6.ジヤーナリズム至上主義者

本文

クリストの最も愛したのは目ざましい彼のジャーナリズムである。

もし他のものを愛したとすれば、彼は大きい無花果のかげ年とった予言者になっていたであろう。平和はその時にはクリストの上にも下って来たのに相違ない。彼はもうその時には丁度古代の賢人のようにあらゆる妥協のもとに微笑していたであろう。

しかし運命は幸か不幸か彼にこういう安らかな晩年を与えてくれなかった。それは受難の名を与えられていても、正に彼の悲劇だったであろう。

けれどもクリストはこの悲劇のために永久に若々しい顔をしているのである。


大きい無花果のかげ・・・イチジクはユダヤの象徴であり、<社会の体制のもとに>という解釈がここでは出来るだろう。クリストは社会を踏みにじった。

年とった予言者・・・正編(36)には、老いていったゲーテについて書かれている。<年とった>は正編(7)にもあり、世間知を持つもの、として考えられるだろう。

微笑・・・幸福な様子。つまり「炉辺の幸福」である。

幸か不幸か・・・ジャーナリズムに生き、ジャーナリズムに死ぬというのは<ジヤーナリズム至上主義者>として幸運なことではあっても、実生活にあっては失敗者であり、その点は不幸である。

永久に若々しい顔・・・<年とった>の反意語。情熱に燃え、永久に語り継がれる。


クリストは死の間際までジャーナリストとして生きました。もし他のもの――炉辺の幸福を望んでいれば晩年を全うし、平和な生活を送ったのでしょう。

しかし、クリストを生んだ聖霊は、彼にそのような生活を許しませんでした。正編27にあるとおり、もしエルサレムに向かわないとすれば他の聖霊の子たちから詰られることになっていたのです。

十字架の受難はジャーナリズムの一環ではあるとしても、クリストにとって事実上悲劇でしかありません。しかしこの悲運の一生は、我々を動かすのです(正編36)。