< 貧乏グルメ >・・・・・・・・・ ESSAY(1)

 
   
     秋の貧乏グルメ・特報  
 
              はびこる外国産アサリ
    
                                       今泉弘吉 
 
 千葉は木更津もののアサリなら、その貝の模様も色合いも鮮やかで、味もよし。
きれい砂で育ったはずである。臭気もないから、むき身でレモンをかけて
食べてもうまいし、スパゲッティ・ボンゴレもいい。酒蒸しにしてもいける。
ことに寒さに向かういま、うまい。
 
 それが、弱ったことになった。久々に、アサリの味噌汁でもと思って、近所
のスーパーに行ったら、中国産ばかりだった。
 
 中国産ともなれば、すぐわかる。表面が泥色、模様なし。異様。韓国産は中
国産と似ているが、国内産と共通点もある。北朝鮮産は知らない。理由は、は
っきりしている。当地のスーパーには、原産国を名乗ってお目えしていないた
めだ。偽装しているのだろうか。
 何でも、関西や北陸、北九州では、北朝鮮産を、一度浜に放してから回収し
「国産アサリ」として売っていると聞く。
 
 関東でも、東京や埼玉あたりの人は、あの美しい模様の、安心して食べられ
る、うまい千葉の本場のアサリを見たこともなく、店頭で見分けようにも、術
のない人もいると思う。
総じて国産アサリは中国産などより値段が高いから、懐と相談して買う人は、
おそらく、北朝鮮産品で、国産あるいは中国産に偽装したものをつかまされて
いるのだ。
 
 中国や韓国、北朝鮮の、アサリの棲む海岸の砂が、環境汚染の影響をどの程
度受けていものか、アサリ輸入業者には、欲に目がくらんでいるから、どうで
もいいことだろうが、食べる身分のわたしには重大関心事だ。
 
 聞けば、生協の中にさえ、中間業者が「国産です」と言うまま、へんな外国
産アサリを販売しているという。
 
 アサリにさえ油断も隙も見せられないご時世となった。嗚呼。        
 05・11
 
 
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            エビフライ    トマト  春の長生き粥 

                そして の 貧乏グルメ

                               エシャレット   さよりのにぎり  とんかつ

     今泉弘吉   2005・04 

 時間に追いかけられることがないなら、ささやかながら、昼間の贅沢を試みる。

狙いはエビフライである。

 エビを「海老」と書くのは、的確なエビに宛てるべき漢字が見当たらず、いたしかたなく、

古人が、そのようにしたのだろう。元来、クルマエビも伊勢エビも南の海の産であったもの

を、明治維新後、西洋人が我が国にやってきてから、フライとして、広まったのではなかろ

うか。洋食なら「エビフライ」で、「フライ」は、ほかに表記法なし。

東京湾にいるサイマキがクルマエビの子供であることはよく知られていて、てんぷらにす

ると美味だが、クルマエビなら、さしずめ、フライだろうと思うのは、ブラックタイガーも

同じく、身が大ぶりで、ナイフとフォークを操るにつけても、なかなか、使い甲斐があって、

いい。

 だから、エビフライは、洋食屋なりレストランなり、洋風のムードを漂わすうちで食う。

できるだけ、厳かに注文に及ぶ。

そのレストランは、その辺りでは、一番で、二番と下らないが、一階や二階は、昼間は、

そこらのおばちゃん連がたむろして、ぴーぴーぎゃあぎゃあ、やかましくてかなわなぬか

ら、VIP用風に作られてある三階に上る。

 もはや、自分は貧乏人の身分であることは忘れている。

黒っぽい服を着た、マネージャーがいるから、入室後は、席のことほか、万事、彼の世話

になる。

「ご注文は・・・」

とくるが、即答はせず、とにかくウイスキーの水割りを頼んで、「メニュー、よく見てか

ら」という目をすると、マネージャーは心得て、恭しく一礼して引き下がって行き、ウイス

キーの水割りを捧げてきて、そこへ控える。

「エビフライだな、ライスを添えて。それと、ブルーチーズをあしらってある、何かこう、

おつまみ風の、頼む。それから、サラダを適当に」

これで、わたしがただ者ではないということがわかってもらえる。というのは、このうち

では、エビフライは自慢のひと皿なのである。

 ブルーチーズのあしらってある皿には、時としてワカサギの薫製なぞが、クラッカーに乗

って出てきたりする。うん、よし。

それで、ウイスキーは終わる。見計らうかのようにして、エビフライの二匹乗った皿が

出てくる。こんどはビールを「サッポロで」と注文を付けて頼むのである。

そこで、おもむろに皿を見ると、頭も尻尾もきちんとした、すらーっとした大エビがペア

で衣を着て寝そべっている。よろしい。やにわにナイフとフォークを取って、そこはヨーロ

ッパで鍛えてきた業、すらすらすらっと操って、エビを切り分け、口に運ぶ。

ここのうちの油は上等、衣用のパンも特選、エビフライにまちがいはなくて、味は大満足。

結構。「よーし」。

思わず知らず、声が出る。

あ、うまいもんだ、洋食屋のエビフライ。

ウイスキーも、ブルーチーズも、ワカサギの薫製も・・・。

サラダは、これが、また、エビフライに合わせた、グリーンサラダ系で、具合がいい。ラ

イスが、これまた、よし。

いいねええ、ニッポンの洋食。ささやかな、貧乏人の昼の贅沢。

(上野風月堂三階レストラン部、上野広小路松阪屋前)

                    

トマト 

  トマトは野菜であるが、果物風の格好をして気取っている。でも、それなりに、大事なお

役目がある。「下がれ」とも言えない。それをいいことにして、こいつめ、切られても平然、

皿の上でそっくり返って、汁をだらだら垂らす。可愛くないやつめ。

トマトはまずい。

終戦後、食料不足の折、焼け跡を整理して、父がトマトを植えて、成らせて、食わせてく

れたが、まずかった。

 

春の長生き粥 

  夏、秋、そして冬。お粥はそれぞれの季節にすすって、それなりの感慨がるものだが、春

になると、いよいよ筋肉も活発に動き出すから、朝っぱらから、胃袋へ、硬い飯粒をどさど

さっと落とし込むのは、まだ、ちと早い。

あくまでもやさしく、お粥をサービスしてやると、いかにも筋肉が、その配慮を感じ取っ

て、感謝してくれているかのように思われる。

あの七草粥というのは、春を迎えるときの身体への挨拶であって、作法でもある。冬に続

き、立春を越えて、季節が移り変われば、春のお粥を作って、身体をいたわってやれよ、と

いうことか。

春になったなら、一度と言わず二度三度、春の長生き粥を・・・。

この際、水加減は、ややたっぷり目とする。

 糊になってしまっては一大事だから、炊く時間は、やや短か目にして、早めに火から外し、

余熱を利用する。つまり、絶対に土鍋でなくてはかなわぬところである。

合わせる青いものは、春らしく、九十九里の葉タマネギを選ぶもよいが、あの玉の部分は

以外に熱の通りが早くて、ややもするととろけてしまうので、いい加減粥が炊けてきて、も

はや終盤というときに、きざんで用意しておいた、葉タマネギを土鍋に投じて、蓋をするの

である。

このとき、緑の色濃い葉の部分も、もちろん、使う。これぞ、長生きの秘訣、葉タマネギ

であるからには頂く。春の粥である。

 葉タマネギでなく、春の菜の花の、花の出かかったものを、とくに入念に選んで、粥の具

にすれば、これは初春の、菜の花の出始めのものとはちがって、もう、あの独特の苦みも出

てきて、粥のコメの味となじみ、逸品と言える存在となる。

ごま油を数滴、そっと垂らせば、その香りが、春の感覚を増幅させてくれる。そんなこと

・・・などとおっしゃらず、どうぞ、一度、お試しあれ。

春も、遅くなれば、たらの芽やふきのとうなども手に入るし、それらをあしらえば、そ

れはそれで、豪勢な感じの漂うお粥となる。

以上、薬膳でもある。

 産後の肥立ちによし、手術を受けた病人などに供しても、よろこばれる。

午前様になってふらふらになって帰ってきた旦那様に、翌朝、奥方様が気を利かして、こ

の、春のお粥を作って差し上げれば、旦那様に、ああ家庭人であってよかったなあ、としみ

じみとパートナーシップを感じさせてくれること請け合い。

この際、ひとつ、贅沢を言わせてもらえるならば、お粥用のコメは、新潟は山古志村あた

りで、鴨でも鯉でもいい、除草を手伝ってもらって栽培したコシヒカリであってもらいたい

ところで、無理なら、無理で、ほかのコメでも差支えない。

春には、春の「長生き粥」。召し上がれ。

 

エシャレット 

 これはネギの一種である。

だが、どうもニンニクに近いような気がする。

しかし、ニンニクではなくて、むろん、タマネギでもない。

春の一時期に、わっと出回るから、その盛りを見極めて、買ってきて、赤味噌をなすり付

けて、オールドパーを頂く。

そんじょそこらの「駄酒」ではだめだ。

オールドパーなら、エシャレットと相呼応し、お互いに、その持ち味を増幅、相乗効果を

醸してくれる。(そうそう、おっ、まだ、二本あったわい、うれしや)。

 

さよりのにぎり 

九州にも、新潟にも、北海道の海にも泳いでいるのがさより。冬の最中にも得られる小型

の、とんがった鑿のような形をした、きれいな姿の魚である。見飽きしない。

暮れの寒い晩に、どこぞの下町のちょいとしたうちで、ぱぱっと刺身にしてぃれたりする

と、感激する。そのときの酒は、燗で、浦霞あたりがぴったりくる。

しかし、季節が移り変わって、春もたけなわになってから、そこらの寿司屋に、さよりが

出現するようになるから、いきなりダブルでにぎってもらって、銘柄は何でもいいから、冷

や酒で(絶対に冷やで)、そのさよりのにぎりをぱっとやり、次のをまた、ダブルで注文し

て、またまた、その何やらという銘柄の冷や酒をガブリ。たまらぬわい。

いつぞや知ったのだが、桜の爛漫たる、その下で、花吹雪を存分に楽しんでいる気分と通

底するところがあって、こらえられない。

さよりのにぎりも冷や酒も、そうたいしたもんではないのだが、春の盛りに、こうして頂

けるということは、じつにうれしい。 

 

とんかつ    

 そのむかし、横浜あたりにお目見えした頃、とんかつは、「トンカツ」であって、生粋の

洋食であったはずだが、すぐに「変身」を遂げて、トンカツは「とんかつ」になったのだと

想像する。いま、とんかつはニッポン人の国民食の地位にある。目出たし、目出たし。

有楽町の、洋式の「何とか会館」のレストランには「ポークカツ」がある。気取っている。

それはそれで、結構であるが、適当に、そこらの、町の、暖簾のひらひらしているような食

堂風のうちには、とんかつがあって、まぎれもなく、庶民の食い物である。

紙のように薄く切った豚肉に、たっぷり目の衣を付け、ささっと揚げて、揚げ立てにウス

ターソースをじゃぶじゃぶかけて食うとんかつもいい。日本酒でも焼酎でもよし。

あるいはまた、二センチはあろうかと思われる強烈なやつ。しかも、それでも、しっかり

火が通っていて、豪快に食うとんかつもいい。(*1)

 また、衣用のパン粉のパンを自家パン工場で焼いて、ご飯はむかしながらのお弼に入れて、

食いたいだけ食え・・・。豚肉は、ヒレ。それを観音開きにして、四角く仕上げて、さあさ

あさあ「食え」、などと言うとんかつもあって、これはビールにかぎる。(*2)

