18.二人の盗人たち

本文

クリストの死の不評判だったことは彼の十字架にかかる時にも盗人たちと一しょだったのに明らかである。

盗人たちの一人はクリストを罵ることを憚らなかった。彼の言葉は彼自身の中にやはり人生のために打ち倒されたクリストを見出したことを示している。しかしもう一人の盗人は彼よりも更に妄想を持っていた。クリストはこの盗人の言葉に彼の心を動かしたであらう。

この盗人を慰めた彼の言葉は同時にまた彼自身を慰めている。
「お前はお前の信仰の為に必ず天国にはいるであろう。」

後代はこの盗人に彼等の同情を示している。が、もう一人の盗人には、――クリストを罵つた盗人には軽蔑を示しているのに過きない。それは正にクリストの教えた詩的正義の勝利を示すものであろう。

が、彼等は、――サドカイの徒やパリサイの徒は今日でもひそかにこの盗人に賛成している。事実上天国にはいることは彼等には無花果や真桑瓜の汁を啜るほど重大ではない。


盗人たちの一人・・・ルカ23章39<あなたはキリストではないか。それなら自分を救い、また我々も救ってみよ>。

もう一人の盗人・・・ルカ23章42<あなたが御国の権威をもっておいでになる時は、私を思い出してください>。しかしマタイ・マルコの各福音書によると、この盗人もイエスを罵っている。

「お前はお前の信仰の為に必ず天国にはいるであろう。」・・・ルカ23章43<あなたは今日、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう>。「信仰のために」という言葉はなく、ここは芥川の創作。

サドカイの徒やパリサイの徒・・・続16からこの種の人間に対する批判が続く。当時のサドカイの徒・パリサイの徒を指すのではなく、後代の人間にある<サドカイの徒やパリサイの徒>を指している。

無花果や真桑瓜の汁を啜る・・・イチジクはエルサレムの象徴であり、ここは<国家によって甘い汁を吸う>という解釈が成立つ。正編12にある<パン>つまり物質を象徴しているとも言えよう。


クリストの死は、決して当時の人たちに評価されたものではありませんでした。そしてともに十字架につけられたものも、クリストを罵ってはばからなかったのです。人生に失敗した者のみじめな姿でした。

しかし、盗人の一人はクリストの<天国>にあこがれた人物です。クリストはこの盗人に対して<天国>を約束しました。この約束は盗人よりも、むしろ(人生に敗れた)自分を慰める言葉だったのでしょう。

後代の人たち――キリスト教を信仰する人たちは、この盗人に対する同情を見せています。これはクリストの詩が、彼らの心を動かしていることに他なりません。

しかし彼らの本心は、天国よりもこの世の富を望んでいます。クリストの詩的正義は勝利を収めた(後代に名を残した)ものの、やはり地上の者たちに受け入れられていないのです。

なお、「信仰のために」という言葉は芥川の創作ですが、ここには正編16などと共通する思想が感じられます。想像力によって奇跡が起こりうる、という科学的な真理でした。