不肖寄居虫、再生産の糧を得んとて、大いなる眼もち、常に荒野を渉猟する。彷徨の廣野に、我が味覚を満足させ、しかも血肉を潤す対象は、そうそう存在しない。なかには、喉元を通過しないもの多々なり。しかしよくよく咀嚼するうちに、美味に変わるものあり。古人曰く、それ「まったりとして」と。寄居虫の「まったり」をここに紹介する。(10)〜(1)

 


寄居虫大眼袋「まったり」(10)

 

宮部みゆき 日暮し

 もう一年ばかり前の話になるだろうか。岡っ引き嫌いだった親父殿の後を継ぎ岡っ引きというものを抱えたことのなかった平四郎だが、ある一件をきっかけに、政五郎と繋がりができた。そのとき、おでことも知り合った。自分が生まれるよりも前の出来事の詳細や人の名前を、書いたものでも読み上げるようにすらすらと諳んじてみせるこの子の特技に、平四郎は心底感嘆したものである。

 

 こざっぱりとした町家の子供の身なりだ。ぱりりとした袖の短い縞の着物に、ちょっぴり高めの帯を締めている。それも何やら人形めいている。母親の趣味だろうが、紅をさしたようなくちびるは、女という女がかくあれかしと望むような形。光をあびてほっぺたの産毛が光る。

「佐賀町のーーーー河合屋の坊ちゃまとおっしゃいましたね」

 いささか陶然として呟くお恵に、男の子はにこやかに言った・

「はい、弓の助と申します。(以下略)」

(寄居虫  日暮しの傑作たる所以は、この二人のキャラクターを生み出したこと。おでこは記憶の天才、弓は推理の天才。これにぼんくらの平四郎が絡むのだからたまりません。すじは荒唐無稽、何がなんだか判りませんが、これに佐吉、お徳、政五郎なんてひと筋縄では行かないものが出てきます。次の題名は「おでこ弓の助捕り物控」で充分。彼らにもう一度会いたい)

 

法月綸太郎 生首に聞いてみろ

 「―――――兄貴の誤解が解けなければよかったということか。十六年前の秘密をそのまま墓場へ持っていってしまえば、エッちゃんが殺されるようなこともなかった。死んだ律子さんに顔向けができない。私たち兄妹は、絶交したままでいればよかったんだ」

 両手に顔を埋めて嗚咽する男に、それ以上かける言葉はなかった。

(寄居虫  この本は2005年版「このミス」一位。文ミス二位です。ミステリーの面白さは、トリックの精細さと奇抜さ、どんでん返しの素晴らしさなどにあると思いますが、ストリーに現実性があるということも大きな要因だと思います。この本の場合、どんでん返しと現実性で不満があります。綸太郎探偵もキャラクターとしては面白いのですが、彫刻の技術論を引用するのではなく、時代を明治にすえて新しく生まれた西洋芸術の導入思想を絡ませた方が面白いのではないかと思いました。しかしまぁ、地の文がほとんどなく、会話ばかりの本だ。)

 

復本 一郎 俳句とエロス

 三日月の櫛や忘れし雪女     佐藤紅緑

この句は、メルヘンチックな作品。それは「三日月の櫛」なる措辞をもちいたことによってもたらされています。「三日月の櫛」は、天空の「三日月」を「櫛」に「見立て」たものとも解せますし、「櫛」を「三日月」に「見立て」たものとも解せます。ここでは、二つのイメージを、二つながら活用していると見てよいでしょう。「三日月」は、本来は、秋の季語ですが、この句においては、冬の「三日月」です。切字「や」が、「三日月の櫛や」と中七文字の途中に置かれていますが、ここで切っても、先程の、「三日月」を詠んだものか、「櫛」を詠んだものかという問題は生じます。その曖昧さを抱え込んだままで読み進めますと「忘れし雪女」とありますのでまたまた眩惑されます。

(寄居虫  櫛のような三日月を雪女が忘れたのか、三日月のような櫛を忘れていったのかどっちでしょう。櫛を忘れたということになると雪女に血管が通う生々しさがあります。この本は日野草城の女を中心とする俳句の新たな対象のひろがりの句を中心に論じています。しかし何と申しましょうか、エロチシズムの感じ方はさまざまで「これだ」といわれるものではないような気がします。しかし求められるのは品です。

 鶏頭の十四五本はありぬべし  という子規の句も考え方によってはエロチックだといったら、お前の方がおかしいと言われるだろうなぁ      

    雪虫をはらふ昨夜の手をもちて          

 どうだ色っぽいだろう)

