Shibayama, Kentaro 2001, 「ヨーロッパの社会民主主義 二一世紀の方向」、『進歩と改革』, 2001/2-3月号所収
著者の許諾と 『進歩と改革』誌の好意により本文全文を掲載します。

「進歩と改革」近畿学習会(二〇〇〇年一二月一〇日)から

ヨーロッパの社会民主主義 二一世紀の方向

              労働運動研究所 柴 山 健太郎(講演要旨)

 おそら〈皆さんの関心は、日本をどう変えるかということにあると思います。二〇世紀はもう終わるわけですから、二一世紀には日本をどう変えるのかが頭の中心にあるでしょう。それは私も同じです。その場合に、ヨーロッパの社会民主主義から学ぶことは非常に多いと思いますから、その点を述べて、最後に日本をどうするのか、皆さんと一緒に討論したいと思います。

20世紀とはどんな時代だったか

 現在の国際的社会主義運動の源流は一九世紀末にヨーロッパで生まれた第二インターです。その運動は瞬く間にアジア、アフリカ、ラテンアメリカに拡がり、二〇世紀初めには一大国際政治勢力になりました。それが一九一七年のロシア革命後に第二インターからソ連を中心とするコミンテルンの潮流が分裂して以降、二〇世紀の戦争とファシズムと戦後の冷戦期や高度成長期を通じて第二インターの伝統をうけついだ社会主義インターと、コミンテルンの潮流の国際共産主義運動が激しく対立したり、協力したりしながら発展してきたわけです。従って、二〇世紀社会主義を理解するには二〇世紀がどんな時代だったかを理解する必要があります。

 私が生まれたのが昭和二年ですから、一九二七年です。
昭和天皇が死んだのが一九八九年ですから、私は彼に六二年間つきあったことになります。二〇世紀というと、私たちの年代では、大体において昭和の時代です。私の少年時代は、一七歳になるまでは戦争と動乱の連続でした。

 中国の東北部は当時「満州」と呼ばれていたのですが、日本がその「満州」侵略のための戦争−「満州事変」を開始したのが一九三一年(昭和六年)です。私はその時四歳でした。

 私の父が、日露戦争から帰ってきて、国鉄、今で言うとJRですが、当時の鉄道省に勤めていまして、東海道線の湯河原駅の変電所の所長をしていました。日曜になると、町のはずれの芝居小屋に、ニュース映画、つまり活動写真が上映されるのですが、そこで私が初めて見たのが満州事変の活動写真でした。日本軍の兵隊が銃剣をキラメかせて突撃していき、中国の都市を陥落させ、城壁の上で万歳をしているシーンが今でも記憶に残っています。

 小学二年の時に二・二六事件が発生します。この日の東京は大雪で、翌日学校に行ったら臨時休校になっていて子供心に大変なことが起きていると感じました。この事件は「腐敗した政財界指導者を打倒し天皇親政を実現する」という「昭和維新」を唱える陸軍の青年将校たちが東京駐屯の陸軍の歩兵連隊の一五〇〇名の兵士を動員してクーデタを起こし、高橋是清蔵相はじめ重臣たちを虐殺したという事件です。この事件はすぐに鎮圧され首謀者は死刑になりましたが、この事件後は保守政党や財界は震えあがって軍部に協力するようになり、中国侵略のための国家を挙げての戦争体制が構築されて行きます。

 その翌年の一九三七年七月七日に日中全面戦争が起きます。これは当時、ろ溝橋事変と呼ばれました。北京の北にろ溝橋という橋があってその付近で日本軍が演習をしていると兵隊が一人行方不明になったのを、中国軍に拉致きれたと感ちがいして、戦闘を開始し、一時休戦協定が成立したのに、時の近衛内閣が「重大決意」をもって華北に大兵力を増派したのが日中全面戦争の始まりでした。

 その後、日本は大軍を中国に上陸させて、当時の南京の攻略をやります。その年の一九三七年の一二月一三日、南京が陥落しますが、そのとき私は小学校三年生で、「中国の首都をやっつけた。これで中国は降伏するだろうというので、東京では昼間は旗行列、夜は提灯行列と、大祝賀パレードをやり私たち小学生も参加したわけです。

 実は一昨日から千代田区の九段会館で、第二次大戦中の日本軍の占領地域における女性の性奴隷制度、従軍慰安婦問題を裁く女任国際戦犯法廷が開かれて、私もずっと傍聴していました。

 昨日は中国の南京事件の被害者の八○歳近い女性が証言しましたが、南京事件で自分の母親も、父親も兄弟柿妹も殺きれ、自分は一二歳でレイプされた話をしました。一家皆殺しにされて、自分は乞食になったという悲惨な話でした。彼女は証言している最中に号泣し、しまいに立ち上がって失神してしまい、会場は騒然となり、驚いた主催者が救急車を呼んで入院させました。その次に登場した山西省で抗日ゲリラの幹部だった女性は、ゲリラの指導者だったということで日本軍の兵隊から物凄い拷問を受けて、身長一六五センチの大柄な女性だったのが、骨盤を破壊されて一四五センチになってしまったということでした。その人も証言中に感情を抑えきれなくなって失神、証言できなくなるという事件が起きました。「法廷」で女性を尋問していた中国人の女性検事も思わずハンカチを目にあて、尋問を中断するという光景がありました。日本では私たちは提灯行列をやってお祭り騒ぎだったが、中国の民衆はこの世の地獄の苦しみを味わされていたのです。

 南京陥落から七〇年経って、日本軍のすさまじいレイプと家族の虐殺といういまわしい記憶は、過去の事件どころか未だにその人たちの脳裏に焼きついていて、当時の話をすると、生々しい記憶が蘇って感情が激して自分を抑えられなくなるのです。

 このように日本の二〇世紀の前半の、一九四五年までは戦争の連続でした。最近「アメリカも、イギリスも、オランダもアジアを侵略し植民地化したのだから、日中戦争も太平洋戦争も侵略戦争ではない」と主張する評論家がいます。しかし、その戦場になったのはアジアであって、被害を受けたのはアジアの民衆なのです。これに対する謝罪と補償は二一世紀の日本の大問題だということを痛感させられました。

 ヨーロッパも同じで、二〇世紀前半は戦争の時代でした。
第一次世界大戦は一九一四年から一八年まで、それが給わったと思ったら、一九三九年にナチス・ドイツがポーランドに侵略したのを契機に第二次世界大戦が勃発し、四五年にドイツの無条件降伏で終わります。

 第一次世界大戦は、ドイツ、オーストリア、トルコの同盟軍とイギリス、フランス、ロシア、アメリカの連合軍の戦いでしたが、この戦争は先進的な資本主義国(ロシアは別として)と、ドイツのような後発の資本主義国との市場再分割闘争の性格が強かったのですが、ドイツは敗れて、オーストリア・ハンガリー帝国やトルコ帝国も分解してしまいます。ドイツはベルサイユ条約によって、過酷な賠償を課せられ、海外に持っていた植民地は全部奪われてしまうのですか。その報復として、ヒトラーがナチス党を結成し、ドイツ国民の報復感情を煽りたてて、イタリア、日本と三国同盟を結成して開始したのが第二次世界大戦です。

一九三九年に、ポーランドに割譲した領土をよこせと侵攻したのに対してイギリスとフランスがポーランドを支援して、戦争になったのですか。ポーランドをソ連と分割占領したドイツは、フランスとオランダ、ベルギーなどを占領して、一九四一年にソ連を攻撃します。アメリカは、一九四一年一二月八日の日本海軍の真珠湾攻撃を契機にして第二次大戦に参戦し、戦争は英、米、仏、ソの連合国と日、独、伊の枢軸囲との世界大戦になったのです。

 したがって、ヨーロッパも一九四五年まで、二〇世紀の前半に二つも世界大戦を起こし、大変な被害を受けたわけです。第一次大戦から生まれたのがロシア革命です。ロシアは連合国側でしたが一九一七年に、ツァーリに対する戦争をやめろという要求から革命が勃発し、ソヴィエト連邦が結成されます。

 前述のように、ヨーロッパでは一九世紀末に各国の著名なマルクス主義の社会主義指導者たちが集まって、第二インターを結成しています。ロシアは社会民主労働党と言いました。やはりこの第二インターに加盟していました。しかし、第一次大戦の勃発とロシア革命を契機にして、第二インターが分裂してソ連共産党を中心とし、一九一九年にコミュニスト・インターナショナルが結成されます。これをコミンテルンと言いますが、このときに世界の社会主義運動が分裂してしまいます。

 こうしてカウツキーやベルンシユタインを中心とする第二インターが第一次大戦で機能麻痺状態に陥り、ロシア革命を契機に第二インターとコミンテルン=国際共産主義運動の二つに分裂したのです。

 しかし、コミンテルン系統のソ連・東欧の社会主義国は一九八九年から九一年にかけて、崩壊しますが、第二インターの伝統をうけついだ社会主義インターは崩壊しないで、現在はEUの指導権を握る状況になっているのです。

 ソ連・東欧の社会主義はなぜ崩壊したのか。

 それでは、人類史上初めての社会主義革命を達成したソ連・東欧の社会主義はなぜ崩壊したのか、また日和見主義と言われた社会民主主義がなぜ生き残って、現在、EUの指導権を握り一億三千万人の国際自由労連の指導権を握り、社会主義インターも五大陸に加盟組織を拡げ、今では世界最大の社会主義組織に成長したのは一体なぜなのか、この問題をお話したいと思います。

 ロシア革命が成功した時、人類の歴史で、人間による人間の搾取をなくした初めての革命ということで、全世界が驚喜しました。ソ連邦が八時間労働制を施行することにより、それをILO (国際労働機関) が取り上げて、世界的に八時間労働制がひろがっていく契機にもなりました。そのソ連が七〇年経って、なぜ崩壊したのか。

  第二次世界大戦の過程を見ますと、東欧の社会主義団はソ連軍がバルカン半島や東欧にいたドイツ軍を駆逐した後に、アメリカ、イギリス、ソ連三国のヤルタ協定で、ソ連の勢力圏であることが認められて生まれたのです。こうしてソ連の武力を背景に、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、ブルガリア、ルーマニア、ユーゴスラビアに次々に社会主義国家が生まれます。それが一九八九年から、九一年にかけて、民主化運動によって将棋倒しに崩壊したのです。

