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寄居虫大眼袋「まったり」(10)
宮部みゆき 日暮し もう一年ばかり前の話になるだろうか。岡っ引き嫌いだった親父殿の後を継ぎ岡っ引きというものを抱えたことのなかった平四郎だが、ある一件をきっかけに、政五郎と繋がりができた。そのとき、おでことも知り合った。自分が生まれるよりも前の出来事の詳細や人の名前を、書いたものでも読み上げるようにすらすらと諳んじてみせるこの子の特技に、平四郎は心底感嘆したものである。
こざっぱりとした町家の子供の身なりだ。ぱりりとした袖の短い縞の着物に、ちょっぴり高めの帯を締めている。それも何やら人形めいている。母親の趣味だろうが、紅をさしたようなくちびるは、女という女がかくあれかしと望むような形。光をあびてほっぺたの産毛が光る。 「佐賀町のーーーー河合屋の坊ちゃまとおっしゃいましたね」 いささか陶然として呟くお恵に、男の子はにこやかに言った・ 「はい、弓の助と申します。(以下略)」 (寄居虫 日暮しの傑作たる所以は、この二人のキャラクターを生み出したこと。おでこは記憶の天才、弓は推理の天才。これにぼんくらの平四郎が絡むのだからたまりません。すじは荒唐無稽、何がなんだか判りませんが、これに佐吉、お徳、政五郎なんてひと筋縄では行かないものが出てきます。次の題名は「おでこ弓の助捕り物控」で充分。彼らにもう一度会いたい)
法月綸太郎 生首に聞いてみろ 「―――――兄貴の誤解が解けなければよかったということか。十六年前の秘密をそのまま墓場へ持っていってしまえば、エッちゃんが殺されるようなこともなかった。死んだ律子さんに顔向けができない。私たち兄妹は、絶交したままでいればよかったんだ」 両手に顔を埋めて嗚咽する男に、それ以上かける言葉はなかった。 (寄居虫 この本は2005年版「このミス」一位。文ミス二位です。ミステリーの面白さは、トリックの精細さと奇抜さ、どんでん返しの素晴らしさなどにあると思いますが、ストリーに現実性があるということも大きな要因だと思います。この本の場合、どんでん返しと現実性で不満があります。綸太郎探偵もキャラクターとしては面白いのですが、彫刻の技術論を引用するのではなく、時代を明治にすえて新しく生まれた西洋芸術の導入思想を絡ませた方が面白いのではないかと思いました。しかしまぁ、地の文がほとんどなく、会話ばかりの本だ。)
復本 一郎 俳句とエロス 三日月の櫛や忘れし雪女 佐藤紅緑 この句は、メルヘンチックな作品。それは「三日月の櫛」なる措辞をもちいたことによってもたらされています。「三日月の櫛」は、天空の「三日月」を「櫛」に「見立て」たものとも解せますし、「櫛」を「三日月」に「見立て」たものとも解せます。ここでは、二つのイメージを、二つながら活用していると見てよいでしょう。「三日月」は、本来は、秋の季語ですが、この句においては、冬の「三日月」です。切字「や」が、「三日月の櫛や」と中七文字の途中に置かれていますが、ここで切っても、先程の、「三日月」を詠んだものか、「櫛」を詠んだものかという問題は生じます。その曖昧さを抱え込んだままで読み進めますと「忘れし雪女」とありますのでまたまた眩惑されます。 (寄居虫 櫛のような三日月を雪女が忘れたのか、三日月のような櫛を忘れていったのかどっちでしょう。櫛を忘れたということになると雪女に血管が通う生々しさがあります。この本は日野草城の女を中心とする俳句の新たな対象のひろがりの句を中心に論じています。しかし何と申しましょうか、エロチシズムの感じ方はさまざまで「これだ」といわれるものではないような気がします。しかし求められるのは品です。 鶏頭の十四五本はありぬべし という子規の句も考え方によってはエロチックだといったら、お前の方がおかしいと言われるだろうなぁ 雪虫をはらふ昨夜の手をもちて どうだ色っぽいだろう) (050209)