                                                    (050209)

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寄居虫大眼袋「まったり」(9)

 

坪内祐三 文芸春秋12月号 人声天語「ニートな若者たちに告ぐ」

 

 最近はやりのニートという言葉を、最初私は、カン違いしていた。いや、カン違いというよりも、正確に述べれば、それを、正しい意味に誤解していたのだ。(中略) 

 そう、私は、ニートのことをNEATと誤解していたのである。(中略) 

 私が何でこんな重箱の隅を突つくような皮肉をするのかと言えば、それは、ニートという言葉の流通にうさんくさいものを感じているからだ。

 

(寄居虫 この言葉を強引に作り上げ、その作り上げた概念によって、解析するのは間違いなのではないか。

          事象には千差万別な要素があるはずだ。またまた父母殺しがあった。) 

 

城山 三郎 部長の大晩年

 

夕食後、今度は耕衣が新作数句を披露し、批評を求めた。だが、波郷は薄く笑うばかりで、何も言わない。

(中略)そこで耕衣がさらに、「わたしの句はわかってもらえることが少なくて・・・・・・・」 

感想を促がすというより、嘆きをこめて言うと,とたんに波郷はきっぱりと、 

「只一人の理解者さえあれば、それでいいではないか」 

その「理解者」の中に自分も居るのだ、と言わんばかりのひびきがあった。

 

(寄居虫 俳人永田耕衣は、三菱製紙高砂工場の製造部長を定年退職、その後俳句の世界に入ります。棟方志功をはじめ交友の広さが展開されます。城山三郎独得の展開にあぶなげな面はありますが、素材の面白さを充分堪能できます。耕衣の代表句 コーヒー店永遠に在り秋の雨  耕衣風に寄居虫作 数え日の頬杖をして真極楽)

 

宮城谷 昌光 三国志

 

「四知」とは、四者が知る、ということである。 

では、四者とは何であるのか。またその四者が何を知るというのか。 

その四知という訓言を遺した人物の生死が、きたるべき時代のよう変と祉福(ちふく)とを予感させているようにおもわれるが、どうであろう。ここでいう人物とは、 

「揚震」である。

 

(寄居虫 宮城谷三国志の書き出しです。一般の三国志は演義をもとにしていますが、宮城谷は三国志そのもので書き進めるようで、一巻は、後漢の歴史を書いています。桃園は何巻目に出てくるのでしょうか。楽しみです) 

 

(俳句関係)

 

七田谷まりうす 高橋 潤・・役者の人生と俳句(俳句朝日12月号)

 

(前略)同句集より、まずは役者としての生活諷詠句を挙げると

 

  髭つけてみても端役やちちろなく

 

  役者にはいらぬペンだこ秋の風

 

  腑におちぬ役の性根やかたつむり(中略)

 

筆者好みの作品としては

 

  芦青く汐のあぐるにまかせけり

 

  さざめきてこそ春水というべけれ

 

  くらがりに船もやひある蛍かな

 

人生諷詠の作では、

 

  わが眼鏡妻のかけいるちちろかな

 

  破蓮やわかれてともにふしあわせ(中略)

 

以後の作品から

 

  またもとのくらしの落葉掃きにけり

 

  外套のやや裾長に老いしかな

 

  徒食無為古籐椅子は鳴りやすく

 

(寄居虫 こんな人がいたんだ。安藤鶴夫が羨んだというだけあり本当に上手い句をつくります) 

 

 

主宰の一句 俳句朝日12月号 

 

「笹」伊藤敬子      山国の闇のかたさよ初の秋       

 

「鴫」伊藤白潮      山したたる男の黙の深む刻

 

「対岸」今瀬剛一     蛍追ふ人間に水脈めけるもの

 

「馬の塔」江口久子    蝉時雨覆ひ被さり来る重さ

 

「河」角川春樹      晩年に執してをとこ夕端居

 

「にれ」木村敏男     口笛は少年のもの風光る

 

「松籟」高橋克郎     桜貝さがすとて汝は少女の目

 

「俳句春秋」樋口伊佐美  鱧の宿風に簾を揚げにけり

 

「太陽」務中昌己     石一つ置きて神とし青田道

 

                                                         (041207)

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寄居虫大眼袋「まったり」(8)
 


