16.奇跡

本文

クリストは時々奇跡を行った。が、それは彼自身には一つの比喩を作るよりも容易だった。彼はそのためにも奇跡に対する嫌悪の情を抱いていた。

そのためにも――クリストの使命を感じていたのは彼の道を教えることだった。彼の奇跡を行うことは後代にルッソオの猛り立った通り、彼の道を教えるのには不便を与えるのに違いなかった。

しかし彼の「小羊たち」はいつも奇跡を望んでいた。クリストもまた三度に一度はこの願に従わずにはいられなかった。彼の人間的な、余りに人間的な性格はこういう一面にも露われている。

が、クリストは奇跡を行うたびに必ず貴任を回避していた
「お前の信仰はお前を癒した」
しかしそれは同時にまた科学的真理にも違いなかった。

クリストはまたある時はやむを得ず奇跡を行ったために、――ある長病に苦しんだ女の彼の衣にさわったために彼の力の脱けるのを感じた。彼の奇蹟を行うことにいつも多少ためらったのはこういう実感にも明らかである。

クリストは、後代のクリスト教徒はもちろん、彼の十二人の弟子たちよりもはるかに鋭い理智主義者だった。


奇跡・・・病人を癒したり、わずかな食べ物で何千人という人たちを養ったりした。

そのためにも〜・・・奇跡で神性を示すことはクリストの本位ではない。彼はあくまでも<詩的正義>によって人々を導いていくつもりであった。

「子羊たち」・・・クリストが導いていた人たち。

人間的な、余りに人間的な・・・断れないやさしさであろう。ここの言葉はニーチェを意識している。

責任を回避していた・・・<天上の神>を説くためにも、神の御業であるとしている。

「お前の信仰はお前を癒した」・・・マタイ9章22など、各所に見られる。

科学的真理・・・<我々にとって、すべてあると云う事は、畢竟するにただあると信じる事にすぎないのではないか。>(「貉」)との関連があると思われる。ここでは、マグダラのマリアが見た<復活>との関連も指摘されよう。

力の脱けるのを感じた・・・マルコ5章25−30

理智主義者・・・奇跡などの超自然の力に頼らない精神を指す。


クリストの神性を示すものとして<奇跡>が挙げられます。しかし、クリスト自身は奇跡を嫌悪していたというのが芥川の考えです。奇跡よりも<ジャーナリズム>によって人々を導こうとしていました。

しかし彼を慕う人々は、常に奇跡を望んでいました。それは<詩的正義>よりも現実的なものを望んでいたからに他なりません。

そしてクリスト自身も、人間的なやさしさから、彼らの願いを断ることは出来なかったのです。

クリストは天上の神を説くために、奇跡を自分の力ではないとつねにいい続けています。またここに、<信じること=存在すること>という芥川の思想も見られるのではないでしょうか。マグダラのマリアがクリストの復活を見たように、強く信じることによって奇跡というものは起こるのです。

クリストは神性を奇跡によって示すことを嫌いました。しかし後代のキリスト教徒――盲信者は、クリストのジャーナリズムよりも奇跡を強調する傾向があります。

クリストはその意味でも、現実をしっかりと見ていた人物であるといえるでしょう。