とんかつの揚げ方もいろいろで、白っぽく、焦げ色の付かないよう、揚げたのもいいし、

いわゆる狐色にほどよく揚げたのもいい。だが、ときには、焦げ色のしっかりした、いか

にも「参ったか」というような風情のも、れっきとしたもので、(*3)時に思い出して、

食いに行く。ウイスキーだ。

 いろいろあるとんかつだが、そのスタンダードは、やはり、とんかつ専門店。銀座の「あ

れ」であって、そのロースである。(*3)おおきすぎず、ちいさすぎず、厚からず、薄か

らず、そして、豚肉は精選黒豚である。歯ごたえがいい。こいつはやっぱり、ビールであっ

て、そのビールはサッポロかキリンであってほしい。(ほかの印ではだめだ、というほどの

ことはないので、一言、断っておく)。

若い時分、血気盛んだった頃、このとんかつで、ずいぶん体力と気力を養った。

つい最近も、行って、食った。やはり、黒豚ロース、豆腐の味噌汁、香の物付き。銀シャ

リ(抜群)。割り箸で頂く。純和風とんかつ定食。

「だれでも、こい、けんかしたいやつ!」という気持ちが、久しぶりで、もくもく湧いて

きた。

*1 台東区入谷 「キッチン・よしむら」 

*2 横浜馬車道 「勝烈庵」(かつれつあん) 

*3 銀座 「珍豚美人(ちんとんしゃん)梅林」

                                                                        (了)

 

連絡先 〒273 0035 船橋市本中山四丁目一ノ二 シティコートフドウ中山六○三

 

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     そして 冬の     貧乏グルメ   今泉弘吉

 

  米讃(こめさん)  白いご飯 お粥 カレーライスの「ライスにぎり寿司のご飯 

 

   

     おじや  ぞうに  餅  召しませ、ちまき  七草粥

                                       2005・01

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 米讃(こめさん)

 

 忌地(いやち)という現象があって、これは農業方面の人なら、だれでも承知していることであるが、例えば、里芋を毎年同じ畑で栽培していると、原因不明の発育障害に襲われて痛い目に遭う。そばを食うとき薬味として使われる辛いダイコンも同じ。にんにくもそうだ。

施肥では解決できない。だから、畑という条件で、くせの強い作物は、毎年同じ場所では栽培せず、ときどき休む。

ところが、イネにはそうしたことが殆どない。不思議と言えば不思議だが、解明されれば、道理あってのこと、なーんだ、そうだったのかと思われるようなことであろう。よく考えてみると、そのわけは、どうも、水田であることと、地形の妙のなせるところではないかと思う。春先、田ん圃の上(かみ)から水を得て、下(しも)へ流し、冬、早春には天地返しなども行い、またまた、新しく上から田ん圃に満々と水を導入する。伝統の業である。

このことによって、硝酸態窒素なども減少、イネにとっては、新鮮な望ましい土壌条件が提供されることになるのではないか。推測である。

さような条件が、ご先祖様から譲り受け、守られているかぎり、秋の稔りと、味のよい米が保証されているよみる。

ニッポンなら、土地によって何千年、中国などなら、もっと長い間、さような地形の恩恵の上に、イネの実りのお陰をこうむってきた。そういう地帯には、豊かな稲作文化が蓄積、ひとつの文明の域にまで達している場合さえある。

その上に、まことに不思議なのは、そういう土地に育った人間は、その土地の米というものの味に愛着を感じ、けっして飽きないことである。

わたしなんぞも、その組で、「うまい米」というものは、理屈抜きで、うまいと思うし、そういう米が、なんぼかでも、米弼に存在するというだけで安心する。まして、それが、コシヒカリであってくれた場合なぞ、じつに何とも心強い。

コシヒカリにもいろいろあって、中でも、新潟の魚沼産ならば、筆舌に尽くし難い充足感が得られる。長野の高地、佐久や山形あたりの米もいい。

同じコシヒカリの種を、千葉や栃木や茨城の、水の流れの不如意な田ん圃に撒いて育てれば、米の形はそれなりにできてはいても、味については別の話となりかねない。

それで、新潟のさるお人から、何かのことで、「食べてみなさい」なんぞと送られてくる純正・新潟産、本場のコシヒカリを頂戴に及べば、大げさでなくて、まさに感涙にむせぶほかない。有り難や・・・。

 花の都パリに滞在しても、シスコやロスにいても、ものの三日も洋食攻めに遭えば、たまらず和食の店を探したり、中華屋やイタリー料理店に入ったりする。何が原因かと言えば、米禁断症状からの脱出であって、それ以外にない。

以前、所用で二ヶ月ばかりドイツの田舎にいて、その帰りに、香港に至り、飛行機の時間待ちをしたことがあったが、米の料理、カレーライスをと、インド料理店に入ってみて、失敗したことがあった。

狙いはよかったのだが、その店はいやに「高級」な店で、カレーのご飯は、長粒種、インド米、おまけにたっぷりサフランで黄色くなっていて、それはそれで珍なるものではあったが、ニッポン産米の飯どは似ても似つかぬ、洋食の一種であった。

 

             

白いご飯

 

ニッポン式に、白米を研いで(洗うのではない)、水加減をし、これは電気釜でも苦しゅうないが、ともかく炊いて、ほかほかのところを戴くというときは、幸せを感ずるものであって、この感覚は、パン食の西洋人には味わうことは不可能であろうと思う。

白いご飯に乗せるのは、海苔の佃煮でよし、梅干でよし、沢庵でも結構。汁は、例えば、アサリの味噌汁が蕪やダイコンであっても、これで朝の一食が頂けるということは、有り難いことだ。そして、うまい。その白いご飯が、昼に至り、あるいは夕方になって、冷やご飯になったとしても、優秀な、産地の明白な「いい米」のご飯ならば、そのまま茶碗によそって、ごま塩でも振って食べれば、うまい。

「冷や飯を食わされる」とは、芳しからざる不幸な状態を言うのだが、あれは、いい加減な田ん圃で、ろくに水のかけ引きもなされず、滞留したどんよりした田の水で粗放に育てられた下々のイネのなせるところ、あるいは、北の果て、イネなぞ植えるべきてはないような、気の毒な田ん圃で穫れた米で炊いた飯の「冷や飯」の表現ではないか。

わたしは故あって、北海道で五年ばかり、あの北海道産米(「内地米」ではない)に挑戦し、参った。冷えたら最期、何か別の穀類でも食っているかような、味気なさだった。   

 

      

 お粥

 

お粥が病人の食うものである、などとは荒っぽい言い方である。

お粥のうまさがよくわかるのは、新米だ。

どこの産でもいい、新米を入手したら、何がなんでもお粥にして、味わってみる。

お粥のうまさは、新米のときが一番で、こんなにうまいものだったか、お粥よ、と見直すことになること請け合い。

新米を、そのまま白いお粥にするだけでは芸がないから、青いもの、菊の葉でよし、ニラでもよし、小松菜でもよし、使う。予め加熱しておいた、ぎんなんをぱらりと散らすもよし。

贅沢好みのお大尽様ならば、蟹缶(二千円はする!)を奢るなり、本物のタラバガニの足を使ってもいい、これでお粥にしたならば、蟹の赤、ぎんなんの黄緑、青菜類の青と、白い飯粒がカラーハーモニーを醸し、むろん、味は天下一品、贅沢なお粥となる。( 我が家では、滅多なことではそういうことはしないが・・・)。

 ニラ入りのシンプルな「韮粥」も悪くない。

これは、かの石田治部の好みであったと聞く。治部よ、汝はさりとての者ではあったか。

 

 

カレーライスの「ライス」

 

 インド風とか何かを、わざわざ食いたいなら論外だが、インドカレーは洋式食だ。長粒のインディカのご飯はどうも・・・、弱る。

和風のカレーライスであるなら、水加減を少々控えて、はらりとしたいい塩梅に炊き上げたニッポジャポニカ種のご飯にかぎる。

この際、上にカレールーを乗せて出されるよりも、ご飯はご飯、ルーはルーで、別個の器で出してもらいたい。

何しろ、こっちは、カレーもだが、それよりも、いつも、「ライス」の味に、特段の思い入れのある「和人」であるからだ。

 

 

にぎり寿司のご飯

 

いかに寿司屋のおやじが、頑固一徹、ネタがよく、仕事が上手でも、にぎり寿司のタネの下の「台」になっているご飯がだめなら、その寿司屋は上の位置から転落させるがいい。

金を払う気さえも萎える。

そういうときは、酒を頼んで、おまじないをして、早々に退散する。

 

 

おじや

                                

むかし、博多のちいさな食堂で、おじやがばかうまだったので、博多へ行く度に、そこへ入って、食っていたことがあったが、もはや、四十年もまえのことで、いまあるかないか、知らない。

貧乏で、用事もなし、時間はたっぷりあっても、博多まで行くこともない、調査しに行く

ともままならぬ。

あのおじやはうまかった。味噌仕立てで、卵がぶあっと入っていた。

とにかく、あれ以来、うまいおしやに見参していない。

 

 

ぞうに

 

漢字で「雑煮」と書く。しかし、いいのかね、あんな字で。いつも正月に、そのこと思うのだが・・

しかし、字はどうあれ、ぞうには、いい。本邦祝膳の第一人者である。            

 

     

 

餅には、尊重されるだけの、十分な理由がある。

年神様に供えるということがある。が、しかし、まだある。もち肌と言う。見るからに、また、思うだに好感の持てるものである。もち肌も好きだが、餅そのものも好きだ。

その餅だが、この頃は、各家庭で搗くようなことはないから、餅の作り方を知らない若者がすくなくないらしい。

餅は餅米で作る。うるち米ではできない。

餅になる一歩手前の、せいろでふかしたたての、そいつを、試験する意味で、母親が、ちょいと取って食べてみて、「うん、いいね」などとつぶやいていたこと、そして、わたしも、「どれどれ」なんて言いながら、それを試食させてもらって、驚いた思い出がある。

とてもうまかった。

餅米はふかすと、うまい。なぜだかわからない。うるち米にはない、何か、こう、たんぱく質組成のことでもあって、ふかすとアミノ酸がわっと出てくるのだろうか。

 しかし、西洋人に、餅を食わせてみると、たいがい、反応がよくない。

西洋人に、餅は、無理に薦めない。

 

 

召しませ、ちまき

 

柱に、身の丈の記録をする傷を付けるのは、ちまきを食べながらのことと、相場が決まっている、などと言っても、何のことやらと面くらう若い人がいて、聞くと、彼らの家はマンションで、家の中に大黒柱どころか小柱さえ見ないのだ。それに、ちまきも見たことがないとのこと。

それで、ざっとだが、ちまきの作り方を紹介する。

餅米を用意し、例の如く、水にひたしておいて、笹の葉にしっかりくるんで縛り、せいろでふかすのである。凝ったものは、餅米ばかりでなく、ごぼううの細切りをゴマ油で炒めて混ぜる。風味がよくなるし、栄養バランスもいい。便秘にも特効がある。美容にもいい(らしい)。秋田や新潟、関西では和歌山や岡山、島根に広島あたりのちまきの産地に、美人さんがおおいのは、みなさん、ちまきをよく食べるせいではないか、とひそかに思う。

ちまきの、餅米をくるむ笹の葉にも、何か秘密がありそうだ。笹茶を飲むのと同じことで、笹のエキスを、無理なく、摂取してしまうからだろう。ちまきは長寿にもきっと効用があるものと信ずる。

召しませ、ちまき。

 

 

七草粥

        

七草を入れてお粥を作ると、即ち、七草粥である、という説明は、正しいが、厳密ではない。        

餅を入れてこその、七草粥である。

七草全部がそろわずとも、ニラや菜の花で七草粥としても、立派なものだが、ひっかき回して、おや、餅がない、などということになったら、わたしは憮然、「こんなもん、七草粥と言えるか」などと、むかっ腹を立てるだろう。

