぞ、一度、お試しあれ。 春も、遅くなれば、たらの芽やふきのとうなども手に入るし、それらをあしらえば、そ れはそれで、豪勢な感じの漂うお粥となる。 以上、薬膳でもある。 産後の肥立ちによし、手術を受けた病人などに供しても、よろこばれる。 午前様になってふらふらになって帰ってきた旦那様に、翌朝、奥方様が気を利かして、こ の、春のお粥を作って差し上げれば、旦那様に、ああ家庭人であってよかったなあ、としみ じみとパートナーシップを感じさせてくれること請け合い。 この際、ひとつ、贅沢を言わせてもらえるならば、お粥用のコメは、新潟は山古志村あた りで、鴨でも鯉でもいい、除草を手伝ってもらって栽培したコシヒカリであってもらいたい ところで、無理なら、無理で、ほかのコメでも差支えない。 春には、春の「長生き粥」。召し上がれ。
エシャレット これはネギの一種である。 だが、どうもニンニクに近いような気がする。 しかし、ニンニクではなくて、むろん、タマネギでもない。 春の一時期に、わっと出回るから、その盛りを見極めて、買ってきて、赤味噌をなすり付 けて、オールドパーを頂く。 そんじょそこらの「駄酒」ではだめだ。 オールドパーなら、エシャレットと相呼応し、お互いに、その持ち味を増幅、相乗効果を 醸してくれる。(そうそう、おっ、まだ、二本あったわい、うれしや)。
さよりのにぎり 九州にも、新潟にも、北海道の海にも泳いでいるのがさより。冬の最中にも得られる小型 の、とんがった鑿のような形をした、きれいな姿の魚である。見飽きしない。 暮れの寒い晩に、どこぞの下町のちょいとしたうちで、ぱぱっと刺身にしてぃれたりする と、感激する。そのときの酒は、燗で、浦霞あたりがぴったりくる。 しかし、季節が移り変わって、春もたけなわになってから、そこらの寿司屋に、さよりが 出現するようになるから、いきなりダブルでにぎってもらって、銘柄は何でもいいから、冷 や酒で(絶対に冷やで)、そのさよりのにぎりをぱっとやり、次のをまた、ダブルで注文し て、またまた、その何やらという銘柄の冷や酒をガブリ。たまらぬわい。 いつぞや知ったのだが、桜の爛漫たる、その下で、花吹雪を存分に楽しんでいる気分と通 底するところがあって、こらえられない。 さよりのにぎりも冷や酒も、そうたいしたもんではないのだが、春の盛りに、こうして頂 けるということは、じつにうれしい。
とんかつ そのむかし、横浜あたりにお目見えした頃、とんかつは、「トンカツ」であって、生粋の 洋食であったはずだが、すぐに「変身」を遂げて、トンカツは「とんかつ」になったのだと 想像する。いま、とんかつはニッポン人の国民食の地位にある。目出たし、目出たし。 有楽町の、洋式の「何とか会館」のレストランには「ポークカツ」がある。気取っている。 それはそれで、結構であるが、適当に、そこらの、町の、暖簾のひらひらしているような食 堂風のうちには、とんかつがあって、まぎれもなく、庶民の食い物である。 紙のように薄く切った豚肉に、たっぷり目の衣を付け、ささっと揚げて、揚げ立てにウス ターソースをじゃぶじゃぶかけて食うとんかつもいい。日本酒でも焼酎でもよし。 あるいはまた、二センチはあろうかと思われる強烈なやつ。しかも、それでも、しっかり 火が通っていて、豪快に食うとんかつもいい。(*1) また、衣用のパン粉のパンを自家パン工場で焼いて、ご飯はむかしながらのお弼に入れて、 食いたいだけ食え・・・。豚肉は、ヒレ。それを観音開きにして、四角く仕上げて、さあさ あさあ「食え」、などと言うとんかつもあって、これはビールにかぎる。(*2) とんかつの揚げ方もいろいろで、白っぽく、焦げ色の付かないよう、揚げたのもいいし、 いわゆる狐色にほどよく揚げたのもいい。だが、ときには、焦げ色のしっかりした、いか にも「参ったか」というような風情のも、れっきとしたもので、(*3)時に思い出して、 食いに行く。ウイスキーだ。 いろいろあるとんかつだが、そのスタンダードは、やはり、とんかつ専門店。銀座の「あ れ」であって、そのロースである。(*3)おおきすぎず、ちいさすぎず、厚からず、薄か らず、そして、豚肉は精選黒豚である。歯ごたえがいい。こいつはやっぱり、ビールであっ て、そのビールはサッポロかキリンであってほしい。(ほかの印ではだめだ、というほどの ことはないので、一言、断っておく)。 若い時分、血気盛んだった頃、このとんかつで、ずいぶん体力と気力を養った。 つい最近も、行って、食った。やはり、黒豚ロース、豆腐の味噌汁、香の物付き。銀シャ リ(抜群)。割り箸で頂く。純和風とんかつ定食。 「だれでも、こい、けんかしたいやつ!」という気持ちが、久しぶりで、もくもく湧いて きた。 *1 台東区入谷 「キッチン・よしむら」 *2 横浜馬車道 「勝烈庵」(かつれつあん) *3 銀座 「珍豚美人(ちんとんしゃん)梅林」 (了)