 この時の東欧の民主化運動の特徴は、主体が市民運動ないしは教会の勢力だった点にあります。戦後の東欧にはソ連の支配や共産党の独裁に反対し、社会主義の再生を求める民衆の闘いがくりかえし起こりました。一九五六年にはハンガリーの民衆が武器をとって決起し、ソ連軍の戦車によって押し潰されました。ポーランドでも、反スターリン主義勢力がゴムルカという指導者を立てて決起し、この時はソ連軍が介入寸前にとりやめて、動乱なしに政権移動ができました。このときの改革主体は共産党の中の反スターリン主義派または社会主義再生派や民主派でした。

 ところが、九〇年代の場合は、改革主体は市民運動と教会に変わりました。
 ではこの時の、改革派の最大のスローガンは何かというと、共産党と国家機関を切り離すことでした。既存の社会主義国では、憲法に共産党の指導的役割が明記されていましたが、そのために、共産党を批判すると、反逆罪に問われるという構造がありました。そのため共産党と国家機関を切り離す、憲法にある共産党の指導的役割を削除することが最大の要求でした。

 第二は、基本的人権の確立、その最大のものは自由選挙です。それまでは自由選挙ではなく、共産党ないし共産党の与党が国民戦線とか祖国戦線と称して、これが候補者を立て、それ以外の者は事実上立候補できない信任投票のようなもので、体制翼賛的な選挙です。反対沢には政治活動の自由がない選挙です。それを自由選挙にしろ、言論・結社の自由を認め、つまり自由に政党をつくり選挙に参加して、政治活動ができる体制をつくれという要求でした。

 第三は、法治国家の確立、つまり共産党は超法規的存在で、共産党に反対すると反国家分子として逮捕されてしまうような不法なやり方をやめるということです。

 第四は、市場経済の導入です。経済の基本は何をどれだけつくるかということですが、現有の社会主義国家の場合、それを官僚が決めます。五カ年計画とか言って、自動車はこれだけ作る、電気冷蔵庫はこれだけ、テレビはこれだけと生産目標を決め、次にその部品はどれだけ要るか、膨大な計算をする。資本主義は市場義争で売れる商品を作るし、売れない商品は自然淘汰されますが、現存の社会主義国家では、官僚が一から十まで計画を作って生産するのですが、その計画自身が非常に計画性を欠いています。さまざまな産業にいろいろな圧力団体があって、共産党内でも軍需産業をバックにする者は軍部の圧力を背景に軍事予算の獲得に奔走し、交通産業をバックにする者は交通予算を拡大しょぅとする。それでどうなるかというと、農村では食料が腐っているのに都市のマーケットに食料品がないという事態が起こる。なぜかというと、食糧を増産してもそれを運ぶ掃送手段である鉄道車輌とか、トラックが不足したり、道路の整備がされていないのです。だから、せっかく増産しても、市場に流通しない。こういうことがあらゆる問題についてあった。服でも、人が着ない型の古い物を作って、誰も着ないで、不良在庫が積み上げられていく。何をどれだけ作るか、一握りの官僚が計算して行う方式は市場経済よりも資源配分が非合理的であることが明らかになってきたのです。それに対して、市場経済を導入しようというのが、市民の要求でした。

 それから情報の自由です。情報は全部、国家がチェックして、権力に都合の悪い情報は流さない。出国の自由の要求もありました。つまり、自由に旅行できるようにしてくれ、ということです。

 このような資本主義国では、当然認められてきた基本的人権が、社会主義囲ではなかった。これが市民運動によって要求され、共産党の独裁体制が倒されてしまったのです。 こうした運動はかつてなら、反革命ということで、ソ連の戦車が出てきて潰されてしまうのですが、こんどはゴルバチョフがベレストロイカで、「自国のことは自国が決めるべきで、ソ連が介入すべきでない」と、東ヨーロッパで起きた民衆運動への弾圧を指示しなかったばかりでなく、むしろ「流れに逆らうな」と弾圧の動きを止めにまわった。それが、東欧でソ連の武力を背景にした社会主義体制が崩壊する一つの重要な要因になったと思います。

 東欧では、まず最初に一九八九年九月に、ポーランドで、共産党員でない首相が護生します。ポーランドでも共産党とその与党以外は政治活動を認められていなかったのが、新たに教会勢力とか様々な市民団体が一堂に会して円卓会談を行い、政治・経済の民主化方針を決め自由選挙をやった結果、かつての「連帯」勢力が大勝して、共産党が政権から退き、ポーランドがまず民主化されました。

 ハンガリーでは、一九五六年にハンガリー事件が発生し、スターリン主義者の凄まじい弾圧に対して、人民が武器をとって戦いました。これは長らく反革命とされてきましたが、ハンガリー社会主義労働党(共産党) が歴史の見直し委員会をつくって、評価を一八○度変え一九八九年二月の中央委員会で「ハンガリー事件は反革命暴動ではなく、圧政に抗する人民の決起であった」という自己批判を行ないました。そしてハンガリー事件の犠牲者の追悼会を政府主催で大々的に行ないましたが、その後の総選挙で市民政党が権力を握り、共産党は野党になりました。

 続いて、チェコスロバキア、ブルガリアの体制が、民主化要求によって変わり、その後、ルーマニアが変わりますが、ルーマニアの場合は、チャウシェスク独裁が非常に強かったために、大統領夫妻が銃殺されるという悲劇を招きました。
           
 最後に、ユーゴスラビアですが、ユーゴスラビアは連邦制で、経済発展の段楷も、文化も異なる六つの共和国と二つの自治州からなる連邦でした。一番北部のクロアチア、スロベニアという最も経済が発達していたところが、分離要求を出して、連邦の中心であるセルビアと内戦になります。これはすぐに片づいて、クロアチアとスロベニアが連邦から離脱します。次にボスニア・ヘルツェゴヴィナですが、これはクロアチアとイスラムと、セルビアとい、つ三つの民族が拮抗していたものだから、悲惨な内戦になって、遂にEUだけでなく、アメリカが介入して、辛うじて連立政権のようなものが形成されました。その後、コソボ問題が起きて、今度の事態になるわけです。このようにユーゴスラビアが一九九一年以降、分解の過程をたどりました。

 最後にソ連ですが、ゴルバチョフのベレストロイカに非常に不満を持つ共産党の勢力が軍事クーデターを起こして、それは鎮圧されたのですが、ゴルバチョフはそれで発言権を失い、エリツィンがソ連邦を解体させてしまいました。
そのやり方は、ソ連邦の最大の国家であるロシア共和国とウクライナが協定をして、ソ連邦からの脱退を通告するという手法でした。この二つの国が脱退してしまえばソ連邦など成り立ちませんから、ゴルバチョフは大統領を辞めざるをえない、つまりソ連邦自身が解体せざるをえない形で崩壊してしまうわけです。

 ゴルバチョフの最近の回想録を読むと、彼は一九九一年秋にソ連共産党の大会を予定して、その大会で、ソ連共産党をヨーロッパのような社会民主主義政党に転換する規約改正まで準備していたと書いています。ところが、それはクーデターのために達成できなかったのが、非常に残念だと言っています。現在、彼は社会民主主義的な政党を再建しようと、自ら党首になって活動しています。ゴルバチョフがもし、クーデターによって退陣させられることがなかったとすれば、ソ連共産党を社会民主主義政党に改造してソ連邦をうまく近代化することができたかもしれません。 ソ連型社会主義がなぜ滅びたかというと、一つは先ほど述べたように、自由と民主主義と基本的人権を抑圧するような体制であったということです。

 ソ連型社会主義の大きな特徴は三つあります。

  一つは、プロレタリア独裁、社会主義権力はブルジョア議会のように何年に一回選挙して選挙民を欺瞞して支配する議会制民主主義ではなくソヴィエトに依拠して直接民主主義でやるというのが建前でした。

 第二は、計画経済です。前述したように市場経済は利潤だけが目的の無政府的で不公正なシステムだから、計画経済に切り替える。何をどれだけ作るかということを、社会的需要に基づき計画的に生産し、配分するということです。
 
 第三が、生産手段の国有化です。生産手段を私的資本が所有しているから労働者の搾取と貧困と無政府的な生産になり、周期的な恐慌が発生し労働者の困窮が絶えないのだから生産手段を国有化することによって、労働者階級自らによりもっと公正な経済の運営ができるという建前でした。しかし、七〇年経って、実態はどうかというと、プロレタリア独裁は、直接民主主義どころか、非常に特権的な共産党の最高幹部の独裁になっている。プロレタリア独裁は労働者階級の支配ではなく、労働者階級に対する共産党の支配になり、しかも共産党でも一握りの特権官僚の支配になってしまいました。

 それでも一九五〇年代まではまだ戦後復興の時期ですから、経済運営も比較的順調だったのですが、一九七〇年代になって、資本主義が高度成長を続けて、ハイテク化、グローバル化が急速に発展してくると、社会主義国の官僚の頭のなかで作った計画では対抗できなくなったのです。

 東欧社会主義が崩壊する直前の一九八八年に、ルーマニアの代表的な政治学者のブカレスト大学教授のシルビュ・ブルカンという人が『岐路に立つ世界社会主義−内側からの堆察』(邦訳『東欧から見たベレストロイカ』)という著書を刊行しました。彼は単なる学者ではなくて駐米大使や国連大使を歴任した政治家でもあり、一九五〇年代にもルーマニア大使としてワシントンに駐在したことがあったのですが、三〇年後に再びアメリカに赴任して工場を視察してルーマニアとアメリカの経済的・技術的格差があまりにも拡大しているのに衝撃を受け、「この事実は我々東側の人間が終局的に資本主義に取って代わるべき新しい、優れた社会を建設するために働いてきたのだという前提を覆えすものだ」と告白し、次のように述べています。