五木寛之著 百寺巡礼(六)関西

 梅原猛氏は「円的人間」と「楕円的人間」という二つの人間のタイプを挙げている。

 宗教家なら宗教家として、政治家なら政治家として純粋であるという人間はわかりやすい。それに対して、楕円的人間は中心が二つあり、あるときは一方に、あるときはもう一方に偏して動揺をつづける。そのため、円的人間に比べて行動がわかりにくい点があるが、行動範囲が大きくて、円的人間にはとうてい不可能な巨大な事業をなすことができる、という。

 ぞの円的人間が最澄だとすれば、空海は二つの中心を持つ楕円的な人間だ、と梅原氏は指摘していた。

 以前、別の本でも書いたが、この世のことはすべて「物理」か「物語」のどちらかだと私は思う。「物理」は証明されなければならない。そして、「物語」は共感されなければならない。

 (中略)

 しかし、人間は「物理」だけでは生きていけない。この世に生きていくためには、片方に「物語」という証明不可能な世界が、どうしても必要なのである。

(寄居虫 百寺巡礼は日本人が忘れそうになっていることを五木大僧正が懇篤に思い出させてくれます。この六巻は充実しています。)


福田 みどり著 司馬さんは夢の中

 実は、もともと劣等性の私は、勉強というものは、仕方なくするもので、世の中に勉強が好きな人などいる筈がないとずっと思い込んでいたのよね。それが、つい最近、この齢になって、もしすることが可能なら、勉強したいと思っている人が案外に多いことを知って仰天した。それも私の周囲だけでも何人もいたのだもの。お恥ずか しいかぎりです.


 司馬さんがいたころ、私は一人でワイン・タイムを過ごしていた。家の者が寝静まってから寝室で一人で飲んだ。もちろん司馬さんも眠っている。この時間のために一日があるといってもいいほどに、私が唯一解き放たれる楽しい時間だった。

 「まだ起きているのか。ワインの匂いが部屋に充満しているぞ。窓をあけようか」

 目を覚ました司馬さんが、いつも厭味を言っていたけれど、むりもないですよね。

(寄居虫 行間に時々司馬さんの顔が覗きます。しかし司馬さんの思い出はそう出てはきません。やはり夢の中なのでしょうか)


(俳句関係)

俳句朝日11月号 紅葉500句

篠田悌二郎        
漆紅葉水なにかはと燃えうつる

飯島 晴子        
恋ともちがふ紅葉の岸をともにして

野澤 節子        
墓所一つなき島山の冬紅葉

稲荷 島人        
一つ家に飛火している山紅葉

小原 啄葉        
箸紙に最上舟歌渓紅葉

星野 石雀        
連れすでに鬼女と化しつつ紅葉宿

高橋謙次郎        
紅葉山夜はとほき世の風の音

森田 公司        
むかい恋結びせし木の紅葉かな

谷中 隆子        
をのこにも少しの妬心草紅葉

鈴木 鷹夫        
瞬くはをみなの若さ初紅葉


門11月号

内藤 良一        
をちこちの手足集めて昼寝覚

石川 孔洋        
波除に梅干す浦の媼かな

大室八重子        
生き死に慣れゆく齢月涼し

石盛 青柿        
倭国には魏志の書かざる鰻棲む

加部  章        
人がまた死んでゆくなり蝉時雨

堀内 一也        十七歳いろいろありし盛夏なり

岩下 恒朗        
水打って疑心暗鬼を追出せり



寄居虫

蜩や漱石旧家二間なり

道祖神笑い信濃の大夕立

夏草や土佐脱藩の道ありて

ほほづきの馴染の店や三社前

                                                                 (041105)
   

 

    1105雲場池にて 少し遅かった。
                    俳句で鬼女が出てくると詠むのが判りました



                    寄居虫大眼袋「まったり」(7)


宮部みゆき著  誰か

・・・「男の人ってみんなロマンティストですよね」「そうかな」「手に入れたものはみんな宝物だけど、手に入れられなかったものは、もっともっと宝物なんですよ」
私は手に入れた宝物のことを考えた。手に入れられなかったもので、これ以上欲しいものなどないような気がした。

(寄居虫 会長と二姉妹の関係、会長がなぜあれだけ二人に肩入れするのかが疑問。相変わらず事前にさり気なくいろいろな事象をちりばめ、それを一挙にまとめあげていくストーリーテラーとしての腕はさすが。)


坪内祐三(文芸春秋十月号人声天語 アテネオリンピック雑感)

 今回のオリンピックのメダリストたちは、皆、その種の(寄居虫注 日本国の代表という)プレッシャーと無縁だった。もちろんプレッシャーはあっただろう。しかしそれはオリンピックの参加者なら誰でもがもつプレッシャーであり、かってのような、日本という「国」を背負わされたプレッシャーではなかった。(くどいようだがだからこその金メダルラッシュなのだ)