七草草粥を食しおえると、いよいよ春である。

                                         (了)

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  はぜてん  えびてん   ぎんなん南下   

 

                        さーて 秋の   貧乏グルメ     今泉弘吉

 

    真鱈のムニエル・ガーリック風味

 

                       ハマチの照り焼きと辛口の酒

 

                                           ドイツの赤は洋食で      2004・12 

  


 

さーて 秋の   貧乏グルメ      今泉弘吉      

 

   はぜてん

 

 「『はぜてん』だなんて、やぼったいもん、食えないよ」という御仁はおられる。

であるが、敢えて、そういうものを食うという者もいて、そういう人物は臍曲りではあるが、ほんとうは勲章被授与該当者であってなお、内閣府から連絡があっても辞退するが、自らは、「わしゃ、ニッポンの食文化を育てておるのじゃ」と自負する変人である。

何人も、魚屋に行くにしても、天下の高島屋の地下売り場を見ても、けっして、「はぜ」に相まみえることはできない。はぜは、東京なら、江戸川区か江東区の先の、環境条件もあやしげな泥海か、千葉なら富津あたりまでのして行って、そのあたりの海の底にもぐっているやつを釣ってきて食うしかないが、とてもじゃあない、いろいろと問題があって、思ったただけでもげんなりしてしまう。それほど、はぜは、ややこしい事情の環境に棲む魚なのである。

彼等の棲む海の底は、東京湾にかぎって言えば、状態が最悪である。

しかし、毎年十一月になると、はぜのてんぷらが食いたくなって、困る。

むかし食って覚えている、あの懐かしい味が、思い出されてたまらぬ・・・。

それに、理由は不明だが、十一月のはぜは中気予防にいいと言い伝えられている。

十一月は、はぜの月。

とにかく矢も盾もたまらず、はぜてんが食いたくなって、いろいろな条件はさておき、銀座のハゲ天に行って・・・、と思ったけれど、あそこまでわざわざ行くのもおっくうになって、思い付いたのが、船橋東武の上に新装開店したハゲ天。同じ店名を名乗る以上は、ちゃんとして仕事の店だろうと信じ、出かけてみた。

なるほどまさしく、ハゲ天であった。客あしらいもてきぱき。気が利いていた。

聞くと、ハゲ天には、ちゃんと、はぜてんがあった。

一口味わったら、うーん、うむ。納得の味。ちょっとほろ苦くて、それでいて上品な白身魚だ。おおきさもほどほどで、よろしい。酒は辛口。おお、わたし好み。

それで満足して、メゴチだとか、エビ(サイマキ)とか、イカだとか、シイタケとか、雷こんにゃくとか、レンコンなんかも食べたことは食べたが、はぜの味が舌に染みついて、帰宅しても、しばらくは、はぜ、食ったなあ・・・。と余韻。思えばじつに下らない思い入れをしたものだ。たかが、はぜてん、なのに・・・。

 

 

  えびてん

 

 いずこの天ぷら屋へ行こうとも、えびてんは、絶対に出されるもので、それも、トップを飾る、お定まりである。

その日はあいにく、朝から、食欲のない日で、そういう日にかぎって、大有徳人様に招かれていて、「てんぷら、食いたい放題、ご馳走してあげる」という、うれしい話になっていた。

人生、これほど間の悪いことと言ったらない。

大有徳人様が気を悪くされるだろうし、また、そういうことは、引き合わせてくださるNさんにも言わず、彼の後ろにしたがって、黙って、店に入って行ったら、もう、大有徳人様は来ておられて、奥の席から立ってこられ、一礼されたから、わたしはすっかり恐縮してしまった。

最初は、アメリカ大統領選挙の「後のこと」が話題となった。ポスト・ブッシュは、わたしの観測では「クリントンのかあちゃん」。そう申し上げたら、有徳人様もNさんも横手を打って賛意を表明してくれた。それで、三人で、目出たく、クリントン夫人の、四年後の大統領就任の前祝いをした。

後は、わらわらと漫談のひとくさりを語ったら、刺身は終わり、いよいよてんぷらで、その最初は、えびてん。

これ、がっちり育った車海老か、名は聞かなかったけれども、そうしておいて、味わった。

うまいなあ、こりゃあ・・・。

できれば、これをもう一回戦をと思ったが、がまんした。

いかに気に入ったとしても、まさか大有徳人様の御前で、じたばたするのも気が引ける。

お流儀に任すこととして、次のきすへ。これまたよし。

大有徳人様は、じっは、資産家で、慶応ボーイ。ときては、根っからのすっ寒貧野郎のわたしとは身分違い。軽井沢の別荘の徒然話に、

               縁先に 浅間の煙 枯れ紫苑

とは、恐れ入谷の鬼子母神。

そのうちに、てんぷらコースは終了。いまの季節には珍しいクワイや北海道産蕗のとう、ほかは、お土産にしてもらった。

しかし、まあ、貧乏人無能な御仁に、わざわざ、ご馳走してやろうとは、じつにまったく、大大の大、大有徳人様であられる。あなた様に平安あれかしと、祈った次第。

それにつけても、あの、えびてん、しっかりしていて、うまかったわい。

 

                                           (上野広小路、てんぷらの「天寿々」にて)

 

 

  ぎんなん南下

 

 十月の頭が初見参で、ぎんなんは福島物だった。ちょっと小粒かなあと思われたが、いざ手にしてみると、さほどのことはなかった。味は、あっさり。初物、そのもの。

第二陣は、いつもは新潟からくるが、今年は新潟県中越大地震があったためか、ほかに理由があってのことか、静岡物だったから、ちょいとばかりこっちにもわけがあって、敬遠、愛知物が出回るまで辛抱した。

その甲斐あって、狙い通り、今年も、愛知物に見参できた。

これは実がしっかりしていて、申し分ない。まさに季節がそのまま詰まっているような

「でき」で、食べこたえのあるぎんなんだった。とっておきの焼酎の封を切って、そのお供をさせた。

十一月も末になると、奈良物である。これは安定した、すばらしい味である。

その次ぎは、もやや師走に入り、九州は福岡、そして熊本物となる。

このあたりのものは、ただ焼いて食うだけのことではなく、茶碗蒸しなどに使われて、名声をほしいままにする。

わたしのところでは、毎年、この熊本物をしこたま仕入れて、冷蔵し、年明けまで、食いつなぐ。

うまいですなあ、ぎんなん・・・。

 

 

  真鱈のムニエル・ガーリック風味

 

 寒さの到来は悪い知らせとばかりとは限らず、いいこともあって、とくに大雪山に雪でも積もれば、急に、あの北海道の海の鱈が慌てふためいて、餌を求めて右往左往するから、とてもいい状態の、うまい鱈が手に入るようになる。それで、それが助宗ではなくて、真鱈ときては、たまらん。

北海道の真鱈はうまい。

だが、ちょっとばかり工夫する。

塩胡椒を施したら、フライパンにたっぷり目のオリーブ油を用意し、まずはガーリックを炒めて狐色にし、少々、鷹の爪を用いてピリッとさせる。準備ができたならば、真鱈に粉を打ち、ムニエルにするのである。

この際、オリーブ油は純正なものを使う。ガーリックもそんじょそこらの、十個二百円というようなケチな中国物ではなく、青森か愛知の、飛び切りのやつを使う。

そうすると、でき上がった真鱈のムニエルは、もはや、北海道料理ではなくて、パリのジュール・ベルヌあたりの、なんたら言う難しい発音の魚の、グリルを彷彿とさせるひと皿に仕上がるから、あら不思議。

むろん、酒は、腰の強い、癖丸出しの、ブルゴーニュの赤にしたいところだが、(いろいろ、あるいはちょっとばかり)事情があって、同じフルボディーではあるが、イタリーはトスカーナ産の、ちょいと渋味のある、それはそれで一家をなしている赤にする。

そうすると、CDは、モダンジャズではなくて、オペラの序曲集に変える。気分が出ます・・・。

 

     

    ハマチの照り焼きと辛口の酒

 

 ドイツから旧知のミスター・Nがきて、ホテルで会って、久闊を叙したついでに、彼、グリルした魚を食わせててほしいと言う。やっぱり刺身は弱いのだ。それはそれでいいけれども、洋食風でまとめるのか、それとも和風で行くのかと尋ねたら、ニッポンそばを所望したいとのこと、ほう、そりゃあいい心がけだと、褒めてあげて、ついでに、ならば、酒は辛口のきりっとした日本酒の人肌、最初は焼き海苔でちょいとやるのはいかがと問うと、オーケー。次は、だし巻き卵、そして、ハマチの照り焼きで、最期は盛りそばにしましょうかと薦めたら、お任せ申すと、丸投げしてくれた。

それで、麻布の更級本店に行った。ぱぱぱっと、そう注文した。

さすが、そば屋の酒は厳選されているから、ドイツ人も納得で、わたしもほっとした。

四角い木の箱に火を入れて、その上にふわっと置いたぱりぱりの焼き海苔は、なかなか深みのある黒で、黒は黒でも金黒か。味も薫りも、とてもよかったのに、異国の人は、それが海っぺりに育つと聞かされて、おそるおろる食ってみたものの、やはりだめだった。だし巻き卵はうまいうまいと平らげた。

そして、本チャンのハマチの照り焼きになったのだが、「これはいい」と、よろこんでくれた。照り焼きは、ほんとうは、ブリだろうけれども、まだ秋も浅いし、どうにもならず、ハマチ。

でも・・・、うまかった。

なかなかの味・・・。

 

      (麻布十番の新一の橋、交差点角。「永坂本店」である。商店街のほうのとはちがうので、まちがえ

ないように。もっとも、まちがえて布屋太兵衛に入っても、味は負けず劣らずである。そば自体は、好みがある。あの柳屋小さんがちょくちょくやってきていたのは布屋のほうである。見かけた。よーし、こんどは布屋へ行こう!)

 

 

   ドイツの赤は洋食で

 

能書きが凝っていて、「この赤は、新進気鋭の醸造家シュナイダー氏の勧める逸品。合わせる料理は・・・」とあったから、その先の文字をルーペで拡大して読んだ。

 「ルーラーデ(野菜、ピクルスなどを中心に入れ薄切り牛肉で巻き、煮込み)とか鶏の胸肉のローストなどを食べるのにいいとか、兎の赤ワイン煮にも・・・。

しかし、ここニッポンの船橋の陋屋で、そういう代物を口にできるわけはないから、しかたがない、せめてもの贅沢、千葉県自慢のSPFのいも豚(ちっとも嫌な臭いがしない、最高級清浄豚、高い)の腿肉の薄切りと、長野産ブロッコリーの炒め混ぜ細麺スパゲッティ(日清フーズ製)で、どうだ、とばかりに、その赤をがぶりとやった。

 その結果は、こりゃ、いい・・・、ということになりました。

 ドイツは、北半分は寒くて、ぶどうは育たちにくいから、スイスから下ってきた、南ドイツの一部で、南の斜面を総動員して苦労してぶどうを育てる。一本のワインを得るためにたいへんな努力をするのである。でも、白の特定の品種のぶどうは、よく育ち、上等のワインができるのだ。ただ、しかし、赤ともなると、どうしてもフランスやイタリーの重厚なやつに及ばず、どうしても見劣り(舌劣り)する。

でもまあ、新進気鋭の醸造家シュナイダー氏の心意気を汲んで、これはこれで、いいのではとしておく次第。

                                                以上

 


         貧乏グルメ十二ヶ月

 

  新聞の投書欄を見ていたら、韓国から東京にきた留学生が「味で幸せを追求する」、「人間から食べるたのしみを取ったら・・・」と、うまいラーメンを食べるため、長い行列も苦にせず、と書いていた。(わかるなあ)。

