本文
クリストのジャーナリズムは貧しい人たちや奴隷を慰めることになった。それはもちろん天国などに行こうと思わない貴族や金持ちに都合の善かったためもあるであろう。
しかし彼の天才は彼等を動かさずにはいなかったのである。いや、彼等ばかりではない。我々も彼のジャーナリズムの中に何か美しいものを見出している。
何度叩いても開かれない門のあることは我々もまた知らないわけではない。狭い門からはいることもやはり我々には必しも幸福ではないことを示している。しかし彼のジャーナリズムはいつも無花果のように甘みを持っている。
彼は実にイスラエルの民の生んだ、古今に珍らしいジャーナリストだった。同時にまた我々人間の生んだ、古今に珍らしい天才だった。「予言者」は彼以後には流行していない。
しかし彼の一生はいつも我々を動かすであろう。彼は十字架にかかるために、――ジャーナリズム至上主義を推し立てるためにあらゆるものを犠牲にした。
ゲエテは婉曲にクリストに対する彼の軽蔑を示している。丁度後代のクリストたちの多少はゲエテを嫉妬しているように。――
我々はエマオの旅びとたちのように我々の心を燃え上らせるクリストを求めずにはいられないのであろう。
貧しい人たちや奴隷を慰めることになった・・・マタイ19章24には、<富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい>とある。
何度叩いても開かれない門・・・マタイ7章7<門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう>
狭い門からはいる・・・マタイ7章13−14<狭い門からはいれ。滅びにいたる道は大きく、その道は広い。(略)命にいたる門は狭く、その道は細い。>
十字架にかかるために・・・<地上から天上に>はここでも明らかであろう。クリストの地上指向は無理である。
エマオの旅びとたち・・・ルカ24章13以降にエマオという地名が出る。33には、<道々お話しになったとき、また聖書を解き明かしてくださったとき、お互の心が内に燃えたではないか>
クリストのジャーナリズム――天国の夢は、貧しい人々に希望を持たせることになります。天国よりも地上が大切な金持ち(続編18参照)にとっては、都合のよいことでした。彼らに天国の希望を持たせておけば、自分たちの地位を脅かされる心配はなくなるのですから。命と引き換えに得た死後の名声も、地上の者たち(パリサイの徒やサドカイの徒)にはただ利用されるだけでした。
努力しても報われないことがあるのは、私たちみんな知っています。理想に生きることは幸福ではありません。クリストが命をかけたジャーナリズムでさえ、彼を認めない俗物に利用されているだけなのです。しかしそれでも、クリストのジャーナリズムは私たちの心を動かす魅力を持っています。
<クリストを求めずにはいられない>と記した芥川は、枕元に聖書を置いたまま永遠の眠りに就きました。芥川が求めたものは、キリスト教の信仰で得られる<永遠の命>ではありません。ジャーナリズム至上主義をうちたて、あらゆるものを犠牲にした、クリストの生きざまではなかったでしょうか。