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クリストは彼のジャーナリズムのいつか大勢の読者のために持て囃されることを確信していた。彼のジャーナリズムに威力のあったのはこういう確信のあったためである。
従って彼はまた最期の審判の、――即ち彼のジャーナリズムの勝ち誇ることも確信していた。
もっともこういう確信も時々は動かずにいなかったであろう。しかし大体はこの確信のもとに自由に彼のジャーナリズムを公けにした。
「一人の外に善者(よきもの)はなし、即ち神なり」――それは彼の心の中を正直に語ったものだったであろう。しかしクリストは彼自身も「善き者」でないことを知りながら、詩的正義のために戦いつづけた。
この確信は事実となったものの、勿論彼の虚栄心である。
クリストもまたあらゆるクリストたちのようにいつも未来を夢みていた 超阿呆の一人だった。もし超人という言葉に対して超阿呆という言葉を造るとすれば。……
確信・・・<僕は将来に読者を持っている>(「闇中問答」)つまり将来にもクリストの詩が残ることを確信していた。
最期の審判・・・この世が終わる時に、神によって人類が裁かれること。
もっともこういう確信も時々は動かずにいなかったであろう・・・自分の命を引き換えに詩的正義のために生きることへのためらいがあったのだろう。
「一人の外に善者(よきもの)はなし、即ち神なり」・・・マタイ19章17<よいかたはただひとりである>
詩的正義・・・自分が説くエホバの神を絶対のものにすること。
虚栄心・・・自分のジャーナリズムを残すために見苦しい死を迎える心理状態であろう。
未来を夢みていた・・・将来に自分の詩的正義を残すことを願っていた。現世よりも<一行の詩>を残そうとした。
超阿呆・・・現世のことを顧みずゴルゴダに行き悲劇の死を遂げるのは、普通の感覚では理解できないことであろう。
クリストは、自分の死後に自分のジャーナリズムが残ることを、そして多くの人たちに愛されることを確信していました。それほどにクリストのジャーナリズムは効果があったのです。
そのために命を捨てることは、常識的な考えでは理解できないことかもしれません。クリストも時々ためらっている様子が窺えます。それでもクリストは、自ら十字架へと向かっていきました。芥川は<超阿呆>という言葉を作り、クリストの悲劇に向かう姿を表現しました。
クリストは、自分が見苦しい死を遂げることを知っていました。しかし自分の説く神を絶対のものにするために、その見苦しい死に方を選ぶのです。これはもちろん、虚栄心という以外には考えられないでしょう。
芥川は自分の作品が、死後なおも残ることを確信していました。死を選ぶのは怖かったのかもしれませんが(「或阿呆の一生」)、彼もまたクリストと同じ道を選んだ<阿呆>の一人だったといえるでしょう。