東京の「行列ラーメン」はうまい。わたしは中年になってから、仕事の関係で、頻々と欧米に出かけ、現地の美味・珍味に魅せられた。中国、香港、韓国、台湾、タイ、フィリピンほかにも足を伸ばした。

思い出す。夢に見る。パリならシャンパンとトリュフとキャビア。ニューオルリーンズはワニのフライとジャンバラヤ。ロスでは極上ジャンボサーロインステーキと冷たいメキシカンビール。香港は高級広東料理と老酒。

五十才も半ばになってからは、わたしの胃袋も衰え、糖尿病の恐怖も重なって、油っこいもの、分量豊かなもの控えるようになった。

定年で会社を引退してからは、懐が不如意となり、海外に出て「食い狂う」ようなこともなくなり、陋屋に沈潜。

そんなある日、気が付いたのだが、冬のダイコンはおでん、正月は小肌の酢〆、二月は蕪、三、四月はアサリの味噌汁と菜の花とそら豆、初夏は新ジャガ、五月はサヨリ、六月は枝豆、七、八月は露地物キュウリとナスと

そうめん、九月は戻りガツオ、十月は平たね柿、十一月はイクラ、師走は真鱈、いずれも酒少々。季節の移ろいに合わせ、そこらの美味を楽しむようになっていた。

うまい「行列ラーメン」や贅沢な料理もいいが、素朴なグルメにも存在価値がある。

わたしは、目下家付きの貧乏神と交際中、本格グルメは、ときたまのこととして、ふだんは「貧乏グルメ」である。  

                                                                                  04・06・15 


まさかどあられ・目刺しの王者・うるめ きゅうりもみ・しらす和え夏のうな丼

  

さーて 夏の     貧乏グルメ  今泉弘吉

              

          まさかどあられ

 

「まさかどあられ」というものは、未だこの世にない。

京都の羅生門のほとりに、「羅生門煎餅」というのがあったとしたら(ないと思うのだが、ひょっとしたら、あるかもしれない)、わたしのようなうかつ千万な者は、さっそく買って食べてみて、「うまいなあ」と思い、煎餅のぱりぱりした歯触りから、芥川龍之介の羅生門を思い出し、だれやらの作った映画のほうは、思い出さず(思い出さないものは思い出さない)、うーん、いいもんだこの煎餅は、とばかりに仰山、土産に買って帰り、親戚に配るだろう。

 東京の浅草には、むかしから、雷門に「雷おこし」というものがあって、田舎から出てきた人は、必ずこれを買い、東京見物の証拠物件として、土産に持ち帰るのだと聞いたことがあって、ならば、浅草生まれのこの身、とにかく好きにならねばと、何回かがんばってみたが、どうにも、あれは・・・。それなりのものではあった。

そこで、「あられ」ということになるが、これは煎餅とはちがって、いくぶんお上品な米菓である。京都のどこそことか、兵庫のなになにとか、あるいは金沢とか新潟とか、また人形町の「何々屋」で作っているようなものなら、たいてい味は合格で、中にはうーん、と唸らされる逸品もあるが、ともかくも、みな売れているようだから目出たい。

そこで、思い付いたのが、関東に、うるち米ができる以上は、餅米も、結構いいものが穫れるはずで、それで関東風の味にこだわり、がんこ一徹なあられを作って、関東あられここにありと、威張ったらどうかと思う。

関東人が、上方風にお上品ぶって、あの「おかき」風に、三個、五個ばかりを小分けし、六袋ばかりを化粧袋に入れて、ハイ、「あられでござりまする、恐れ入り奉る」などと、持ってこられてもだめだ。いっそのこと、KONISHIKIの親指ほどもあったっていいから、荒っぽいあられを製造して、怖れることなし、無断で平将門さんから名をもらって、「将門あられ」とでも名付けて売り出したらどうだ・・と、思っていたら、こりゃどうだ、先日、茨城は稲敷郡の米菓会社の専務さんから、どさっと段ボールが配達されてきた。中味は・・、「角揚げ餅・うす塩味」。あられというより揚げ餅なのだろうが、わたしのイメージ通りの、ずばり、そのものだった。

うまいうまいと、声を上げながら、ばりばりやって、おおいに堪能したことは言うまでもない。

しかし、羅生門の「煎餅」、雷門の「おこし」ときて、この「将門」のあられなら「三門もの」とも言えそうだ。ならば、早いとこ登録商標の出願をしておかないことには不都合もあるような気がした。しかし、そういう権利は、とっくに誰かが手中にしているだろうし、特許庁も、史上有名なあの「将門」そのものでは、扱いに困り、泣きを入れてくるかもしれない。そうなると、話がごちゃごちゃしてしまう。

ならば、「将門」を、ひらかな書きにして、「まさかどあられ」とでもすればよかろう。

事のついでに、わたし自ら筆を執って、因果因縁故事来歴を書いて・・・、などと考えたが、なんだかわずらわしく思えてきて、止めた。ただし、平将門の事績をおさらいして、得るところがあった。

それで、この話はおしまいである。

 

(「まさかどあられ」についてのお問い合わせは、左記へとうぞ)

連絡先 筑波米菓株式会社 「まさかどあられ係」http://www.tsukubabeika.co.jp

茨城県稲敷郡美浦村土屋一九七九―九一     

電話 0298 85 0030 

 

 

           目刺しの王者・うるめ

 

 夏になると、目刺しの原料の若い鰯も「とう」が立ってしまい、姿形は目刺しでも、ぴかぴかであっても、どうも、味が落ちてきていけない。それに、どうかすると、うろこがごわごわ。困ったことである。

そういうときは、いさぎよく諦めて、思い切って、うるめに転換するのである。そいつをこんがり焼きにして、頭からバリッと囓るのだが、これがすぱっと、口の中で崩壊、なんだか、まるで、高級菓子のようだ。

焼酎のロックでよし、菊正でもいける。

熱々の白いご飯で頂いても結構。まったく具合のいいものである。

ただし、お値段は、ふつうの目刺しの十倍もする。なぜだ。(まあ、いい)。

 

 

                きゅうりもみ・しらす和え

 

きゅうりを「何にして食べる」と訊かれたら、何とかのひとつ覚えで、「きゅうりもみ」とえる。

きゅうりの料理にもいろいろあろうが、きゅうりもみが、やはり一番だ。

ストンストンと薄く輪切りにしたやつを、少量の塩で揉んで、だし汁で割った三杯酢をかけ回し、はい、でき上がりとは言うものの、それだけでは芸がないから、生姜を細ぎ切りにしたのを添え、アクセントととする。

 上等で新鮮なイカがあれば、これも細切りにして、さっと混ぜてやれば、これはもう、乙なものとなるが、そういう事情にないときは、冷蔵庫(冷凍室)を開いて、常時備えてある、しらすを用いるのである。

いかに貧乏するとても、しらすだけは、上等のものを買っておいて、冷蔵庫に備えておくべきだ。

おもむろに、「きゅうりもみ・しらす和え」に箸を付け、日本酒を、それも冷やで、ちびりちびり。落ち着く。

そのときの日本酒は、同じく、冷蔵庫に鎮座まします、とっておき、蓬莱泉というのであるが贅沢な酒だ。

蓬莱泉には、いろいろグレードがあって、ピンからキリだが、じつは、特別のやつで、銘は「空(くう)」。(辺断はびっくりするほど高いが、まあ、しょうがない)。

            

 

                 夏のうな丼

 

地下鉄麹町駅のそばに、Aといううちがあって、そのむかし、結構懐の暖かった時分には、季節を問わず、ちょくちょく参上したものである。

なんでも内田百鬼園先生が、このあたりにお住まいであった頃に、さかんにうな丼を召し上がったという伝説があって、つまびらかにはしないが、おそらくきっと、このうちのうな丼を召し上がっておられたのではなかろうかと想像して、このうな丼を食えば、一流のエッセイが書けるだろう、書けるに決まっている、書ける、当たり前だと思わせられた。

 

麹町のAのうな丼の味は、それほどのものだった。秋や暮れは、こってりした味の神田のKか上野のIか。

寒い二月の、ぴゅうぴゅう風の吹く晩なら、八丁堀のOに入って、二段仕掛の強烈なうな丼がほしくなる。

たんまり金があれば、蛎殻町のKは、季節を問わず、申し分なし。蒲焼きを食う。名にし負う名店の味だ。結構なものではあるが、常時、金満とはいかない身ではしょうがない。

いまは、貧乏という瓶の底に沈潜しつつある身だが、ときには、やはり、腹の虫養いに、どこぞで、夏のうな丼をと考えた。

そこで、金を工面して、とりあえず銀座四丁目の交差点まで出た。ならば、Mであろうか。では、さてこそ、築地まで行って・・・とも思ったのが、なにも、そこまでふんばらずとも、銀座店でもいいのだと思い直して、百貨店の八階に昇った。エレベーターを下りたら、すぐ目の前が、Mの銀座店で、すすっと入ったら、まぎれもない、まっとうな、素朴な構えの鰻屋の店。出された鰻は、甘さ控え目、ふわっとした舌触り。

これだな、やっぱり・・・。これぞ江戸人の味也、と再確認した次第。

 

                                                なにはさて 夏のうな丼 がつがつと   瑞雪

 

 連絡先 宮川本(テン)・銀座店(○の漢字、PCにない。崩し字)

     中央区銀座三丁目松屋8階(右奥エレベーターにて上がる)

     電話 3567 138

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      さーて 初夏の 貧乏グルメ                  今泉弘吉           2004・04

 

竹の子ご飯    ヨコハマ・トワイライト・グルメ   鹿児島そらまめ     カサブランカの仇討

 竹の子ご飯  

  竹の子だったら、京都のどこそこの、ということになってはいても、わたしには、そういう「お値打ちもの」の竹の子に見参するチャンスはないから、そこらの八百屋かスーパーへ行って、よさそうなのを選り、買ってくるのだが、当たり外れがある。外れたときは惨めだ。薫りも抜けて、まるで薪ざっぽうを囓っているようなも場合もある。こういうのは、捨てて、日を改めて買い直すしかないが、また外れてしまうこともある。ところが、久里浜はK村の住人、Yさんの山で穫れる竹の子は、まちがいのない逸品で、これが送られてくると、まったくうれしくなってしまう。

電話があって、「これから送るぞよ」というので、待っていると、なんとか便のお兄さんが、さっそく配達してくれる。玄関に、春の山の薫りが充満して、料理されるのを待っているのを見ると、わくわくする。これを、定められたとおりに、女房殿が処理し、明日の朝は、竹の子ご飯出現。

 当家では、油揚げの細切りを入れ、薄い醤油味にし、極上鰹節を奢って、贅沢に炊く。どうも、竹の子ご飯には、油揚げと鰹節が合うようだ。

 竹の子を食すのは、中国、台湾、朝鮮半島、タイ、ベトナムあたりの人たちだろうが、彼らとて、我が家の竹の子ご飯のように、油揚げ入り、極上鰹節出汁で贅沢に炊いた「高級」なものはそうそうありつけまい。むろん、西洋人には思いもよらぬだろう。つまり、世界一の我が家の贅沢ご飯。まさしく、ジャパニーズ・エクセレンスである。

 

ヨコハマ・トワイライト・グルメ

  黄昏時の、みなとヨコハマ・グルメを、死ぬまでに一度・・・と思っていた。

 以下、そのプロトコールである。

          ♪♪♪ ヨコハマ・トワイライト・グルメ ♪♪♪

  船橋からは、高速船が出ているので、これに乗るつもり。(奥さん帯同)。海を渡って、ヨコハマに着く。早速、なんとか屋のシュウマイでビールを飲む。そのほかにも、馬車道でカツレツ庵の観音開きのヒレカツをという手もあるが、割愛する。