「ソビエトの新指導部(ゴルバチョフ政権)を慌てさせたと思われる真に重大な出来事は、経済・社会生活のコンピュータ化および生産工程へのマイクロエレクトロニクスとロボットの大規模導入を意味する 『第三次産業革命』 の到来である。この領域では西側の前進に対して深刻に立ち遅れていることが明らかになかった。……東側が直面している深刻な問題は、資本主義の中枢部がますますコンピュータ化されている時に、社会主義諸国の経済がいつまでそのような社会主義経済として持ちこたえられるかということである。これは単なる経済問題ではない。なぜなら今世紀未には二流の技術的基盤からは何らかの強力なイデオロギー的影響は生じないかである」

 社会主義経済というのは、資本主義が達成できなかった最高の生産力、最高の生活水準、最高の社会保障をめざしたはずなのに、資本主義のほうがそれを達成してしまい社会主義はハイテク化に対応できなかった。これがペレストロイカが成功しなかった原因の一つだといっているのです。

 第三の問題は産業の国有化の問題です。マルクス主義は資本家による搾取の廃絶と利潤目的の無政府主義的な生産でなく、社会的な需要を最も有効に充足するために私的所有の廃止と生産手段の国有化を主張してきたのですが、現存社会主義国家ではそれは労働者の解放をもたらさずに、特権官僚に巨大な権力を集中する新しい独裁権力を作り上げてしまいました。

 これについてドイツ社民党の理論家のトマス・マイヤーは次のように述べています。

 「経済における自由と公正が私有の廃棄によって保証されると思いこむことは、マルクス・レーニン主義やその他のタイプの教条的マルクス主義の基本的誤謬である。この誤謬の根底には私有というものに関する誤解がある。所有とは、実際にはその厳密な構成と観囲が歴史的に変化する一束の経済的決定権に関するひとつの法律上の権限に過ぎない。……それゆえ実際に重要なことは経済における決定権能の実質的な民主化であって、所有権限の形式的な変更ではない」

 これは非常に重要な指摘だと思います。
 つまり所有とは、自分の財産を自由に処分できる権利ですが、資本主義国でも所有者は自分の財産を法律を無視して自由に処分はできません。たとえば自分の土地に、建築基準法を無視して、建物を建てようとしても許可されません。生産でも流通でも消費でも法の制約があり、それを無視して経営を行なうつことはできません。法的に所有の自由処分権は制約できるわけで、単に所有を私的所有から国家所有に変えたからといって、それだけで経済が急速に発展することはありえないと、トーマス・マイヤーは批判しているわけです。このように、ソ連型社会主義のプロレタリア独裁、計画経済、生産手段の国有化という方式は、歴史的に見て、少なくともソ連・東欧の今までのやり方では成功できないということが明らかになりました。

 しかし、崩壊しない社会主義もあります。中国、ベトナム、キューバ、朝鮮です。中国、ベトナムの場合でも、かつてのソ連型の計画経済ではもうダメということで、社会主義市場経済に転換、市場経済を取り入れて、発展させようとしています。それはそれなりに大きな成果をあげているわけですが、一方において、共産党官僚の腐敗の問題が出ています。権力のほうはプロレタリア独裁ですから、共産党独裁を崩さない範囲で国有企業を次第に縮小して私的部分を増やしていくという方式でそれはそれなりに成功していますが、共産党官僚が独裁的に権力を握っているために市民が政治権力から排除され、政治腐敗が生じているのです。

 一九世紀のイギリスの歴史学者が「権力は腐敗する。絶対権力は絶対に腐敗する」という名言を吐きました。資本主義国では、選挙が重要な批判の武器になります。社会主義国でも、自由選挙を行わないと腐敗はなくならないと思います。いくら上から、規律を厳正にすることを呼びかけ、腐敗官僚を裁判にかけても、そのぐらいではなくならない。

そこが、中国やベトナムの指導部の非常に頭の痛いところです。社会主義市場経済で経済を市場化しても、権力を民主化しないと、腐敗が生ずるのは必至です。そこをどう乗り越えていくかが現在の中国、ベトナム、キューバなどの課題だと思います。朝鮮については、封建的社会主義などという人もいますが、民主主義という点から見ると、非常に問題があります。南北の交流が実現するなかで、次第に民主化されていくと思いますが、社会主義国が混乱なしに自由選挙、複数政党制、言論・集合の自由などの民主制度を確立し、発展していけるかどうかが大きな課題になっていくと思います。

 西欧では社舎民主主義が生き残リ EUの指導権を握った

 ソ連型社会主義が七〇年経って崩壊して、中国、ベトナム、キューバ、朝鮮は残ったけれども、ソ連型とは違った形に変わらざるをえなくなっていますし、国際共産主義運動は崩壊しました。

 ソ連、東欧が崩壊した時、アメリカや保守況やブルジョア・マスコミは歓喜しました。フランシス・フクヤマという学者は「歴史の給わり」という本を書いて、もう社会主義は終わったと断言しました。ところが、終わらなかったのです。二〇世紀の社会主義には、二つの流れがあって、一方のコミンテルンの潮流は確かに崩壊したのですが、社会主義インターの社会民主主義潮流は生き残ったのです。
ドイツ社民党を始めとしてスウェーデン、オーストリア、イギリスなどヨーロッパの先進国の社会民主主義政党を中心とした社会主義インターナショナルは生き残っただけでなく、現在、EUの指導権を握っています。

 その過程を時系列的に言うと、一九九六年四月にイタリアで「オリーブの木」連立政権が成立し、九七年五月にイギリス労働党が一八年ぶりに政権を奪還、同年六月にフランスで社会党を中心とする中道左派連立政権ができ、その翌年の九八年一〇月、ドイツで社民党が二八年ぶりに政権を奪還しました。
一時はEU一五カ国のべノち一三方国で社会民主主義政党が政権を握り、その後、ルクセンブルク、オーストリアが保守政権に移行したものの、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアの四大国を含め、一一カ国で政権に参加し、EUの指導権を握っています。

 このことは、いまEUがアメリカや日本と並んで、世界の三極構造の一角を占めるだけに、世界経済・政治に現代社会民主主義の理念を実現する上で、重要な意義を持っていると言えます。

 EUの世界に占める位置

 そこで、EUの世界にしめる地位を紹介しておきます。
 かつてソ連が健在のときは、米ソ両体制、社会主義と帝国主義の対立と言っていました。ソ連の崩壊後は、EU、アメリカ、日本の三国が世界経済の三極構造を形成しています。

 現在(以下の数字は一九九七年)全世界のGDP(国内線生産) のうち最大を占めるのがEUです。EUのGDPは八兆八八一億ドルで世界のGDPの二八・九%を占めています。アメリカは、七兆八二四〇億ドルで二六・五%、日本は四兆一九五一億ドルで一四・二%です。
 日本は落ち目で、将来中国に抜かれるのではないかと、よく言われるのですが、現在の中国のGDPは一兆ドルに少し欠ける程度で、中国を除いたアジア、ASEAN(東南アジア諸国連合)とアジアNIES(新興工業諸国)、インドなどを含めた数字が三兆二〇〇〇億ドルです。アジアと中国を合わせたGDPが四兆一〇〇〇億ドルで、やっと日本と匹敵するという状態で日本はまだそれだけ経済力を持っています。

 EUはいま、世界最大のGDPを占めていて、人口も三億六千万人ですから、アメリカが二億三千万人、日本が一億三千万人で、人口からいっても、GDPからいっても、世界最大です。将来これに新たに東欧一二カ国が加わると、人口は四億八千万人になりGDPでも人口でもアメリカをはるかに抜き、将来的に世界最大の経済圏に達する可能性を秘めています。

 もう一つは、金融・資本規模です。これもアメリカに匹敵する規模になっています。一九九九年一月にEUのうち一一カ国で、通貨統合を行いました。ユーロという統一通貨ができ、この二カ国の株式発行高、債券発行残高、銀行資産残高を加えますと、二一兆八三四億ドルに達します。
アメリカの金融・資本洩模は二二兆九〇八二億ドルですから通貨統合参加国だけでほぼアメリカに匹敵しています。
日本の金融・資本規模は一六兆三七四三億ドルです。イギリス、スウェーデンなど現在通貨統合に参加していない国を加えたEU一五カ国全体の金融・資本規模は二七兆ドルで、アメリカを大きく抜きます。

 最近の新開を読んでいますと、欧州企業が日本の企業を買収するという記事がたくさん出てきます。たとえば、ルノーが日産と資本提携して傘下におくとか、ドイツのタイムラー・クライスラーが三菱自動車に資本参加して指導権を握るとか、欧州資本が激しく進出してきたのは通貨統合によって、非常に資本を調達しやすくなったことを示しています。スペインが南米の銀行を合併したり、アメリカにも携帯電話とか、パソコンなどの分野に欧州資本が大きく入っていっています。
               、
 今やEUがアメリカに匹敵する資本調達力を持って、世界中に経済的な網の目を伸ばしている状況があるわけです。

 そのなかで、欧州社会党がEUの指導権を持っていることは、非常に大きな政治的意義を持っていることは理解していただけると思います。

 超国家的機能を果しているEU

 そこで、EUの機構を説明しますと、EUの最高決定機関は、欧州理事会です。これは大統領や首相が集まり最高方針を決める機関です。その下に立法機関があります。立法機関は、本来なら議会で欧州議会もあゥますが、これは現在は諮問機関で、実際の立法機関は閣僚理事会です。閣僚理事会は、たとえば蔵相で構成される財政理事会、労働大臣で構成する労働理事会、農業は農業理事会があり、それぞれ法案をつくります。

 行政機関としては、欧州委員会があります。ここで働く人は約一万数千人いて、ベルギーのブリュッセルにあります。この欧州委員会と閣僚理事会が協力して、法案をつくって、これを欧州議会にかけます。欧州議会が附帯意見をつけて承認すると、拘束力を有する法律になりますが、EUでは法律と言わずに指令と言います。

 指令は決定されると、各国政府に拘束力をもち、各国政府はこれに基いて、立法を行わなければなりません。たとえば、パートタイム指令というのが出ますと、各国でパートタイム法をつくらなければならない。これがEUの指令に違反していますと、修正させることもできます。

