コンクパールデュエット
9
橘や楓、紅葉が生い茂り、その木の間に小さな東屋が幾つか点在している。
玉砂利を踏み、その内の一棟に入ると、品のいい一輪差しが二人を迎えた。
この旅館は江戸時代からの老舗でこの離れと露天風呂を売り物にしており、著名な作家や有名人達の穴場でもあった。
「ようこそ、おいでやす、橘様。えらいお久しぶりどすなぁ」
「ああ、世話になるよ、女将」
手際よくたてた抹茶と和三盆の菓子を差し出しながら、女将は笑う。
「この前お越し下さった時は、まだ学生はんでいらっしゃったのに、よう覚えておくれやした。橘の嬢さま…、お母様はお元気どすか?」
「ん? ああ、まぁね」
言葉を濁す友雅に、聡い女将は巧みに話題を変える。
「ところで、そちらのお嬢様は?」
友雅は目を空に泳がせて、抹茶を一口すする。彼は珍しく照れていたのだ。
しかし、ゆったりと微笑む女将の瞳と出会うと、こほん、とひとつ咳払いをし、告白した。
「…実はね、女将、ここだけの話し、私たちは今駆け落ちの真っ最中でね」
「…友雅さんったら」
それまで隣でおとなしく控えていたあかねが、赤くなって彼のスーツを軽く引っ張った。
「あらまぁ」
落ち着いた雰囲気を持つ女将は面白そうにそう言う。
「それでね、かくまって欲しいんだ」
上目遣いに友雅が女将の顔を覗き込む。それは、彼女が一度か二度、目にしたことのある彼のおねだりの表情だ。
「へぇ、承知しております。ここにお泊まりなのは『橘様』ではあらしまへん。お任せ下さいまし」
「ありがとう」
にっこりと極上の微笑みで友雅が礼を言うと、女将は再びころころと笑いながら言った。
「どこの鳥篭からさらっていらっしゃったんどすか? よろしかったら、こっそり教えておくれやす。もちろん、橘の嬢さまにも内緒にしときますさかい」
友雅はぐっと身を折って女将に声を落として「元宮…って鳥篭なんだ」と、告白した。
女将は目と口で三つのOの字を作ると「やれ、こわいこわい」とちっとも恐くなさそうにそう言うと、笑いながら下がって行ってしまった。
この老舗には、客の秘密を口外しないという鉄則がある。しかも、この宿はその鉄則にかけては仲居からアルバイトの子供にまで徹底させていた。
友雅の生母の友人でもあるここの女将は、彼が信頼する数少ない人間の一人だった。
友雅はやっと、やれやれと肩の力を抜いた。
夕食は食べるのがもったいないような、綺麗に盛りつけられた山海の懐石料理だった。
氷で作った小さなかまくらの中に、旬の刺身が盛りつけられ、少し時期が早いだろうにとすら思われる走りの松茸の椀や、合鴨の焼き物。百合根に包まれ蒸し焼きにされた海胆など、贅を尽くした品の良い料理が並ぶ。
あかねは、友雅の隣に座ってたどたどしく彼に酌をしながら、その料理を楽しんだ。
「おいしい」
「ん? ああ、ここの料理長は酷い頑固者でね。旬の素材しか使わないんだ」
「ほんとう。おいしいです」
「日本酒が合うのだけれど、あかねも飲んでみないかい?」
友雅が微笑みながら、とっくりを差しだしたが、あかねはとたんに疑わしそうな目で彼を見上げて言った。
「酔わせて…どうするんです?」