              第一夜 イタリアン・トワイライト

 どこか一流の高級ホテルに二泊で予約。第一夜は、横浜能楽堂(一度行ったが、どのあたりだったか)を辿り着いて、あそこの舞台で大蔵流は山本泰太郎さんと則重さんのコンビによる狂言を、わたしの新作台本で観ることができたら最高だな。花束をあげよう。(できれば「瓢狸(ひさごだぬき)」を見たいものだ)。ホテルに帰ってきたら、イタリアン・レストラン(仮名、リストランテ・モナリザ)へ直行。フルボディのシシリーの赤ワインを注文する。一本二万円也。なんのその、冥途の土産だ。金に糸目は付けない。鯛のカルパッチョ。お好みで(女房殿はお嫌い)、わたしだけになるが、〆鯖少々。タルタルソースで食うことにする。平目のナポリ風ポアレ。これはうまい。

 

              第二夜 フレンチ・トワイライト

 ヨコハマ在住のNさんご夫妻をご招待して、ご馳走する・・・。場所は、市内某所、フレンチ・レストラン(仮名、エトワール)である。先ずは上等のシェリーを一杯。前菜はシュリンプカクテール。伊勢海老の刺身。シャンパン。メインは山形黒毛和牛のテンダーロイン、フォンドボー。アスパラ、ミニバンブーシュート添え。あとは各自お好みの酒。わたしはオールドパー。 

 お出かけ。今晩はジャズ・クラブ。ジャズなら、渋谷や青山より、こっちのほうが格上。サックスのしのび泣き・ドラム・上品なピアノ・凝ったエレキベース。ヴォーカルはどうでもいい。グリーンサラダとフォアグラのポアレ。ナポレオン。

  そういうことを妄想していたら、ヨコハマのNさんから、うれしいお頼りを頂いた。曰く、「奥様と、どうぞお二人でお気軽にヨコハマへお出掛けください。ご案内いたしましょう」というのである。

 引用する。

「『みなとみらい線』が開通して、ファッションの元町、食の中華街が便利になりました。小さい店ですが「海員閣」のお粥。水餃子なら「山東」。シュウマイは「清風楼」。そのほか、うどんのうまいうちもあり、お勧め多数。みな、ちいさいお店です。週末は行列ができますので、平日がいいと思います。ジャズクラブは「スターダスト」はいかが。ジャズ専門のレコード喫茶もありますよ。夜は、高層ホテルの高いところから夜景を眺めるといいでしょう。水も美味しい。東京とはちがいます」。

では、お勧めにしたがい・・・、とは思うものの、いつのことになるやら・・・。  

 

鹿児島そらまめ

  春はそらまめとともやってくる。

鹿児島産のそらまめが、どどっと出回るから、さっそく買ってきて塩茹でにする。無理に早出しするのとはちがって、甘味も加わって、大変結構。

 関東では、この時期、そらまめは、まだ、紫の花を着けたばかりで、うすら寒い風にゆすぶられているというのに、鹿児島のそらまめが我が家の食卓に上る。天晴れ。・

このように、若いときの豆を食すのは、ニッポン人の得意芸で、アメリカでは、そういう食法になじみがなくて、フライビーンズなんぞにしてしまう。風趣に欠ける。その点、ニッポン人は凝った食べ方を思い付いたものだ。凄い。

 

カサブランカの仇討

  狂牛病騒動で、発生ルート解明に失敗したまま、仕方もなく、全頭検査が実施に移され、この頃は、病死牛にも適用されるようになった。アメリカでは、まだ、徹底されていないようで、全頭検査は「非科学的だ」なんぞと、えらそうにしているようだから、そうさせておくとして、しからば、国産牛なら、それも山畑あたりのなら、どうにか食べられるのではなかろうか。ということは、いよいよ牛肉解禁だ。

 そう思うと、ステーキが食べたくて食べたくてたまらなくなり、夢に見て、よだれが垂れた。かなりの「重傷」である。これ以上の痩せ我慢はか身体にも心にもよくない。手元に二万円ほどあった。しかし、ちょっとばかり心配になった。もうひとりの自分が言う。

「だめだ、だめだ、足りないぞ。女房連れで、ステーキを食いに行くつもりだろ。それも新装成った丸の内だぞ」

「たかが昼飯、二万円もありゃ、いいんじゃないか」

 反論はあっさり退けられた。

わたしは貧乏人の身分。無理して軍資金を算段した。ステーキランチを食うのにさえ、かような苦心を余儀なくされるという次第。乗り込んで行ったのは、新築成った丸ビルで、高さは界隈一。場所は言わずと知れた、皇居前。高速で、しかも音の静かなエレベーターがあっと言う間に、我々を運び上げてくれたところが三十五階。展望台があった。有楽町方面が箱庭のように見えた。レストラン街は、三十五、六階を占めていた。ちょいと覗いてみたが、どこもみな超高級そうだった。洋風を装って、出窓のようなショウウインドウがない。蝋細工のサンプルも見えない。大学ノートを両開きにしたほどのメニュウが出してあるだけだった。

 その店を覗いてみたら、重厚な造り。ふーむ、ルイ王朝風か。 

 メニュウの背後に人がいた。蝶ネクタイの中年男だった。

「おたくは、ランチ、八千円か。うーん、八千円ねえ。消費税込みだろうか」

「いいえ、別でございます」

「なに料理ですか」

「フランス料理でございます」

「うん。それで、今日の、このメニュウのランチ、肉は、なに」

「本日はお魚でございまして」

「肉が食いたいなあ。金に糸目は付けない。安いほうがいいけどね」

「は。お肉では、このお値段ではできませんので」

蝶ネクタイの男はわたしを頭からつま先まで、じろじろと睨み回してから言った。

わたしは次ぎへ回った。Sの字が頭に付くフランス語風の店名で、発音しづらかった。

「おたく、フランス料理だろうか。肉料理の肉、なんですか」

「はい、フランス料理でございます。本日は子羊か鳩のいずれかございまして」

次ぎに回ったのは、前の二店とちがい、だいぶ店の造作がシンプルのように思われた。店内は白を基調とした明るいムード。ははあ、南フランス調か。壁の白さは・・・。ははーん、カサ・ブランカだな。

入り口に、黒っぽい服に真っ白なブラウス姿の清楚な女従業員がいた。わたしが質問をしようとしたとたん、彼女が先手を打って、口を開いた。

「只今、とてもよいお席があります。見晴らしもよくて」

「『お席』。よいお席。見晴らし。ははーん」

「お料理はフランス料理です。おいしいワインを用意してあります」

「で、メインはなに」

「山形牛のステーキです」

「おっ、いいねえ、国産牛。ちょうど食いたいと思ってた」

「前菜は甘エビの聖護院大根仕立て。ホタテのポアレをお付けします。デザートはデザイン     アイスクリーム。

おいしいコーヒーも用意しています。牛肉をお付けすると、別料金がかかります。お値段は・・・」

「金に糸目は付けないよ」

「ランチセットはサービスで、四千八百円です」― お・・・、そ、その献立で、その値段。

 案内された席の見晴らしはよく、眼下に小さな東京駅、遠景は両国国技館。

しかし、空間は狭く、三方が白い壁。ちょっと狭いなあ。でも、我慢、我慢。我慢する木に花が咲く。

 女房殿はセットランチと牛、グラスワインはロゼの「サクランボ風味」を注文した。わたしは白の「青リンゴ風味」にして、料理を考えた。ワインの甘いこと。だめだ、こりゃ。一センチで止めた。

 ああ、こういうとき、ベテランのソムリエールさんでもいてくれればなあ・・・。

 音楽はドンシャン、しゃりしゃり調。わけのわからない女の声がキンキン。なんだ英語じゃないか、フランス料理屋なんだろうに。気分、ぶち壊し。

「これ、おフランスの音かね。おフランスの音ならしょうがないけど」

「英語みたいですね」

「ドンシャン、しゃりしゃり、キンキン、やかましい

「はあ・・・」

女房殿が「およしなさい」というような目をした。だが、わたしは音にうるさい人間だ。

「『はあ』じゃあなくてさ、あの音、なんとかしてよ」

「はあ」

「それから、山形牛のステーキは単品でできるかどうか」

「アラカルトですね。シェフに聞いてみます。ただ・・・」

「『ただ』、なにさ」

「カットの仕方のことがありますから、お値段がちがいますけど」

「ちがったっていいんだよ。金に糸目はつけない」

「前菜、ホタテ、どうします」

「ご無用」

彼女はぷいっとふくれると、引っ込んだ。

傍らで、女房殿が、(ほら、また始まった)というような顔をした。

しかし、わたしには、わたしの信念がある。店は、できるだけ、お客の「好み」に合わせな

くてはならぬ。万国共通、そういうルールがあるはずだ。

 おお、アメリカ風の音が止んだではないか。

 

山形牛のステーキがきた。

やわらかくて、うまかった。

 

ほっとしたら、気が付いた。真向かいの白い壁に、一枚、由来不明の、十字架を突き刺したお墓の写真。なんだい、これ。南フランスの人は、こんなものに睨まれながら、気持ちよく飯が食えるのだろうか。三方、白い壁の狭い空間。どこであったか、こういう場所に長らく閉じこめられていたことがあったぞ。そうそう、病院だったわい。

 

わたしは、帰りに出口で、仇を討たれることになった。

お勘定。なんと、福沢先生おひとりで間に合わず、二枚を要したのである。

(了)

 

聞き書きメモ 

    山東  п@5-651-7623 

    海員閣 п@045-681-2374

    清風楼 п@045-681-2901

うどんの「おおぎ」 п@045-246-0390

 

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  さーて 冬の 貧乏グルメ 2004・01

 

  伊東の里芋 バゲット うどんこ  オールドパーと剣菱   枝豆カレンダー  我が砂場  

伊東の里芋

唐人お吉で有名な下田の隣り、あの伊東には、何度か行ったことがあるが、川奈でゴルフをする身分でもなし、ゴルフに興味もなく、川奈ホテルの名物フルーツケーキは注文すれば送ってもらえるし、かしこに投宿せずとも不都合もない。

その代わりと言えば、おかしいが、そこで、ときどき、伊東に住む友に、季節の挨拶のため、手紙を出すのだが、もとより、さしたる用もなかりぜば・・・式で、そういう手紙をもらったほうの友は、きっと迷惑だろうに、ははあ、タイショウ、口福に、足らざるところあってござるかや、と、こちらの気持ちを察してくれるらしい。そして、わざわざ、手作りの里芋を送ってくれるのである。

うれしいことに、それが丸々と太っており、すばらしい味なのである。

ジャガイモは遠く異国、大陸の風が感じられるが、なんとなく、もっさりしている。その味には、救荒作物の悲しささえ感じられて、センチメンタリズムを覚える。

終戦前後の食糧難時代に、おおいにお世話になった薩摩芋は、懐かしさはあるものの、重きを置く気にはなれない。

しかし、里芋は、山芋に対する里の芋、八ッ頭、自然薯の親類、古くから、我が国の風土にマッチし、ニッポン列島のほぼ全地域で栽培され、かつ重宝がられてきた存在故に、特別の敬意を表せずにはいられない。だから、単純に茹でて塩をふり、肴として、日本酒を頂くのも格別である。辛口の、銀嶺立山なんぞは、ぴたりである。

里芋畑の情景が瞼に浮かぶ。

ばかばかしくでかい、ぼあーとしたあの葉に、雨露を受けて、銀色の水滴をキラキラさせ、その横には、でんでん虫を這わせながら、悠然と育っている様は、まこと堂々たるものだ。

しかし、里芋は水やりを含めて栽培管理が難しい。なかなか、素人の手では、うまいこと、美味なものが得られない。栽培に愛情の必要な、気難しい作物である。

その里芋の逸品を、煮っころがしにすると、総じて芋類の苦手なわたしでさえ、その味の素朴さに惹かれ、思わず知らず、ふたつ三つと手が出てしまうのだから、不思議なものである。