 パートタイム指令には「時間比例の原則」と言って、パートタイマーとフルタイマーは、労働時間による賃金の差以外に差別してはならないという規定があります。有給休暇であろうが、手当てであろうが、労働時間に比例して与えなければならないのです。これにサッチャーが猛反対したのですが、ブレア政権に代わると直ちにこの指令を承認し、このEU指令がイギリス、アイルランドにも通用されるようになリました。

 女性差別訴訟における挙証責任指令も一九九七年にEUで採択されました。これは今まで、女性が差別された場合は、女性のほうが差別されたという証拠を出さなければならなかったのです。日本でも、過労死裁判で、いかに苛酷な残業をやったか、資料をとろうとしても、企業はタイムカードなど破棄してしまって出さないので苦労する訳ですが、EUでは女性が差別されたと訴えた場合に経営者は差別していないという証拠を出さなければならない。つまり、立証責任を経営者に負わせたのです。これによって勤労者は非常に有利になりました。

 指令のように拘束力をもたないのが勧告です。たとえば、指令にしようとしても、加盟国から「時期尚早だ」という反対が強い場合には指令にできない。勧告として採択される場合があります。勧告には強制力がありません。

 租在、EU一五カ国のうち一一カ国で、社民党が政権参加していますが、そうしますと閣僚理事会の圧倒的多数が社民党の閣僚ということになります。この閣僚理事会と欧州委員会が協力することによって、パート指令だとか、挙証責任など有利な指令が次々に通過しはじめたということです。

 ドイツでは、共同決定権といって、前から経営の最高決定機関である監査役合は労使双方半々で、議長だけは株主側が出して、一人だけ株主側が多いという仕組みになっています。それがEUでも労働者との協議権を認めることになったのです。

 EUでは、一九九四年に欧州労使協議会指令が扶択されました。この指令はサッチャー政府の猛反対で採択まで二〇年以上かかったといういわくつきの指令です。この指令によりEU域内に一〇〇〇人以上の従業員を雇用し、かつ二つ以上の加盟国それぞれに一五〇人以上の従業月を雇用する多国籍企業(約一五〇〇社)の「中央経営組織」(経営代表)は欧州従業員代表委員会(従業員代表)に情報提供と協議が義務づけられるようになりました。たとえば企業はベルギーの工場を閉鎖してフランスに移転するとか、イタリアの工場をスペインなどに移転するという場合、事前に労働者に情報を与えなければならなくなったのです。しかし、それは情報を与えるだけで、決定権がなかったのですが、現在検討されている欧州会社法では労働者の権利をもっと強くし経営に対して参加権を認めることになるといわれています。これもEUのなかで、社会民主主義の政権が圧倒的多数を占めたことで、できたことだと思います。

 このようにEUの機構は、最高決定機関が欧州理事会、立法機関が閣僚理事会、行政機関が欧州委員会、諮問機関が欧州議会、そして市民はEUで決めた指令に対して国が違反した場合、訴訟に訴えることができます。その機関として欧州裁判所があり、加盟各国から一名の判事を出して、出された訴えに判決を下します。市民や労働者は直接、欧州裁判所に提訴してもいいし、自国の裁判所に提訴して、裁判所がこれは欧州裁判所の管轄だとして、欧州裁判所に付託するという二つの方法があります。

 [注] 日本ではEUの成立でECが消滅したような誤解があるので、ここで一言説明しておきます。一九九二年 のマーストリヒト条約で旧ECを構成したECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)、EEC (欧州経済共同体)、EUR ATOM(欧州原子力共同体)が統一してEU(欧州連合)と改称されました。これで旧ECは消滅したのです が、その三共同体の一つのEEC(欧州経済共同体)が新たにEC(欧州共同体)と改称されて存続しているのです。したがってEUの労働・社会政策条項は「EC設立条約」によって規定されているのです。

 東京の六本木にEU代表部があって、ここに欧州裁判所で扱った判例が年度別に整理されています。

 それを見ますとたとえば、ブリュッセルには、各国から欧州委員会の職員として派遣された公務員が集まっているのですが、イタリアのサバッチーニという女性が他国の公務員と恋愛関係になって結婚したのですが、その女性は結楯して世帯主でなくなった、という理由でそれまで受け取っていた赴任手当が停止されたのです。彼女は「これは公務員の均等待遇を保障したEC法違反である」として欧州裁判所に提訴したら、EC法違反という判決が出て、直ちに撤回されたという例があります。

 また、ドイツのビルカデパート事件というのがあります。
このデパートには一五年間フルタイムで勤務したら、年金をもらえるのですが、ある女性労働者が在勤中の二年間、母親が病気したので介護休暇をとって、パートタイムに移行して、その後またフルタイムに戻ったのです。その女性労働者が一五年経ったので、年金をもらいたいと請求したら、「一五年間のうち二年間はパートタイムだから資格要件を充たさないからタメだ」と拒否された事件です。これに対し「現在親の介護を担うのは女性だ。その女性たちに実際には通用できないような規定は女性差別である」と訴えたら、欧州裁判所は勝訴の判決をくだしました。またイギリスの女性警察官が「危険な捜査から排除されたのは女性差別」だと訴えた訴訟もありましたが、それは「男女の特性を考慮したものだから、差別には当たらない」という判決がでた例もあります。

 このように、欧州裁判所はすでに超国家的機能を果しています。EUの各種条約は、EUの憲法と言われていますが、これに違反した場合、判決をくだして各国の裁判所を拘束するということになっています。

 EUの機構の説明はそのぐらいにして、ではなぜ、社会民主主義政党が欧州統合の過程で伸びてきたのか、に移ります。

 欧州共同体(EC) から欧州連合(EU) へ

 その前に、EUの前身である欧州共同体(EC)の生い立ちをお話しておきます。
 前述のように、第一次世界大戦、第二次世界大戦で、ヨーロッパは戦場になりましたが、「こんな戦争をしていたら、ヨーロッパは滅びてしまう。二度と戦争をしないようにしようというのがそもそもの始まりでした。

  一九五七年にドイツ、フランス、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルグの六カ国が、戦後設立された欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)、欧州原子力共同体(EURATOM) 欧州経済共同体(EEC)を統合するローマ条約に調印して発足したのが、欧州共同体(EC)です。戦争は多くの場合、経済紛争から始まります。お互いに関税障壁を高めあい、自国製品はダンピングするという市場争奪戦がエスカレートして戦争になるのだから、まず域内関税を撤廃しようと、域内の貿易を自由化しました。またヨーロッパ農業がアメリカの余剰農産物の輸出で危機に瀕していたので共通農業政策(CAP)で域外農産物に対しては関税障壁を設けて、域内価格との差額を、域内農業国に配分する形で、農業を保護することにしました。

 その後ECは一二カ国に拡大しますが、一九八五年に「域内市場統合白書」が採択され、単に域内の関税をなくすだけでなく、非関税障壁も一九九二年までに撤廃することが決定されました。非関税障壁とはヒト、モノ、カネという経済の三大要素の流通を妨げる事実上の関税障壁です。その第一は国境でのパスポート検査と関税徴収です。これを物理的障壁と言います。

 もう一つは、技術的障壁です。ヨーロッパ各国で、それぞれ環境基準が違うし、建築基準法にしても、オランダとベルギーとドイツでは違う。ドイツの教員免許証を持っていても、フランスでは教員になることができない、イタリアのお医者さんがイギリスで開業しようとしてもできない。
それらをひっくるめて技術的障壁と言います。

 三つ目は、財政的障壁、つまり税法の相異です。ヨーロッパでは間接税、剰余価値税が中心ですが、その税率がそれぞれ違います。法人税もドイツが高くて、アイルランドが安いというと、ドイツの資本がアイルランドに本社を移転する傾向が強まります。

 この物理的障壁、技術的障壁、財政的障壁、これを漸次的に撤廃していこうということで、一九八五年に欧州委員会の委員長に就任したフランス社会党のドロールが、一九九二年までに七年間かけて一切の非関税障壁を撤廃して、域内のヒト、モノ、カネの移動を自由にする方針を決定し、各種委員会を作って検討し、これを実現しました。

 これを欧州の域内市場統合と言います。そのなかで、EUが六力国から拡大し、イギリス、アイルランド、スペイン、ポルトガル、ギリシャ、スウェーデン、フィンランド、オーストリアが入り、いま一五カ国になったのです。

 さらに一九九二年に域内市場統合が完成した段階でのマーストリヒト条約で欧州統合をさらに深化させることが決定されました。その一つが九九年一月をめざしての通貨統合です。しかし、域内でも財政状態の良い図と悪い国があり、イタリアなどは悪い方の典型でしたが、あまりに悪い国があると、せっかく通貨を統合しても信用がなくなり統一通貨が下落してしまうので、最低基準を設けようということになりました。そこで財政赤字はGDPの三%以内、公的債務はGDPの六〇%以内とか、インフレ率は最低な国の三%以内などの基準を作りました。

 こうして九九年一月に通貨統合を発足させ一一カ国が参加しました。その結果はどうだったかというと、前述のように欧州における資本調達力が飛躍的に伸びて、欧州企業が全世界的に伸びていく大きな条件になりました。

 「人間の顔をした欧州」 めざす欧刑社会民主主義

 その間の欧州の社民党の大きな功績は、ECを単に経済的な分野にとどめず、労働者の権利、人権、差別撤廃、社会保障、職業訓練などの労働・社会政策を、あらゆる面で充実をさせていったことです。これが欧州の社会民主主義が伸びる大きな原因になったのです。

 これは一九八五年にドロール欧州委員会委員長が、当時のミッテラン大統領(いずれもフランス社会党)と協力して、ECを「人間の顔をした欧州」 に発展させょうと始めたものです。ドロールは、ECを単に経済的に発展させるだけでは、金持クラブになってしまうとして、ECの経済的側面と社会的側面を「車の両輪」として重視し、基本的人権、自由、平等、公正を達成する措置を全力を挙げて推進していったわけです。

 一九八六年に単一欧州議定書が調印され、ここで初めて「今後ECは労働者の基本的人権、平等、社会的正義に基づく民主主義を促進していく」という大前提が確立されました。

 そのために、労働者に関係する立法を行う場合は必ず政労使三者が協議して行うことになりました。政労使三者とは、欧州レベルの民間経営者団体として欧州産業連盟 (UNIICE)、欧州公共企業センター(CEEP)と欧州労連(ETUC)です。