寄居虫大眼袋「まったり」(9)
坪内祐三 文芸春秋12月号 人声天語「ニートな若者たちに告ぐ」
最近はやりのニートという言葉を、最初私は、カン違いしていた。いや、カン違いというよりも、正確に述べれば、それを、正しい意味に誤解していたのだ。(中略) そう、私は、ニートのことをNEATと誤解していたのである。(中略) 私が何でこんな重箱の隅を突つくような皮肉をするのかと言えば、それは、ニートという言葉の流通にうさんくさいものを感じているからだ。
(寄居虫 この言葉を強引に作り上げ、その作り上げた概念によって、解析するのは間違いなのではないか。 事象には千差万別な要素があるはずだ。またまた父母殺しがあった。)
城山 三郎 部長の大晩年
夕食後、今度は耕衣が新作数句を披露し、批評を求めた。だが、波郷は薄く笑うばかりで、何も言わない。 (中略)そこで耕衣がさらに、「わたしの句はわかってもらえることが少なくて・・・・・・・」 感想を促がすというより、嘆きをこめて言うと,とたんに波郷はきっぱりと、 「只一人の理解者さえあれば、それでいいではないか」 その「理解者」の中に自分も居るのだ、と言わんばかりのひびきがあった。
(寄居虫 俳人永田耕衣は、三菱製紙高砂工場の製造部長を定年退職、その後俳句の世界に入ります。棟方志功をはじめ交友の広さが展開されます。城山三郎独得の展開にあぶなげな面はありますが、素材の面白さを充分堪能できます。耕衣の代表句 コーヒー店永遠に在り秋の雨 耕衣風に寄居虫作 数え日の頬杖をして真極楽)
宮城谷 昌光 三国志
「四知」とは、四者が知る、ということである。 では、四者とは何であるのか。またその四者が何を知るというのか。 その四知という訓言を遺した人物の生死が、きたるべき時代のよう変と祉福(ちふく)とを予感させているようにおもわれるが、どうであろう。ここでいう人物とは、 「揚震」である。
(寄居虫 宮城谷三国志の書き出しです。一般の三国志は演義をもとにしていますが、宮城谷は三国志そのもので書き進めるようで、一巻は、後漢の歴史を書いています。桃園は何巻目に出てくるのでしょうか。楽しみです)
(俳句関係)
七田谷まりうす 高橋 潤・・役者の人生と俳句(俳句朝日12月号)
(前略)同句集より、まずは役者としての生活諷詠句を挙げると
髭つけてみても端役やちちろなく
役者にはいらぬペンだこ秋の風
腑におちぬ役の性根やかたつむり(中略)
筆者好みの作品としては
芦青く汐のあぐるにまかせけり
さざめきてこそ春水というべけれ
くらがりに船もやひある蛍かな
人生諷詠の作では、
わが眼鏡妻のかけいるちちろかな
破蓮やわかれてともにふしあわせ(中略)
以後の作品から
またもとのくらしの落葉掃きにけり
外套のやや裾長に老いしかな
徒食無為古籐椅子は鳴りやすく
(寄居虫 こんな人がいたんだ。安藤鶴夫が羨んだというだけあり本当に上手い句をつくります)
主宰の一句 俳句朝日12月号
「笹」伊藤敬子 山国の闇のかたさよ初の秋
「鴫」伊藤白潮 山したたる男の黙の深む刻
「対岸」今瀬剛一 蛍追ふ人間に水脈めけるもの
「馬の塔」江口久子 蝉時雨覆ひ被さり来る重さ
「河」角川春樹 晩年に執してをとこ夕端居
「にれ」木村敏男 口笛は少年のもの風光る
「松籟」高橋克郎 桜貝さがすとて汝は少女の目
「俳句春秋」樋口伊佐美 鱧の宿風に簾を揚げにけり
