本文
クリスト教はクリスト自身も実行することの出来なかった、逆説の多い詩的宗教である。
彼は彼の天才のために人生さえ笑って投げ棄ててしまった。ワイルドの彼にロマン主義者の第一人を発見したのは当り前である。
彼の教えた所によれば、「ソロモンの栄華の極みの時にだにその装い」は風に吹かれる一本の百合の花に若かなかった。
彼の道はただ詩的に、――あすの日を思い煩わずに生活しろということに存している。何のために?――それは勿論ユダヤ人たちの天国へはいるために違いなかった。
しかしあらゆる天国も流転せずにはいることは出来ない。石鹸の匂のする薔薇の花に満ちたクリスト教の天国はいつか空中に消えてしまった。が、我々はその代りに幾つかの天国を造り出している。
クリストは我々に天国に対する憧憬を呼び起した第一人だった。
更にまた彼の逆説は後代に無数の神学者や神秘主義者を生じている。彼等の議論はクリストを茫然とさせずには措かなかったであろう。しかし彼等のある者はクリストよりも更にクリスト教的である。
クリストは兎に角我々に現世の向うにあるものを指し示した。我々はいつもクリストの中に我々の求めているものを、我々を無限の道へ駆りやるラッパの声を感じるであろう。同時にまたいつもクリストの中に我々を虐んでやまないものを、――近代のやっと表規した世界苦を感じずにはいられないであらう。
逆説の多い詩的宗教・・・マタイ20章にある<あとの者は先になり、先の者はあとになる>などを指すか。逆説といえば、(26)、続(11)も参考になるだろう。
人生さえ笑って投げ棄ててしまった・・・<地上>の夢を捨て、そして詩的正義のために十字架にかかったこと。
ソロモンの栄華の極み〜・・・この文は<人生は一行のボードレールにもしかない>を思い起こさせる。<一行の詩の生命はぼく等の生命よりも長いのである>(「文芸的な、余りに文芸的な」)
あすの日を思い煩わず・・・<ボヘミア的精神>であろう。マタイの6章34<明日のことは思いわずらうな。>
流転せずにはいることは出来ない・・・時代に応じて常に変わっていく。
彼等の議論は〜・・・クリストの思想からあまりにもかけ離れた論議がなされている。クリストがこれを聞いたら、呆然とするに違いない。
クリストよりも更にクリスト教的・・・<キリスト教>は決してクリストの思想を反映したものではなく、後代の宣教師たちが作り上げていったもの、と解釈。
近代のやっと表規した世界苦・・・厭世主義などを指すものと考えられる。
人生を捨てて天国への夢を見続けたクリストは、天国への道を説きました。彼にとってあらゆる地上の夢などは、一行の詩にも及ばないものだったのです。クリストこそが、私たちに永遠に残るものを示してくれました。
しかしクリストの説く天国は、時代によって変わっていきました。後代の人々は、クリストの思想とは無縁の天国を作り上げていきました。そして後に宣教師・牧師・神父らによって天国は説かれていくのですが、これを説いたクリストの思想とかけ離れたところで論じ合い、そしてその宗教は本質とかけ離れたものになってしまったのです。
それはともかく、私たちはクリストの思想をいま強く感じるようになっています。多くの人々が厭世的になり、クリストが情熱によってこれを克服しようとしたことが、芥川の胸に熱く伝わっていたのでしょう。