 最近、トヨタの会長が「人間の顔をした市場経済」などと言いだしましたが、あれもEUの政策の影響です。最近、トヨタはフランスに自動車工場を作りましたが、現地は石炭鉱山が閉山されたため大変な失業地帯です。その時に、ジョスパン政権はトヨタの進出を認める条件としてEUの労働政策を認めろと注文をつけたのですが、その頃からトヨタの会長が「人間の顔をした市場経済」を言いだしたのです。今朝(一二月一〇日) の読売新聞にも「フランスにおけるトヨタ工場」という記事が大きく出ています。

 このように、一九八五年の単一欧州議定書で、労働者の諸権利を認め、欧州レベルでの政労使対話を推進して、立法手続きを行う場合は必ず三者の意見をきくというルールが確立されました。その次に大事なのは、八九年に採択されたEC社会憲章です。これは「労働者の基本的社会権に関する共同体憲章」といわれるものですが、その主な内容は次の一二項目です。

 第一項は、労働者の域内の自由移動の権利です。
 第二項は、職業の自由選択と公正な賃金の支払い。たとえば、トルコやユーゴスラヴィアからドイツヘ働きにきた労働者が、経営者に契約通りの賃金を払ってもらえないというような例があります。ひどい場合は、経営者が姿を消してしまうというケースが数多く出ていますが、そうした出稼ぎ労働者に賃金を厳正に支払わせることです。
 第三項は、生活・労働条件の改善です。
 第四項は、社会保障の社会的保護。たとえば、移民労働者などに対しても社会保障を保障することです。
 第五項は、ECレベルでの労使対話の発展と職業・産業別の契約関係の蹄結。これは先ほど言いましたECレベルの政労使の対話を重視することです。
 第六項は、職業訓練です。たとえば、パソコンができないために就職ができないといったことのないように職業訓練を義務づけることです。
 第七項は、男女の均等待遇です。
 第八項は、経営者の労働者に対する情報開示、経営参加です。
 第九項は、職場での安全衛生です。
 第一〇項は、児童および青年の保護です。
 第一一項は、高齢者保護です。
 第一二項は、障害者保護です。

 これらの一二項目の原則を政策的に具体化していこうということになりました。
 このあと、一九九二年のマーストリヒト条約の「社会政策に関する付属議定書」と協定の調印が行われました。

 このとき、問題になったのが、イギリスの対応でした。
イギリスは保守政権で、労使関係についてのECの決定は内政干渉であると、すべて拒否してきたのです。

 当時のECは満場一致制をとっていましたので、イギリスが反対するばかりに、決定ができないのでまた振り出しに戻るわけです。 
    
 これでは、ということで、ECは指令の中身によって多数決で決定できるように変えました。たとえば、EC一五カ国といっても、一番大きいドイツは人口約八二〇〇万人、フランスとイギリスが約六〇〇〇万人、イタリアが五二〇〇万人、スペインは三〇〇〇万人にくらべ、オランダは二〇〇万人、ルクセンブルグは六〇万人ですから、人口差が大きいので人口数に応じて、ドイツ、フランス、イギリスは一〇票、スペインは八票などと決め特定分野に関して多数決を認めることになりました。こうして労働者の環境、衛生などについては特定多数決で決まるようになりました。

 もう一つは、一九九四年に、欧州労使協議会指令を採択したことです。欧州域内に一〇〇〇人以上の従業員を雇用して、かつ二つ以上の加盟国にそれぞれ一五〇人以上の従業員を持つ企業が一二〇〇社ありますが、これに対して欧州に働く同じ系列企業の従業員代表を認めて、情報提供と協議を義務づける、これが欧州労使協議会指令です。

 これも、ECで一九七七年ごろ提案されたのですが、イギリスが猛反対し、サッチャーが辞めてから、九四年にEUでやっと採択されたものです。これによって、多国籍企業は従業員に秘密にして外国に工場を移転するような決定を行なうことができなくなりました。もちろん情報提供と協議の義務ですからそれ以上の強制力はありませんが従来から比べれば大きな前進といえます。

 しかし、数日前に報じられました新しい欧州会社法は、さらに一歩踏みこんで、労働者の経営参加権を認めたもので、労働者側の権利がさらに強くなっています。

 このように、多国籍企業に対する工場移転、事業所の閉鎖、首切り、リストラなどに一つ一つ歯止めがかけられつつあります。

 もう一つは、一九九五年に採択された「欧州社会政策に関する行動計画」で、パートタイム労働・派遣労働の条件改善、労働時間、男女機会均等などの施策のとりくみの強化が明記されました。
一九九六年には、社会保障制度における均等待遇原則の実施に関する理事会指令が採択されています。これは内容の強化です。

 それから、前述のUNICE(欧州産業連盟)、CEEP(欧州公共企業センター)、ETUC(欧州労連)が蹄結した両親育児休暇指令の枠組み協約に関する理事会指令もこの年に採択されています。これは育児休暇を両親にとらせる協定です。一九九二年に私とつれあいが女性労働者の職場進出と、少子化の国際比較調査で欧州六方国の調査に行ったことがありますが、父親と母親が共楓ぎしている場合育児休暇をどちらがとるかというと、欧州でもやはり母親がとるのです。理由は母親のほうが賃金が安いので母親がとったほうが、家族収入の減額が少なくてすむということです。
私が「これは矛盾ですね」と言ったら、
「そうです。父親が休むには、もっと育児休暇の所得保障を高くしないとできないでしょうね」と言っていました。
最近、スウェーデンでは改善されているようですが、今度の指令は両親育児休暇の所得保障を次第に改善していこうというものです。

 もう一つ、パートタイム政策には、「時間比例の原則」が確立されています。つまリパートタイムは、時間が短いということで賃金が少ないという以外、有給休暇であれ、手当てであれ、時間に比例して与えられなければならないということです。

 これも、イギリスが反対したのですが、イギリスを除いて実施されました。イギリスはブレア政権になってから、この指令を受け入れました。すなわち、二〇〇〇年八月、「パートタイム労働者(不利益待遇防止)規則」を導入し、時間比例原則を受入れたのです。

 このように、ヨーロッパにおける労働条件、社会保障の改善についての、社会民主主義政党の貢献は非常に絶大なものがあります。それは、保守政権に代わったブレア労働党政権も同様です。ブレアのやり方は生ぬるいとか、「グローバル化に対して闘わないズボンを穿いたサッチャーに過ぎない」といった批判をした人もいます。しかし、ブレアのやったことを見ていますと、パートタイム労働規制の導入といい、両親育児休暇の受け入れといい、最低賃金制の導入とか、企業のなかに労組結成の承認とか、労働者に有利な施策が実行されていると言えます。

 グローバル経済とIT革命にいかに対応するか

 以上、 述べたような経過と発展のなかで、EUは、現在、新しい段階に入っています。
 九〇年代に入って、EUの通貨統合が始まるのと並行して、グローバリゼーションが急速に進んでいます。IT化によって、様々な情報が瞬時に地球の隅々まで行きわたるなかで、非常に大きな産業構造の転換が地球規模で起きています。

 これまでの国民国家単位の福祉国家政策が国際競争力の強化という資本の要求で弱められるといったことが現実に生じてきています。たとえば、ドイツなどでは、戦後、労使共同決定制度を確立してきましたが、経済のグローバル化のなかで、これが大きく揺らいでいます。この制度はドイツが第二次大戦に際し、クルップなどの大企業がヒトラーにカネを出し、侵略戦争を大々的にやって、国を破滅に追い込んだことの反省から生まれたものです。まず石炭と鉄鋼の従業員一〇〇〇人以上の企業には、経営協議制度を義務づけました。この最大の特徴は企業の最高決定機関である監査役会の役員の構成を労使半々とすることです。ただし、議長は株主側が出しますから、それで企業側が過半数になります。日本では、監査役会は盲腸みたいな存在ですが、ドイツでは、監査役会が最高の意思決定機関で、ここが取蹄役を任命して、そこから社長とか専務を選出する仕組みになっているのです。

 しかしドイツの大企業には資本の自由化のなかで、この共同決定制度を避ける傾向が出てきました。たとえば最近、化学産業の大手企業へキストが、フランスの化学産業ローヌプランの生命科学部門と合併しようとしましたが、本社をドイツに置くべきなのに、労使共同決定制度を嫌ってフランスのストラスブールに決定しています。もう一つは、欧州通貨統合の下で、ドイツ資本がニューヨーク株式市場に積極的に参入する動きが強まっていることです。アメリカの企業は何をおいても株主の利益を優先しますが、ドイツ式に何事も労使で相談してやっていたのではビジネス・チャンスを逃がしてしまうということで、ドイツ企業でも株主の利益優先で労使共同決定を骨抜きにして、リストラや工場移転をやるという動きが出てきました。

 このように国民国家の枠のなかで機能していた労使共同決定制度が、グローバル化の下で、次第に機能しなくなる危険性が生まれつつあります。同じことが、フランスでも、イタリアでも出ています。イタリアのオリベッティは元来はタイプライターの会社ですが、インドにIT技術者がたくさんいて、しかも賃金が安いのに目をつけてインドに進出して、イタリアの本社機能を縮小していく。イタリアのオリベッティの労働者は、イタリアの金属機械労組のなかでも、強い組合ですが、次第にそのカが弱まっていくということが起きています。そのために最近、ヨーロッパの労働組合の組敵率が低下しています。EUでは、政労使協議が義務づけられていますから、そのことが直ちに労組の発言力の低下とはならないのですが、労組の基碇体力は次第に落ちてきています。

 そこで、どうしても国際的な労組運動を再強化しなければならないという意見が、国際自由労連の会議でも出ています。つまり、資本がグローバル化していくなら、労働運動もグローバル化していかないと、対抗できない状態になってきたのです。その立ち遅れが、現在の労働者の権利の低下になっているという認識です。

