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事項 作品
大正5年(1916年)25歳
1月
20日「鼻」脱稿 15日短歌「絃数四」
2月
15日第四次「新思潮」創刊。ここで「鼻」を発表。 13日
「僕は同人諸君のどの原稿にも感心しない 僕のにだけ好意を持っ 詩Merci
ている」と記す。 詩REVOLTER
詩IMPRESSION
OF VISAGE
15日
「鼻」
短歌「田端にてうたへる」6首
短歌「東京にてうたへる」3首
20日、夏目漱石より、「鼻」に対する高い評価を得て感激。 16日短歌11首
「孤独地獄」脱稿
3月
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)のことを小説に書こうと考えて 11日俳句1句
いた。これは松江を訪れたあと、出雲地方への憧れと見られる。 24日短歌4首
27日俳句2首
「父」「虱」を脱稿。
4月
「酒虫」脱稿。卒業論文「ウィリアム・モリス研究」を書く。 1日孤独地獄
5月
1日父
5日俳句6句
虱
6月
夏目漱石の「木曜会」に出席するようになる。 1日酒虫
翡翠
短歌「桐陰読書編」
29日俳句2句
短歌3首
7月
東京帝国大学文学部英文学科を卒業。2番の成績。(1番は豊田実
氏。のち青山学院大学の学長)
18日「野呂松人形」脱稿。
25日「偸盗」の執筆を断念し、「芋粥」を考えはじめる。 25日俳句「長安句稿一」
8月
「芋粥」「猿」脱稿する。 1日仙人
薄雪双紙
野呂松人形
短歌21首
17日、千葉県一宮に久米正雄とともに滞在。「海のほとり」「微 17日
笑」にあるように、この滞在は芥川にとって忘れられない思い出に 短歌「Fragment
de la vie」
なったようだ。
25日、塚本文に、求婚の手紙を書く 21日俳句3句
28日、夏目漱石に書簡を送る。 30日俳句1句
9月
「手巾」「出帆」脱稿。 1日芋粥
猿
創作
10月
16日「煙管」脱稿 1日手巾
出帆
ジャン・クリストフ
21日「煙草」脱稿(後の「煙草と悪魔」) 19日俳句1句
31日俳句1句
11月
5日、海軍機関学校への就職のため横須賀へ。 1日煙管
この時代のことについては「保吉もの」に詳しい。 煙草と悪魔
駒形より
藤娘
12月
「尾形了斎覚え書」脱稿。 3日、短歌「鎌倉4首」
9日、夏目漱石が死去。
「道祖神」脱稿。のちの「道祖問答」
この月、塚本文と縁談契約書を交わす。 25日、俳句「鎌倉6句」
大正6年(1917年)26歳
1月
田端で新年を迎える。 1日
MENSURA ZOILI
代表歌選 微明
尾形了斎覚え書
運
18日句2句
28日道祖問答
2月
14日「忠義」脱稿。 1日新春文壇の印象
28日「貉」脱稿。 9日俳句5句
3月
5日「偸盗」の執筆に取り組む。 1日
この時期に、短編集『羅生門』の刊行が進みはじめる。 忠義
15日「偸盗」1〜6までを脱稿。出来は芳しくなく、自信を失っ 短歌「悪歌十首」「円覚寺」
た様子が書簡から感じられる。 11日貉
15日葬儀記
短歌「深夜の愚癡」
29日漢詩1編
4月
20日「偸盗」7〜9脱稿。これは後に「続偸盗」として7月に発 1日偸盗
表される。 13日俳句2句
22日、佐藤春夫と初めての出会い。
「世之助の話」脱稿
5月
「外国の神と日本の神との克服しあい」として、奈良・戦国・明治 3日俳句4句
の時代を背景とした3部作を計画。しかし未完成。 17日俳句1句
自分でも出来がよくないと思っている「偸盗」を改作しようと考え
る。しかし未完成。
10日「さまよへる猶太人」脱稿。
23日、阿蘭陀書房より短編集『羅生門』刊行。 23日短編集『羅生門』
6月
20日、軍艦金剛に乗って見学。 1日さまよへる猶太人
27日、日本橋のレストラン鴻の巣で、『羅生門』出版記念会。 20日俳句1句
下旬にも俳句1句
7月
このころから、佐藤春夫との交流が始まる。 1日偸盗
「偸盗」を脱稿する予定だったが筆が進まず、延期に。 私と創作
17日短歌2首
18日俳句1句
25日俳句1句
26日俳句2句
8月
10日「二つの手紙」脱稿。 1日産屋
蚊屋の中の蚊
私の文壇に出るまで
15日「或日の大石蔵之助」脱稿。 15日漢詩1編
21日、漢詩1編
24日、俳句1句