連絡先 〒273 0035 船橋市本中山四丁目一ノ二 シティコートフドウ中山六○三
そして 冬の 貧乏グルメ 今泉弘吉
米讃(こめさん) 白いご飯 お粥 カレーライスの「ライス」にぎり寿司のご飯
おじや ぞうに 餅 召しませ、ちまき 七草粥 2005・01 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
米讃(こめさん)
忌地(いやち)という現象があって、これは農業方面の人なら、だれでも承知していることであるが、例えば、里芋を毎年同じ畑で栽培していると、原因不明の発育障害に襲われて痛い目に遭う。そばを食うとき薬味として使われる辛いダイコンも同じ。にんにくもそうだ。 施肥では解決できない。だから、畑という条件で、くせの強い作物は、毎年同じ場所では栽培せず、ときどき休む。 ところが、イネにはそうしたことが殆どない。不思議と言えば不思議だが、解明されれば、道理あってのこと、なーんだ、そうだったのかと思われるようなことであろう。よく考えてみると、そのわけは、どうも、水田であることと、地形の妙のなせるところではないかと思う。春先、田ん圃の上(かみ)から水を得て、下(しも)へ流し、冬、早春には天地返しなども行い、またまた、新しく上から田ん圃に満々と水を導入する。伝統の業である。 このことによって、硝酸態窒素なども減少、イネにとっては、新鮮な望ましい土壌条件が提供されることになるのではないか。推測である。 さような条件が、ご先祖様から譲り受け、守られているかぎり、秋の稔りと、味のよい米が保証されているよみる。 ニッポンなら、土地によって何千年、中国などなら、もっと長い間、さような地形の恩恵の上に、イネの実りのお陰をこうむってきた。そういう地帯には、豊かな稲作文化が蓄積、ひとつの文明の域にまで達している場合さえある。 その上に、まことに不思議なのは、そういう土地に育った人間は、その土地の米というものの味に愛着を感じ、けっして飽きないことである。 わたしなんぞも、その組で、「うまい米」というものは、理屈抜きで、うまいと思うし、そういう米が、なんぼかでも、米弼に存在するというだけで安心する。まして、それが、コシヒカリであってくれた場合なぞ、じつに何とも心強い。 コシヒカリにもいろいろあって、中でも、新潟の魚沼産ならば、筆舌に尽くし難い充足感が得られる。長野の高地、佐久や山形あたりの米もいい。 同じコシヒカリの種を、千葉や栃木や茨城の、水の流れの不如意な田ん圃に撒いて育てれば、米の形はそれなりにできてはいても、味については別の話となりかねない。 それで、新潟のさるお人から、何かのことで、「食べてみなさい」なんぞと送られてくる純正・新潟産、本場のコシヒカリを頂戴に及べば、大げさでなくて、まさに感涙にむせぶほかない。有り難や・・・。 花の都パリに滞在しても、シスコやロスにいても、ものの三日も洋食攻めに遭えば、たまらず和食の店を探したり、中華屋やイタリー料理店に入ったりする。何が原因かと言えば、米禁断症状からの脱出であって、それ以外にない。 以前、所用で二ヶ月ばかりドイツの田舎にいて、その帰りに、香港に至り、飛行機の時間待ちをしたことがあったが、米の料理、カレーライスをと、インド料理店に入ってみて、失敗したことがあった。 狙いはよかったのだが、その店はいやに「高級」な店で、カレーのご飯は、長粒種、インド米、おまけにたっぷりサフランで黄色くなっていて、それはそれで珍なるものではあったが、ニッポン産米の飯どは似ても似つかぬ、洋食の一種であった。
白いご飯