 味噌汁に入れてもいける。 

里芋に新聞紙をかぶせて段ボール箱に入れ、玄関先の薄暗がりにころがしておいて、その里芋を、正月まで保たせ、元日に雑煮に入れて食す。目出たし。

友に訊いたところでは、里芋の植え付けはジャガイモなぞより少々早く、収穫はちょと遅いという。

プロは収穫後、室のような仕掛を作って、大事に「生かし」つつ、ぼちぼち食べながら、春を迎えるのだそうな。

八百屋の店先にころがしてある里芋は、一定の温度と湿度で保護されているわけもなし、ポリエチレン袋に詰められ、店先で寒風にさらされ、震え、依怙地になってのはてに、我が家にやってくる。

それに引き替え、伊東の里芋は、箱入り娘、大事にされての、わざわざのお運び、これがうまくないわけがない。

事実、美味なり。

伊東の人よ、有り難う。

 

バゲット

この町に、神田S軒が、支店を出し、独特の風味の、パンを売り出すようになって、だいぶ年月が経過したが、どうやらお馴染みさんも付いて、商売は順調らしい。

このうちのパンはそれぞれやや小ぶりで、ほかより少々値が張るが、それは、味の良さでカバーできているから言うことはない。

 中でも、いつも店のとば口付近においてある、バゲットは抜群、すばらしく、しっかりした味わいのフランスパンで、これを食べさせたならば、ヨーロッパ人もおどろくだろうと思う。

皮はきつ目に、こんがりと焼いてある。なのに、中身はふわふわで、どうして、こういう風に焼き上がるのか、不思議でならないが、きっと、技術のなせるところだろう。使用する小麦粉の選択にも念を入れているのだと察する。

お稼ぎなされい、神田S軒殿。

 

うどんこ

今年は天候不順で、温暖化の中の夏の長雨で冷涼、その後の秋の厳しい残暑、それでも、イネに期待できなかったが、麦は関係なかった。もっとも、我が国の麦は殆ど外国産に席巻されてしまい、うどんこ用のものも、たいがい輸入だ。しかし、明治の頃も、メリケン粉という言葉ができたように、アメリカ産が、その純良を喧伝されてきた。

それはともかく、家庭で、うどんを打って、その打ちたてを「納得」して食えれば、この上ない幸せ。だが、素人の悲しさで、粉が選択が不適当なのか、塩の使い方がまちがっているためか、何度挑戦しても、どうにもならないでいた。

しかし、最近、日清製粉が、まことにいいものを発売してくれた。

曰く、「手打ちうどんの粉」である。

さっそく、試した。製造担当は女房殿。わたしは食べ役。

うーむ、これはいける!うまいそ。余は満足である。

 

オールドパーと剣菱

 

毎年十二月三十日は、我が家では、「酒の日」である。

ことしは、気張って、ウイスキーの部はオールドパー、日本酒の部は剣菱。

流石、評判だけのことはあって、この両者、まことに以て、結構だった。

おかずは、五色煮の煮初め段階のもの。まだ、しっかり味の染みていないところを頂くのだが、試し酒にはこれだ。酒の味の邪魔をしないからだ。

おお、和洋二酒、いずれも、よし。

来年もまたいい年でありますように、酒の神よ、よろしく。

 

枝豆カレンダー

丹波の黒豆は、お正月にはなくてはならぬものだが、あれが、枝豆として、若齢のとき、収穫して食えるということで、おお、そうかと感心して、一度食いたいと思いつつ、果たせずにいたら、テレビで、実況を再放送していたので、またもや、しげしげと見た。

丹波の六月は霧が出て、黒豆の生育にもいいらしい。収穫された豆は、まだ緑で、見かけは、ふつうの枝豆のそれと同じようだった。

レポーターは、うまいうまいを連発していた。羨ましくてならなかった。

触発されて、急ぎ、スーパーへ行って、ふつうの枝豆を買ってきて食した。ふつうのものでも、結構。

七月はいよいよ地元千葉産の出番。ビールを飲めば、まことにどうも、ニッポンに生まれた幸せは身体に満ちる。

八月初旬は福島産、そして山形産。

八月中旬ば青森産。これは、しかし、適期が短くて、うかうかしていると、内側の皮までが固くなっていて、食感を損なう。しかし、北国の枝豆は総じて味は濃い。

八月末は、山形は鶴岡の名物、だだちゃ豆。抜群の味だ。他の追従を許さない。

なにしろ、この豆、日本酒にいい。

九月は、流石に飽きて、お休み。

 

十月は、あの味を思い出して、こらえ切れずに、スーパーに飛び込み、台湾産の冷凍枝豆の、ぷっくりしたやつを買ってきて、恐る恐る食う。彼の国の農薬使用実態が知れない以上、残留農薬のことを思い、ひやひやしながら・・・、一回だけ付き合ってやる。

十一月。枝前は食わない。枝豆無し月もあってよかろう。

暮れは、茹でて冷凍しておいた、だだちゃ豆を冷蔵庫から引っ張り出して頂く。

一月になれば鹿児島産が顔を出す。

二月、三月は土佐産。

四月になれば、そろそろ、愛知産に静岡産が混じる。

五月になると、長野産のはしりも出て、にぎやかになる。

あ、ビールだな。たまには黒ビールにするか。

 

我が砂場

うまいかどうかの判断は、個人の勝手である。だが、そばの味くらい、好みで左右されるものもすくなかろう。

浅草並木も池之端も、神田の藪も、永坂更級のそばもうまいが、へそ曲がりは、信州上田の刀屋の大盛りこそは天下一だと称揚して憚らぬ。しかし、そばに関しては、へその曲がっていないわたしは、みな、それぞれ、いいと思う。

そばもいろいろある中で、どうしても、時々行って、あの味に再会したいと思うのが、日本橋室町は砂場のそばである。

創業は百年以上もまえだから、わたしのお祖父さんの親がまだピンシャンしていた頃か。

わたしは、砂場と縁ができてから、せいぜい何十年にすぎないから、威張れはしない。戦場のように忙しい昼時は外し、ともかく、入って行くと、おきまりで、坪庭の槇の植木のまえの席に着陣する。

 

「盛り一枚。お酒二本。人肌で。それと卵焼きに焼き鳥」

「おそばは、お酒の後にいたしましょうか

「それには及ばない。上がり次第、頼みます」

「かしこまりました」

そば屋の酒が上等であるということは通り相場だから、なにも改まって誉めるころはないが、こいつをチクッとやれば、うーむ、唸ってしまう。そうすると、熱々の卵焼きがくる。それで、またチクッ。この卵焼きは、そばつゆ入り。上々。そうこうしていると、焼き鳥がくる。櫛刺しではなく、皿盛り。丸々と太ったやつに醤油だれが絡めてあり、肉に弾力がある。結構。

二本目の酒に手を付ける頃には、そばがやってくる。

まことにしっかりした「男っぽい」そばである。

時間に都合を付けて、こうして、他人様が働いている隙に、燗酒、卵焼き、焼き鳥、そして、このそばときて、天下を取ったような気分になる。

我が砂場である。 

                 (了)

 

【室町砂場】 中央区日本橋室町4丁目1ノ13 電話 03 3241 4038

(わかりにくい場所。三越から室町三丁目交差点に向かい左折してから右折し、日

銀通りを行けば、花屋さんがある。そのあたり。左側)

                                                   

     連絡先 〒273 0035

            船橋市本中山四町目一ノ二 シティコートフドウ中山六○三

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延々 秋の 貧乏グルメ

佐用の山栗   食べ比べ・らっきょう   食べ比べ・新米   カペリンへの義理立て

秋野菜の煮   のすたるじあ・みかわや

 

佐用の山栗

 あの狂四郎の生みの親、柴田さんがエッセイに書いていたのを読んで、心に沁みたのが、作用の星空のことで、人間なら、生きるためだけに精を出し、いつも忙しい忙しい、など言っていないで、たまには、佐用あたりに行き、山の中で、夜空を見上げ、空いっぱいの星を眺めて、悠久の時を思うべし、とか、ぼやっとしていたらいいとか、そういうことだったと思う。

尤もだと思い、そのうちそうしようと考えていたのに、作用への入り口、龍野までは行くことはあっても、酒亭へ寄り、鯛のおつくりでと穴子のてんぷらで、ちろりの酒、最期はきまって、にゅうめんを頂いて大満足、夜道をタクシーで姫路まで突っ走って、新幹線でトウキョウへ駈け戻る、そういうことばかりだった。

じつは、その作用の人里離れた山の麓に住んでいる人がわたしの古くからの知り合い。それで、ときどき、山栗を送ってくれる。もとより、農薬なんぞ撒かないから、その栗には虫がいて(いたってかまわない)、水に漬けて、いいのを選って、茹でて頂くのだが、これがうまい。

栗も、この頃は、栽培栗で、ああだこうだと世話をするのは「見栄え」、つまり「美粧性」を尊ぶから、面白くない。八百屋やスーパーの店先に出てきて、並んでいるのは、たしかに立派やかな「栗」だが、虫と先陣争いをしながら、我先に失礼とばかりに頂く山栗の味は格別で、この味は、「じつにどうも」いい。

 それにつけても、今年の佐用の山栗は格別にうまかった。佐用の人よ、有り難う。

 

 食べ比べ・らっきょう

 

偶然のことだが、鳥取の砂丘で育った正真正銘のらっきょう、その甘酢漬けが手に入ったので、うれしくなって、毎日、大事に大事に頂いている。流石に鳥取もの、噛むと、らっきょうは歯の上で、バリバリっと瞬時に崩れて、味を出す。爽快。ほかのらっきょうの比ではない。

九十九里のらっきょうは大ぶりで、たまり漬けがいい。こすることによって、風味が一段と増すと信ずる。

花らっきょうなら、福井ものだろう。あの繊細なかたち。作るのに、えらい苦労があろう。いつものように、ふだんの安酒では可哀相なので、灘の上々で相手をする。

東京の老舗Mから出ている瓶詰の花らっきょうは幼児の頃からのおなじみだが、この頃は、中国産のらっきょうで作っていて、気にくわない。社長に会ったなら、嫌みのひとつに言ってやろう。

 

  食べ比べ・米

 

今年は異変で、東北・北海道の夏が雨もよう、その上、寒くて、米の稔りが不良、予測通りの不作となった。

それで、スーパーの店先にも異変があって、いわゆるブランド米の、新潟コシヒカリや東北のササニシキ、ひとめぼれなどが一斉に姿を消して、これまであまり人気なく、低位に甘んじていた千葉のフサオトメの新米が巾を利かすようになって、店頭でおおえばり。

それで、新米フサオトメに付き合ってみたのだが、けっこううまかった。(意外だな)。それで、大事に食いつないでいた、頂き物の魚沼産新米コシヒカリを炊いて、食べ比べてみた。数段、うまかった。

 

   カペリンへの義理立て

 

学名は「CAPELlN」(カペリン)なんだそうであるが、ノルウエー産でも、そう邪険にすることはなかろうと、ふだん、そこらで買って、焼酎の相手をさせてきたが、季節はめぐり、秋となり、鵡川から「ししゃも大漁」の知らせは我が家にも至った。北海道産「純正」ししゃもを仕入れることができた。 油が乗っていた。

辛口の酒にしようかと思ったが、いつも世話になる、遠来のカペリンの手前もある。やはり焼酎にした。

 

    秋野菜の煮

 

生で食うばかりが、野菜の食い方ではなくて、「煮」も悪くない。秋の入り口に、出てきたばかりの白菜をざくざく切って、卵で閉じれば、白菜本来のほのかな甘味も出て、うまい。

