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クリストは比喩を話した後、「どうしてお前たちはわからないか?」と言った。この歎声もまた度たび繰り返されている。
それは彼ほど我々人間を知り、彼ほどボヘミア的生活をつづけたものにはあるいは滑稽に見えるであろう。しかし彼はヒステリックに時々こう叫ばずにはいられなかった。
阿呆たちは彼を殺した後、世界中に大きい寺院を建てている。が、我々はそれ等の寺院にやはり彼の歎声を感ずるであろう。
「どうしてお前たちはわからないか?」――それはクリストひとりの歎声ではない。後代にもみじめに死んで行った、あらゆるクリストたちの歎声である。
「どうしてお前たちはわからないか?」・・・マタイ16章11など。
それ・・・歎声をあげたこと。ヒステリーといえば、「文芸的な あまりに文芸的な」には次のような一節がある。<ヒステリーを起こしているシェークスピアやゲーテを想像するのは滑稽である。(略)が、彼等の大を成すものはこのヒステリーの外にある彼らの表現力そのものである>
ボヘミア的生活・・・正編9など。彼のように各地を歩き多くの人々を見てきたものにとって、自分が理解されないのはわかりそうなものである。
阿呆たち・・・ここではサドカイの徒やパリサイの徒(次章参照)だけではなく、天才を理解しない者たちすべてのことを指している。
クリストは何度となく、自分を理解しないものたちにヒステリックにならなければなりませんでした。この姿は我々から見て少し滑稽かもしれません。しかし、クリストの芸術を生み出したものはまさにヒステリーでした。
クリストは自分を理解しない者たちにヒステリーを起こし、その中に自分の喜びや悲しみを歌い上げた――芥川はクリストのヒステリーを、このように解釈していたのではないでしょうか。
クリストが死んだ後、後代の俗人は世界中に寺院を建て、クリストの精神にそったつもりになっています。それを見たら、クリストはやはり歎声をあげることでしょう。ヒステリックに、「どうしてわからないのか」と。
そしてこれは、いつの世も天才を認めない世間に対する、あらゆる天才たちの言葉なのです。天才たちは世間に認められることなくみじめに死に、そして後代はそれをいかにも理解している(いた)ようにふるまうのですから。