(寄居虫 坪内氏は「かれの(井上康正の)その敗れ方に強く何かを感じ取った日本人は私以外にもきっと何人かいたことだろう」とこの文章を結んでいる。まったくその通りだと寄居虫も思う。康正は国を背負って、押さえ込まれちゃたんだ)

馬場啓一著 白州正子の生き方

 「このごろは、どこの展覧会へいっても、解説の前に人だかりがしています。物を見るより先に、知識を得ることのほうに興味があるのでしょうか。なにごとであれ、知識を持つのはいいことです。が、知識だけが先にたつと、頭でっかちの物識りに終わります。わからなくても、いっこうにさしつかえはない。まず、ものを見ること、ものと直接ふれあうことです」

 ここにあるのは白州正子の芸術論のかなり重要な部分である。(後略)

(寄居虫 ある人から彼女の「お能の見かた」という本をいただき蔵書になっています。しかし続きませんでした。この解説書により少し彼女を読んでみようという気になりました。西行も世阿弥も両性具有の美から解き明かしてゆく奇想天外さがありました。)

(俳句関係)

高柳 克弘(文芸春秋十月号)凍てし樹と全裸となりしマネキンと

秘密なし寒林にわが十代に

室生幸太郎(俳句朝日十月号 日野草城 草城80句)

「花氷」は草城らしさの最も発揮された句集として、派手な面だけに眼を奪われがちであるが、

 
塵取をこぼるる塵や秋の暮れ  

  野分していよいよ遠き入日かな

  荒海や沈みかねたる月一つ   

  冬ざれや青竹映る手水鉢

  水かへて水仙影を正しけり


などの落ち着いた地味な句も多い。

昭和九年四月、「俳句研究」に発表した草城の「ミヤコ・ホテル」の連作十句は、作者の予想をはるかに超えて大きな波紋をなげかけた。

  
 けふよりの妻と来て泊つる宵の春

   夜半の春なほ処女なる妻と居りぬ

   枕辺の春の灯は妻が消しぬ  

     をみなとはかゝるものかも春の闇

     失ひしものを憶へり花曇 
    略

(寄居虫 昭和十一年十月号のホトトギスで草城は虚子より波門されます。しかし今でも草城ファンは沢山います)
                                                                                                                                (041003)


                                      

                      何時から家にあるのかわからないくらい古い木彫です。森 雲峰作となっています。左手の甲に蜘蛛を這わせています。
                                                     お心あたりの方はご面倒でも一報ください。


 

 

 

 

寄居虫大眼袋「まったり」(6)
 


熊谷達也  邂逅の森

 イクの顔から迷いの表情が消え、すっと目が細められた。と思いきや、彼女の手が一閃して部屋の中に鋭い音が響いた。

イクが文江の頬を容赦なく張った音だった。一瞬ののち、再びぴしゃりと音がした。今度は、文江がイクの頬を張り返したのである。さらにもう一度ずつ、互いの頬を張り合う音が続いた。

 うっすらと空が明るくなっていた。いつの間にかクマは姿を消していた。 かわりに、朝霧がたなびく谷あいでは、妻のいる小さな村が、いつもと変わらぬ佇まいで春の訪れを待っていた。

(寄居虫  200pまでは途中で放り投げよう、放り投げようとおもっていた。それから面白くなったが、最後がなあ。

            なぜあそこまで自らを試さなければならないの)


サントリークォータリー76号 
連載インタビュー 食は人なり 酒は人なり
第四回 自分だけの「あの味」を追い求めて
 吉本 隆明 

 いわゆる漱石山脈に連なる人たち、その最後に中上健次をいれてもいいと思うけど、この系統は、繊細でにおいに敏感な人たちです。(中略)こういうにおいに敏感な人は呼吸器系が悪いに決まってるんだけど。(中略)堀辰雄の「美しい村」を読むと「この村のにおいは」とか言っている。でもそれは本当のにおいじゃない。幻臭、幻味でね、(中略)柳田国男が「この村のにおいは」と言っているのとは違う。

 いまの日本の食生活は、だいたい後進的なところの味も先進的なところの味もわかってしまった。さてこれからどういう味に持っていこうかっていうことが、きっといまの若い人たちの課題なんでしょう。フランス料理が考えた得体の知れない味は極致で、文明・文化っていうのは、そういうふうに発展していくんだろうなってことは肯定しますね。

