本文
勿論クリストの一生はあらゆる天才の一生のように情熱に燃えた一生である。彼は母のマリアよりも父の聖霊の支配を受けていた。彼の十字架の上の悲劇は実にそこに存している。
彼の後に生まれたクリストたちの一人、――ゲエテは「徐ろに老いるよりもさっさと地獄へ行きたい」と願ったりした。が、徐ろに老いて行った上、ストリントベリイの言ったように晩年には神秘主義者になったりした。
聖霊はこの詩人の中にマリアと吊り合いを取って住まっている。彼の「大いなる異教徒」の名は必ずしも当っていないことはない。彼は実に人生の上にはクリストよりもさらに大きかった。いわんや他のクリストたちよりも大きかったことは勿論である。彼の誕生を知らせる星はクリストの誕生を知らせる星よりも円まるとかがやいていたことであろう。
しかし我々のゲエテを愛するのはマリアの子供だったためではない。マリアの予供たちは麦畠の中や長椅子の上にも充ち満ちている。いや、兵営や工場や監獄の中にも多いことであろう。我々のゲエテを愛するのは唯聖霊の子供だったためである。
我々は我々の一生の中にいつかクリストと一しょにいるであろう。ゲエテもまた彼の詩の中に度たびクリストの髯を抜いている。
クリストの一生はみじめだった。が、彼の後に生まれた聖霊の子供たちの一生を象徴していた。(ゲエテさえも実はこの例に洩れない。)
クリスト教はあるいは滅びるであろう。少くとも絶えず変化している。けれどもクリストの一生はいつも我々を動かすであろう。それは地上から天上へ登るために無残にも折れた梯子である。薄暗い空から叩きつける土砂降りの雨の中に傾いたまま。……
十字架の上の悲劇・・・<クリストを十字架に駆りやった者はクリスト自身の宗教だったろう。単に新しい宗教を説いたために、十字架に懸ったという意味ではない。新しい宗教を説いているうちに、十字架に懸らねばならぬ気持ちになって仕舞ったという意味である>(「文芸雑談」)
マリア・・・ここにおいて、芥川の<マリア>なるものに対する侮蔑は明らかである。
髯を抜いている・・・理解しがたい表現だが、クリストの詩を自分の詩の中に活かしている、と解釈すべきか。
クリストの一生・・・地上から天上を目指し、失敗する一生。ゲーテは<地上>のものとつりあいを取っていたものの、やはり天上に行くことが出来なかった点で、クリスト同様に惨めだったといわなければならない。
クリスト教はあるいは滅びるであろう・・・<或声 お前は或は滅びるかもしれない/僕 しかし僕を造つたものは第二の僕を造るだろう>(「闇中問答」)
それ・・・文脈から考えると<クリストの一生>を指している。
地上から天上へ登る・・・『改造』では<天上から地上へ登る>となっているが、これは誤記である。詳細はこちら
ゲーテのことは筆者の横着により資料がないため、ここではクリストの一生に絞って論じてみます。
クリストの一生は、<聖霊>に翻弄され天上を目指したものの挫折するという、悲劇的なものでした。しかし<聖霊の子>であるからこそ、私たちはクリストの一生に心を動かされるのです。ゲーテは<地上>に戻っていきましたが、今でも彼が愛されているのは、彼の中にある聖霊が、この世に詩を残していったからに他なりません。
クリスト教は滅びるかもしれませんが、クリストが残したものは生き続けていくでしょう。あらゆる天才の一生は、クリストに象徴されるような惨めなものです。ゲーテもまた、クリストと同様天上に登るのに失敗した人物です。地上の人間になり神秘学者になっています。しかし、クリストもゲーテも、現実に敗れはしましたが芸術は残りました。それゆえに、私たちはクリストたちの一生に心を動かされるのです。