 特に、ソ連が潰れてから、ILO(国際労働機構)のなかでも、使用者側が非常に傲慢になっているということを国際自由労連のILO代表の人から聞いたことがあります。

 これからの社会主義運動は、グローバル経済や、IT革命に対応して、いかにグローバルに組織を強化していくか、そこにかかっていると言えるのではないでしょうか。

 こうした情勢の中でグローバル化とIT革命にいかに対応するかという問題を中心にして、イギリス労働党の「第三の道」をめぐつて、ヨーロッパ左翼の間で論争が起きているのです。この論争の背景と経過と内容については私が最近「グローバル経済とIT革―ヨーロッパ左翼の挑戦』(社会評論社刊)にまとめましたので、興味のある方は読んでみて下さい。

 ただこの「第三の道」をめぐる論争は理論から始まっている問題ではなく、実際に起きている問題をいかに公正に解決するかというすぐれて実践的な問題として展開されている点で、われわれも大いに学ぶべき点があるのではないかと思います。

 日本をいかに変革するのか

 さて、日本の現状を見ますと、二一世紀を前に、大変悲観的な考えが強いようです。
 いま、国家財政の赤字が六二五兆円だ、これをどうやって返すのか、もし消費税を上げたりしたら大変な引き上げ額になってしまう。年金制度も、介護制度も、一体、どうなるのか。自分たちは果して老後の保障をしてもらえるのだろうか。
安全保障問題にしても、一体、どうなるのか。
そのほか様々な問題があって、極端な意見になると、日の丸・君が代の法制化などもう戦前の状態に近づいているような言い方をする人もあります。

 しかし、戦前は一体どうだったのか、よく考えてみてください。国民の半分を占める女性には参政権がありませんでした。労働者には労働組合を結成する権利もなかったのです。労働者が闘いに立ち上がると、警察に弾圧され、人ロの四割を占める小作農民は政治的には無権利状態におかれ、作ったコメの半分は地主に持っていかれ、政治はごく一部の人間に独占されていました。

 戦前と今とどこが一番変わったかというと、現在は不正に対して闘う自由があるということです。自由とは、不正や圧政に対して闘う権利のことなのです。デモの権利もあれば、結社や言論の自由もあります。それらを有効に駆使して、闘っていけば、そんな悲観的な展望は出てきません。
戦前とは大違いです。

 日の丸・君が代だって、戦後になってもかなり一般的に行なわれていて、掲揚、斉唱をしなくなったのは、六〇年安保以降ごろの革新勢力が強くなってからです。特に七〇年安保ごろから、日の丸の掲揚、君が代の斉唱をさせないということになったのですが、法制化されてもまたやめさせればいいことです。

 しかも、戦後をふり返ってみると、戦後の日本の労働運動や平和運動や大衆運動、とくに六〇年安保闘争、七〇年安保闘争がなければ、日本はおそらくアメリカと一緒になって、朝鮮戦争やベトナム戦争に首を突っ込んだりして、今とは全く違う顔になっていたと思います。六〇年安保、七〇年安保の闘いによって、支配者はもう政治・軍事大国への道は困難になったことを自覚し、革新勢力と妥協をして高度成長政策が可能になったのです。ですから、戦後の日本の革新勢力の役割は非常に大きかったと思うのです。二一世妃になりますと、経済のグローバル化、IT革命が急速に進展するなかで、前述のような労働条件や社会保障の悪化が出てきます。問題はそれに対してどう、闘っていくかです。

 現在の自民党政権は、戦後の半世紀以上も、政権をとってきて、そのなかでできた経済界との癒着はもうどうにもならない状態になっています。九〇年代に入って金融自由化が急激に進む中でバブルが崩壊し、不況が長期化しているのに、政府・自民党は依然として公共企業への投資による景気刺激策一本で、この一〇年に一〇〇兆円も投入しながら殆ど効果がありませんでした。いまの自民党の経済政策では、とてもではないが、やっていけないと思います。安全保障問題でもよくテレビで、小沢一郎氏が「もし日本が攻められたらどうするか」などと言っていますが、どこの国が何のために日本を攻めてくるのかが問題です。具体的に考えたら日本に攻めてくる国なんかありません。もし現在、あるとすれば、アメリカが北朗鮮を爆撃して、北朝鮮が日本の米軍基地に反撃する場合しかない。とするとこの問題は日米関係の問題です。日本がアメリカにそんなことをさせなければ、日本を攻めるなどということは考えられないから、日米関係をどう政治的に対等の立場に変えていくかが問題になります。

 もう一つは、一国単位では安全保障も考えられないので、東アジア共通安全保障を考えるべきだということです。つまり、日、米、中、ロ、南北朝鮮という形で核軍縮や化学兵器の廃棄、非核地帯の設置、国家を越えた安全保障機構を考える時代ではないでしょうか。すでに、ASEAN(東南アジア諸国連合)では、安全保障フォーラムを行って、東南アジア非核地帯と西沙列島の紛争防止を話し合っています。西沙列島は中国、ベトナム、フィリピンが領有権を主張しあっていますが、ASEANのフォーラムの前議長、現議長、次の議長が緊急事態が起きた場合、協議して紛争を未然に防ごうというものです。それにこんどは北朝鮮や日本、中国、ロシアも呼ばれ、アメリカも参加しています。このような形での、地域の安全保障フォーラムを事実上の安全保障機構に次第に発展させていくことは、十分可能性があると思います。

 アジアでもう一つ危ないのは、インドとパキスタンの間で、カシミール問題をめぐつて、核戦争の危険があります。今年、八月五日ヒロシマで開かれた平和集会に行ったら、カシミールを視察してきた女性活動家が「カシミールをめぐって、戦術核兵器が使われる危険性は十分にある。それを防ぐために、ヒロシマ、ナガサキの原爆展を開いたりして、歩いてきたが、一般民衆は非常に熱心に見てくれた」と語っていました。

 今後、地域紛争が起こった場合、いかに調停するかも、もちろん重要ですが、国連にしても、地域の諸国にしても、紛争を予防することがそれ以上に重要になります。紛争の火種があるようなところは、民主主義が未発展で資現配分も不公正なところが多いのです。

 従来のマルクス主義の民族理論の最大の欠陥は、民族紛争は差別的な支配階級がつくりだしたものだから、支配階級を倒して、労働者が権力を握れば、一挙に解決するかのょぅに考えたことです。ところが実際には、そんな簡単なものではなく、イスラム問題にしても、五千年の歴史があるわけです。ロシアにしても、民族紛争は数千年にわたるものがあって、決して支配階級、ツァーリを倒したら、民族紛争がなくなるというようなものではなかったのです。そのような民族紛争を予防するには、政治的な民主主義をどう発展させていくか、優勢な部族が少数部族を圧迫してそれに対する抵抗が武力紛争になることが多いのですから、民主制度の創設や教育の普及、人材の育成などに協力したり、民主化や地域経済の発展を国際的に援助するといったょうな様々な予防手段があるはずです。それは難しいようでも、紛争が起きてから収めるよりはずっと楽なはずです。

 質簸応答

■グローバル化は、労働者に悪いことばかりと思っていたが、いいこともあるように聞こえた。それはどうなのか。

■グローバル化とアジアの経済統合の関連性はどうとらえたらいいか。
         
■ヨーロッパで新保守主義が社会民主主義に敗れていったのは、なぜか。

 グローバリゼーションは阻止できるか

 グローバル化には二つの問題があると思います。

一つは、技術革新です。技術革新によって、生産力は大きく発達します。当然、市場の拡大が出てきます。

 グローバリゼーションを抑えられるかという質問は、経済のうごきを政治が抑えられるかというように聞こえるのですが、政治が経済法則を全く無視して抑えるのは難しいのではないでしょうか。現在、EUでやっているようにグローバリゼーションの労働者に不利益を与える面を規制し、どう労働者の利益になるように誘導するかが問題ではないかと思います。
     
 八○年代初めのオートメーション化のときも議論があったのですが、「オフィスオートメーションは悪であるから阻止すべきだ」という議論もありましたし、あるいは「オートメーション化には光と影があって光を享受して影をなくすべきだ」 という議論もありました。オフィス・オートメーションも、ファクトリー・オートメーションもそうですが、ヨーロッパやアメリカの労働者は技術革新を好みませんが、日本は積極的に導入しました。それが八○年代の日本の経済発展の一つの原動力になったのですが、私の考えでは、一九世紀にあったラッダイド運動(機械打ち壊し運動)が成功しなかったのは当然だと思います。

 有害な遺伝子組み替え技術などは別として、グローバル化やIT革命の二面性を認めた上で勤労者、消費者に与える有害な影響をチェックしていくことが、左翼の任務ではないかと考えます。

 もう一つは、グローバル化は避けられないものかどうかという問題です。社会主義インターの考え方はグローバル化のもつ非人間的な効果と闘い、人間的なものに変える、つまりグローバル化が持っている人間の労働力を排除するような性格、賃金、労働集件を切り下げていくような性格を抑えていくというものです。それは一国規模ではできませんから、国際的な労働運動や労働機構を再強化しながら、国際化した資本には、国際機関や労働の国際化で対抗していく以外ないのではないですか。グローバル化そのものを阻止することは、実際上できないと思います。

 次にグローバル化が不可避であったかどうかということですが、それは自然現象などと違って、政府なワ、国会なりで認めて進めるものですから、確かに人為的なものです。だからその立法化の過程で、労働者や消費者や市民の闘う権利を保障しマイナス面を規制する、あるいはその過程で生まれる敗者といいますか犠牲者を救済する安全ネットを考えていくことも必要だと思います。グローバル化そのものに反対する、グローバル化悪者論は、懲の考えでは、ちょっと違うのではないかと思います。

 新保守主義とアジアの経済危機

 グローバル化とアジアの経済統合と、新保守主義が社会民主主義に押さえられたことについてですが、アンソニー・ギデンスというイギリスの有力な社会学者が「アジアの経済危機を契機に新保守主義は殆ど至る所で退却しはじめた」と述べています。

 新保守主義は、資本に有害な規制を撤廃すれば経済は急速に発展していくと言っていたが、その結果、アジアにおける経済危機、通貨危機が発生しました。アメリカのへッジファンドが投機的思惑からアジアから一斉に引き上げることによって、金融・経済危機はタイから始まって、インドネシア、フィリピン、香港、さらにロシアまで拡がりました。自らの利潤のためなら、一国の経済がどうなってもいいというへッジファンドのような金融資本の無制限な自由が一体何をもたらすのか、悪い典型を示したわけです。