(寄居虫  この雑誌は、サントリーのPR誌ですが、内容に本当にお金をかけています。何とか手に入れてご覧になってく

           ださい。PRすると叱られるかなぁ)

大岡 信編 ことばの流星群 立原 道造 のちのおもひに

夢はかへつて行った 山の麓のさびしい村に 水引草に風が立ち

草ひばりのうたひやまない しづまりかえった午さがりの林道を
(中略)
夢は 真冬の追憶のうちに凍るであろうそして それは戸をあけて 

寂寥のなかに 星くづにてらされた道を過ぎ去るであろう  (『萱草に寄す』より)

(寄居虫 先日軽井沢追分宿に行ってきました。彼の夏の旅 むらはづれの歌のプレートがあす。気をつけて見つけないと通

     り過ぎてしまいます。  咲いてゐるのは みやこぐさ と 指に摘んで・・・・)

(俳句関係)

伊丹三樹彦(俳句朝日9月号)      菊凪に乾ききったる六地蔵
 

行方克己(同)          青鬼灯したたる雨となりにけり
 

日下野由季(同)           竜胆咲くむらさきの意思つらぬきて


 

俳句朝日9月号「つまを恋ふ」447人の愛より

浅見松生              ありし日の編棒差しある毛糸玉

小林輝司               捨てがたき九文七分の亡妻の足袋

藤田茂雄              妻の忌の今宵来て啼け青葉木菟

石田美津子             春愁や亡夫の書棚のうす埃

(寄居虫  俳句朝日9月号で「つまを恋ふ」という題で亡夫妻をしのぶ句を募集していました。

      447人の人が応募していました。拝見した感想は、残された妻は強く、夫は女々しいといったらお叱りを受ける

      でしょうか)              
                                                                                              (04/09/11)

                 

                    追分に良い禅寺があります。その門前の地蔵尊、風に白く揺られる秋桜
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寄居虫大眼袋「まったり」(5)

 

福井晴敏  川の深さは

 帰りの車中、目隠しの闇の中に、またあの川が流れていた。黒く、激しく、すべてを呑み込んで走り続ける混沌。それまではひとりで見下ろしていた周囲に、いまは保がおり、葵がいる。金谷と美希それに涼子がいる。その充足を抱いたいまなら、残された時間も姿勢よく生きていけると思った。流れの行き着く先にある、永遠の安寧を信じて・・・・・・・。

奥田秀朗  空中ブランコ

 地上十三メートルのジャンプ台に爪先立ちし、山下公平は軽く目を閉じ、深呼吸した。手には撞木、実際は鉄棒だが、習わしでそう呼んでいる。鐘を撞く木のことだ。

浅田次郎  絶対幸福主義

「老人はカラダが弱いから席を譲る」というのがいまの教育ですが、儒教的な倫理観から言うと「お年よりは私たちの生活を築いてくれた先輩だから、それに感謝して席を譲る」のです。お年寄りは、思いやるではなく敬う対象なのです。

文芸春秋九月号 石原慎太郎 特攻と日本人 

 彼らは見たこともない天皇や抽象的な国家などのために殉じたわけでは決してない。彼らがこよなく愛したものーー肉親、恋人、そしてそれらを連ねた同胞というつながり、そしてなつかしい山河のためにこそ自らを犠牲にしていった。

同  岸宣仁 最後の財閥三菱 決断の代償

・・・なぜなら、その純粋種(三菱)の企業集団は今、確実に地盤沈下が進んでいるからである。今回の統合は、「組織の三菱」にしのび寄る活力の低下に歯止めをかけるためのギリギリの選択でもあった。

同  佐野眞一  誰が「小泉純一郎」を殺したか

 元経済企画庁長官の田中秀征は、・・・・・「・・・小泉さんの弱いところは、彼の掲げる政策を遂行して行く手足をもっていないことです。その手足や頭脳すべてを霞が関の官僚に依存してしまっている」

―― 俳句 ――

門九月号 石山ヨシエ 水澄みて

・・・夜の句会へ・・・・作品の発表の場を模索されていた作者(白石めだか氏)を、メンバーの一人である山本小品氏がお連れになったのである。「白石と申します。よろしくお願いいたします」と短冊用紙に書かれた一句を前に差し出してご挨拶
された。その短冊には
<水澄みてわが俳号をめだかとす> とあった。

門九月号 

白石めだか   薔薇大輪今日だんまりの九官鳥

        空蝉や忘れ去らるること悔し

内海まさとも  甚六の呪縛いまだにかたつむり

須磨ひろし   沽券とはそんな大事か心太

大田勝規    たれかれと人の恋しき蛍の夜

秋吉洋典    別れの二人紫陽花の車窓かな

                                                                     (04.08.18)
 