ニッポン式に、白米を研いで(洗うのではない)、水加減をし、これは電気釜でも苦しゅうないが、ともかく炊いて、ほかほかのところを戴くというときは、幸せを感ずるものであって、この感覚は、パン食の西洋人には味わうことは不可能であろうと思う。 白いご飯に乗せるのは、海苔の佃煮でよし、梅干でよし、沢庵でも結構。汁は、例えば、アサリの味噌汁が蕪やダイコンであっても、これで朝の一食が頂けるということは、有り難いことだ。そして、うまい。その白いご飯が、昼に至り、あるいは夕方になって、冷やご飯になったとしても、優秀な、産地の明白な「いい米」のご飯ならば、そのまま茶碗によそって、ごま塩でも振って食べれば、うまい。 「冷や飯を食わされる」とは、芳しからざる不幸な状態を言うのだが、あれは、いい加減な田ん圃で、ろくに水のかけ引きもなされず、滞留したどんよりした田の水で粗放に育てられた下々のイネのなせるところ、あるいは、北の果て、イネなぞ植えるべきてはないような、気の毒な田ん圃で穫れた米で炊いた飯の「冷や飯」の表現ではないか。 わたしは故あって、北海道で五年ばかり、あの北海道産米(「内地米」ではない)に挑戦し、参った。冷えたら最期、何か別の穀類でも食っているかような、味気なさだった。
お粥
お粥が病人の食うものである、などとは荒っぽい言い方である。 お粥のうまさがよくわかるのは、新米だ。 どこの産でもいい、新米を入手したら、何がなんでもお粥にして、味わってみる。 お粥のうまさは、新米のときが一番で、こんなにうまいものだったか、お粥よ、と見直すことになること請け合い。 新米を、そのまま白いお粥にするだけでは芸がないから、青いもの、菊の葉でよし、ニラでもよし、小松菜でもよし、使う。予め加熱しておいた、ぎんなんをぱらりと散らすもよし。 贅沢好みのお大尽様ならば、蟹缶(二千円はする!)を奢るなり、本物のタラバガニの足を使ってもいい、これでお粥にしたならば、蟹の赤、ぎんなんの黄緑、青菜類の青と、白い飯粒がカラーハーモニーを醸し、むろん、味は天下一品、贅沢なお粥となる。( 我が家では、滅多なことではそういうことはしないが・・・)。 ニラ入りのシンプルな「韮粥」も悪くない。 これは、かの石田治部の好みであったと聞く。治部よ、汝はさりとての者ではあったか。
カレーライスの「ライス」
インド風とか何かを、わざわざ食いたいなら論外だが、インドカレーは洋式食だ。長粒のインディカのご飯はどうも・・・、弱る。 和風のカレーライスであるなら、水加減を少々控えて、はらりとしたいい塩梅に炊き上げたニッポジャポニカ種のご飯にかぎる。 この際、上にカレールーを乗せて出されるよりも、ご飯はご飯、ルーはルーで、別個の器で出してもらいたい。 何しろ、こっちは、カレーもだが、それよりも、いつも、「ライス」の味に、特段の思い入れのある「和人」であるからだ。
にぎり寿司のご飯
いかに寿司屋のおやじが、頑固一徹、ネタがよく、仕事が上手でも、にぎり寿司のタネの下の「台」になっているご飯がだめなら、その寿司屋は上の位置から転落させるがいい。 金を払う気さえも萎える。 そういうときは、酒を頼んで、おまじないをして、早々に退散する。
おじや
むかし、博多のちいさな食堂で、おじやがばかうまだったので、博多へ行く度に、そこへ入って、食っていたことがあったが、もはや、四十年もまえのことで、いまあるかないか、知らない。 貧乏で、用事もなし、時間はたっぷりあっても、博多まで行くこともない、調査しに行く ともままならぬ。 あのおじやはうまかった。味噌仕立てで、卵がぶあっと入っていた。 とにかく、あれ以来、うまいおしやに見参していない。
ぞうに
漢字で「雑煮」と書く。しかし、いいのかね、あんな字で。いつも正月に、そのこと思うのだが・・ しかし、字はどうあれ、ぞうには、いい。本邦祝膳の第一人者である。
餅
餅には、尊重されるだけの、十分な理由がある。 年神様に供えるということがある。が、しかし、まだある。もち肌と言う。見るからに、また、思うだに好感の持てるものである。もち肌も好きだが、餅そのものも好きだ。 その餅だが、この頃は、各家庭で搗くようなことはないから、餅の作り方を知らない若者がすくなくないらしい。 餅は餅米で作る。うるち米ではできない。 餅になる一歩手前の、せいろでふかしたたての、そいつを、試験する意味で、母親が、ちょいと取って食べてみて、「うん、いいね」などとつぶやいていたこと、そして、わたしも、「どれどれ」なんて言いながら、それを試食させてもらって、驚いた思い出がある。 とてもうまかった。 餅米はふかすと、うまい。なぜだかわからない。うるち米にはない、何か、こう、たんぱく質組成のことでもあって、ふかすとアミノ酸がわっと出てくるのだろうか。 しかし、西洋人に、餅を食わせてみると、たいがい、反応がよくない。 西洋人に、餅は、無理に薦めない。
召しませ、ちまき