 新保守主義は「規制こそが諾悪の根源だ」と主張しながら、銀行が不良債権で危くなると今度は一転して公的資金投入を要求するというデタラメなことをやっているのです。

 アジアの経済危機は、アメリカの短期資本の無責任な行動によってもたらされました。それでへッジファンドが儲けたかというと、ロシアの経済危機で自ら大損失を出して破綻の危機に瀕し、連邦準備委員会が巨額の公的資金を投入する結果になりました。無責任な金融資本の自由化は決して人類のためにならないのです。

 それ以降、フランスのジョスパン首相が、国連の安保理事会と同じように経済安保理事会が必要だと主張し始めました。現在国際機関が機能麻痺状態に陥っているのは、国連にしても、ILOにしても、世界銀行にしても、第二次大戦後、アメリカが経済的・政治的・軍事的に圧倒的な力を持っていた時期につくられた仕組みのままになっていることが大きな要田となっています。一九七〇年代に、ニクソンの金ドル交換停止で、アメリカは世界中に垂れ流したドルを金に換えることを停止しました。変動相場制になって、アメリカの一極支配が揺らぎ、九〇年代にはアメリカ、EU、日本の三極構造が生まれました。かくしてアメリカの一極支配当時にできた国際機関が機能しなくなってきたのです。従って、国連の安保理事会にしても、ILOにしても、世界銀行にしても、WTOもそうだと思いますが、どう改組していくか大きな国際的課題になっているのです。

 安保理事会は、第二次大戦の戦勝国が常任理事国になっていますが、常任理事会に五大陸の代表を入れろとか、日本やドイツを入れろという要求が出ています。ドイツ、日本の場合は海外派兵の問題が出てきますから、問題があると思いますが、いずれにしても、アメリカの一極支配から状況が変化して、経済、政治、安全保障上の重要な問題が解決困難になっている問題に対処できる国際機関にしていかなければなりません。

 アジアの経済統合については、EUが先進国の連合で、資本、労働力、教育水準など均質で非常に統合しやすいのに比べ、日本とASEAN諸国その他の間に大きな経済格差があり、急にヨーロッパのような経済統合を行うには無理があると思います。現在、アジアに金融危機が起こる場合にそなえて、日本や韓国、中国で基金を設けて危機を予防するという構想がありますが、そのような構想を一歩一歩押し進めていくことが大事なのではないでしょうか。

 新保守主義については、サッチャリズム、レーガニズムの下で、貧富の格差が激増して、イギリスなどは自国の産業が衰退して、ロールスロイスのような名門企業が軒並み没落して、サッチャーはイギリス産業の破壊者だとの声さえあるくらいです。金融資本だけを儲けさせて、他産業は軒並み衰退し、貧富の差も激増し犯罪も増える。公立教育も業績主義で、基礎研究のように長い時間をかけて、成果をあげるような学問にも、画一的に一年に論文を何本書けというような「大学改革」 では、学問も荒廃してしまいます。現在の日本の大学改革もそれを真似ているような気がしてなりません。

 こうしたあらゆる面での行き詰まりと、先ほど言ったアジアの金融危機、ヘッジファンドに象徴される金融資本の無責任なうごき、こういう欠陥を露呈したことが新保守主義が社会民主主義に負けた最大の原因だと思います。

■表題の 「社会民主主義と二一世紀の方向」 について、二一世紀に社会民主主義がどういう内容と可能性を持って発展すると期待できるのか。日本の運動とも関連させて説明してほしい。

■グローバル・スタンダードが実質アメリカン・スタンダードになっていることについて、ヨーロッパはアメリカをどう見ているのか。日本では、一般の人は危機感を持ってうけとめていないように思うがどうか。

■ヨーロッパの共産党についてはどう見るのか。フランスの社会党は共産党とも連立を組んでいるようだが。

■日本の共産党はどうか。社民化が言われているが、どう見ているか。民主党は保守的な人が増えているようだが、社民勢力の結集につてはどうか。

 二一世紀社会民主主義の成否

 一昨年、クリントンとブレアが新しい中道左派インターをつくるということで、イタリアのフィレンツェやベルリンで中道左派首脳で会議やシンポジウムを開いています。
われわれから見ると、アメリカの民主党と共和党はどちらもアメリカ帝国主義のヘゲモニーを代表する政党という印象があるのですが、実際には、民主党と共和党には違いがあります。民主党のなかにもタカ泥はいるし、共和党のなかにもハト泥はいますが、大体において民主党はリベラル沢です。

 ブレア新労働党の 「第三の道」路線は、吉瀬征輔氏が『英国労働党』 (一九九七年、窓社刊) で詳しく紹介しているように、サッチャーに敗北して以来一八年間にわたる労働党内の理論的・政策的な論議の積み重ねの成果であったことは言うまでもありません。だがこの路線は、アンソニー・ギデンズによると、クリントン米民主党が大統領選挙でレーガンの新保守主義路線に対抗するために一九九六年に打ち出した「新しい進歩主義宣言」からも多く学んでいるというのです。「第三の道」と名づけられたクリントンの 「新進歩主義」は、冷戦の崩壊と経済のグローバル化という世界の巨大な変化に対応し、伝統的な民主党の「ニューデイール主義」から脱却し、機会均等、財政規律、健保制度改革、福祉改革、都市再開発、教育・職業訓練投資、犯罪防止のための司法改革などを目玉とし、それなりに大きな成果を挙げたのですが、ブレアはそのクリントンの「新進歩主義宣言」から大きな影響を受けたわけです。

 そこで、「第三の道」がこれからどうなるか、ですが、イギリスの社会主義運動の理論家、ドナルド・サッソンがこう言っています。

 「二一世紀の社会民主主義が生存・発展できるかどうかは、経済のグローバル化に対応した労働運動のグローバル化をどう組織できるかである」と。

 前述のように、グローバル化、IT化は制限されることはあっても、進展していくでしょう。その場合に、労働や環境や様々な分野で、マイナスの影響がでるのをいかに抑え、利益を享受していくか、社会主義インターや国際自由労連が実質的に制御しうる国際的な政治勢力になりうるかどうか、それができれば、社会民主主義は二一世妃に発展しうるだろう、と言うのです。

 ですから、グローバル化そのものを悪として潰すというのではなく、有害な影響を抑えて、人間の利益になるものを利用していく、そのためにはグローバルな社会主義勢力の連帯が必要になります。

 その意味で、中道左派インターの試みは面白いと思います。社会主義者インターは社会主義者の集まりですが、中道左派インターは、中道勢力、リベラルまで入れた広汎な国際連帯をつくつて、グローバル経済の有害なものを抑えることができるかどうか、ここに二一世紀の展望があると言う。私もそう思います。

 次に、グローバル化はアメリカンスタンタードではないかということですが、日本ではそうです。最近、テレビに登場する大学の先生などの言うことを開いていると、アメリカの「ニューエコノミー」の成功例にならってやれば万事巧くゆくというようなことを言っています。彼等はアメリカ経済が急激に不況に陥りつつあるので大分因っているのではないかと思います。吉川元忠という学者は『マネー敗戦』という本を書いて、世界最大の債権国日本がなぜ今のような深刻な経済・財政危機に陥ったかを分析しました。
日本は、高度成長から八○年代にかけて儲けたカネで、金利の高いアメリカの国債を買ったのがアメリカの巧妙なドル操作で、バブル経済崩壊と重なって、失われた一〇年と言われるような九〇年代不況をもたらしてしまったのです。
だがドイツは早くからドル離れして、金融危機をうまく切り抜けたところに、日本とドイツの差ができたのです。

 デンマークなどは日本よりはるかに小さな国で、行き届いた福祉を享受しています。国家予算や財政運営のあり方にどれだけメスを入れられるかが、日本の革新勢力の課題です。

 九〇年代を失われた一〇年というけれども、失敗と後退ばかりでなく前進した側面もあります。例えば地方分権堆進法、情報公開法、男女共同参画法の制定などがそうです。
欠陥はあっても、わりに進んだ立法ができたのは、市民運動の力だと思います。

 戦争犯罪の賠償問題では、従軍慰安婦や強制労働問題で言うと、日本の裁判所はつねにサンフランシスコ講和条約と二国間条約で解決ずみであり、国家は市民に直接補償はしないといって戦後補償を要求する市民の請求を拒否しつづけています。しかし、国際的には、第一次大戦のベルサイユ条約以降、戦争の際に市民に対して行われた国家の不法行為に対しては補償するようになってきています。アメリカも前大戦中に強制収容した日本人に一人二万ドルの補償金を、謝罪状をつけて払っているのです。日本の裁判所は国際法の古い解釈にしがみついて、国家間の問題はすべてサンフランシスコ条約で解決済だなどと言って、払おうとしません。

 しかし、この態度は国際的信用を失墜させています。すでにイギリス政府は、戦争中に日本軍の捕虜となって虐待きれた英軍元兵士から出された補償要求を日本政府が拒否したので、代わって補償しています。韓国政府も、日本に代わって韓国政府が補償しています。最近では、幾つかの日本の裁判所も、立法措置で救済すべきだとの判決を出すょうになりました。鹿島建設は、敗戦前、秋田県の花岡鉱業所で起きた中国人強制連行者の暴動鎮圧の際の虐殺、暴行、虐待に対する遺族からの補償要求に基金を設けて救済することになりましたが、これは大きな変化だと思います。