「太陽」務中昌己 石一つ置きて神とし青田道
(041207)
寄居虫大眼袋「まったり」(8)
1105雲場池にて 少し遅かった。
何時から家にあるのかわからないくらい古い木彫です。森 雲峰作となっています。左手の甲に蜘蛛を這わせています。
寄居虫大眼袋「まったり」(6)
イクの顔から迷いの表情が消え、すっと目が細められた。と思いきや、彼女の手が一閃して部屋の中に鋭い音が響いた。
イクが文江の頬を容赦なく張った音だった。一瞬ののち、再びぴしゃりと音がした。今度は、文江がイクの頬を張り返したのである。さらにもう一度ずつ、互いの頬を張り合う音が続いた。
なぜあそこまで自らを試さなければならないの) 連載インタビュー 食は人なり 酒は人なり 第四回 自分だけの「あの味」を追い求めて 吉本 隆明 いわゆる漱石山脈に連なる人たち、その最後に中上健次をいれてもいいと思うけど、この系統は、繊細でにおいに敏感な人たちです。(中略)こういうにおいに敏感な人は呼吸器系が悪いに決まってるんだけど。(中略)堀辰雄の「美しい村」を読むと「この村のにおいは」とか言っている。でもそれは本当のにおいじゃない。幻臭、幻味でね、(中略)柳田国男が「この村のにおいは」と言っているのとは違う。 いまの日本の食生活は、だいたい後進的なところの味も先進的なところの味もわかってしまった。さてこれからどういう味に持っていこうかっていうことが、きっといまの若い人たちの課題なんでしょう。フランス料理が考えた得体の知れない味は極致で、文明・文化っていうのは、そういうふうに発展していくんだろうなってことは肯定しますね。 (寄居虫 この雑誌は、サントリーのPR誌ですが、内容に本当にお金をかけています。何とか手に入れてご覧になってく
ださい。PRすると叱られるかなぁ) 夢はかへつて行った 山の麓のさびしい村に 水引草に風が立ち
草ひばりのうたひやまない
しづまりかえった午さがりの林道を
寂寥のなかに
星くづにてらされた道を過ぎ去るであろう (『萱草に寄す』より)
り過ぎてしまいます。 咲いてゐるのは みやこぐさ と 指に摘んで・・・・)
行方克己(同) 青鬼灯したたる雨となりにけり 日下野由季(同) 竜胆咲くむらさきの意思つらぬきて
俳句朝日9月号「つまを恋ふ」447人の愛より 447人の人が応募していました。拝見した感想は、残された妻は強く、夫は女々しいといったらお叱りを受ける
でしょうか)
寄居虫大眼袋「まったり」(5)
福井晴敏 川の深さは
寄居虫大眼袋「まったり」(4)
・・・林田東宮大夫が皇太子のお言葉として「(ご発言は)現在の長官時代のことではない」と発表した。しかしこれは間違いだった。皇太子が会見後に語ったお言葉は正確には、「現在の長官から始まったことではない」というものだった。 そのご様子を見た関係者はこう語った。「愛子様は音楽が大好きで、ご自分で作ったお歌に合わせてかわいらしい振り付けを披露されます。周りの状況をよくみていらっるようで賢さと慎重さを感じます。・・・・・近いうちにあのかわいらしいしぐさとお声が広く伝わる日が来るでしょう」 奥野修司 奥田硯 最強経営者への道(文芸春秋8月号) 「今、林(朝日ソーラー社長)は困っているはずだから、合弁を解消してもトヨタが持っている朝日ソーラーの株を売るようなことはしない。・・・・・・・資本は持つ。社長に伝えてほしい。もう一回社会規範を守って立ち直って来い。その時、トヨタはもういっぺん組む、と」 後藤(当時野村企業情報社長 朝日ソーラーとトヨタを仲介)は涙ながらに奥田の言葉を電話で林に伝えると、受話器の向こうからは林の嗚咽だけが聞こえてきた・・・・・・・・ 池内 紀 ニッポン発見記 ・・・「みんないい人。