柱に、身の丈の記録をする傷を付けるのは、ちまきを食べながらのことと、相場が決まっている、などと言っても、何のことやらと面くらう若い人がいて、聞くと、彼らの家はマンションで、家の中に大黒柱どころか小柱さえ見ないのだ。それに、ちまきも見たことがないとのこと。 それで、ざっとだが、ちまきの作り方を紹介する。 餅米を用意し、例の如く、水にひたしておいて、笹の葉にしっかりくるんで縛り、せいろでふかすのである。凝ったものは、餅米ばかりでなく、ごぼううの細切りをゴマ油で炒めて混ぜる。風味がよくなるし、栄養バランスもいい。便秘にも特効がある。美容にもいい(らしい)。秋田や新潟、関西では和歌山や岡山、島根に広島あたりのちまきの産地に、美人さんがおおいのは、みなさん、ちまきをよく食べるせいではないか、とひそかに思う。 ちまきの、餅米をくるむ笹の葉にも、何か秘密がありそうだ。笹茶を飲むのと同じことで、笹のエキスを、無理なく、摂取してしまうからだろう。ちまきは長寿にもきっと効用があるものと信ずる。 召しませ、ちまき。
七草粥
七草を入れてお粥を作ると、即ち、七草粥である、という説明は、正しいが、厳密ではない。 餅を入れてこその、七草粥である。 七草全部がそろわずとも、ニラや菜の花で七草粥としても、立派なものだが、ひっかき回して、おや、餅がない、などということになったら、わたしは憮然、「こんなもん、七草粥と言えるか」などと、むかっ腹を立てるだろう。 七草草粥を食しおえると、いよいよ春である。 (了) 連絡先 〒273 0035 船橋市本中山四丁目一ノ二 シティコートフドウ中山六○三
はぜてん えびてん
ぎんなん南下
さーて 秋の 貧乏グルメ 今泉弘吉
真鱈のムニエル・ガーリック風味
ハマチの照り焼きと辛口の酒
ドイツの赤は洋食で 2004・12
さーて 秋の 貧乏グルメ 今泉弘吉
はぜてん
「『はぜてん』だなんて、やぼったいもん、食えないよ」という御仁はおられる。 であるが、敢えて、そういうものを食うという者もいて、そういう人物は臍曲りではあるが、ほんとうは勲章被授与該当者であってなお、内閣府から連絡があっても辞退するが、自らは、「わしゃ、ニッポンの食文化を育てておるのじゃ」と自負する変人である。 何人も、魚屋に行くにしても、天下の高島屋の地下売り場を見ても、けっして、「はぜ」に相まみえることはできない。はぜは、東京なら、江戸川区か江東区の先の、環境条件もあやしげな泥海か、千葉なら富津あたりまでのして行って、そのあたりの海の底にもぐっているやつを釣ってきて食うしかないが、とてもじゃあない、いろいろと問題があって、思ったただけでもげんなりしてしまう。それほど、はぜは、ややこしい事情の環境に棲む魚なのである。 彼等の棲む海の底は、東京湾にかぎって言えば、状態が最悪である。 しかし、毎年十一月になると、はぜのてんぷらが食いたくなって、困る。 むかし食って覚えている、あの懐かしい味が、思い出されてたまらぬ・・・。 それに、理由は不明だが、十一月のはぜは中気予防にいいと言い伝えられている。 十一月は、はぜの月。 とにかく矢も盾もたまらず、はぜてんが食いたくなって、いろいろな条件はさておき、銀座のハゲ天に行って・・・、と思ったけれど、あそこまでわざわざ行くのもおっくうになって、思い付いたのが、船橋東武の上に新装開店したハゲ天。同じ店名を名乗る以上は、ちゃんとして仕事の店だろうと信じ、出かけてみた。 なるほどまさしく、ハゲ天であった。客あしらいもてきぱき。気が利いていた。 聞くと、ハゲ天には、ちゃんと、はぜてんがあった。 一口味わったら、うーん、うむ。納得の味。ちょっとほろ苦くて、それでいて上品な白身魚だ。おおきさもほどほどで、よろしい。酒は辛口。おお、わたし好み。 それで満足して、メゴチだとか、エビ(サイマキ)とか、イカだとか、シイタケとか、雷こんにゃくとか、レンコンなんかも食べたことは食べたが、はぜの味が舌に染みついて、帰宅しても、しばらくは、はぜ、食ったなあ・・・。と余韻。思えばじつに下らない思い入れをしたものだ。たかが、はぜてん、なのに・・・。
えびてん