 ドイツは戦時中の強制連行者に対して、五〇〇〇億円の連帯基金を設け、ドイツ連邦共和国と経済界が半分づつ出し、しかも、基金を運用する委員会に被害者のユダヤ人代表とか、ウクライナやチェコの強制連行した地域の市民団体や政府代表が入り、アメリカ政府からも入っています。
これは日本でいえば、政府と財界が従軍慰安婦の補償基金を設け、南北朝鮮や、中国、台湾、フィリピンなどの政府や被害者団体代表を入れて運用するようなもので画期的措置だといえます。こうしてドイツは戦後補償を徹底して行なうことによって、大変な国際的信用を得ています。逆に、日本は大きく信用を失っています。今後おそらく日本が、国連安保常任理事会に立候補するような場合、今度の「女性国際戦犯法廷」が、二〇〇一年三月に判決を発表し、この裁判記録が世界中にバラまかれることになれば、日本政府は大変な苦境においこまれることになることは目に見えるようです。ああいう生々しい従軍慰安婦の被害者、虐殺の生き残りの被害者がアジア全体から釆て、証言をし、アメリカ、オーストラリア、オランダなどの世界有数の国際法学者が裁判官、検事になって、その判決が世界中に出回るわけですから、日本政府としても、今度は講和条約や二国間条約で解決ずみなどということではすまされなくなります。いまアジアで経済統合の話がでていますが、その実現のためには、アジアの共通の価値観、とくに日本が第二次大戦の戦後補償や謝罪をすることが不可欠の条件です。

 ソ連・東欧崩壊後のヨーロッパ共産党の動向

  一九八九年以降のソ連・東欧社会主義の崩壊に対応してヨーロッパの共産党は大別して三つの潮流に分解しました。

 第一は、共産党の改革を拒否し、従来通りの路線を堅持するという正統派です。
 第二はソ連・東欧における失敗は社会主義の堕落したモデルの失敗であり、社会主義それ自体の失敗ではないとして改革を主張する共産党改革派の潮流です。
 第三は、ソ連・東欽の失敗は共産主義運動自体の失敗であるとし、非共産党的な左翼政党への転換を主張する潮流です。

 第一のグループには、当初ポルトガル、ベルギー、フランス、西ドイツ共産党などが入っていましたが、ポルトガルやフランスやベルギーは次第に第二のグループに移行しました。しかし、正統沢グループは改革源共産党内でも少数派として今でも根強い影響力を持っています。

 第二の潮流に入るのはイタリアの共産主義再建党を姑めスペイン、ギリシャなどの党です。        
 第三の潮流に入るのは、共産党の名称を放棄し、社会民主主義政党に転換したイタリア左翼民主党や、エコロジストと合併して「緑の左翼」を結成したオランダ共産党、民主的左翼に再編成されたイギリス共産党、スウェーデン、フィンランドです。社会主義国の共産党は、ロシアを除き、東欧諸国はすべて社会民主主義政党に再編成されました。

 イタリア共産党も幹部会多数派が左翼民主党への転換の方針を提案したとき、それをめぐつて三つの案が出ました。
第一はそれに反対し改革して存続をはかる意見、第二は左翼民主党に転換してこれまで参加しなかった人も自由に参加できるようにしようという意見、第三は、もっとゆるやかな連合にしようという意見でした。共産党本部のなかで、それぞれの議案の支持グループごとに部屋と電話とFAXを保障し、自由に会合を開き、支部で大会議案を討議する会議を開くと、三つのグループからそれぞれ代表が出て行って、討議に参加して各グループごとに代議員を選出するようにしました。

 その結果、全国大会には三つの潮流の代議員が出てきて投票し、左翼民主党への転換が決まったのです。反対した者は別れて再建共産党をつくることになりました。第三の潮流も共産党から離れました。それ以来、イタリア政界では、共産党には自由がないとは誰もが言わなくなったのです。キリスト教民主主義も、社会党もそれほど民主的にやっていないのですから。これが本当の民主主義だと思います。

 いま、左翼民主党は「党」をとって、左翼民主主義者と名乗っています。
 もう一つ、見ておくべきことは、イタリアはファシズムに懲りていますから、選挙制度は戦後、徹底した比例代表制を採用していました。そのため小党乱立となり、キリスト教民主党が相対多数になるため、つねに、共産党を除外して連立政権をつくることになりました。第二党はずっと共産党でしたが、何回選挙してもキリスト教民主党は、連立相手を変えながら、政権を維持します。しまいには社会党を取り込んで、共産党を除外するようになりました。そのうち、政治腐敗が出てきました。イタリアは国有企業が多いので、与党間でその総裁ポストを分け合う慣例が常態化してきて、政党の収入源になり、政党が腐敗していったのです。

 これに対して共産党は、比例代表制では小党分立で排除されて、どうしても政権がとれないのだから、選挙制度を根本的に改革し、小選挙区を七五%、比例代表を二五%にして組み合わせる「小選挙区比例代表並立制」を提案し、国民投票にかけて改正し、共産党が主力になって、中道左派をまとめて、「オリーブの木」連合を形成して、政権についたのです。

 前述のように東ヨーロッパの旧共産党は大体において、社会民主党に転換をしていますが、ソ連共産党は、ゴルバチョフが転換をしようとして、できなくて、非常にスターリン主義的色彩の強いロシア共産党が結成されました。日本の左翼のなかでも、ロシア共産党を持ち上げている人もいますが、この党は非常に民族主義的な色彩が強く、将来政権がとれる展望はないと思います。

 ドイツの場合は、旧東ドイツの共産党、正式には社会主義統一党と言いましたが、これが民主主義的社会主義党に転換しました。この民主主義的社会主義党も中身を見ますと、二つに大分されます。一つは、スターリン主義者のグループ、もう一つはギジ党首を中心とする改革主義者のグループで、かつて日和見主義者として除名されたドイツ共産党幹部のブランドラーやタールハイマーの名誉回復とか、第二インターのベルンシュタインやカウツキーの再評価を行なっています。いまのところ地域政党として東ドイツの利益擁護の性格が強いのですが、次第に党員の価値観が多様化しています。ただし、今回のコソボ問題では、民族主義的色彩の強いユーゴのミロシェヴィッチの社会党を支持しています。

 日本共産党は社民化しているのか

 日本の共産党の転換については、私のところで、『労働運動研究』という雑誌を出していますが、その一一月号が「日本共産党の転換を検証する」という特集をしています。

五つの論文を掲載していますが、これらの論文の共通のテーマは、共産党は本当に民主化されつつあるのか、いわゆる民主集中制をかつてより緩めて民主化し、他の民主政党と協力し、自民党政治を民主的に改革する政治勢力になりうるか否か、ということです。

 共産党のこれまでの組織路線、つまり民主集中制の実際上の運営を見ますと、非常に非民主的です。いかなる党員も、選挙し選挙される権利があるということになっているが、実際はそうではない。たとえば、都道府県委員会の委員の選出は事前に委員会の指導部が名簿をつくつて、中央の常任幹部会の承認をうけるという党及約にもない内面指導がいまも厳として行なわれています。だから各都道府県委員会の委員は、すべて都道府県党会議で決まるのが原則ですが、実は事前に中央の常幹の許可を受けた上でなければ、都道府県党会議の議案として提出できない。つまり、はっきり言うと任命制です。

 こんどの不破委員長の規約改正の提案には、そんなことは一言半句もありません。われわれは事実上こういうことをやっていました。今後はやめますと言えば、これは本物だと思うけれども、規約の文言を多少変えたくらいでは、きれいごとというしかありません。

 もう一つは、こんどの大会で保留が一票出ましたが、大体満場一致だったということは、都道府県から出てくる代議員はほとんど皆排除されていると見ていいと思います。
反対するような人は事前に排除するからです。

 こうした常任幹部会の上意下達体制を支えるも、一つの要因は、各級幹部間の賃金格差だといわれています。つまり中央常任幹部会員、中央幹部会員、中央委員、都道府県委員長、地区委員長、地区委員と給料に格差があります。
都道府県委員長が中央常任幹部会員を兼ねた場合、どうなるかというと、地方と中央の差額を中央が払ってくれる。
中央に楯突いて中央役員をはずされると、いっペんに賃下げになるのです。賃金格差と内面指導、これが民主集中制の実態であって、これは規約の文言をちょっと変えたぐらいで変わるものではないといえましょう。

 しかもこんどの規約改正の第五項には、党員は党の決定に反する意見を外に出してはならないという規定があります。これこそ民主化とは全く逆行する措置です。最近、共産党内の批判派が「さざなみ通信」というホームページで、様々な党員が党の方針について、批判する意見を出しています。しかし、これからは「さざなみ通信」に批判的意見を出すと規律違反になるのです。ある党員が書いていますが、「これからは党の決定に反する意見は出せない」と。出せるのは二年に一回、大会があるときに二千字程度の意見書を、「赤旗」特集号に出せるだけで、それを批判されても、意見書は一人一回しか出せないのだから反論ができないのです。これは先ほど述べたイタリア共産党やフランス共産党とくらべたら、天と地ほど違います。

 『前衛』という理論誌の名前を変えるとか、「社会主義革命」という言葉をやめるとか、言われますが、まず党運営の実態をはっきり自己批判して変えなければ信用されません。党の幹部と違った意見を公然と発表できる権利と発表しても処分されない権利がなければ、民主主義は発展しません。党の幹部会や都道府県合議で、どういう意見とどういう意見が出されて、こういう決定になったのか明らかにされなければ、どっちの意見が正しいかという一般党員の判断や論議はできません。ここが党内民主主義の一番大事なところです。それが発表されず、幹部会の決定だけを出すとなると、論議なしに、賛成するか反対するかしかない。
反対したら規律違反で処分されてしまう、これでは民主化されたと評価することはできません。

 共産党の転換といっても、イタリアのように徹底した自己批判をして転換した党もあり、フランスのように漸進的に転換する党もあります。しかし、たとえごまかしながらでも良い方に転換するのは良いことです。その点ではこんどの共産党の転換は良い点もあります。どんな党でも、情勢が変われば方針が変わるのは当然です。ただ、それが皆の公然たる意見で討議された結果、変わるのか、一握りの幹部が密室で討議した方針に賛成するか反対するか、では、党の体質は変わりません。ここでは、理論的な論争がないわけですから、情勢が変わったとき、転換に立ち遅れてしまいます。

 共産党が民主的に改革されることは大歓迎ですが、そのためには先ほど述べた党運営の民主的改革、方針は公然と討議して変えていくことが必要で、われわれも民主勢力の一員としてそれを要求していく必要があると思います。

 それでは時間がなくなりましたので、これでおわりますが、どうもありがとうございました。