本文
東の国の博士たちはクリストの星の現われたのを見、黄全や乳香や没薬を宝の箱に入れて捧げに行った。
が、彼等は博士たちの中でも僅かに二人か三人だった。他の博士たちはクリストの星の現われたことに気づかなかった。
のみならず気づいた博士たちの一人は高い台の上に佇みながら、(彼は誰よりも年よりだった。)きららかにかかった星を見上げ、はるかにクリストを憐んでいた。
「またか!」
博士たち・・・マタイによる福音書2章。
クリストの星の現われたことに気づかなかった・・・知識人たちのほとんどは、<天才>の誕生に気づかなかった。
憐んでいた・・・<永遠に超えんとするもの>の悲劇的運命を思い、同情していた。
いつの世も、逸材が生まれる時には気づくものではありません。そしてなかなか、天才というものを認めないのです。「侏儒の言葉」には天才についてこのように書かれています。
<天才とは僅かに我々と一歩を隔てたもののことである。同時代は常にこの一歩を千里であることを理解しない。後代はこの千里の一歩であることに盲目である。同時代はその為に天才を殺した。後代は又その為に天才の前に香を焚いている。>
芥川の皮肉な目は、この天才を認めない人たちと、クリストを崇めている後代に向けられています。
現実的に、天才を認めない世の中では、あらゆる天才――クリストたちは、惨めに死んでいく運命にあります。博士たちの一人はクリストの将来を思い、<また悲劇の人物が生まれたか>とため息を吐くのでした。