 

 

 

寄居虫大眼袋「まったり」(4)

 


友納尚子 雅子妃と愛子さま その沈黙の全真相(文芸春秋8月号)

・・・林田東宮大夫が皇太子のお言葉として「(ご発言は)現在の長官時代のことではない」と発表した。しかしこれは間違いだった。皇太子が会見後に語ったお言葉は正確には、「現在の長官から始まったことではない」というものだった。

 そのご様子を見た関係者はこう語った。「愛子様は音楽が大好きで、ご自分で作ったお歌に合わせてかわいらしい振り付けを披露されます。周りの状況をよくみていらっるようで賢さと慎重さを感じます。・・・・・近いうちにあのかわいらしいしぐさとお声が広く伝わる日が来るでしょう」

奥野修司  奥田硯 最強経営者への道(文芸春秋8月号)

 「今、林(朝日ソーラー社長)は困っているはずだから、合弁を解消してもトヨタが持っている朝日ソーラーの株を売るようなことはしない。・・・・・・・資本は持つ。社長に伝えてほしい。もう一回社会規範を守って立ち直って来い。その時、トヨタはもういっぺん組む、と」 後藤(当時野村企業情報社長 朝日ソーラーとトヨタを仲介)は涙ながらに奥田の言葉を電話で林に伝えると、受話器の向こうからは林の嗚咽だけが聞こえてきた・・・・・・・・

池内 紀   ニッポン発見記

・・・「みんないい人。えらい人ヨ」おばさんの頬っぺがなおのこと赤くなった。
「そんなにえらい人ですか」理由をあげるにあたり、おばさんは日ごろ、もっとも自分が判断の基準にしているところを優先したようだった。「だって、ほら、ゼッタイに選挙にでたりなさらんものネ」

 松ヶ岡の帰り、バスは山裾の小さな温泉町を抜けていく。バス停の名前で思い出した。たしか作家藤沢修平は山形師範を出たあと、二年ばかり、この町の中学校の教師をしていた。松ヶ岡開墾の経緯は、そのまま藤沢修平の小説の背景にもなっている。

ダン・ブラウン   ダ・ヴィンチ・コード

 教会による糾弾は、女性を「左側」と結びつける考えにまで及んだ。フランスとイタリアでは、左を表すことばがひどく否定的な意味合いを帯びはじめたのに対し、右は正義、機敏さ、正当性といった響きを持つに至った。

 教皇(クレメンス五世)は命令を記した極秘の教書を発行し、ヨーロッパ全土の軍勢に対して、1307年10月13日の金曜日にいっせいに開封するよう働きかけた。・・・
・・・・その日のうちに無数の騎士(テンプル騎士団)が捕らえられて残忍な拷問を受け、やがて異端者として火あぶりの刑に処せられた。この惨事は現代の文化にも余韻を残しており、13日の金曜日はいまなお不吉だと考えられている。

野沢 尚  破線のマリス

 「マリスの除去って言葉、知っています?」・・・・・・・・・・・・・・・

「アメリカの四年生大学でやられているジャーナリズム専攻教育で繰り返し教えられるのが、マリス、即ち悪意の除去ってやつなんです。つまりですね、記者が意図的に悪意の中傷をしていないか、あるいは無意識のうちに映像モンタージュに悪意を潜ませていないかどうか確認する能力を養って、どんなふうに・・・・・・・・・・・・
・・マリスを取り除いたらいいか、方法論からみっちり修練をかさねるんだそうです」

(俳句)

谷元左登(文芸春秋8月号)

        まいまいの闇をたどりて文月の塔

        青かりん落つる音して旅終わる

渡辺録之輔(門8月号)

        八十路には蟻の会話の聞こえけり

俳句朝日八月号 主宰の一句

岩松草泊「海道」

        鴨引きて山湖は雲を映すのみ

小宅容義「雷魚」

        冬霧が川幅となる景色かな

鈴木六林男「花曜」

        すかんぽのあたり戦前きておれり

田中裕明「ゆう」

        みづうみの雪をたづねよ痩詩人
 




 朝の雲場池 

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寄居虫大眼袋「まったり」(3)

 