29日、俳句8句
9月
1日、機関学校の入校式に参列。 1日
この頃から「戯作三昧」の執筆に取り掛かる。 二つの手紙
ある時嵐のため電気が止まり、ローソクの光で執筆したという。 或日の大石蔵之助
3日「沼地」脱稿。 田端日記
夏目漱石の長女筆子との縁談が噂になった。芥川は、塚本文に、そ 4日漢詩1編
の噂を否定する書簡を送っている。 13日短歌3首
15日、文士の集まりである三土会に出席。 23日短歌3首
17日「片恋」脱稿。
10月
20日、大阪毎日新聞に「戯作三昧」の連載始まる。これは初の新 1日蛙と女体
聞小説である。 片恋
28日、谷崎潤一郎の訪問を受けた。 黄梁夢
この時期、親友久米正雄が夏目筆子と破談。 12日俳句1句
13日俳句1句
20日戯作三昧
25日俳句1句
11月
4日「戯作三昧」の執筆が終了。 1日
5日、塚本文を訪ねる。 はつきりした形をとる為に
10日、短編集『煙草と悪魔』を新潮社から刊行。(もともとは ほんものゝスタイル
『偸盗』の予定だったが、作品に対する不満から変更) 創刊号の歌に就て
15日「西郷隆盛」脱稿。 戯作三昧
「開化の殺人」の執筆が始まったのはこの時期。 3日俳句1句
24日「英雄の器」脱稿。 10日短編集『煙草と悪魔』
24日俳句1句
25日俳句2句
12月
4日「首が落ちた話」脱稿。 1日痛感した危険
9日、夏目漱石の1周忌に参列。 俳句4句
11日、「我鬼」という号をもちいるようになる。 14日、俳句1句
俳句1句
大正7年(1918年)27歳
1月
13日、日夏耳耿之介の詩集『転身の頌』出版記念会に出席し、室 1日首が落ちた話
生犀星と知り合う。 西郷隆盛
英雄の器
良工苦心
文芸好きの家庭から
昔
19日俳句5句
29日俳句2句
2月
2日、塚本文と、結婚式を挙げる。場所は田端自笑軒。 1日傍観者より
15日俳句1句
「新思潮創刊当時の情熱が又かえってきたような気がする」 24日南瓜
(松岡譲宛て書簡) 26日俳句2句
3月
大阪毎日新聞の連載小説の題名はなんどか変更されたが、このころ 1日浅春集
「地獄変」に決まったらしい。 15日俳句4句
「袈裟と盛遠」脱稿。
4月
多忙のあまり、精神病にかかった。 1日世之助の話
袈裟と盛遠
16日、「蜘蛛の糸」脱稿。 24日俳句1句
29日俳句1句
5月
1日「地獄変」の連載開始。(〜22日まで) 1日饒舌
ババベックと婆羅門行者
イズムと云ふ語の意味次第
豊島与志雄氏の事
眼に見るやうな文章
俳句1句
13日「地獄変」脱稿。次の小説を「踏み絵」と名づけて執筆しよ 7日俳句1句
うとするが完成せず。 19日俳句1句
6月
18日小島政二郎に、「地獄変」のナレーターのことで抗議文を送 3日俳句1句
る。量は膨大なもので、葉書3枚に及んでいる。 5日俳句3句
19日「開化の殺人」執筆始める。「探偵小説を書く約束をしたの
でいやいや」と、乗り気がしないようだ。
探偵小説とは別のものになりそうだと自身書いている。
7月
8日、創作集『鼻』刊行。春陽堂より。 1日蜘蛛の糸
芥川氏より−地獄変について
5日俳句2句
8日短編集『鼻』
15日開化の殺人
20日俳句1句
22日京都日記
俳句1句、短歌1首
23日俳句3句、短歌2首
29日京都日記
「素戔鳴尊」の着想が生まれた。 31日俳句1句
8月
13日、「奉教人の死」脱稿。「枯野抄」執筆開始。 1日俳句3句
「結婚の前」の評判
信州の上河内
6日俳句1句
27日俳句4句
悪魔
9月
1日奉教人の死
虚子庵小集
4日俳句1句
22日俳句1句
10月
3日、「奉教人の死」の『偽書事件』が新聞のコラムに載る。 1日俳句2句
枯野抄
21日、「邪宗門」の連載を大阪毎日新聞社に。他にも依頼が7件 14日俳句2句
来ていたが、すべて断っている。 24日、俳句1句
11月
5日、創作集のタイトルを『傀儡子』に決める。 1日るしへる
或悪傾向を排す
永久に不愉快な二重生活
私の創作の実際
2日俳句2句
3日俳句1句
5日短歌2首
21日俳句1句
24日俳句1句
12月
5日、「毛利先生」脱稿する。 1日俳句2句
13日、「邪宗門」未完成のまま連載終了。 袈裟と盛遠の情交
(芥川氏病気のため・・・・とある) 俳画展覧会を観て
20日、「あの頃の自分の事」脱稿。 一番気乗のする時
23日俳句1句
26日俳句1句