いずこの天ぷら屋へ行こうとも、えびてんは、絶対に出されるもので、それも、トップを飾る、お定まりである。 その日はあいにく、朝から、食欲のない日で、そういう日にかぎって、大有徳人様に招かれていて、「てんぷら、食いたい放題、ご馳走してあげる」という、うれしい話になっていた。 人生、これほど間の悪いことと言ったらない。 大有徳人様が気を悪くされるだろうし、また、そういうことは、引き合わせてくださるNさんにも言わず、彼の後ろにしたがって、黙って、店に入って行ったら、もう、大有徳人様は来ておられて、奥の席から立ってこられ、一礼されたから、わたしはすっかり恐縮してしまった。 最初は、アメリカ大統領選挙の「後のこと」が話題となった。ポスト・ブッシュは、わたしの観測では「クリントンのかあちゃん」。そう申し上げたら、有徳人様もNさんも横手を打って賛意を表明してくれた。それで、三人で、目出たく、クリントン夫人の、四年後の大統領就任の前祝いをした。 後は、わらわらと漫談のひとくさりを語ったら、刺身は終わり、いよいよてんぷらで、その最初は、えびてん。 これ、がっちり育った車海老か、名は聞かなかったけれども、そうしておいて、味わった。 うまいなあ、こりゃあ・・・。 できれば、これをもう一回戦をと思ったが、がまんした。 いかに気に入ったとしても、まさか大有徳人様の御前で、じたばたするのも気が引ける。 お流儀に任すこととして、次のきすへ。これまたよし。 大有徳人様は、じっは、資産家で、慶応ボーイ。ときては、根っからのすっ寒貧野郎のわたしとは身分違い。軽井沢の別荘の徒然話に、 縁先に 浅間の煙 枯れ紫苑 とは、恐れ入谷の鬼子母神。 そのうちに、てんぷらコースは終了。いまの季節には珍しいクワイや北海道産蕗のとう、ほかは、お土産にしてもらった。 しかし、まあ、貧乏人無能な御仁に、わざわざ、ご馳走してやろうとは、じつにまったく、大大の大、大有徳人様であられる。あなた様に平安あれかしと、祈った次第。 それにつけても、あの、えびてん、しっかりしていて、うまかったわい。
(上野広小路、てんぷらの「天寿々」にて)
ぎんなん南下
十月の頭が初見参で、ぎんなんは福島物だった。ちょっと小粒かなあと思われたが、いざ手にしてみると、さほどのことはなかった。味は、あっさり。初物、そのもの。 第二陣は、いつもは新潟からくるが、今年は新潟県中越大地震があったためか、ほかに理由があってのことか、静岡物だったから、ちょいとばかりこっちにもわけがあって、敬遠、愛知物が出回るまで辛抱した。 その甲斐あって、狙い通り、今年も、愛知物に見参できた。 これは実がしっかりしていて、申し分ない。まさに季節がそのまま詰まっているような 「でき」で、食べこたえのあるぎんなんだった。とっておきの焼酎の封を切って、そのお供をさせた。 十一月も末になると、奈良物である。これは安定した、すばらしい味である。 その次ぎは、もやや師走に入り、九州は福岡、そして熊本物となる。 このあたりのものは、ただ焼いて食うだけのことではなく、茶碗蒸しなどに使われて、名声をほしいままにする。 わたしのところでは、毎年、この熊本物をしこたま仕入れて、冷蔵し、年明けまで、食いつなぐ。 うまいですなあ、ぎんなん・・・。
真鱈のムニエル・ガーリック風味
寒さの到来は悪い知らせとばかりとは限らず、いいこともあって、とくに大雪山に雪でも積もれば、急に、あの北海道の海の鱈が慌てふためいて、餌を求めて右往左往するから、とてもいい状態の、うまい鱈が手に入るようになる。それで、それが助宗ではなくて、真鱈ときては、たまらん。 北海道の真鱈はうまい。 だが、ちょっとばかり工夫する。 塩胡椒を施したら、フライパンにたっぷり目のオリーブ油を用意し、まずはガーリックを炒めて狐色にし、少々、鷹の爪を用いてピリッとさせる。準備ができたならば、真鱈に粉を打ち、ムニエルにするのである。 この際、オリーブ油は純正なものを使う。ガーリックもそんじょそこらの、十個二百円というようなケチな中国物ではなく、青森か愛知の、飛び切りのやつを使う。 そうすると、でき上がった真鱈のムニエルは、もはや、北海道料理ではなくて、パリのジュール・ベルヌあたりの、なんたら言う難しい発音の魚の、グリルを彷彿とさせるひと皿に仕上がるから、あら不思議。 むろん、酒は、腰の強い、癖丸出しの、ブルゴーニュの赤にしたいところだが、(いろいろ、あるいはちょっとばかり)事情があって、同じフルボディーではあるが、イタリーはトスカーナ産の、ちょいと渋味のある、それはそれで一家をなしている赤にする。 そうすると、CDは、モダンジャズではなくて、オペラの序曲集に変える。気分が出ます・・・。
ハマチの照り焼きと辛口の酒
