食事を抜いてこの本を読め!!

ジャンル 純文学
書名 ねじまき鳥クロニクル
著者 村上 春樹
出版社 新潮文庫 ISBN
第1部 泥棒かささぎ編
4-10-100141-3
第2部 予言する鳥編
4-10-100142-1
第3部 鳥刺し男編
4-10-100143-X

値段
第1部 泥棒かささぎ編
514円
第2部 予言する鳥編
522円
第3部 鳥刺し男編
705円
名言 ひとりの人間が、他のひとりの人間について十全に理解するということは果たして可能なことなんだろうか。
感想 この作品はボクを激しく揺さぶって動揺させた。
正直、村上春樹の文章力に感服したし、かなわないと思った。
妻の微妙な行動の変化から、読者に少しづつ疑惑を感じさせ、突然の失踪で謎を深める。そして、残酷な手紙で絶望感すら感じさせるのだ。
ボクが、クミコの裏切りに対して感じた嫉妬は、もしかすると村上の才能に対する嫉妬かも知れない。

 さて、この作品のタイトルは「ねじまき鳥クロニクル」です。
 ねじまき鳥っていうのは、死と隣り合わせの人々を見つめてきた、姿の見えない鳥です。その鳥は、世界のどこかで世界が止まってしまわないように、世界のねじをまき続けている。
 そして、

人々はとくべつな人間にしか聞こえないその鳥の声によって導かれ、避けがたい破滅へと向かった(文庫版第3部 P345)

という鳥なのです。

 クロニクルというのは、年代記のことだから、この作品は、そういう鳥の年代記です。

 みなさんは、どんなストーリーを想像しますか?
 ボクは、こんな話を想像しました。

歴史の片隅で人々の生と死が繰り返されている。戦争や陰謀や権力闘争を通じて、多くの人々が損なわれていく。その生と死を見つめながら、世界のねじを巻続ける、ねじまき鳥を通じて、人の生のはかない悦びと悲しみを描く

 う〜ん、なにか似た作品を思い浮かべません?
 そう「火の鳥」(手塚治虫)って、そういう作品でしたね。
 このままで行くと、この作品は「村上春樹版 火の鳥」になってしまうところでした。
 でも、幸か不幸か、村上春樹は、そんなものをモチーフにはしなかったのです。

 彼がこの作品のモチーフに選んだのは、妻の裏切りと失踪でした。
 どういうわけか、村上春樹の作品は妻の失踪というモチーフが多いんですよね。
 初期の短編「TVピープル」でも、ある日TVピープルが「奥さんは帰ってこないよ。ダメになってしまったからね。」というような謎めいた宣告をして、主人公は妻を失うし、代表作「羊をめぐる冒険」でも、最初に妻との離婚から始まります。(「ダンス・ダンス・ダンス」は、その続編ですね)
 何かあったんでしょうか?

 この「ねじまき鳥クロニクル」も、ある日突然、妻が何の知らせもなく去ってしまった主人公が、妻を取り戻すため、夢と現実の狭間をさまよう話です。

 物語は、1本の電話から始まります。
 謎の女性からの謎めいた電話。なぜか彼女は主人公のことを知っているが、主人公は彼女に心当たりがない。そして、彼女はテレフォン・セックスまがいの会話をしてくるため、主人公は一方的に電話を切ってしまいます。それが悲劇を決定的にするとは気づかずに・・・

 そして、ある日、主人公の妻クミコは失踪してしまいます。
 クミコの兄、綿谷昇は、離婚に承諾するよう一方的に迫ります。
 クミコは手紙で彼女が主人公を裏切っていたことを告白します。
 霊媒師 加納マルタの妹、加納クレタは、主人公にクレタ島(ギリシャ)に行き、一緒に暮らそうと誘います。

 一度は、加納クレタと新しい人生を始めようと考える主人公、しかし、彼は不思議な夢を通じて、クミコが彼に救いを求めていること、彼がクミコを愛していること確認し、日本に残りクミコを救い出すことを決意します。

僕は逃げられないし、逃げるべきではないのだ。(文庫版第2部 P322)

 そして、邪悪な存在である綿谷昇と主人公のクミコをめぐる対決の幕が切って落とされます。

 この作品では、主人公の対となる邪悪なもの、欲望や死や権力と云ったもの象徴として綿谷昇という人物が登場します。
 主人公は、仮縫い部屋でヒーリングを行うことからわかるように癒しの象徴です。
 つまり、癒しや生命を象徴する善なるものと、死・欲望・権力といった邪悪なものの戦い、対なるモノの宿命的な戦いなんですね。

