バートゴーデスベルグ綱領
(C) Copyright: Translated by Hidemi Watanabe
社会民主党臨時大会(1959年11月13-15日にバートゴーデスベルグで開催)において採択
<推敲中>
ドイツ社会民主党基本綱領
前文
我々の時代の矛盾は次のこと、すなわち、
人間が原子力を解放し、しかも今や自分が作り出した結果に恐れていること、
人間が未曾有の水準に生産力を発展させ、巨大な富を手にしたが、社会の成果を各人に公正に分配することができずにいること、
人間が地球を征服し、諸大陸を相近づけているが、完全武装した力の陣営がかつてなく国民と国民を隔て、全体主義体制が人間の自由を脅かしていること、
にある。
近年破滅にいたる戦争や野蛮行為の危険を知るに至った人類が、自分の未来に恐怖を感じている原因はここにある。なぜなら、何時でも世界のどこかで人間の誤ちが、自滅の混沌に人類を投げ込むかもしれないからである。
しかし、われわれの時代の希望もまた次のことに、すなわち、
人間が 自然に対するいっそう拡大していくその力を平和のためにだけに使うならば、原子力時代において生活を容易にし、人間を不安と苦痛から解放し、すべてに繁栄をもたらしことができること、
人類が国際法に基づく秩序を確立し、国民間の不信を少なくし、軍拡競争を止めるならば、世界平和を確保できること、
その時、歴史上初めて各人は、確固とした基盤に据えられた民主主義の下で個性
を発展させ、必要と恐怖から解放された 文化的展望を広げることができ
ること、
にある。
全人類は、この矛盾を解決する使命を与えられている。
我々の手には、より幸福な未来へ進むのか、それとも自己破滅に向うかを決める鍵が握られている。
新しい、より良い社会秩序だけが、人類にとって自由への道を切り開くことができる。
民主的社会主義は、この新しい、より良い秩序を実現することに努める。
社会主義の基本価値
社会主義者は、各人が自分の個性を発展させ、共同体の責任ある一員として、人類の政治、経済、文化の各分野の生活に参加できる社会を創ることを目的とする。
自由と公正は互いに依存している。なぜなら、人間の尊厳は、個人の自立への要求と同じように、他人が個性を発展させ、対等なパートナーとして社会の形成に参加する権利をもつことの承認、に基づいているからである。
自由、公正、連帯――これらは隣人への各人の義務感であり、我々が共有する人間性から生れでる――は社会主義の基本価値である。
民主的社会主義は、ヨーロッパにおいてキリスト教倫理、人間主義(ヒューマニズム)と古典哲学に根ざすが、究極的真理を宣言しない。その理由は、哲学的または宗教的真理に対する理解不足または無関心ではなく、国家も政党も関与を許されるべきではない信条にかかわる事がらについての個人の選択を尊重するからである。
ドイツ社会民主党は、思想の自由の党である。党は、異なる信条と理想を持つ人々の共同体である。彼らと彼女らの合意は、共有する道徳原理と政治的目標に基づいている。ドイツ社会民主党はこれらの原理の合った生活のあり方を追求する。社会主義は――自由と公正のために闘い、それらを守り、その中で生活するための――絶えざる仕事である。
人にふさわしい社会のための基本要求
民主的社会主義を受け容れると、人にふさわしい社会において満たされなければならない、疑問の余地がない次の基本要求が帰結される。
すべての諸国民は、適切な執行権によって裏づけられた国際法に従わなければならない。政治の手段として戦争は排除されなければならない。
すべての諸国民は、世界の富に与る等しい機会をもたなければならない。発展途上国は他国の援助を求める権利をもつ。
われわれは民主主義のために闘っている。民主主義は、国家機関と国民生活の普遍的形態にならなければならない。なぜなら、民主主義は、人の尊厳と自己責任への関心のうえに据えられるからである。
われわれは、いかなる独裁、全体主義または権威主義支配のいかなる形態にも反対する。なぜなら、それらは人間の尊厳を傷つけ、自由と法の支配を破壊するからである。社会主義は民主主義を通じてのみ実現できる。民主主義は社会主義を通じてのみ達成できる。
共産主義者は、自らの権威付けのために社会主義の伝統を引き合いに出す正当性をもたない。現実に彼らは社会主義の理念を偽ってきているのである。共産主義者が共産党の独裁をうち立てるために社会の対立を不当に利用するなかで、社会主義者は自由と公正を実現するために闘っている。
