3.共産主義者

本文

クリストはあらゆるクリストたちのように共産主義的精神を持っている。もし共産主義者の目から見るとすれば、クリストの言葉はことごとく共産主義的宣言に変わるであろう。彼に先立ったヨハネさえ「二つの衣服を持てる者は持たぬ者に分け与えよ」と叫んでいる。しかしクリストは無政府主義者ではない。

我々人間は彼の前におのずから本体を露している。(もっとも彼は我々人間を操縦することは出来なかった、――あるいは我々人間に操縦されることは出来なかった。それは彼のヨセフではない、聖霊の子供だった所以である。)

しかしクリストの中にあった共産主義者を論ずることはスイツルに遠い日本では少くとも不便を伴っている。少くともクリスト教徒たちのために。


共産主義的精神・・・マタイ20章には、ぶどう園で働く農夫の譬え話がある。これによれば、朝から夕方まで働いたものも最後の1時間しか働かなかったものも同じ給料をもらっている。なお、大正から昭和の初期にかけての日本では、共産主義は禁じられていた。

ヨハネ・・・バプテスマのヨハネ。正編11参照。

無政府主義者・・・あらゆる権威を否定する存在。

本体を露している・・・続編(1)でいう、<万人の鏡>とはこれに相当する。自分自身の思想や主義は、クリストの言葉をどう理解するかによる。

スイツル・・・スイス。宗教改革がはじまった国である。


クリストのぶどう園の譬え話は、見方によっては共産主義宣言にとれるのです。クリストの思想はそれを受け止める側にとってどのようにでもとれるのです。続編1で「鏡」と述べているのにはこのような理由があります。しかし共産主義を禁じていた日本と、宗教改革から程遠い日本のクリスチャンの前では、このようなことを発言することは不可能です。日本のクリスチャンは、クリストの本質を見失っているのですから。……

クリストは共産主義でも、無政府主義ではありません。社会を踏みにじったとはいえ、権威を否定する人物ではなく、神という絶対の存在を説いている人物です。