 大根の葉付きを買ってきて、その葉に削り節を与え、ゴマ油で炒めて醤油を少々。これを炊きたてのピカピカの新米のご飯に乗せて頂く。野趣あり。 インゲンも、秋は露地で育てた「しまいインゲン」。最期の名残り。なんとなく別れ難い。茹でて、生姜醤油で囓る。ウイスキーはグレンフィデック。こういう単純な取り合わせにも価値がある。

 

    のすたるじあ・みかわや

 

シンフォニック・タンゴは「カミニート」で、おそらくアルフレド・ハウゼだろう。

壁には白っぽい洋画、裸婦がかけてある。ほんものだろう。「みかわや」の奧も間は、八人のスペース。

落ち着いた雰囲気である。

このうちは、和風の洋食で、揚げ物が得意だから、この季節からいえば、当然、牡蠣フライなのだが、やはり銀座へ出てきたからには、カニ・クリーム・コロッケなのである。

「・・・できる?」

「は、できます」   決めた、それ。 そして、アペリティフにロゼをそう言った。

ここのうちのロゼはなかなかのもので、グラスを鼻先二十センチまで近付けただけで、えも言われぬ芳香が感じられた。

「お口直しにどうぞ」 上等のクリーム・チーズだった。  (気が利いている。これはいい・・・)

いくら上等とは言え、カニ・クリーム・コロッケは、そこはそれ、くどいに決まってっている。だから、こうして、口を爽やかにしてくれるロゼはいい。

 曲が変わった。楽団は同じ。 

コロッケがきた。付け合わせはミニサイズのポテト、同じくタマネギ。それにニンジンとブロッコリー。彩りがいい。カニの味・・・。だれが考えたのだろうか。

 いつの間にか、また、曲が変った。

 みかわやの料理は、伝統を誇る和風・洋食である。だれがなんと言おうとも、この味を変えようとはしないのだ。                                                          

 

      ノスタルジア・みかわや・・・。                       (了)       (03/10/30)  

【銀座みかわや】 中央区銀座4丁目7ノ6 電話 3561 2006 

     連絡先 〒273 0035

            船橋市本中山四町目一ノ二 シティコートフドウ中山六○三

                   

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   延々 初夏の 貧乏グルメ

若鶏のポアレ   花山葵添え   花らっきょう   わかづみ葉唐辛子    豚挽肉辛味噌麺

美酒「桜花」   旅鰹    北魚行(ほくぎょこう)

 若鶏のポアレ花山葵添え

 ブロイラーと聞かされると、なんだかどうも、ずくずくの肉を想像してしまうから、たとえば名古屋コーチンとか、  ○鶏とか、さような名のある鶏の肉とはちがい、格下か格落ちのような気がしていけないのだが、都合で、そういうものしか手に入らないときはしょうがない、担当の女房殿に、調理に念を入れてもらう。

 「料理してもらう」身だから、こっちから、ああだこうだとは言えないが、そこはそれ以心伝心である。

若鶏の腿に、たっぷり塩をなすり込む。キロ○百円もする高級品にする。ナツメグと胡椒で処理し、小一時間ばかり置いておいてから、酒をふりかけ、すりおろした生姜をなすり、フライパンで焼く。花山葵に湯通して、急激に冷やして、パックし、しばらく冷蔵庫に入れておくと、強烈なあの辛みが出るから、これれを、焼いた若鶏肉に添える。安いブロイラーとも思えぬ結構なものである。

 

 わかづみ葉唐辛子 

  葉唐辛子の葉をつまんで、佃煮に仕立てたものである。おなじみ、老舗M屋提供、初夏の味だ。どうかすると、この季節、近所のスーパーが売り出しをするから、買いだめをしておく。

   

     花らっきょう 

  花らっきょうは、花の咲いた状態でどうのこうのこうのということではなくて、らっきょうの甘酢漬のことである。

わたしは物心付いた頃から、M屋の瓶詰めのそれに付き合ってきたせいか、甘酢の調子といい、らっきょうの寸法といい、お気に入りで、満足しつつ、頂くのであるが、最近、ふと気が付いて、ラベルの微小な字を天眼鏡を使って読んでみたら、らっきょうの産地の名が「中国」としてあって、裏切られたような気分になった。

中国へは、一再ならず旅をしたことがあるが、あそこらでは農民も。ニッポン商人顔負けの金儲け主義者で、鋭敏、残留農薬なんぞなんのその、わらわらと育てた農産物を平気で出荷する。だまされるほうが悪いのだ。 その名を聞いたら、ぞっとするような怖い農薬もごってり倉庫にしまってある。

M屋も老舗なら、中国からの輸入らっきょうに頼らず、九十九里の砂地や鳥取の砂丘で無農薬で育てた由緒正しいまともなのを使ったらどうだ。M屋なら、その商品ラインに「国産純正無農薬花らっきょう」があってもよかろう。

 

豚挽肉辛味噌麺 

駅前の激安ラーメンばかりすすっていると、心の底まで、貧乏の悲哀が染みてきて、人間をやっているのかどうかまで、判然としなくってくる。しじゅう、ああいうものを食っていては精神衛生上よろしくない。

たまには、貧乏の垢を削ぎ落とすため、高―い、これ以上はないというようなラーメンを食う。なんとかホテルの中に桃の里とか源とか名乗る凄く高そうない中華料理店が出店しているから、そこへ静々と入っていって、やにわに、「麺、なにがあるの」と訊く。結論はとうに決めてある。「豚挽肉辛味噌麺」。「うん。それ、それだな」。簡単明快。

このラーメン、天晴れ、うまい。天下一。それはそうだ。値段の高さも天下一。お勘定の際、顔色ひとつ動かさないよう、ふだんから鏡に向かって稽古しておく。

 

美酒「桜花」

ソメイヨシノは美しい。お花見といえば、人はみなその桜だが、どこもかしこも、花の下は酔客ばかり、乱酔の会。

わたしは葉桜を楽しむ。世間様が静かになった頃、葉桜と八重桜を見に行く。帰宅して、山形の吟醸酒「桜花」を飲む。山形の「桜花」は美酒である。つまみは新潟の中村堂謹製塩青炒り豆。

 

旅鰹

古人曰く。鎌倉の海にては双(そう)無きもの、鰹。鰹も初鰹となれば、油ぎってもいず、ばざばさでもなし、よい具合であって、流石の味である。その初鰹がこの頃、当地では毎年二月に現われる。調べてみたら、大型の船で、台湾ないしフィリピンあたりまで出かけて行って、ニッポンへ向かいつつある旅の鰹を先取りしてくるらしい。

鎌倉や八丈島沖まできた鰹の味というものは、身体もできて、たくましく、肉が一段と美味であるのは、その時期に達しているからで、旅の恵みに他ならない。季節外れもかまわず、遙々外国の海にまで出張していって、旅の途上の鰹を獲ってきて、ハイ、初鰹でござる、などと言うのは、邪道である。

  

 北魚行(ほくぎょこう)

 北の、うまい魚を食うとなれば、現地へ行くのが一番。貧乏など忘れ、旅の夜風もなんのその。北の海には、独特の、うまい魚がある。一度にたくさん獲れる魚もある。獲れすぎて、肥料にされた魚もあった。

大味な魚もある。高い魚もあるが敬遠する。元来、魚はそこらで泳いでいたのを獲ってきたものだ。高いのは、うろんなストーリーがからまっているためだ。

             *

オランダ人はニシンが大好きで、ニッポンでいう酢〆の状態で食う。うまくて安い。それをドイツ人が羨ましがって、ニシン、ニッポンのそれと同じかどうか、疑問はあるが、それを仕入れてきて、酢に漬けて、東洋から珍客がきたりすると、得意顔で、これを出す。ところが、やたら酢っぱいだけで、困る。酢〆はいいが、酢漬けはいけない。

人形町は八十八の、絶妙な〆具合のサバが思い出されて、センチメンタルになったりする。

北欧のサケは、殆ど養殖ものだが、それでも、薫製には見るべきものがある。度のきつい酒に合う。六本木に、北欧某大使館員ご推薦の、Sなるレストランがあって、むかし、懐の暖かかった頃、同好の士と行ったことがあったが、なるほど、わざわざ、北欧まで飛ばなくても、あちらの味が楽しめた。しかし、高かった。

それで、思い出したのが、タラである。それもスケソウダダラというやつで、戦争が嫌だと思うのは、ギンシャリとマグロが消えて、麦飯やガリガリの芋、まずいカボチャとスソウダダラが出てくるという、迷惑。

 タラとても、マダラなら、新潟や山形の、海べりの村では、珍重される魚で、マコやシラコまで、鍋でおいしく頂けるから、タラ様々だが、わたしは幸か不幸か、そういう食文化の中で育たなかったので、なじみが薄い。

よーし、秋田に飛ぼう。秋田ではハタハタが名物だ。しかし、この魚、いまでは、秋田の海ではたんと獲れない。乱獲が災いしたのである。東京近辺の市場に、ときおり現われるのは、北朝鮮からきたもので、ときには口に小石を嵌め込まれているというが、重量をごまかす北朝鮮一流の作戦で、金将軍様の指図にしたがってのことかどうかまではわからない。ともかく、換金魚なので、一般人は食えず、ニッポンへ運んで金にし、ミサイルを作る足しにしているのだろう。それでも、まあ、味はいいらしいが、わ

たしは渇しても盗泉の水は飲まない主義だ。

 秋田にきたからには,ブリ大根を探して食う。無難。

青森は通過して、函館へ渡る。函館では、イカ刺しを食う。酒は男山でも千歳鶴でもよし、北の誉れでもいい。イカの味は酒に勝っているから、酒はなんでもいい。焙ったイカも悪くない。だが、イカばかりではイカがなものか。

江差へ回る。ニシンやヤンシュウはどこへ行ったやら。カモメはいるが、彼らはなにを食って生きているのかな。ようやく探し当てて、焼きニシン定食にありつくが、そのニシンはロシアからきたものである。 

小樽では、奇妙な顔をした小魚があって、炉端焼きの店ですすめられ、「うまい」とよろこんで満足していた時期もあったが、ある時、しみじみとその顔を見る機会があって、それからは、無縁である。

小樽の寿司屋は威張る。やたらローカルカラーを発散させていて、わたしの趣味には合わないが、お好きな人はどうぞ。涙を流さんばかりに食っていただきたい。小樽ではキザケの上等品にありつき、豪快に惜しげもなく味噌汁で食いたいものだが、旅の者には無理だ。

遠別には、客人をもてなすためストーブが八月を除き、年中出してあっても、魚は、どうも、これといったものがない。ソイのぶつの味噌汁に出合えれば最高だ。

稚内では、イクラ丼がうまいと「通人」は言うが、あのイクラは、じつは、ロシアの海で泳いでいたサケが抱いていたものであって、稚内産ではない。

 釧路へ行く。釧路ではカニだ。カニこそは、海の食の王座に君臨する存在であると思うが、いま、北海道の海では、カニはあま

り獲れなくて、殆どが、ロシアから買ってきたものだ。そのロシアで、最近、身体のちいさなカニばかりが網にかかるようになって、資源枯渇を危惧したロシア当局が水揚げ制限をかけているため、釧路でもカニ不足だという。

わたしは、幣前橋際のちいさな炉端焼き屋に、のっそり入って行き、オヒョウの刺身とキンキの生干の焼きを所望し、熱燗。ささやかな饗宴。

 札幌。繁華街に行って、貧乏もものかわ、なるべく高級そうな寿司屋に入り、サッポロビールとウニを頼む。うまい。カレイ刺しも頼む。これまた、うまい。どこからきたものか。我が推定では北朝鮮である。ホッキを握ってもらって、退去する。