ドイツから旧知のミスター・Nがきて、ホテルで会って、久闊を叙したついでに、彼、グリルした魚を食わせててほしいと言う。やっぱり刺身は弱いのだ。それはそれでいいけれども、洋食風でまとめるのか、それとも和風で行くのかと尋ねたら、ニッポンそばを所望したいとのこと、ほう、そりゃあいい心がけだと、褒めてあげて、ついでに、ならば、酒は辛口のきりっとした日本酒の人肌、最初は焼き海苔でちょいとやるのはいかがと問うと、オーケー。次は、だし巻き卵、そして、ハマチの照り焼きで、最期は盛りそばにしましょうかと薦めたら、お任せ申すと、丸投げしてくれた。 それで、麻布の更級本店に行った。ぱぱぱっと、そう注文した。 さすが、そば屋の酒は厳選されているから、ドイツ人も納得で、わたしもほっとした。 四角い木の箱に火を入れて、その上にふわっと置いたぱりぱりの焼き海苔は、なかなか深みのある黒で、黒は黒でも金黒か。味も薫りも、とてもよかったのに、異国の人は、それが海っぺりに育つと聞かされて、おそるおろる食ってみたものの、やはりだめだった。だし巻き卵はうまいうまいと平らげた。 そして、本チャンのハマチの照り焼きになったのだが、「これはいい」と、よろこんでくれた。照り焼きは、ほんとうは、ブリだろうけれども、まだ秋も浅いし、どうにもならず、ハマチ。 でも・・・、うまかった。 なかなかの味・・・。
(麻布十番の新一の橋、交差点角。「永坂本店」である。商店街のほうのとはちがうので、まちがえ ないように。もっとも、まちがえて布屋太兵衛に入っても、味は負けず劣らずである。そば自体は、好みがある。あの柳屋小さんがちょくちょくやってきていたのは布屋のほうである。見かけた。よーし、こんどは布屋へ行こう!)
ドイツの赤は洋食で
能書きが凝っていて、「この赤は、新進気鋭の醸造家シュナイダー氏の勧める逸品。合わせる料理は・・・」とあったから、その先の文字をルーペで拡大して読んだ。 「ルーラーデ(野菜、ピクルスなどを中心に入れ薄切り牛肉で巻き、煮込み)とか鶏の胸肉のローストなどを食べるのにいいとか、兎の赤ワイン煮にも・・・。 しかし、ここニッポンの船橋の陋屋で、そういう代物を口にできるわけはないから、しかたがない、せめてもの贅沢、千葉県自慢のSPFのいも豚(ちっとも嫌な臭いがしない、最高級清浄豚、高い)の腿肉の薄切りと、長野産ブロッコリーの炒め混ぜ細麺スパゲッティ(日清フーズ製)で、どうだ、とばかりに、その赤をがぶりとやった。 その結果は、こりゃ、いい・・・、ということになりました。 ドイツは、北半分は寒くて、ぶどうは育たちにくいから、スイスから下ってきた、南ドイツの一部で、南の斜面を総動員して苦労してぶどうを育てる。一本のワインを得るためにたいへんな努力をするのである。でも、白の特定の品種のぶどうは、よく育ち、上等のワインができるのだ。ただ、しかし、赤ともなると、どうしてもフランスやイタリーの重厚なやつに及ばず、どうしても見劣り(舌劣り)する。 でもまあ、新進気鋭の醸造家シュナイダー氏の心意気を汲んで、これはこれで、いいのではとしておく次第。 以上
貧乏グルメ十二ヶ月
新聞の投書欄を見ていたら、韓国から東京にきた留学生が「味で幸せを追求する」、「人間から食べるたのしみを取ったら・・・」と、うまいラーメンを食べるため、長い行列も苦にせず、と書いていた。(わかるなあ)。 東京の「行列ラーメン」はうまい。わたしは中年になってから、仕事の関係で、頻々と欧米に出かけ、現地の美味・珍味に魅せられた。中国、香港、韓国、台湾、タイ、フィリピンほかにも足を伸ばした。 思い出す。夢に見る。パリならシャンパンとトリュフとキャビア。ニューオルリーンズはワニのフライとジャンバラヤ。ロスでは極上ジャンボサーロインステーキと冷たいメキシカンビール。香港は高級広東料理と老酒。 五十才も半ばになってからは、わたしの胃袋も衰え、糖尿病の恐怖も重なって、油っこいもの、分量豊かなもの控えるようになった。 定年で会社を引退してからは、懐が不如意となり、海外に出て「食い狂う」ようなこともなくなり、陋屋に沈潜。 そんなある日、気が付いたのだが、冬のダイコンはおでん、正月は小肌の酢〆、二月は蕪、三、四月はアサリの味噌汁と菜の花とそら豆、初夏は新ジャガ、五月はサヨリ、六月は枝豆、七、八月は露地物キュウリとナスと そうめん、九月は戻りガツオ、十月は平たね柿、十一月はイクラ、師走は真鱈、いずれも酒少々。季節の移ろいに合わせ、そこらの美味を楽しむようになっていた。 うまい「行列ラーメン」や贅沢な料理もいいが、素朴なグルメにも存在価値がある。 わたしは、目下家付きの貧乏神と交際中、本格グルメは、ときたまのこととして、ふだんは「貧乏グルメ」である。 04・06・15 まさかどあられ・目刺しの王者・うるめ きゅうりもみ・しらす和え・夏のうな丼
