本文
マリアはエリザベツの友だちだった。
バプテズマのヨハネを生んだものはこのザカリアの妻、エリザベツである。
麦の中に芥子の花の咲いたのはついに偶然と云う外はない。
我々の一生を支配する力はやはりそこにも動いているのである。
エリザベツ・・・この記事は、「ルカによる福音書」1章による。友達ではなく親族。
バプテズマのヨハネ・・・バプテズマとは洗礼を施すという意味。ヨハネはイエスに洗礼を施した人物。当時の王ヘロデによって殺された。
妻・・・本文では<ザカリアの夫>とあるが、もちろん<妻>である。<天上から地上>論は未だ絶えないが、ここを論じる人はいない。本文通りを論じる人には、ここを説明して欲しいところだが。
麦の中に芥子の花の咲いた・・・ありふれたものの中に目立つ存在が生まれたという意味。
偶然・・・「侏儒の言葉」運命<遺伝、境遇、偶然――我々の運命を司るものは畢竟この三者である>。エリザベツがヨハネを生んだのは偶然なのである。
クリストの一生を語る上で、彼の天才を見出したバプテスマのヨハネを避けることは出来ません。のちに邂逅する二人が赤子時代に顔を合わせていたという様子が後代の絵画に見られます。
それはさておき、エリザベツも夫のザカリアも、決して<永遠に超えんとするもの>ではありません。この平凡な夫妻の間にバプテズマのヨハネが生まれたのは、まったくの偶然なのです。さらにクリストとヨハネの母が友人同士であることも、<偶然>のなせる業なのでしょう。
なお、マリアがクリストを生んだことに対し、芥川は<偶然>の言葉を使っていません。エリザベツと違い処女降誕のマリアですが、ヨセフとの関係がないだけで不義を働いていた、とも考えられるわけです。つまり前章で述べた通り、芥川はクリストが私生児であると見ていたのではないでしょうか。