民主的国家では、 いかなる形態の権力も公衆の支配に服さなければならない。
共同体の利益が個人の利益に優先されなければならない。
民主主義、社会保障そして個人の自由は、利潤と権力の追求が突出した特徴となっている経済社会体制によって危険にさらされている。民主的社会主義は
だから、新しい経済社会秩序を熱望する。
国家の社会的機能は、市民が自分の生活の自由な形成に責任をもつことができるとともに、自由な社会の発展を促進するよう、社会保障を提供することである。
国家は、民主的理念を、社会保障と法支配の理念とを融合させることによつて、真の文化国家(Kulturstaat)になる。国家は、その内実において、社会の多数派の諸勢力に依存する。その任務は、人の創造的精神に奉仕することである。
社会民主党は、民主主義の擁護を確認する。民主主義において、国家権力は国民に由来し、政府は、信任を得なければならない
議会に対して常に責任を負う。民主主義において、
多数派の権利と同じく少数派の権利は尊重されなければならない。政府と野党は、等しく重要な
異なる任務をもつ。双方は国家に対する責任を分有する。
社会民主党は、民主的社会主義の基本的要求にそった社会と国家を建設するために、他の民主的諸政党と平等な条件で競争することによって国民の多数の指示を得ることを目ざす。
立法、行政、そして司法は分立して行われるべきであり、三者はいずれも公衆の利益に奉仕することが責務である。公的機関の3つのレベル―連邦、州、地方―の存在は、権力の分散を確かにし、自由を強め、共同決定と共同責任を通じて、市民が民主的機構に多様な接近をできるようにする。自由な地方の共同体は、生きた民主主義にとって死活的に重用である。社会民主党は、したがって地方自治の原則を支持する。地方自治は拡大され、十分な財政的支援を与えられなければならない。
社会の中で異なる集団や階層に属する人々が共通目的のために結集する団体は、現代社会で必要な機構である。それらは民主的に組織されなければならない。それらが強力であればあるほど、負う責 任はより大きくなるが、権力を乱用する危険もより大きくなる。議会、行政、法廷は、既得権益 の一方的影響を受けるのを許してはならない。
新聞、ラジオ、TV、映画は公共の責務を果す。それらは自立し、それらが望む場所で情報を収集、
論評、配布し、自らの見解を形成し、表明する自由をもつ。
ラジオとTVは、公的な機構の統制のもとにどまるべきであり、
自由で民主的な委員会によって運営されるべきである。それらは、利益集団の圧力から保護されなければならない.
裁判官は国民の名において法に奉仕するようになるため、外部とも内部においても独立を保持しなければならない。陪審員
は裁判において等しく重要な役割を果すべきである。独立した裁判官だけが刑事罰について判決を下すことがで
きる.富も困窮も、人々の訴訟への接近や判決に影響があるべきではない。正義が行われるようになり、かつ人の正義感が損なわれないようになるなら,法は社会の発展に歩調を合わせなければならない。
国防
社会民主党は、自由かつ民主的な社会を守る必要を確認する。党は国防に賛成する。
国防は、ドイツの政治的、地理的位置に適合していなければならない。したがって、それは、国際緊張の緩和、効果的に管理される軍縮、そしてドイツ再統一のための条件を創り出すのに必要とされる限度内に留まっていなければならない。民間人の保護が国土防衝の本質的任務である。
大量破壊手段が国際法によって全世界で禁止されることを
要求する。
ドイツ連邦共和国は、核兵器、またはその他の大量破壊手段を製造も使用もしてはならない。
社会民主党は、緊張が緩和され、軍備が 管理のもとで制限された
ヨーロッパの地帯に全ドイツを編入するよう努める。この地帯において、ドイツが
自由に再統一する過程で外国軍隊が撤退し、核兵器とその他の大量破壊手段は製造も、貯蔵も、使用もされないこととなる。
軍は、政府による行政的指示と、議会による統制の下に置かれなければならない。兵士とわが国の民主勢力との間には信頼関係が存在するべきである。兵士は、市民としての権利と義務を保有しなければならない。
軍隊は、国家防衛にのみ用いられなければならない.