坪内祐三著  新書百冊

『本はどう読むか』の中で、清水幾太郎は、本は早く買わなければならないと言う。

 縁がありそうな本、気にかかる本が出版されたら、何は措いても、買っておいた方がよろしい。・・・・・・直ぐ読むというつもりはないが、そのうち読みたくなりそうな本、そういう本があるものである。そんな本が出版されたら、文句を言わずに買っておくことだ。買っておくと、不思議なもので、やがて読むようになるものである。


宮部みゆき著  ぼんくら

井筒平四郎は信心をしない男である。信心が嫌いだとか、信心深くないとかいうのではなく、はっきりとすっぱりと信心をしない男なのである。なぜ信心せんのだと問われたら、この男ははっきりとすっぱりと答える。面倒くさいわりに効き目がねえからだ、と。それはもう自信を持ってそう答える。

・・・・平四郎は怒っていた。・・・・・そういう時、人間は多弁になりがちだ。ここだけの話という前振りがでるのは、たいてい人が興奮しているときである。

 「それでいくと、なんだ、誰にでも優しい人間ってのは、油断ならねえ恐ろしい人間だってことになるなあ。そう思わねぇかい?」

草野双人  雑草にも名前がある

・・・芥川龍之介や種田山頭火が強い憧れを持って敬愛した幕末から明治を駆け抜けた漂白の俳人井上井月の生涯はいまも多くの謎に包まれている。・・・・・・現在、伊那の小沢川に架かる伊那橋の上には、親柱に刻まれた井月と山頭火の句碑が仲良く相対している。それは、この地方の人々が、時を超えてカイゴウした二人の自由人をいまも愛している証左である。井月の句は「柳から出て行舟の早さかな」、その墓に詣でるほど熱烈に井月に惹かれ続けた山頭火の句は「あの水この水の天竜となる水音」

五木寛之  百寺巡礼 第五巻

 宗教とは自利利他の世界である。衆生の日々の暮らしや社会生活とかけ離れて、真の自己完成はありえないのではないか。山中の寺であっても、托鉢や回遊行など人びととの交流を大切にしているのは、そのためだろう。関東の手々の歴史の古さにもあらためて驚かされるこころがあった。・・・・・奈良や京都の古寺よりもはるかに古い歴史を持つ寺々が少なくないのである。

船に乗り込むと、別世界がひらけた。

 私はいつも小説を書きながら、自分の視点の置き所として、俯瞰するようなことはしたくないと思ってきた。とにかく、下からものごとを見ていこうとしてきた。俯瞰ではなく、蟲観とでもいおうか、蟲の目でものを見るのだ。こうして船に乗って川の上を移動していると、両岸のほうが高く見える。低い目線。これぞ蟲観だと、なぜかわが意を得たような気分で、うれしくなってきた。

(俳句関係)

藤田湘子  入門俳句の表現

・・・・・・・詩語としてはうまくゆかぬ言葉とか蕪雑な言葉というものは、ある。
たとえばひところ過疎地というのが一般にも使われ、俳句でも実にたくさん詠われたのだが、この言葉を用いた俳句でついに傑作は生まれなかった。・・・・・・・・・
同窓会、クラス会もその一例。ほかにジョギング、万歩計、散歩道、バス停、自販機、飛行機雲、癖、訛、救急車などなど、「どうもいけない」と思うのはたくさんある。

 


病院の帰りに、ほおずき市に行ってきました。
ほおずきも暑さで茹だっていました。
仲見世のシュウマイのSで食事をしましたが、昔の味ではありませんでした。

 

 


 

 

 

寄居虫大眼袋「まったり」(2)

 

友納尚子文芸春秋7月号雅子妃その悲劇の全真相)
・・宮内庁の関係者は妃殿下ご本人だけでなく、ご家族やお父さまがつとめておられた外務省にも・・・・・・
『産んでくれれば日本経済のGDPも3パーセント上がるんだから』などと露骨な言い方で迫りました
 
坪内祐三文芸春秋7月号人声天語)
 新聞をはじめとするメディアは、自らにその批判のホコ先が向ってこない(つまりそのような発言を行ったとしても
責任を取る必要がない)ものごとに対しての批判は徹底的である。特に最近、その度合いが激しくなってきた感じが
する。
 
樋口裕一 ホンモノの文章力  
・・作文というのは、自分の感受性をアッピールし、文体に工夫を凝らし、読む人の心を惹きつける文章だということ
だ。・・・・それに対して、小論文やレポートというのは、読んで字のごとく、なにかを論じる小文のことだ。感受性
を自己演出するのではない。・・・
小論文というのは、作文と違って、ある問題に対してイエスかノーかを答えるものなのだ。・・・・
 