まさかどあられ
「まさかどあられ」というものは、未だこの世にない。 京都の羅生門のほとりに、「羅生門煎餅」というのがあったとしたら(ないと思うのだが、ひょっとしたら、あるかもしれない)、わたしのようなうかつ千万な者は、さっそく買って食べてみて、「うまいなあ」と思い、煎餅のぱりぱりした歯触りから、芥川龍之介の羅生門を思い出し、だれやらの作った映画のほうは、思い出さず(思い出さないものは思い出さない)、うーん、いいもんだこの煎餅は、とばかりに仰山、土産に買って帰り、親戚に配るだろう。 東京の浅草には、むかしから、雷門に「雷おこし」というものがあって、田舎から出てきた人は、必ずこれを買い、東京見物の証拠物件として、土産に持ち帰るのだと聞いたことがあって、ならば、浅草生まれのこの身、とにかく好きにならねばと、何回かがんばってみたが、どうにも、あれは・・・。それなりのものではあった。 そこで、「あられ」ということになるが、これは煎餅とはちがって、いくぶんお上品な米菓である。京都のどこそことか、兵庫のなになにとか、あるいは金沢とか新潟とか、また人形町の「何々屋」で作っているようなものなら、たいてい味は合格で、中にはうーん、と唸らされる逸品もあるが、ともかくも、みな売れているようだから目出たい。 そこで、思い付いたのが、関東に、うるち米ができる以上は、餅米も、結構いいものが穫れるはずで、それで関東風の味にこだわり、がんこ一徹なあられを作って、関東あられここにありと、威張ったらどうかと思う。 関東人が、上方風にお上品ぶって、あの「おかき」風に、三個、五個ばかりを小分けし、六袋ばかりを化粧袋に入れて、ハイ、「あられでござりまする、恐れ入り奉る」などと、持ってこられてもだめだ。いっそのこと、KONISHIKIの親指ほどもあったっていいから、荒っぽいあられを製造して、怖れることなし、無断で平将門さんから名をもらって、「将門あられ」とでも名付けて売り出したらどうだ・・と、思っていたら、こりゃどうだ、先日、茨城は稲敷郡の米菓会社の専務さんから、どさっと段ボールが配達されてきた。中味は・・・、「角揚げ餅・うす塩味」。あられというより揚げ餅なのだろうが、わたしのイメージ通りの、ずばり、そのものだった。 うまいうまいと、声を上げながら、ばりばりやって、おおいに堪能したことは言うまでもない。 しかし、羅生門の「煎餅」、雷門の「おこし」ときて、この「将門」のあられなら「三門もの」とも言えそうだ。ならば、早いとこ登録商標の出願をしておかないことには不都合もあるような気がした。しかし、そういう権利は、とっくに誰かが手中にしているだろうし、特許庁も、史上有名なあの「将門」そのものでは、扱いに困り、泣きを入れてくるかもしれない。そうなると、話がごちゃごちゃしてしまう。 ならば、「将門」を、ひらかな書きにして、「まさかどあられ」とでもすればよかろう。 事のついでに、わたし自ら筆を執って、因果因縁故事来歴を書いて・・・、などと考えたが、なんだかわずらわしく思えてきて、止めた。ただし、平将門の事績をおさらいして、得るところがあった。 それで、この話はおしまいである。
(「まさかどあられ」についてのお問い合わせは、左記へとうぞ) 連絡先 筑波米菓株式会社 「まさかどあられ係」http://www.tsukubabeika.co.jp 茨城県稲敷郡美浦村土屋一九七九―九一 電話 0298 85 0030
目刺しの王者・うるめ
夏になると、目刺しの原料の若い鰯も「とう」が立ってしまい、姿形は目刺しでも、ぴかぴかであっても、どうも、味が落ちてきていけない。それに、どうかすると、うろこがごわごわ。困ったことである。 そういうときは、いさぎよく諦めて、思い切って、うるめに転換するのである。そいつをこんがり焼きにして、頭からバリッと囓るのだが、これがすぱっと、口の中で崩壊、なんだか、まるで、高級菓子のようだ。 焼酎のロックでよし、菊正でもいける。 熱々の白いご飯で頂いても結構。まったく具合のいいものである。 ただし、お値段は、ふつうの目刺しの十倍もする。なぜだ。(まあ、いい)。
きゅうりもみ・しらす和え
