本文
クリストはラザロの死を聞いた時、今までにない涙を流した。今までにない――あるいは今まで見せずにいた涙を。
ラザロの死から生き返ったのはこういう彼の感傷主義のためである。
母のマリアを顧なかった彼はなぜラザロの姉妹たち、――マルタやマリアの前に涙を流したのであろう?
この矛盾を理解するものはクリストの、――あるいはあらゆるクリストの天才的利己主義を理解するものである。
ラザロの死・・・ヨハネ11章35
感傷主義・・・マグダラのマリアがクリストの復活を見たように、クリストの、ラザロを思う気持ちが彼の蘇生につながった。
マリアという名前は、「西方の人」の中に3人登場する。母マリア、マグダラのマリア、ラザロの姉妹マリア。もちろんみな別人。
クリストの天才的利己主義・・・利己主義は人間として当然のことであり、ここで芥川はクリストを<神の子>と認めていないことがわかる。
クリストは友人ラザロが死んだことを知って、だれにも見せなかった涙を見せました。芥川はこれを、感傷主義であると見ます。
ラザロが死から蘇ったのは、この感傷主義の力です。決してラザロのためではなく、クリスト自身のためでした。<ぼくはただぼく自身のために父母妻子をなげうった>(「闇中問答」)。
家族を捨てたのに友人のために涙を流すのは利己主義ととられても仕方ないことですが、天才は自分自身のために、その利己主義を発揮するものなのです。