2008/08/22
八丈島
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単身赴任による不自由の一つが、家族と旅行できないことです。休暇が取れれば家に帰ることが最高の旅行になってしまい、そこからさらに家族と旅行に行こうという気持ちにはなかなかなれません。そんな訳で当家の家族旅行史はぽっかりと6年間の空白が開いてしまっていました。
今年は違います。22歳になる息子と八丈島へ行ってきました。どこでもそうでしょうが、男の子は十代の半ばを過ぎれば親と、特に父親とは殆ど口を利かなくなります。息子とある程度の意思疎通が戻り始めたのは彼が20歳になってからです。今年は二人で泊りがけに出かけ、島内は殆ど息子の運転で見て回りました。この島へ最後に息子と来たのは14年前ですが、まさか14年後にもう一度息子と来て、彼の運転で島内を巡ることになるとは思っていませんでした。 写真は島内至る所で見かけるハイビスカスです。これがないと南の島へ来た気がしません。 |
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この春、八丈島の北岸に開業した「リード・アズーロ」から見下ろすホテルのプールと太平洋です。ここは本州の側を向いている海ですから、流人たちはこの海を眺めてどんなにか望郷の念を募らせ、海の向こうに届けとばかり八丈太鼓を打ち鳴らしたことでしょう。
江戸時代の初め、宇喜多秀家主従が流人第1号として流されてから明治4年に島流しの制度が廃止されるまで265年間に1,865人が流され、抜け舟の企てが15回、内本土までたどり着けたのが1回だけだそうです。黒潮が洗う絶海の島から15回脱出して、とにもかくにも1回は成功したという事実は、ナニやら希望を与えられるような気もします。 さらに宇喜多秀家の子々孫々は八丈島で繁栄し、7家75人が明治3年に赦免されて江戸(既に“東京”ですが)に戻ったそうです。260年以上に亘って、しかも子々孫々まで島に閉じ込めておくという刑罰は多分世界史にも余り例がないのではないでしょうか。 |
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しかしその一方、秀家の奥さんである豪姫(前田利家四女)の実家、加賀百万石前田家からはその間ずっと援助物資が届けられ、明治3年赦免になった後は板橋区内の屋敷に一族を住まわせたそうです。利家に取っては娘の嫁ぎ先であり、その子供たちは利家の孫だとしても260年前の戦友にここまでできるとは、加賀前田家というのも信じられないスケールですが、それを許してきた徳川幕府もある意味太っ腹と言えます。チマチマした短期的な損得が気になる時、この話を思い出して我が身を振り返りたいものです。余り長続きしないかもしれませんが。 注:八丈流人の歴史については「八丈島歴史民族資料館」の掲示から引用しました。2008/08/24 左の写真は夕暮れ時、海側から見たリード・アズーロです。大き過ぎない、趣味の良いリゾートホテルでした。フロントおねいさんの笑顔も素敵でした。 |
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八丈島空港で買ってきた八丈島酒「手造りをあがりやれ」、[あがりやれ]とは八丈の言葉で「召し上がれ」の意だそうです。1853年、つまり幕末はペリー来航の年に丹宗庄右衛門という薩摩の人が流人としてやってきたのですが、その人が芋焼酎の製法を島人に教え、それから八丈島酒の製造が始まった由。つまり流人の歴史と島酒の歴史はホンの20年ぐらいしか重なっていないのです。
成り立ちの歴史から明らかなように、八丈島酒は本来芋焼酎のはずなんですが、その後芋が不作の年があったり、消費者の好みに合わせたりして次第に麦焼酎が主流となり、今は殆ど麦または麦・芋ブレンドで作られています。 私は大メーカーの作る麦焼酎と八丈島酒の利酒ができるほど舌が肥えているわけではありませんが、なんとなく八丈島酒というだけで海鳴りが聞こえてくるような気がします。現在八丈島酒は八丈島へ行かないと飲めないわけではなく、セブンイレブンからでも注文できるそうです。2008/08/25 |