きゅうりを「何にして食べる」と訊かれたら、何とかのひとつ覚えで、「きゅうりもみ」とえる。 きゅうりの料理にもいろいろあろうが、きゅうりもみが、やはり一番だ。 ストンストンと薄く輪切りにしたやつを、少量の塩で揉んで、だし汁で割った三杯酢をかけ回し、はい、でき上がりとは言うものの、それだけでは芸がないから、生姜を細ぎ切りにしたのを添え、アクセントととする。 上等で新鮮なイカがあれば、これも細切りにして、さっと混ぜてやれば、これはもう、乙なものとなるが、そういう事情にないときは、冷蔵庫(冷凍室)を開いて、常時備えてある、しらすを用いるのである。 いかに貧乏するとても、しらすだけは、上等のものを買っておいて、冷蔵庫に備えておくべきだ。 おもむろに、「きゅうりもみ・しらす和え」に箸を付け、日本酒を、それも冷やで、ちびりちびり。落ち着く。 そのときの日本酒は、同じく、冷蔵庫に鎮座まします、とっておき、蓬莱泉というのであるが贅沢な酒だ。 蓬莱泉には、いろいろグレードがあって、ピンからキリだが、じつは、特別のやつで、銘は「空(くう)」。(辺断はびっくりするほど高いが、まあ、しょうがない)。
夏のうな丼
地下鉄麹町駅のそばに、Aといううちがあって、そのむかし、結構懐の暖かった時分には、季節を問わず、ちょくちょく参上したものである。 なんでも内田百鬼園先生が、このあたりにお住まいであった頃に、さかんにうな丼を召し上がったという伝説があって、つまびらかにはしないが、おそらくきっと、このうちのうな丼を召し上がっておられたのではなかろうかと想像して、このうな丼を食えば、一流のエッセイが書けるだろう、書けるに決まっている、書ける、当たり前だと思わせられた。
麹町のAのうな丼の味は、それほどのものだった。秋や暮れは、こってりした味の神田のKか上野のIか。 寒い二月の、ぴゅうぴゅう風の吹く晩なら、八丁堀のOに入って、二段仕掛の強烈なうな丼がほしくなる。 たんまり金があれば、蛎殻町のKは、季節を問わず、申し分なし。蒲焼きを食う。名にし負う名店の味だ。結構なものではあるが、常時、金満とはいかない身ではしょうがない。 いまは、貧乏という瓶の底に沈潜しつつある身だが、ときには、やはり、腹の虫養いに、どこぞで、夏のうな丼をと考えた。 そこで、金を工面して、とりあえず銀座四丁目の交差点まで出た。ならば、Mであろうか。では、さてこそ、築地まで行って・・・とも思ったのが、なにも、そこまでふんばらずとも、銀座店でもいいのだと思い直して、百貨店の八階に昇った。エレベーターを下りたら、すぐ目の前が、Mの銀座店で、すすっと入ったら、まぎれもない、まっとうな、素朴な構えの鰻屋の店。出された鰻は、甘さ控え目、ふわっとした舌触り。 これだな、やっぱり・・・。これぞ江戸人の味也、と再確認した次第。
なにはさて 夏のうな丼 がつがつと 瑞雪
連絡先 宮川本○・銀座店(○の漢字、PCにない。崩し字) 中央区銀座三丁目松屋8階(右奥エレベーターにて上がる) 電話 3567 138 さーて 春・初夏の 貧乏グルメ 今泉弘吉 2004・04
さーて 冬の 貧乏グルメ 2004・01
延々 秋の 貧乏グルメ
延々 初夏の 貧乏グルメ
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延々・・・貧乏グルメ
御酒 暮れまでは「酒」でいい。しかし、新年になると、「御酒」と呼びたくなる。新年は目出度く、気分が改まるからだろう。 さて、そこで、かねて用意しておいた新年用の御酒だが、今年は、いつもの菊正(西部代表)と、常連の日高見(北部代表)に、新たに蓬莱泉(中部代表)が加わった。暮れに実施した予選には、「白」のイメージで、白鹿、白鷹、白雪などの仲間から、白鶴を贔屓して、特別にエントリーさせたものの、あえなく落選となった。白鶴はいい酒だったはずで、さかんにテレビで宣伝していたから、さぞかしのものならんと期待していたところ、なぜか、こうなった。 大晦日も静かすぎて、新年。 家人はまだ寝ていたが、そっとしておいて、起きると、若水を汲んで、さてこその、お楽しみ。 日高見。豊穣。よーし。 菊正。これまたよし。まさに「御酒」なり。 蓬莱泉。うーむ。暮れの予選では、かなりの線にあるとは踏んでいたが、これはいい。殊勲。中部は愛知の産。あのあたりに、特別いい米があるのか。水か。それとも酒造家の心意気か。 察するに、そのむかし、武田武士が、浜松にわだかまっていた家康を三山にあしらって、このあたりで、次は信長を屠らんと杯を上げたのが、蓬莱泉の先祖筋だったか。 |
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更新日 ' 05/11/15
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