 旅も終わり。ならば、二条市場へと足を運ぶ。北海道産の魚はホッケの開きか。でも、あれは、だめなのに当たったら最後だ。躊躇する。

ニシンの生干を買いたいと思うものの、ロシア産だ。シシャモはノルウエー産。うちの近所の安物スーパーで売っているものと同じ。コマイの干からびたやつはまずい。わたしは憮然として飛行機に乗る。

            *   

つまり、そういう次第で、ここのところ、北の旅はお預けのままである。貧乏も、いささか影響しているようだ。 

 

お便り【東京・大阪】

 【東京】東京のEさんから長文のお頼り。Eさんの兄上は、旭川連隊におられ、任地満州からEさんへお手紙を送ったのだが、その中に「ばたばたニシン、ばたばニシン・・・」とあって、最期を「食いたい」で締めてあったという。ばたばたとはニシン売りの呼び声のようである。満州の野で、ニシンが食べたくてたまらなくなっての手紙。思わずわたしは落涙した。

 

【大阪】心斎橋でフランス風の和食の店をやっている村井浩二さんからお便り。

ワインセラーを完成させたから一度いらっしゃいとの事。在庫は目下五百本。料理に併せて選べる。シャラン産鴨も仕入れてあるという。(五月、六月はとりこみがあるので)できれば七月頃、行きたいものだと思う。ご興味おあり方は、

電話06―6312−3719(掌、TANAGOKORO)へ。

 

 連絡先 〒273 0035

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延々・・・貧乏グルメ

平成15年3月 [ 御酒 ・ 正月膳 ・ ぬた ・ なべやきうどん ・ スダイコン ・ 米 ・米(2)]

御酒

 暮れまでは「酒」でいい。しかし、新年になると、「御酒」と呼びたくなる。新年は目出度く、気分が改まるからだろう。

 さて、そこで、かねて用意しておいた新年用の御酒だが、今年は、いつもの菊正(西部代表)と、常連の日高見(北部代表)に、新たに蓬莱泉(中部代表)が加わった。暮れに実施した予選には、「白」のイメージで、白鹿、白鷹、白雪などの仲間から、白鶴を贔屓して、特別にエントリーさせたものの、あえなく落選となった。白鶴はいい酒だったはずで、さかんにテレビで宣伝していたから、さぞかしのものならんと期待していたところ、なぜか、こうなった。

    大晦日も静かすぎて、新年。

 家人はまだ寝ていたが、そっとしておいて、起きると、若水を汲んで、さてこその、お楽しみ。

 日高見。豊穣。よーし。 菊正。これまたよし。まさに「御酒」なり。 蓬莱泉。うーむ。暮れの予選では、かなりの線にあるとは踏んでいたが、これはいい。殊勲。中部は愛知の産。あのあたりに、特別いい米があるのか。水か。それとも酒造家の心意気か。

 察するに、そのむかし、武田武士が、浜松にわだかまっていた家康を三山にあしらって、このあたりで、次は信長を屠らんと杯を上げたのが、蓬莱泉の先祖筋だったか。

 

正月膳

「あれ、出しますか」と、女房殿が訊いた。「当然」である。 「あれ」とは、我が家の数少ない什器のうち、第一等の上、内側がしっとり落ちついた朱塗り、外側は黒の、三段の重箱で、通常、正月以外には用いない。 盛りつけは女房殿のさいはいによる。

 御蒲鉾(紅白、贅沢厚切り、小田原産、特選)   黒豆(丹波産、築地仕入れ、土井勝流煮)

 小蕪甘酢漬(鷹の爪添え、船橋市内産蕪)   伊達巻(厚切り)  昆布巻(小口) (照り焼き風、濃い口味)

 プチ・トマト青物サラダ   菜の花(塩漬け)

ごまめは、要するに、煮干の類だから、我が家では軽んじ、あえて正月膳には加えない。きんとんは割愛。菜の花は、花の咲く直前の房州産。  これらを、色名で列挙すれば、白、紅、赤、黄、緑、漆黒、褐色の七色。

 ふだんの質素な「貧乏膳」と比較すると、いかにも華やかだが、これでおどろいてはいられない。別の器で、小肌の粟漬とマグロ(特上、中トロ)と、タイの刺身が付き、さらに我が家伝統「五色煮」の盛られた器が並ぶ。ブルーチーズも添えられる。

 テレビでは、新春を寿ぎ能の放映中。 御酒は菊正、日高見、蓬莱泉。  目出たし。

ぬた

 ぬたはうまい。  分解すると、味噌と酢と出し汁、砂糖少々。 どうってこともない原料ばかり。魚はマグロのブツやイカの細切りでいい。適当な魚がなかったら、蒲鉾でもいい。

 コツは上等のネギを使うことだ。春の一番、九十九里は大網白里町の葉タマネギ、長生物でもいいが、入手できれば最高だ。

 ぬたは安価だが、乙なものである。

なべやきうどん

 「男も、一人前になったら、なべやきうどんなんて食うものではない。てんぷらそばならいい」と、死んだ父親が言っていたが、じつは、ほんとうは、わたしは、たまには、なべやきうどんを食いたい。

 父親の言に逆らい、いつぞや六本木まで出て行って、H庵で食ったが、ばかにうまかった。そのうち、また、こっそり行って、食ってこようと思うのだが、あの世の父親に嫌みを言われたら、どうしよう。

すだいこん

 ダイコンを干し、塩で漬けるところまでは、沢庵と同じだが、塩は薄目、浅く漬け、それを甘酢に浸す。簡単そうだが、いざ、実行となると、塩梅が微妙で、容易なことであるわけがない。ときどき、さるところから分けてもらって賞味する。これ、意外なことに、スコッチとよく合うから、あら不思議。

 ヨーロッパのどこやらに行って、向こうさんに歓待され、パンの付く上等の食い物にありついて、喜んでいるのも、せいぜい一週間、第二週に入ると、うんざりする。そういうとき、深夜、韮雑炊の梅干乗せなんぞを夢に見て、はっとすることなんてことも、ある。

 現在、わたしは、貧乏神殿と同居の身だが、ひとつだけ彼に黙認願っていることがある。うまい米を頂くことだ。米がたくさんある今のうちに、選んで、なるべく「うまい米」を食っておこうと思う。

 幼いときに、わたしは、食糧難を経験、町場にいたため米が欠乏、えらい目にあった。  戦争が原因だった。

 ときあたかも平成、「米余り」の世ではあるが文化爛熟、贅沢横溢の元禄の頃でさえ、飢饉があり、米をたらふく食えず、無念をかみしめつつ死んだ人はおおぜいいた。万葉の時代は、国中、欠食児童だらけだった。

 いま、そこらのスーパーに行けば、だれにでも、新潟のコシヒカリが買える。秋田小町もササニシキのある。

 年金の入ってくる月には、うまい米を買って、女房殿に炊いてもらい、そのほかほかのご飯を頂けば「有り難さ」の極み。なにはなくともゴマ塩、梅干はある。それらでも十分、幸せな一夜となる。さらに、メルルーサ、チリの鮭、ぐっと下がるが、九十九里の目刺しでもあれば、ご飯はうまい。極楽。

 しかし、へんな米に当たってしまったら悲劇だ。おじやにでもして、辛いだけの安いキムチを乗せ、ガガッと胃に流し、早寝する。 まずい米は餌でしかない。 戦後、配給で、石混じり屑米が出回ったことがあった。ひどかった。ゴミだった。

 うまい新潟のコシヒカリをインドカレーで食うのは邪道だ。インディカのパサパサが合う。カリフォルニアワインを飲みウエストコースとジャズを聴きオニギリでもあるまい。上等のスコッチで酔い、雑炊をすするのは愚だ。

 先日、新聞を見ていたら、ニッポンの「うまい米」を、わざわざどこやらへ輸出して、喜色満面の農家の話が出ていた。うまい米なら、輸出なんぞ止めて、値段は幾分高くてもいい、こっちへ回してもらいたい。貧乏神殿には仁義を切っておく。(03/03)

米(2)

 パリにはなんども行った。食い飽き、飲み飽き、夜半、チャーハンがほしくなって、探して食ってみたら、流石はパリ、エビピラフの素敵にうまいのにぶつかった。バラリンとしていた。米は長粒種で、おかずはなにも要らなくて、ロゼのワインだけで十分だった。

 ドイツのマンハイムで、高級レストランを見つけて、野鳥の料理を食ったが、出てきた飯が、まったく「味なし」。長粒種だった。聞けば、高級な肉料理に「付け合わせ」として出るもので、茹でて笊に上げたものだという。実にばかな調理法だ。世界一まずいご飯であると思った。以後、ドイツに行ったときは、必ず、ジャガイモにする。

 ローマのレストランで出された米の飯は、まずまずだったが、ここでは、スパゲッティのほうがよほどうまくて、気が利いている。

 マニラの飯はまずかった。現地の友人にそう言ったら、高原地帯のさるところに、バスで案内してくれて、山ひとつあなたのホテルに泊めてくれた。その晩、そこで出されたご飯はうまかった。フィリッピンでも、標高の高い高原地帯には、ニッポンの米と寸分違わぬ短粒種のうまいが、収率のよくない米が栽培されていて、王侯貴族御用の米だという。

 香港のペニンスラホテルの近くに、これも高級ホテルがあって、その何階だかに、超高級インド料理店があったから、思い切って入ってみたら、えらい凝った室内装飾、おそるおそる手をつけてみたら、そのカレーライスのご飯にほのかな香ばしさがあった。めちゃくちゃうまかったのでびっくりした。長粒種、インディカであって、なお、そのうまさよ。 本場のカレーには、このような「香り米」系統のパラッとしたやつがいいのだ。

 バンコックへは、二泊三日で行って帰ってきてしまった。タイ料理は、鶏でも魚でも、やたらに異臭があって、唐辛子の辛さの助けを借りて食う。スープも同じだ。 米は長粒種で、タイは、この手の米の本場だというのに、なんともまずい。こういう飯を連日食わされ、早々に里心が付いた。

 タイの米作は二期作がふつうで、所によっては三期作もある。肥料は、ドブのような汚い川の流れが運んでくるものが主。蛙もトカゲも捕らえ、これ幸いとばかりに食う。米を育てるについて、安全性なんぞは重要視するなんてことのあるわけはなかろうし、期待できないし、しない。味以前の米である。ゴミ一歩手前の米である。

 アメリカへ行ったなら、パンだ。ご飯はめったに食わないが、ときどき、ニッポン式の寿司屋に行って、寿司をつまむことがある。例外なく、結構なシャリで、決してトウキョウあたりのそれに負けない。日系人が向こうに渡って行って、ニッポン風のうまい米を、現地で根付かせた結果であろう。

 幕張で、食の展示会があって、オーストラリア米を、現場で炊いて、訪問者に試食させていた。味を見せてもらったが、うまかった。一時、ニッポンに冷害が訪れ、米が不足を告げたとき、緊急輸入されてきた、あのオーストラリア米とは大ちがいだった。

 ニッポンの商社が彼の地に進出、「開発輸入」。当然、ニッポン風の味の米となる。そうではなくて、ただの流れで、「不足を補う」、「貧乏人救済」だけのためなら、そこらにあるゴミ同然の下等の米を輸出してきて、お茶を濁す。ゴミで恩を売る形だ。ゴミのような米を輸入、「ブレンド米」などと称し、国産米に混ぜて売らせ、平然としていたのは、我が国のお役人様だった。かつて、黄変米(毒素発生)を、それと知りつつ、混ぜて売らせたお役人様もいた。不埒者めらが!

 ニッポン人であって、安全でうまい米が食いたければ、ニッポンで作ったニッポンの米を入手して、ニッポン流に研いで、炊いて、食うしかなさそうだ。(03/02/25)

  じじいのおしゃれ

   更新日 ' 05/11/15   

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