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島から戻っても八丈島三昧でして、今度は実在の「八丈実記」著者、近藤富蔵を主人公にした小説「海嘯〜逸と富蔵の八丈島」を読みました。八丈島へ流された人々の暮らしが、史実を元に空想を取り混ぜ、八丈島の美しい自然を背景に描かれています。八丈島に流された人にはどうも2種類あるようで、ある人々はいつか八丈島を出られることだけを望みに生き抜こうとします。もう一つは八丈島へ流された自分を受け入れる人々で、この物語の主人公富蔵は後者に属します。83歳まで長生きしたという事実を考えると、やはり後者の方が人間として幸福なのでしょう。現実に八丈島を生きて出られた流人は大変少なかったのです。殆どは江戸幕府から届くかもしれない赦免状を待って待って待ちわびて、そのストレスから死んでしまいます。富蔵は旗本の息子であるといったプライドを全て捨て、八丈島の住人になり切ろうとします。明治の世に変わり、赦免になった後も墓参りを済ませてもう一度八丈島に戻り、そこで余生を送ったほどです。
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赦免は全く気紛れに行われます。犯した罪の軽重、島での生活態度などとは一切関係なく、まるで目を瞑って小石を拾い上げるようなやり方でほんの一部の人が赦免されます。今から思えばこれはある意味非常に効果的なやり方です。全く選択の基準を示さないまま一部の人だけ赦免することで、残った人々をより苦しめることができます。自分が赦免されないことをどうやっても納得できないからです。つまり基準不明の赦免制度そのものが一種の懲罰なんです。
そして、もう一つは流人を管理する手段として効果的だということです。終戦後、シベリアに抑留された人々の間では“もうすぐ開放されるらしい”という噂話が定期的に流れました。勿論意図的に流されたものです。人間は全く希望のない状態では生きていけません。そういう人々は管理統制することもできません。生きる意欲を完全になくしてしまった人々を従わせることは難しいからです。そのため、ありもしない希望を持たせるために、定期的に嘘の噂を流すのです。シベリア抑留者に取っての開放噂話が、八丈流人に取っての赦免制度です。 |
私たち会社員も、何を基準にしているのかよく解らない評価&処遇に振り回されるような気持ちになることもありますが、対処方法は富蔵と同じです。良いものも悪いものも、或いは不完全なものであっても、その現実をあるがままに“受け入れる”、これです。八丈流人であろうと現代の会社員であろうと、これ以外に心を安らかに保つ方法はありません。多分。2008/08/30 |
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左の写真は東京電力の地熱発電所です。火山島である八丈島ならではのエネルギー源ですが、この地熱発電だけで島全体の最低電力需要3000kwが賄えてしまい、重油をドラム缶にして年間25,000本節約できるそうです。当然その重油を燃やした場合に出るはずだった二酸化炭素も節約できているはずです。 |
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東京電力地熱館です。地熱発電所に併設されています。中は拍子抜けするほど簡素ですが、地熱発電所を見に行ったついでに見てくるなら損はありません。入り口には東京電力のマスコット「でんこ」ちゃんも「おじゃりやれ」(八丈島の言葉で“いらっしゃい”の意)と出迎えてくれます。 |
![]() | 京急川崎駅に程近い八丈島料理「八丈丸」へ行ってきました。鯵の叩きはとっても美味しゅうございました。 2009/05/03 |
![]() | 八丈島空港で買うか、セブンイレブンで取り寄せるしかないと思っていた八丈島酒、この店ではこんなに揃っています。上にも書きましたとおり、八丈島酒は薩摩からの流人が伝えたものですから歴史的に芋が元々だと思うのですが、現在作られているのは殆どが麦です。しかし真中に写っている「島流し」は数少ない麦・芋ブレンド八丈島酒です。 2009/05/03 |