池内 紀 ひとり旅は楽し
 ひとりだけの島では、名前は無用の長物だ。そこでは人の言葉ではなく風の言葉がいる。星の言葉が交わされる。無人
島では浜に魚が上がってくるだろうから、となると魚語が必要だ。
 
 詩人の吉田一穂に「魚歌」という風変わりな詩がある。漢字が十八字ならんでいるだけ。
 
鳥跡汀 拾流木 焼魚介 勺濁酒 濤声騒 波蝕洞
 
(俳句関係)
 
原田青児(俳句朝日7月号)
 それはそれとして、短詩型なるが故に、時としてきのう今日の新人でも、大家に伍する作品ができるのだ。
<下手な鉄砲数撃ちゃ中る>で、わたくしを含め、下手な俳句をじゃんじゃん作ろうではないか。
 
鈴木鷹夫 片言自在
 ところで「軽み」には対蹠的に「重くれ」がある。この重くれについて、井本農一氏はかって『俳句』誌上に「かる
みの考察」を書きその中で「重くれ」の要点を次のように挙げている。1ひつ故意・2粘りがある・3持って廻ったよ
うなところがある
・4深く考え過ぎている・・・・・・・・・・現代俳句の秀句は総て軽みではないだろうか。という事は、俳句固有の
形式そのものが「軽み」なのだと断言できる。
 
鈴木鷹夫(鈴木鷹夫句集千年) 
          白玉やあれが波郷の葛西橋         打水を踏みし足跡出てゆけり
 
中岡毅雄(文芸春秋7月号)
         海よりも空鳴りゐたる寄居虫かな
 
上部隆男(俳句雑誌門7月号) 
         ふらここの影のひとつは揺れてをり
 

 




毎朝、荒川土手を散歩しています。寄居虫と同年輩のひとが沢山います。
皆さん、一生懸命だが、あまり幸せそうではないな。

 

 

寄居虫大眼袋「まったり」(1)

 

 養老孟司著  死の壁

 「俺がみんなのために必死になっている時に、お前らなんだ」という押し付けがましさです。(日本独特の共同体には、こういう正義?の押し付けがましさがあった。)

「年寄りが社会の体制をガッチリと抑えてしまって、そこに若い人が増えても仕事がない。そういう時に一番簡単な方法しては、戦争を起こして一定の人数を殺してしまうことなのです。」(あれだけ戦争が起こっても、ヨーロッパが安定していたのは、人口を減らした効果があったからだ)

 

文芸春秋6月号  青沼陽一郎 イラクの中心で愛をさけぶ人達

       ・・・大阪のボランティア協会はこう指摘する。「(ボランティアは)満足だけではいけないんです。社会に身をおいてこその活動で、市民の間から見えてくる、その評価をどう受け止めるかが大切なんです」(自己満足や一発屋が認められないのは勿論のこと)

        

文芸春秋7月号  異例の皇太子発言 私はこう考える

 「帝王に私無し」の原則 東大名誉教授 小堀桂一郎

皇太子殿下のご不満は所詮私情の吐露としか聞こえない。(中略)「帝王に私無し」の御覚悟を以って対処して頂きたかった(後略)

 

玄侑宗久著  禅的生活

 たとえば戦争をすべきかどうか、というような選択的判断には禅は向いていないということだ。禅は戦争になって爆弾に逃げまどう環境になっても、あるいは病気で入院いてしても、その現状のままになんとか活路を見いだしてしまう「知足」の思考なのだ。「知足」は我が身の現状を完全に肯定するという大事業のことなのである。

 

(俳句関係)

 

藤田湘子著  句帖の余白

 ・・ある種の俳人たちは、相も変わらず神社仏閣の俳句に血道をあげているのである。・・・おビンズル様の頭に毛虫が這っているのがわび・さびでは、芭蕉さんだって慨歎するだろう。

 

 近頃の投句にはなぜか、ただの「夕焼」の作例が少なくなって、七、八割方は「大夕焼」になってしまった。同様に「西日」も「大西日」と言う。・・・

 ほかにも大夕立、大夏野、さらに大向日葵、大西瓜なんだいこれは・・・。

 

堀口星眠(文芸春秋6月号)

                            営巣の鴉は浅間見て鳴けり

                            たんぽぽも遠荒船も透く日和

 

有働亨(俳句朝日7月号)

                                   月蝕や音をひそめて泉わく

 

鈴木鷹夫(俳句雑誌門7月号)

                                    生涯のひと日の日暮れ蠅叩

 


 

 

最上川

 


 

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 2005/09/19