21.文化的なクリスト

本文

クリストの弟子たちに理解されなかったのは彼の余りに文化人だったためである。(彼の天才を別にしても。)

彼等は大体は少くとも彼に奇蹟を求めていた。哲学の盛んだった摩伽陀国の王子はクリストよりも奇蹟を行わなかった。

それはクリストの罪よりもむしろユダヤの罪である。彼はロオマの詩人たちにも遜らない第一流のジャーナリストだった。同時にまた彼の愛国的精神さえ抛って顧みない文化人だった。(マコはクリスト伝第七章二五以下にこの事実を記している。)

バプテズマのヨハネは彼の前には駱駝の毛衣や蝗や野蜜に野人の面目を露している。

クリストはヨハネの言ったように洗礼にただ聖霊を用いていた。のみならず彼の洗礼(?)を受けたのは十二人の弟子たちの外にも売笑婦や税吏や罪人だった。我々はこういう事実にもおのずから彼に柔らかい心臓のあったのを見出すであろう。

彼はまた彼の行った奇蹟の中に度たび細かい神経を示している。

文化的なクリストは十字架の上に最も野蛮な死を遂げるようになった。しかし野蛮なバプテズマのヨハネは文化的なサロメのために盆の上に頭をのせられている。運命はここにも彼等のために逆説的な悪戯を忘れなかった。……


摩伽陀国の王子・・・釈迦

クリスト伝第七章二五以下・・・<汚れた霊につかれた幼い娘をもつ女が、イエスのことをすぐ聞きつけてきて、その足もとにひれ伏した。この女はギリシア人で(略)娘から悪霊を追い出してくださいとお願いした。>クリストは<子供たちのパンを犬にやるのはよくない>と断るが、<犬も子供たちのパンくずはいただきます>と答えると、クリストは女の娘を癒した。ここでは、異民族を<犬>にたとえている。愛国心よりも、人類愛のようなものをここで見せる。

(?)・・・洗礼という言葉に対する、芥川の疑いが見られる。キリスト教的な意味ではなく、自分の思想を受け継いでいるものということであろう。

柔らかい心臓・・・「文芸的なあまりに文芸的な」国木田独歩のところにもこの言葉が見える。柔らかい心臓とは、詩人の心のこと。

細かい神経・・・正編16参照


クリストが理解されなかった理由の一つに、<文化的>を芥川は見出しています。正編37には<野蛮な人生>という言葉が見られる通り、この世界はあらゆるクリスト――天才たちを苦しめるのでした。

哲学が盛んだったインドでは、奇跡を起こす必要はありませんでした。しかし哲学を理解しなかったユダヤでは、クリストのジャーナリズムよりも奇跡のほうが喜ばれるのです。クリストはそのために、奇跡に対する嫌悪を抱いていました(正編16参照)。

「柔らかい心臓の持ち主」であるクリストは、異民族ばかりではなく、当時世間から蔑まれていた人々と交流しました。クリストはその様な人々に、天国の夢を与えつづけていたのです。クリストは愛国心や差別意識というものとは無縁の文化人でした。人類愛というものを持つ詩人だったのです。

天才を理解しない世の中は、あらゆるクリストにとって生きられる場所ではありません。野蛮なヨハネは文化的に、文化的なクリストは野蛮な死を迎えるのでした。