2009/01/03
“みたいな。”言葉
【用例】首相の名前のほう
とか知らなくても生きていけるじゃないですか、みたいな。(朝日新聞より)
【解説】元々曖昧言葉である「みたいな気がします。」がさらに語尾無し言葉になって、「みたいな。」で止まってしまった言葉でありましょう。
最初に出会ったのはまだ5年ぐらい前でしょうか。語尾が「みたいな。」で終わる話法の女性を見かけるようになりました。余りにも奇異な表現ですから、このまま定着するか否か尚注視すべき対象と思います。いや、私がよく知らないだけで、他の曖昧言葉同様とっくに標準日本語化しているのかも知れません。
それにしても上で引用している例、スゴイですねえ。意味は「首相の名前を知らなくても生きていける。」これだけです。「のほう」「とか」「じゃないですか」「みたいな」の4単語は、100%語感を曖昧にするため、その目的だけに発音されています。当に曖昧言葉の幕の内弁当と申せましょう。是非単語毎に区切って“語尾上げ”で発音してみて下さい。さらに絶え間なく首を縦に振り続けながら話すことも忘れてはなりません。一瞬たりとも休んではなりません。
「私は断定するつもりはありません。自分の意見を言うつもりもありません。私の発言に関わる責任は私にありません。」これほどまでにして曖昧に話さなければならない、それによって身を守らなければならない社会って、いったいどういう仕組みになってるんだか、なんてお返しする言葉のほうとかも見当たらないじゃないですか、みたいな。
↑これを書きましたのが2001年の12月つまり今から7年前ですが、廃れませんね、この“みたいな。”言葉。先日ラジオの出演者(男性)がかなり興奮してまくし立てていました。
仮にも公共放送ですから、最低レベルの品格は保った言葉を使うのが真人間のすることと思いますが、もはや後ろに「みたいな。」さえ付ければ何でもありですね。7年前、当庵に採用した時点では、責任回避機能を目的として(主に)女性が使う曖昧語だったのですが、この例は既に曖昧語の機能を脱し、
確信的に罵詈雑言を撒き散らし、かつ発言責任を負わないための免罪符部品化しています。勿論、後ろに“みたいな。”さえ付いていれば罵詈雑言ではない、発言者の人格は保たれている、と思う人がどれだけいるかは疑問ですが。いやはや、留まる所を知らず、程度が落ちていきます。が公共放送の正規出演者から聞かれるようになるまでに後何年必要でしょう。当庵ではこういう単なる罵詈雑言を収集する気はありませんが、当初曖昧言葉の一種として登場し、僅か10年余りでここまで使い方や存在理由が変化した日本語は確かに珍しいといえます。その意味だけで所蔵品の一部に入れておきます。
奇妙語というよりひたすら汚いだけに見えてきました。☆は付けません。