「綿谷ノボル様は岡田様とはまったく逆の世界に属している人です」と加納クレタは言った。それからしばらく口を噤(つぐ)んで言葉を探していた。「岡田様が失っていく世界で、綿谷様は獲得していきます。岡田様が否定される世界で、綿谷様は受け入れられていきます。またその逆のことも言えます。だからこそあの方は岡田様のことを激しく憎んでおられるのです」(文庫版第2部 P260)

 もちろん、最後は主人公が勝利します。
 夢の世界にある、クミコがとらわれた、闇に支配された部屋で、主人公は綿谷昇を倒します。現実の世界の綿谷昇は、そのとき公演中に脳溢血で植物人間になります。
 そして、クミコは彼の息の根を止める。
 主人公は、刑を終えクミコが帰ってくる日を待っている。

「もし僕とクミコのあいだに子供が生まれたら、コルシカという名前にしようと思っているんだ」と僕は言った。
「素敵な名前じゃない」と笠原メイは言った。(文庫版第3部 P507)

 そして、笠原メイと別れ主人公は日常へ帰っていくのでした。
 めでたし、めでたし・・・

 し〜か〜し〜、めでたし、めでたしでは、すまないんです。
 主人公は言います

もっとひどいことにだってなりえたのだ(文庫版第3部 P507)

 つまり、この結末は、まだましだ、と言っているわけです。
 めでたし、めでたしでなくてね。

 クミコは保釈中も誰にも会おうとしなかったという、それなら主人公の元にクミコが返って来るという保証はないんじゃないかと思うのです。
 ましもなにも、良いことが起こっているような気がしません。

 もちろん村上春樹が、予定調和的な大団円を嫌ったという側面はあると思います。でも、それにしても、主人公が何からクミコを救ったのかハッキリしないのです。
 今ひとつすっきりしないんですよね

 作品を読めば、綿谷昇が邪悪な存在であることは書いています。
 でも、彼はどのように邪悪なのか、具体的には分からないのです。
 邪悪な力で、加納クレタを汚し、クミコの姉を汚し、クミコを汚した。
 でも、どんな風に汚したの?
 それが、描かれていないもどかしさを感じます。

 それと、もう一つ。
 せっかく、残酷な日中戦争の光景を何度も描いているにも関わらず、その物語が「主人公の物語=綿谷昇との対決」とシンクロしていないのです。

 日中戦争の話に出てくる、間宮中尉と皮剥ボリスの相克は、上手く描けば主人公と綿谷昇の相克に対比でき、物語に深みが出たように思えるのです。

 間宮中尉と皮剥ボリスの話は、掻い摘んで言うとこういう話です。

 シベリア抑留で強制労働させられた間宮中尉は、残酷な拷問を行う秘密警察の幹部ボリスに取引を申し出られます。
日本人に多少の自治を認める、その代わりボリスが権力を握る協力をしろと・・・

 疑いながらも、取引に応じた間宮中尉は後悔することになります。
 確かに約束は果たされます。しかし、権力を握ったボリスは、リンチや密告、テロを利用して、以前以上に過酷な支配を行うからです。
 間宮中尉は、意を決してボリスを暗殺しようとし、失敗します。そしてボリスから「呪い」をかけられます。

「いいかい、君はどこにいても幸福にはなれない。君はこの先人を愛することもなく、人に愛されることもない。それが私の呪いだ。」(文庫版第3部 P433)

そして、事実間宮中尉は、その後、人を愛することもなく、人に愛されることもなく生きていきます。

 ボリスに、「呪い」という超自然的な力があったのか、単なるハッタリかは分かりません。そこをハッキリさせたほうが、わかりやすいのにと思います。

 クミコと主人公がおかしくなった原因は3年前、クミコが子供を堕胎したことに始まっています。彼女は、綿谷家に流れる暗い血をおそれて子供を堕ろしたのです。
 しかしながら、クミコがおそれた、その暗い血のルーツが語られていません。

 綿谷家が、日中戦争当時の満州に関係があるという記述はあります。
 そこまで書くなら、いっそ

  • 綿谷家にボリスの血が流れていて、ボリスの欲望を支配する超自然的な力を、綿谷昇が受け継いでいる
  • 綿谷昇が権力を握ると、かつてシベリアで行われた恐怖政治が、日本に復活する
  • 主人公とクミコが綿谷昇を殺すことで、間宮中尉にかかったボリスの呪いが解ける

 そういう筋立てにしてしまえばいいのに、と感じてしまいます。

 まあ、村上春樹は、そういう予定調和を嫌ったのかもしれませんね。
 そういう想像をする余地を残しておきたかったのかも知れません。読者のためにね。

 ただ、この作品は、ものすごくボクを揺さぶったし、ボクのいろいろな想像力を刺激したのは確かです。

読むことが時間の無駄にならない数少ない作品の一つかも知れません。

(2000.11.11)

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