社会民主党は、 兵役につくこと、または大量破壊手段を操作することを、良心的理由で拒否するいかなる市民をも保護することを公約する。
社会民主党は、全面的な 管理された軍縮を支持し、支配を有効にする
強制手段を国際法によって付与された国際的権威を支持する。
これらは、国家の防衛力に取って替わるであろう。
経済
社会民主主義の経済政策の目標は、繁栄の持続的拡大、すべて人々への国民生産物の公正な分配、人の尊厳を奪う依存と搾取がない自由な生活である。
経済の持続的拡大
第二次産業革命は、全体の生活水準をこれまでになく引上げること、今なお多数の人々が苦しんでいる貧困と悲惨をなくしていくことを可能にしている。
経済政策は、安定した通貨を維持しながら完全雇用を確保し、生産性を高め、そして全体の繁栄を引き上げなければならない。
すべての人がこの国の拡大する繁栄に取り残されないためには、均衡した経済発展を達成するための不断の構造変化に対して、経済を調整する計画がなされなければならない。
このような政策は、国民経済計算と国の予算を要求する。国の予算は議会によって承認されなければならない。それは、政府の政策に結びついていて、自立した中央銀行の政策に重要な基礎を与え、自立した決定権を保つ経済への指針を設定する。
現代国家は、課税、財政、通貨、信用、関税、貿易、社会的事業、価格、公的契約、それとともに農業と住宅についての政策をとおして、常に経済に影響を及ぼす。
1/3を超える国民所得は政府の手を通過する。問題は
したがって、経済の計画と制御の手段が目的にかなっているかではなく、誰が、
そして誰の利益のために、これらの手段を実行するべきかということである。
国家は、こうした経済過程に対するその責任を回避することはできない。国家は景気についての先を見通した政策を確立する責任がある。そして、経済に対して
主として間接的手段によって影響を与えることに限定すべきである。
消費財とサービスの自由な選択と、働く場所の自由な選択、
自由競争と同じように雇用者がイニシアチブを発揮する自由は、社会民主主義的経済政策の本質的条件である。集団交渉での労働組合と雇用者団体の自立は、自由な社会の重要な特徴である。経済の全体主義的統制は自由を破壊する。社会民主党はしたがって、どこでも真に競争がおこなわれている自由な市場を歓迎する。しかし、ある個人や集団が優位にたつ市場では、経済分野における自由を保護するために、さまざまな対策がとられなければならない。
可能なかぎり競争を−必要におうじて計画を
所有と稚力
現代経済の重要な特徴は、集中へ向かう傾向が常に増していることである。大企業は、経済発展と生活水準にだけでなく、経済と社会の構造にも
決定的影響を与える。
大企業の事業、巨額の資金、そして何万人もの雇用者を指揮する経営者は、経済的機能を果すだけではなく、人に対して決定的力をも行使する。労働者と職員は従属的地位に置かれ、その従属は、純粋な経済的、物質的な事態だけに限られてはいない。
大企業が優位にたつところでは自由競争が排除される。力の弱い者はより少ししか発展の機会がなく、多かれ少なかれ束縛されている。
消費者は、経済において最も弱い立場にある。
カルテルと団体による増強された力は、 民主主義の原則とは相容れない政治と政策に対する影響力を
、大経営の指導者たちに与える。彼らは国家権力を強奪する。経済力は政治力になる。
この発展は、自由、公正、人の尊厳、そして社会保障を人間社会の基礎と考えるすべての人々への挑戦である。
自由に関心をもつ経済政策の鍵となる仕事はそれゆえ、大経営の力を抑制することである。国家と社会は、力のある派閥集団の餌食になってはならない。
生産手投の私的所有は、それが社会的公正の確立をを妨げないかぎり、社会による保護を請求することができる。
効率的な中小企業は、大企業との競争において経営できるように強化されるべきである。
公的企業の参入による競争は、私的企業による市場支配を防止するための重要な手段である。公企的業は共同体の利益を
全体として保護するべきである。共同体のために不可欠な経済機能が、自然的または技術的な理由から、競争を排除することによって合理的に遂行される場合には、公的企業が必要になる。
共同組合として設立され、私的営利ではなく、需要を満たすことを目的にする諸
企業は、価格を調整し、消費者を益することに役立つ。それらは、民主的社会において価値のある機能をしており、支援されるべきである。
大企業は、経済力の構造 と経営運営の内実を国民に開示して、世論が
力の悪用に対して喚起されるようにするべきである。