ふふ…といたずらっぽく笑うと、友雅はうっとりするような声で囁いた。
「…きまっているじゃないか…」
真っ赤になりながら、あかねは男の胸をぽかぽかと叩く。
「いたた…こら、痛いよ」
「あっ、ごめんなさい」
あわてて顔を上げると友雅の微笑みが至近距離にあって、あかねは身を捻って逃げだそうとしたが、腰を捕らわれていて身動きが叶わずそのままそっと唇を奪われた。
身体を固くしながら口づけを受ける恋人に、友雅は微笑みながら言う。
「露天風呂があるのだけれど…行ってみる?」
コクコクと必死に頷く少女に「ほんのちょっとだけ、時間を上げよう」と友雅は心の中で呟いていた。
東屋には内風呂が付いてはいたのだが、二人は浴衣に着替え少し歩いて行ける場所にある露天風呂に行った。沢の側の竹林に囲まれた静かなそれは照明を極力押さえてあり、竹林のざわめきや沢の水音が二人を出迎えた。
「おや? 一緒じゃないのかい? 混浴は日本の文化だろう?」
友雅は入り口で憮然と呟いた。
「…友雅さんの都合のいい部分だけ、日本の文化に置き換えないで下さい」
すかさずあかねに突っ込まれ、友雅はちょっと拗ねた。
「…ねぇ? 誰もいないよ?」
「だめです」
「つれないねぇ」
「だめったら、だめ」
とっておきの甘い声で、何をねだって来るのかは薄々感づいていたあかねは、断固として拒否する。
「いいじゃないか? もう、夫婦なのだし?」
式を挙げていなければ入籍もしていない。
二人が夫婦だと主張しているのは、左手の薬指に光るプラチナのリングだけだ。
それだって、友雅が、あかねに対する所有権を主張するために、新幹線に飛び乗る寸前ともかくサイズの合う物を選び購入したものだった。
「だ・め! です。さ、さっさと行ってください」
あかねに背中をぐいぐいと押され、友雅は笑いながら『殿方』と書かれた暖簾をくぐった。
鹿おどしがカコーンと鳴ると、ざわりと竹を揺らして風が吹く。
見事な竹林の間を渡って吹き抜ける風は、爽やかな緑の匂いがする。
あかねは籐の椅子に納まって、ざわざわと竹林を揺らして吹き込んでくるその風を、浴衣の襟を少しくつろげて湯で火照った素肌に受けた。
「…ここは気に入った?」
友雅があかねの背後から椅子に覆いかぶさるようにして、彼がさらってきた青い小鳥の耳に囁いた。
「はい。静かで、素敵な所ですね」
あかねは、満面の笑みで答える。
彼がこの東屋を選んだのは、他にも色々な訳があったのだが、どうやらそこまでは思い至らない幼い妻に微かに苦笑すると、友雅は椅子から彼女を抱き上げた。
「きゃ」
小さく叫んであかねは、あわてて友雅の首にしがみついた。
お湯に浸かって桃色に上気した肌が友雅を誘う。
これから何が起こるのか、あかねとて知らない訳ではない。良家の子女が集まる学校と言えど、あかねのクラスのほぼ半数は経験済みである。もっとも相手は同世代の男子か、大学生に限定されてはいたのだが…。
早鐘の様に打つ心臓をしずめる為に、せっせと小さく呼吸を繰り返しながら、頭の中で復唱する。
(えっと、最初はちょっと痛いって…でも、すぐ済んじゃうから、少しだけ我慢すればいいんだよね? たしか、二十分くらいで終わるって言ってたような…?)
