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ヘロデはある大きい機械だった。こういう機械は暴力により、多少の手数を省く為にいつも我々には必要である。
彼はクリストを恐れる為にベツレヘムの幼な児を皆殺しにした。もちろんクリスト以外のクリストも彼等の中にはまじっていたであろう。
ヘロデの両手は彼等の血のためにまっ赤になっていたかも知れない。我々は恐らくこの両手の前に不快を感じずにはいられないであろう。しかしそれは何世紀か前のギロティンに対する不快である。
我々はヘロデを憎むことはもちろん、軽蔑することも出来るものではない。いや、寧ろ彼の為に憐みを感じるばかりである。
ヘロデはいつも玉座の上に憂鬱な顔をまともにしたまま、かんらんや無果花の中にあるベツレヘムの国を見おろしていた。一行の詩さえ残したこともなしに。……
ヘロデ・・・ユダヤの王。さまざまの暴政をしいたといわれている。ベツレヘムの幼子皆殺しのことは、マタイによる福音書2章。
暴力・・・「侏儒の言葉」<複雑なる人生を簡単にするものは暴力より外にある筈はない。/権力も畢竟はパテント(特許)を得た暴力である。>
クリスト以外のクリスト・・・ヘロデはクリストを恐れてベツレヘムの幼な児を皆殺しにしたが、目的は果たせなかった。しかし殺された子供たちの中には、クリスト以外にも<聖霊の子>はいたはずである。
彼の為に憐みを感じるばかりである・・・人間らしい生き方を忘れたヘロデに同情を示している。ヘロデは一度として芸術を知ることはなかった。<一行の詩>というと、「或阿呆の一生」をほうふつとさせる。
芥川は、聖書で残忍さを批判されるヘロデを<必要>なものと考えているようです。数世紀前のギロチンなどを見るごとく、複雑なことを解決するためには暴力は必要なのです。<憂鬱>という言葉を用いているのは、ヘロデの罪の意識を感じ取っていたのでしょうか。
人間らしさを忘れ、暴力的な機械となってしまったヘロデは、オリーブやイチジクに囲まれた風景を見ても、心を動かされることはなくなっていたのです。そして一度も芸術に目覚めることはありませんでした。
<玉座>というと地上の権力を連想させる言葉です。(12)でクリストが斥けたものは、このヘロデが持っているものでした。