えらい人ヨ」おばさんの頬っぺがなおのこと赤くなった。 「そんなにえらい人ですか」理由をあげるにあたり、おばさんは日ごろ、もっとも自分が判断の基準にしているところを優先したようだった。「だって、ほら、ゼッタイに選挙にでたりなさらんものネ」 松ヶ岡の帰り、バスは山裾の小さな温泉町を抜けていく。バス停の名前で思い出した。たしか作家藤沢修平は山形師範を出たあと、二年ばかり、この町の中学校の教師をしていた。松ヶ岡開墾の経緯は、そのまま藤沢修平の小説の背景にもなっている。 ダン・ブラウン ダ・ヴィンチ・コード 教会による糾弾は、女性を「左側」と結びつける考えにまで及んだ。フランスとイタリアでは、左を表すことばがひどく否定的な意味合いを帯びはじめたのに対し、右は正義、機敏さ、正当性といった響きを持つに至った。 教皇(クレメンス五世)は命令を記した極秘の教書を発行し、ヨーロッパ全土の軍勢に対して、1307年10月13日の金曜日にいっせいに開封するよう働きかけた。・・・ ・・・・その日のうちに無数の騎士(テンプル騎士団)が捕らえられて残忍な拷問を受け、やがて異端者として火あぶりの刑に処せられた。この惨事は現代の文化にも余韻を残しており、13日の金曜日はいまなお不吉だと考えられている。 野沢 尚 破線のマリス 「マリスの除去って言葉、知っています?」・・・・・・・・・・・・・・・ 「アメリカの四年生大学でやられているジャーナリズム専攻教育で繰り返し教えられるのが、マリス、即ち悪意の除去ってやつなんです。つまりですね、記者が意図的に悪意の中傷をしていないか、あるいは無意識のうちに映像モンタージュに悪意を潜ませていないかどうか確認する能力を養って、どんなふうに・・・・・・・・・・・・ ・・マリスを取り除いたらいいか、方法論からみっちり修練をかさねるんだそうです」 (俳句) 谷元左登(文芸春秋8月号) まいまいの闇をたどりて文月の塔 青かりん落つる音して旅終わる 渡辺録之輔(門8月号) 八十路には蟻の会話の聞こえけり 俳句朝日八月号 主宰の一句 岩松草泊「海道」 鴨引きて山湖は雲を映すのみ 小宅容義「雷魚」 冬霧が川幅となる景色かな 鈴木六林男「花曜」 すかんぽのあたり戦前きておれり 田中裕明「ゆう」 みづうみの雪をたづねよ痩詩人
寄居虫大眼袋「まったり」(3)
寄居虫大眼袋「まったり」(2)
友納尚子(文芸春秋7月号雅子妃その悲劇の全真相) ・・宮内庁の関係者は妃殿下ご本人だけでなく、ご家族やお父さまがつとめておられた外務省にも・・・・・・
『産んでくれれば日本経済のGDPも3パーセント上がるんだから』などと露骨な言い方で迫りました。
坪内祐三(文芸春秋7月号人声天語) 新聞をはじめとするメディアは、自らにその批判のホコ先が向ってこない(つまりそのような発言を行ったとしても
責任を取る必要がない)ものごとに対しての批判は徹底的である。特に最近、その度合いが激しくなってきた感じが
する。
樋口裕一 ホンモノの文章力 ・・作文というのは、自分の感受性をアッピールし、文体に工夫を凝らし、読む人の心を惹きつける文章だということ
だ。・・・・それに対して、小論文やレポートというのは、読んで字のごとく、なにかを論じる小文のことだ。感受性
を自己演出するのではない。・・・
小論文というのは、作文と違って、ある問題に対してイエスかノーかを答えるものなのだ。・・・・
池内 紀 ひとり旅は楽し ひとりだけの島では、名前は無用の長物だ。そこでは人の言葉ではなく風の言葉がいる。星の言葉が交わされる。無人