あかねの不幸は、彼女の『知識』の出所が同世代の女子高生に限定されていた事だ。
『知識』と『経験』の間には深くて暗い河がある。しかも、その河を一緒に渡るのは誰あろう、橘 友雅その人である。
そこらへんの青い高校生や大学生と比べて良い訳が無かったのだ。
布団に横たえられ、浴衣の胸元をそっと開きながら、友雅が口づけて来る。
角度を変え深さを増す口づけに翻弄され、ぼうっとなっているあかねの胸に手を這わせ優しく愛撫する。華奢な身体が小刻みに震え、いつの間にか友雅の浴衣を握り込んでいる指がきつく強ばった。
「…こわい?」
目のふちを赤く染めて、あかねは小さく言った。
「…す…すこし…」
優しく目元に口づけながら、しかし、愛撫の手を止める事無く囁く。
「…大丈夫…こわくないから…」
白い腕が空を横切り、友雅の首に巻き付くと、彼の身体の下で小さく震えている少女はコクリと微かに頷いた。
目から頬、唇へと口づけが降り、項から鎖骨を軽く噛んで、胸まで友雅の唇は躊躇う事無く進んで行く。指の腹で丹念に愛撫していた胸の突起を含むと、白い身体がビクリとはねた。
指をきつく噛んで声を殺していた少女の腕を布団にぬいつけ、執拗に舌先で転がし吸い上げる。
「…あっ」
こらえきれずに洩れた声は、甘くかすれていて、友雅の耳朶をくすぐる。
初めての快楽に翻弄されあかねが背中をのけぞらせると、友雅はその背中に添って右手をサワサワと這わせ降ろして行く。あかねは胸元で揺れる友雅の頭をかき抱き、身体の奥から沸き上がってくる彼女の知らない感覚に必死に耐えていた。
彼の右手が背中から腰を過ぎて後ろから太股を割り、そのまま弛緩している足を広げたかと思うと、自分の身体をその間に割り込ませた。
「や…やだ」
あられもない姿にあかねは、真っ赤になると膝を閉じようと足を引き寄せるが、既に友雅の身体がそれを阻む。
「や…やっぱり…こわい」
あかねは、半分涙声で友雅に訴えるが、既に彼はそこで止める気などさらさら無かった。いっそ、冷たいとすら感じる底光りする瞳に射ぬかれて、微かな抵抗も霧散してしまう。ゆらゆらと揺らめく瞳の中には見た事もない炎が閃めいて、あかねは金縛りにあったように身動きが出来なくなる。
あらがう事を止めた少女に友雅は小さく笑みをこぼし、未開の地に指を埋め静かにほぐしていった。
「う…」
巧みに動く指に翻弄されつつも、唇をきつく噛み声を殺すその口元に優しく口づけながら囁く。
「大丈夫だよ…まかせて…」
「…ん」
返事の変わりに、しがみついてきた少女の身体を友雅は愛しそうに撫でた。
月が布団の上に投げ出された四肢を柔らかく照らす。
あかねの身体が小さく跳ねる度に、月光がその白い身体の陰影を変えて行く。
「…」
声にならない喘ぎが漏れ、シーツをきつく握りしめる。
ピクンと身体が跳ねる度にそこを執拗に愛撫すると、あかねの唇からついに喘ぎが洩れた。
「…あ…っ…」
大きくのけぞり、友雅から逃れようともがくが、細い腰は彼の手に掴まれて動かす事も出来ない。
「…ああっ!」
のけぞった白い首に月光がはじける。
はじけた月光は、あかねの首にまとわりついているコンクパールを淡く照らした。
涙が知らずに溢れて、あかねの頬を伝う。
その涙を親指で拭いながら友雅は朦朧としている新妻に囁いた。
「愛してるよ…あかね…」
「とも…まささ…ん」
たえだえの息の中から名を呼ばれ、友雅自身がさらに熱くなる。
「あかね…」
あかねは、自分の名がこんなに甘く耳に響くとは思っていなかった。
「友雅…さん」
薄闇の中、チリチリと二人のネックレスが触れ合い、微かな唄を歌う。
淡い薄紅色に閃きながら。
元は一つだったそれが別れ、長い年月を経て後再び出会い、そして一つになった喜びを唱う。
『君は朝日と共に生まれた。君の母親も父親も、喜びと誇りとではちきれそうに幸せそうだった。君は壊れそうな小さな手で私の人差し指をしっかり握りしめて…そして、この世に生まれでて初めて微笑んだ。そうだね…私の人生はその時定められたのだろう…』
誰もが幸せな結末を迎えられる…都合のいい、だけどやさしい、お話…。
―――そう…だから…これは、おとぎ話。
了