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信濃蕎麦行脚 勝手に宿を借り、勝手なことを書き綴っている小生に、ヤドカリ亭々主から一報あり。暑い盛りの9月半ばのこと。 「管理人同道で軽井沢へ行こう!」 青天の霹靂、驚天動地。着て行くものが無い。 同居の女の許可は出るか?他の予定は?等不安がよぎったのは一瞬。「行こう!連れてって!お願い」となった。「紅葉の浅間山麓を散策、帰農技術者の収穫状況の確認、日本の現況確認等々。空いた時間は酒池肉林。OK?」「OK!」「集合は10月21日11時」で全てが決まった。 大荒れの台風一過の朝、勇躍拙宅の玄関を出る。同居の女の恨めしげな視線を無視し、力強い一歩を踏み出す。向かうは佐久郡軽井沢町。超大型23号が大掃除した上信越道をカットンだ。1時間37分でご亭主が陋屋と称する別邸に到着。「やあ」「よう」の挨拶直後、管理人が到着。 直ちに出発。追分宿に向かう。午前11時30分。「ささくら」の前にはプジョーとBMWが駐車、店内にはこの車の持主らしいジジイが3人。天せいろを啜っていた。当方天せいろと大盛りのもりを注文。粗引きをと聞いてみたが、案の定今日はと冷たい返事。程よい待ち時間で出された蕎麦は、今どき評判になるチョイ粗引きの細めん。辛口のめん汁は好し。他者の注文である天麩羅のうちシメジを一つ頂戴。からっと揚がっていて良し。全体として評判になる味わいと言える。それ以上でなく、どうしてももう一度と思えるかな?といった印象である。何だろう。やっぱり「どうだ。美味いだろう」という衒いが見え隠れするのかもしれない。店前のホテル「油屋」の庭のほうが印象強かったと言える。この後軽井沢銀座をぶらぶら歩き、エピソードワン、トゥー、スリーを経て寝に就く。 二日目。佐久で米作に従事する帰農技術者(以前勤務した会社の技術屋)に面談の為出立。昼食を共にという約束で、その前に小諸懐古園で暫しの時を過ごそうと一決。小山敬三美術館、藤村記念館、郷土記念館を一周し、久しぶりに文化の匂いに浸る。空腹を感じ面前の「本家総本店笹笛」の暖簾をくぐる。三人でもりを注文、暫し店のばあさんと歓談。大量の蕎麦が小桶に盛られて出された。めん汁は甘口、鰹出汁の香りがかなり強い。麺は平打ち細めんで癖のないあっさり味。空腹時の中食にはもってこいのそば。大盛りは三倍の量とかで、コストパフォーマンスは高い。満腹を抱え佐久町(佐久市とは別)の農園へ迎い、絶品の焼き鳥丼を蕎麦の上屋へ詰め込む。これは美味かった。パンパンの腹に夕食のイタリアンを入れ横浜、阪神オーナーの辞任を聞いて就寝。 三日目。本日帰京。8時出発で白糸の滝へ向かい、同じ被写体をどう切り取るかのコンペとなった。帰途市村記念館に立ち寄り、無人の邸内を散策駅を目指した。駅前の「かぎもとや」は開店前のためコーヒー店で時間待ち、暖簾が出るのを待って入店。若きお姉さんが「お蕎麦しか出来ませんが?」と言う。ジジイ三人が飲み屋と間違えたかのような発言に「それでよし」と答え、もりを注文すると箸休めの大盛漬物が配された。特製ゆづ七味をふりかけお茶で賞味しつつ出番を待った。素っ気なく出された蕎麦が良かった。麺、汁ともにいい。お互いが喧嘩せずエンドレスで食せる調和がある。蕎麦湯もトロット旨く三杯飲んで出る。お姉さんがお土産にと信州味噌を呉れた。 「たかが蕎麦」だがやはり各お店で随分違う。三者三様、日本のファーストフードはTPOで勝手に食べればいい。気取って食べることは無い。どの店も美味かった。最後に小生が始めて立ち食い蕎麦を食ったのは50年前の軽井沢駅。これは本当に美味かった。若年の思い出は美しいもの。 帰宅後地震。新潟中越地震発生のニュース。被害の広がりを心配しつつ寝に就いた。 (04/10/21-23)
<同道させていただいた管理人・Seichanとしては一番上の、最終日にいただいた蕎麦が・・タイプです>
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