島では浜に魚が上がってくるだろうから、となると魚語が必要だ。
詩人の吉田一穂に「魚歌」という風変わりな詩がある。漢字が十八字ならんでいるだけ。
鳥跡汀 拾流木 焼魚介 勺濁酒 濤声騒 波蝕洞
(俳句関係)
原田青児(俳句朝日7月号) それはそれとして、短詩型なるが故に、時としてきのう今日の新人でも、大家に伍する作品ができるのだ。
<下手な鉄砲数撃ちゃ中る>で、わたくしを含め、下手な俳句をじゃんじゃん作ろうではないか。
鈴木鷹夫 片言自在 ところで「軽み」には対蹠的に「重くれ」がある。この重くれについて、井本農一氏はかって『俳句』誌上に「かる
みの考察」を書きその中で「重くれ」の要点を次のように挙げている。1ひつ故意・2粘りがある・3持って廻ったよ
うなところがある
・4深く考え過ぎている・・・・・・・・・・現代俳句の秀句は総て軽みではないだろうか。という事は、俳句固有の
形式そのものが「軽み」なのだと断言できる。
鈴木鷹夫(鈴木鷹夫句集千年) 白玉やあれが波郷の葛西橋 打水を踏みし足跡出てゆけり
中岡毅雄(文芸春秋7月号) 海よりも空鳴りゐたる寄居虫かな
上部隆男(俳句雑誌門7月号) ふらここの影のひとつは揺れてをり
寄居虫大眼袋「まったり」(1)
養老孟司著 死の壁 「俺がみんなのために必死になっている時に、お前らなんだ」という押し付けがましさです。(日本独特の共同体には、こういう正義?の押し付けがましさがあった。) 「年寄りが社会の体制をガッチリと抑えてしまって、そこに若い人が増えても仕事がない。そういう時に一番簡単な方法しては、戦争を起こして一定の人数を殺してしまうことなのです。」(あれだけ戦争が起こっても、ヨーロッパが安定していたのは、人口を減らした効果があったからだ)
文芸春秋6月号 青沼陽一郎 イラクの中心で愛をさけぶ人達 ・ ・・・大阪のボランティア協会はこう指摘する。「(ボランティアは)満足だけではいけないんです。社会に身をおいてこその活動で、市民の間から見えてくる、その評価をどう受け止めるかが大切なんです」(自己満足や一発屋が認められないのは勿論のこと)・ 文芸春秋7月号 異例の皇太子発言 私はこう考える 「帝王に私無し」の原則 東大名誉教授 小堀桂一郎 皇太子殿下のご不満は所詮私情の吐露としか聞こえない。(中略)「帝王に私無し」の御覚悟を以って対処して頂きたかった(後略)
玄侑宗久著 禅的生活 たとえば戦争をすべきかどうか、というような選択的判断には禅は向いていないということだ。禅は戦争になって爆弾に逃げまどう環境になっても、あるいは病気で入院いてしても、その現状のままになんとか活路を見いだしてしまう「知足」の思考なのだ。「知足」は我が身の現状を完全に肯定するという大事業のことなのである。
(俳句関係)
藤田湘子著 句帖の余白 ・・ある種の俳人たちは、相も変わらず神社仏閣の俳句に血道をあげているのである。・・・おビンズル様の頭に毛虫が這っているのがわび・さびでは、芭蕉さんだって慨歎するだろう。
近頃の投句にはなぜか、ただの「夕焼」の作例が少なくなって、七、八割方は「大夕焼」になってしまった。同様に「西日」も「大西日」と言う。・・・ ほかにも大夕立、大夏野、さらに大向日葵、大西瓜なんだいこれは・・・。
堀口星眠(文芸春秋6月号) 営巣の鴉は浅間見て鳴けり たんぽぽも遠荒船も透く日和
有働亨(俳句朝日7月号) 月蝕や音をひそめて泉わく
鈴木鷹夫(俳句雑誌門7月号) 生涯のひと日の日暮れ蠅叩
最上川
2005/09/19
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