効果的な公的規制が経済力の悪用を防がなければならない。このための最重要手段は、投資の制御と、市場を支配している勢力の制御である。
公的所有は、 いかなる現代国家もそれなしにはやっていけない公的
制御の合法的な一形態である。それは、大企業利益優先に対して自由を守るのに役立つ。大企業における力は今日、
匿名の勢力に奉える経営者によって握られている。生産手段の私的所有はしたがって、もはや支配力と同一ではない。所有よりは経済力が今日の 中心的問題である。経済的勢力の健全な関係が他の手段で保障できない場合には、公的所有は適切かつ必要である。
経済力のいかなる集中も、たとえ国家の手によるものであっても、危険をはらんでいる。
それゆえに自主管理と分権化の原則が公的部門に適用されなければならない。公共の利益と
消費者の利益とともに 労働者と職員の利益が、公的企業
の管理機関において代表されなければならない。中央集権の官僚制ではなく、すべての関与者の責任ある協力が、共同体の利益に最もよく奉仕する。
所得と富の分配
競争経済はそれ自体で、公正な所得と富の分配を保障するものではない。それは、経済政策という手段を通じてのみ達成できる。
所得と富は不公正に分配されている。これは、恐慌、戦争、そしてインフレーションによる財産の大量破壊の結果であるだけでなく、少数者の手への高所得と資本集積を優遇し、資本を持たない人々がそれを獲得するのを困難にしてきた経済財政政策に多く因っている。
社会民主党は、すべての人が向上する所得の一部を貯蓄し、財産を獲得できる条件を創つくることを目ざす。これは、生産の恒常的増大と国民所得の公平な分配が前提とする。
賃金給料政策は、所得と富をより公平に分配するための適切かつ必要な手段である。
大経営の確実に増大する資本の適当な部分が広く分配されるか、あるいは公共のの目的に奉えるようにする、適切な手段が確保されなければならない。われわれの時代の嘆かわしい兆候は、
重要な公的仕事、とくに科学、研究と教育が、文化国家の値しないほど無視されていながら、社会の特権集団がせいたくな生活で欲望を欲しいままにしていることにある。
農業
社会民主主義の経済政策の原則は農業にも適用される。
しかし、農業の構造と、 制御できない自然の力へのそれの依存が特別な手段を求める。
農民が土地を所有する権利は保障される効率的な家族所有は、土地の所有と借地に関する現代の法律によって保護される。
現行協同組合制度への支援は、中小経常の独立を維持しながら、効率を高める最良の方法である。
農業は、経済発展への固有の寄与をし、農業で働く人々に適切な生活水準を確保するために、変化する経済構造に自らを適合させなければならない。これらの変化は、科学と技術の進歩だけでなく、ヨーロッパ共同体の枠組みのなかでの立地条件 の変化、そしてドイツ経済が世界経済と ますます結合されるという現実によっても決められる。
農業の近代化と効率化は公的責任である。
農業者の利益は、農業の高生産性経済と、これまでになく広く分布している大衆の購買力
への統合によって図られる。農業所得を保護するための価格および市場政策は、消費者と経済の利益を全体として考慮に入れるべきである。
農業人口全体の文化的、経済的そして社会的条件は改善されなければならない。社会的立法の遅れは克服されなければならない。
経済における労働組合
すべての労働者、職員と公務員は、労働組合へ自由に結集する権利を持っている。彼らは、
企業と関連部門を命令する地位にいる人間に対して、自由に民主的に組織された労働組合の団結で対抗し、労働条件について自由に合意することができなければ、絶望的な状態にさらされる。
労働組合は、労働社会と職員に国の富の公正な分配を確保するために、そして経済的、社会的生活に影響を与える決定ついての発言権を求めて闘う。
労働組合は、より大きな自由のために闘い、すべての働く人々の代表として行動する。このことが労働組合を、民主化の絶えない過程の重要な要素にする。すべての雇用者が責任を荷い、能力を発揮できるよう配慮することは、労働組合の大きな仕事である。
生産へ決定的に寄与している労働者と職員は、これまで経済の運営において有効な発言権を奪われてきた。
民主主義はしかし、働く人々が発言権を与えられ、共同決定が経済のすべての分野に広げられることを求める。働く者は、経済において召使いから市氏にならなければならない。
鉄鋼産業と炭鉱産業における共同決定は、新しい経済構造の始まりを画する。次の一歩は、すべの大企業における民主的な組織構造の設立であるべきである。国の経済において設置された自立した管理機構における雇用者の共同決定は保障されなければならない。
社会的責仕
