2.彼の伝記作者

本文

ヨハネはクリストの伝記作者中、最も彼自身に媚びているものである。野蛮な美しさにかがやいたマタイやマコに比べれば、――いや、巧みにクリストの一生を話してくれるルカに比べてさえ、近代に生まれた我々には人工の甘露味を味はさずには措かない。

しかしヨハネもクリストの一生の意味の多い事実を伝えている。我々は、ヨハネのクリストの伝記にある苛立たしさを感じるであろう。けれども三人の伝記作者たちにはないある魅力も感じられるであろう。

人生に失敗したクリストは独特の色彩を加へない限り、容易に「神の子」となることは出来ない。ヨハネはこの色彩を加えるのに少くとも最も当代には、up to date の手段をとっている。ヨハネの伝えたクリストはマコやマタイの伝えたクリストのように天才的飛躍を具えていない。が、荘厳にも優しいことは確かである。

クリストの一生を伝えるのに何よりも簡古を重んじたマコは恐らく彼の伝記作者中、最もクリストを知っていたであろう。マコの伝えたクリストは現実主義的に生き生きしている。我々はそこにクリストと握手し、クリストを抱き、――更に多少の誇張さへすれば、クリストの髯の匂を感じるであらう。しかし荘厳にも劬りの深いヨハネのクリストも斥けることは出来ない。

とにかく彼等の伝えたクリストに比べれば、後代の伝えたクリストは、――殊に彼をデカダンとしたあるロシア人のクリストは徒らに彼を傷つけるだけである。

クリストは一時代の社会的約束を蹂躙することを顧みなかった。(売笑婦や税吏や癩病人はいつも彼の話し相手である。)しかし天国を見なかったのではない。

クリストを l'enfant に描いた画家たちはおのずからこういうクリストに憐みに近いものを感じていたであろう。(それは母胎を離れた後、「唯我独尊」の獅子吼をした仏陀よりもはるかにたよりのないものである。)けれども幼児だったクリストに対する彼等の憐みは多少にもしろ、デカダンだったクリストに対する彼の同情よりも勝っている。

クリストはいかに葡萄酒に酔っても、何か彼自身の中にあるものは天国を見せずには措かなかった。彼の悲劇はそのために、――単にそのために起っている。

あるロシア人はある時のクリストのいかに神に近かったかを知っていない。が、四人の伝記作者たちはいずれもこの事実に注目していた。


彼自身に媚びている・・・受難の場面では、自分自身を<弟子の一人>として登場させるなど、自分を愛弟子扱いするところが多く見られる。なお、福音書のヨハネはバプテズマのヨハネ(正編11参照)とは別人。

三人の伝記作者たちにはないある魅力・・・本文では<三人の伝記作者たちには或魅力>となってるが、全体の文脈から考えて見られるように訂正した。

up to date の手段・・・最新式の方法。ヨハネの福音書は<霊的福音書>と呼ばれ、他の3つと相違する点が多い。有名な一節<はじめに言葉があった><神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛してくださった>など、イエスを神の子として強調するなど、他の福音書には見られない記述が多く見られる。

デカダン・・・退廃的な。虚無的な。ここの<あるロシア人>がだれのことかは不明。

l'enfant・・・enfant はフランス語で子供の意味。le(l')は定冠詞で、英語の the にあたる。キリストを子供に見立てた作品は多く、宗教画のみならず文芸でも子供のキリストが見られる作品は多い。ワイルドの「わがままな大男」や、芥川自身の「きりしとほろ上人伝」が挙げられる。

憐み・・・悲劇の死をとげたクリストに対する同情と見るべきか。

「唯我独尊」の獅子吼をした仏陀・・・仏教の始祖釈迦は、生まれてすぐに天地を指し「天上天下唯我独尊」と話したという逸話がある。

何か彼自身の中にあるもの・・・クリストに宿った聖霊。


クリストの一生を、4人の伝記作家が福音書の中で伝えています。その中でもヨハネは、独特の手法でクリストを<神の子>にしようとしました。ヨハネによる福音書はただクリストの一生を伝えるだけではなく、神との関わりを強調しているのです。この中では、クリストはほとんど奇跡を行ないません。それだけに<詩的正義>に生きる姿が強調され、それを芥川は<意味の多い事実を伝えている>と記しました。

クリストは社会の掟を踏みにじり、当時蔑まれていた売春婦や税吏(現代の税務署ではなく、税を不当に取りたてて私腹を肥やしていた人々)、また人々が伝染を恐れて近づこうとしなかった病人たちと接しています。しかし決して退廃的な厭世主義者、あるいはアナーキストではなく、天国を見る詩人でした。

このように、クリストは常に、天を目指しつづけてきました。彼の中にいる聖霊が、現実には存在しない天国を見せたのです。クリストの悲劇はそのためであって、決して地上を目指したからではありません。

クリストは神に近い瞬間がありました。しかしゴルゴダの受難において、クリストは<人の子>以外のなにものでもなかったことを私たちに示しています。<地上から天上へ>であることは、ここでも明らかになるでしょう。