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クリストは一代の予言者になった。同時にまた彼自身の中の予言者は、――あるいは彼を生んだ聖霊はおのずから彼を飜弄し出した。
我々は蝋燭の火に焼かれる蛾の中にも彼を感じるであろう。蛾は唯蛾の一匹に生まれたために蝋燭の火に焼かれるのである。クリストもまた蛾と変わることはない。
ショウは十字架に懸けられるためにイェルサレムヘ行ったクリストに雷に似た冷笑を与えている。しかしクリストはイェルサレムヘ驢馬を駆ってはいる前に彼の十字架を背負っていた。それは彼にはどうすることも出来ない運命に近いものだったであろう。彼はそこでも天才だったと共にやはり畢に「人の子」だった。
のみならずこの事実は数世紀を重ねた「メシア」という言葉のクリストを支配していたことを教えている。樹の枝を敷いた道の上に「ホザナよ、ホザナよ」の声に打たれながら、驢馬を走らせて行ったクリストは彼自身だったと共にあらゆるイスラエルの予言者たちだった。
彼の後に生まれたクリストの一人は遠いロオマの道の上に再生したクリストに「どこへ行く?」と詰られたことを伝えている。クリストもまたイェルサレムヘ行かなかったとすれば、やはり誰か予言者たちの一人に「どこへ行く?」と詰られたことであろう。
彼自身の中の予言者・・・クリストはエホバを絶対的存在にするため、過去の予言者の言葉を成就させようとしている。クリストの行動は、すべて予言者の言うがままになっているのだった。
ショウ・・・バーナード・ショー。イギリスの批評家。キリストへの冷笑とは、Back
to Methuselah という作品に見られる。
彼の十字架・・・<聖霊の子>としての悲劇的運命。7章で年老いた博士が憐れむのは、この<聖霊の子>として背負った十字架のこと。
驢馬を駆って〜・・・当時のユダヤには、救世主がロバに乗ってエルサレムに現れるという言い伝えがあった。
「人の子」・・・キリスト教でいう<神の子>を否定している。
メシア・・・古代ヘブライ語で「救世主」を意味する。キリスト教では、キリストを指す言葉になった。
ホザナ・・・マタイ21章、マルコ11章、ルカ19章28、ヨハネ12章12の各所に。キリストのエルサレム入城が見られる。ホザナ(ホサナ)とは<救い給え、我は祈り奉る>という意味。
彼自身だったと共に〜・・・彼の意志でもあったが、また過去の予言を成就させるためであった。
彼の後に生まれたクリストの一人・・・キリストの弟子の一人ペテロは、ローマの迫害を避けようとしたが、途中でキリストの姿を見て引き返した(聖書にこの記述は見られない)。
クリストは過去にないジャーナリストになり、そしてそのことは、クリスト自身の運命を翻弄していくことになります。
ユダヤには、<救世主はロバに乗って現れる>という古い言い伝えがありました。クリストは自分の説くエホバのために、ロバに乗ってエルサレムへと向かうのです。予言が成就したという聖書の解釈は当たらず、むしろクリスト自身が予言を成就させたと考えるべきなのでしょう。
彼はみずからを救世主とする天才ではありましたが、また<聖霊の子>としての運命から逃れることが出来ない人間の一人に違いありませんでした。
天才はその天才の発揮のために人生を狂わせられても、引き返すことの出来ないものなのです。それが<聖霊の子>としての運命であり、はじめから背負っていた十字架であるといえるのでしょう。