社会政策は、個人が社会の中で自由に自己を発展でき、自分の責任で自分の生活を決定できる本質
的条件を創らなければならない。個人と社会を苦難に至らしめる社会的状態を不可避
で変更できないものとして甘受することはできない。社会保障制度は、責任を負う人間の尊厳にふ
さわしいものでなければならない。
すべての市民は、老齢、生計不能、または一家の稼動者の死亡に際して、国家の最低限の年金を受ける権利を持つ。この年金は、個人的に加入した年金によって補充される。このようにして個人の生活水準は維持されるであろう。戦傷者とその家族のための年金を含め、すべて種類の社会的給付は、勤労所得の増加にあわせて規則的に調整されなければならない。
技術と現代文明は人々の 健康を多くの危険にさらしている。それは、現世代だけでなく将来の世代をも同様に脅かしている。個人はこうした危険から自分を守ることができない。社会民主党はしたがって、総合的保健を求める。保健政策を完備し、健康的な生活ができるように生活の条件と様式をつくらなければならない。公的保健制度、とくに労働保護、そして個人のために効果的な
予防的保健の方法が進展されなければならない。自分の健康についての自己責任の意識を喚起され、個人が自由に選ん
医師には、健康維持と病気子防のための十分な便宜を与えられなければならない。医師の
診断については職 務上の自由が保障されなければならない。適切な設備を備えた病院を設置することは公的仕事である。
すべての人が等しく生きる機会をもつべきであるから、すべての人が、現代の医学研究によって可能になった治療を
、必要なときには貧富にかかわりなく、受 けられるようにしなければならない。このような治療は
、疾病時の適切な経済的補助によって支援される。
労働時間は、 所得水準を引き下げることなく、経済発展と歩調をあわせて、徐々に短縮されるべきである。
生活そして特別な必要がある場合における特に困難な状況を克服するために、一般的な社会給付が、個人的保護と社会的援助に加えて、な
されなければならない。社会的援助は、自立したボランティア福祉組織、相互援助と自助のための機関と協力してなされるべきである。自由な福祉組織の自立
は保護されならない。
すべての労働と社会に関する法規は、閲覧できる労働法典と社会法典の中に位置付けられ、編纂されるべきで
ある。
すべての人は、人にふさわしい住居に住む権利をもつ。それは家族にとってまさに「我が家」である。
それはしたがって、社会的保護が継続されなければならず、
単なる私的利益の対象であってはならない。
住宅不足は、効果的建設計画によってすばやく解消されなければならない。公共住宅建設は促進され、 家賃の決定にさいしては、社会的考慮がなされなければならない。不動産の投機 は禁止されるべきであり、不動産の売買による過剰な利得
は税によって吸い上げられるべきである。
女性―家族―青年
女性の同権は、法的、 経済的、そして社会的分野において実現されるべきである。女性は、教育と職業訓練において、職
業の選択と業務、そして賃金において、等しい機会が与えられなければならない。
女性が等しく権利をもつことを理由にして、
女性の心理的、身体的特性が無視されてはならない。主婦の労働は、職業として認
めらるべきである。主婦と母は特別の社会的援助を必要としている。就学前または就学中の子 を持つ母親は、経済的必要から有給就業を余儀なくさせてはならない。
国家と社会は、家族を保護、支援、強化しなければならない。
社会は、家族の物質的保障を支援すること によって、家族の道徳的価値を認めることになる。両親への税金の一般的控除、出産手当、そして家族手当によって、効果的援助が家族に与えられるべきである。
若者は、自分で生活を営ことができ、社会に対する責任を担うことができるように成長しなければならない。したがって、家族の教育機能を強め、家族ができない領域を補い、必要なら替りの機能を提供するのは、
国家と社会の仕事である。奨励金と奨学金の制度は、若者が特別の能力と素質を職業と専門の訓練で十分発展させられるものでなければならない。
若年労働者の保護は、現在の社会条件と教育経験に合ったものでなけれはならない。青少年が早い時期から大人と仕事と責任を分かち合うなかで信頼されるなら、彼らは、 教養のあり、確信をもった民主主義者になるであろう。
進歩的な青少年法は、教育と個性ある発展への若者の権利を保障するべきである。教育または若者の
育成保護にかかわる生活の全領域において、若者の福祉への配慮が何よりも優先されなければならない。
文化的生活
