事項 作品
明治25年(1892年)
3月1日誕生。父・新原敏三、母・ふくの長男として生まれた。辰
年、辰月、辰日、辰刻の生まれにちなんで(すごい!)龍之介と命
名された。
父が後厄(43歳)母が大厄(33歳)、いわゆる「大厄の子」と
して捨子の形式が取られ、家の向かいの教会に捨てられる。松村浅
二郎(耕牧舎日暮里支店経営者)が拾い親。
10月、母ふくが発狂。龍之介はふくの実家芥川家に引き取られ、
ふくの兄芥川道章・儔(とも)夫婦及びふくの姉ふきによって養育さ
れることになる。
新原敏三はのちに、龍之介を取り戻そうと試みたが、芥川家に実子
がいないこともあって実現しなかった(龍之介は12年後に、芥川
家の養子として入籍している)。
芥川家は相当に広い土地を持っていた。養父道章は俳句、盆栽、南
画に親しんでいる人物。
明治26年(1893年)
生家新原家は芝区(現港区)に移る。龍之介はここを、「芝の家」
と呼び交際していた。
明治27年(1894年)
歌舞伎などに連れて行かれるようになる。
明治28年(1895年)
芥川家は江戸時代からの古い家を改築。これが龍之介の最初の記憶
である。「追憶」によれば、家の庭には冬青・榧・木槲・かくれみ
の・臘梅・八つ手、五葉の松などが植えられていた。
明治29年(1896年)
「追憶」によれば、1月にあった地震のとき、女中のてつが分別を
を失って走り回っていた。
明治30年(1897年)
江東尋常幼稚園に入園(回向院隣)。夢は海軍の将校(「追憶」)。
この時代に女中のつるに親しむようになる。つるは「追憶」「少年」
に出てくる。
明治31年(1898年)
江東尋常小学校に入学。この頃の夢は、洋画家。
小学校時代の芥川はいじめられてばかり。
明治32年(1899年)
7月、実父敏三と叔母ふゆ(実母ふくの妹)の間に得二誕生。
明治34年(1900年)
北清事変の絵草子を読む。その時、日本兵が一人も死んでいないと
いうところに疑問を覚えた。
学校で「可愛いと思うもの」という作文に<象>、「美しいと思う
もの」に<雲>と書き、先生にたしなめられた。
当時の愛読書は、「水滸伝」「西遊記」など。十返舎一九、滝沢馬
琴、近松門左衛門などを読みはじめる。
明治34年(1901年)
初めて俳句を作った。(「わが俳句修行」) 俳句
明治35年(1902年)
4月、高等科進学。同級生とともに、回覧雑誌『日の出界』をはじ 勝浦にて
める。龍之介は、渓水・龍雨などのペンネームで寄稿した。表紙画、 昆虫採集論
カットを描き編集も担当。 大海賊
右に挙げる作品の他、紀行や随想なども投稿している。 さん術占
はめ画
6月『日の出界』三を発行。 ウェルカム
8月、実母ふくが死亡。(「点鬼簿」参照) 空中自転車
なお、この年英語と漢学とを学ぶ。 西洋御伽噺
冒険談不思議
無鉄砲と不活発
明治36年(1903年)
2月『日の出界』<お伽一束号>発行。 ななしぐさ
月下の散歩
雪後の旭日
春の夕べ
つきぬながめ
4月『日の出界』創立一周年記念号発行。 怒涛の乗切
学問城攻撃
夜昆虫採集記
明治37年(1904年)
8月芥川家に入籍。芥川道章と養子縁組。 春の夕べ
9月ふゆが実父敏三の後妻として入籍
明治38年(1905年)
3月、江東尋常小学校高等科三年終了。普通なら二年で中学に進学 短歌・落葉片々
できたのだが、健康面や家庭面(養子縁組のトラブル)のことで一
年延期となった。成績は、もちろん、優秀です。
4月、東京府立第三中学校に入学。同級生に平塚逸郎(「彼」)。
明治39年(1906年)
4月、回覧雑誌『流星』を始める。編集発行を担当。 廿年後之戦争
6月に『曙光』と改題。 俳句三句
勝浦雑筆
明治40年(1907年)
この年、後に妻となる塚本文と知り合う。文は父を日露戦争で失い、 長への命
母鈴の実家・山本家に母、弟とともに移っていた。芥川の親友山本 寒夜
喜誉司は、鈴の末弟。 武士道
出師の表を読みて孔明を論ず |