個人の創造力は、豊かで多様な文化的生活の中で自由にのばす機会が与えられなければならない。国家は、すべての文化の発展に寄与しようとする全ての能力を鼓舞、支援するべきである。国家は、
力のある集団、または一部の人間の利益が人々の精神的文化的生活を彼らの目的に奉仕させようとするする企図から市民を保護しなければならない。
宗教と教会
思想信条の違いに関係なくすべての人の 尊厳を尊重する相互寛容だけが、社会における
政治的そして人間的な協力のための確かな基礎を与える。
社会主義は、宗教にとって替わるものではない。社会民主党は、教会と宗教団体を尊重する。党は、それらの公共的法的地位、特別の使命、そして自治を確認する。
党は、自由なパートナーシップに基づいて、
教会と何時でも協力する用意がある。党は、人々が
社会的義務感と社会に対する責任を認識するにあたって宗教的信念によって動かされて
いる事実を歓迎する。
思想、宗教、そして良心の自由、および伝道する自由は保護されなければならない。
党 派的または反民主主義的な目的のための、この自由の乱用に対して寛容であることはできない。
教育
教育は、すべての人にその能力と可能性を自由にのばす機会を与えなければならない。教育は、体制に順応する
現代の 傾向に抗する意思を強めなければならない。伝統文化の価値を知り、習得すること、そして
社会を形成している力に広く理解することとは、独立した思索と自由な判断力の発展にとって本質的
である。
学校と大学は、若者を互いを尊重する精神で育てる出来である。若者は、民主主義と国際理解の理念とともに、
自由、独立、社会的責任の価値を認識するよう
教育されるべきである。この目的は、きわめて多くの哲学的世界観と価値観が並存している我々の社会において、寛容、相互理解、そして連帯を鼓舞することであるべきである。
学校のカリキュラムはしたがって、公民権教育に適切に留意するべきである。
芸術と技術は、教育において重要な位置にある。すべての人を学校と成人教育施設をとおして芸術と芸術的活動に親しめるようにするのは、国家と社会の仕事である。
スポーツと体育は、国家と社会の支援に値する。それらは、人々の健康維持に役立ち、そして連帯の精神を形成する大切な要素である。
両親は学校での子供の教育に発言するべきであり、生徒によるいろいろな形の自治はどこでも発展されるべきである。学校制度とカリキュラムは、
才能と能力がすべての段階において発展されることを視野にいれなければならない。すべての能力ある生徒には、上級の教育と訓練への機会が開かれているべきである。すべて公立学校と大学は無料であるべきである。教科書とその他の教材は生徒と学生に無償で与えられべきである。
義務教育の就学期間は10年に延長されるべきである。職業学校と技術学校は、職業訓練だけでなく、一般教養をも教えるべきである。
大学教育への新しい通が開かれなければならない。
才能あるすべての若者が必ずしも、普通初等学校と中等学校の教育課程を経て大学に進学できないので、就業、職業学校そして特別な教育機関を経た、
進学の他の機会が開かれなければならない。
すべての教員は大学で養成されなければならない。良い学校制度は、その時代問題に自立した判断ができる教育者を求める。
科学
科学研究と教育は自由でなければならない。科学研究の成果は公開されなければならない。十分な公的資金が研究と教育のために支出されければならない。
国家は、科学研究の結果が悪用されて人類にとって有害ならないよう、注意していなければならない。
科学者の自立した評議会は、緊急課題について提案し、その内のいくつかを自分で引き受ける責任があると自らを見なすよう組織されるべきである。研究と教育は、例外なく科学のいかなる分野る学問においても促進されるべきである。
豊富な研究奨励費は、すべての学生が高等教育を受けるのに十分な便宜を保障するべきである。すべての学生は、政治と社会科学の基礎課程を教えられるべきである。
発展する産業国で政治、人間、そして社会の問題に対処し、そこで人間の自由を保持するためには、人間と社会に関する科学の適用力を高め、深化する必要がある。この分野での努力は、自然料学と技術を発展させる努力と調和が保たれなければならない。
大学の自由と自治は侵してはならないが、大学は社会から孤立してはならない。大学はしたがって、民主的社会の他の機関、とくに成人教育機関と協力して仕事をするべきである。
現代の成人教育制度は、規定の教育課程を卒業すれば、すべての人が知識、判断力、そしてその他の能力を身につける機会を提供しなけれはならない。民主国家における責任ある参加は、これらの質に依存する。
芸術
芸術を創作する自由は保障されなければならない。国家と自治体は、共同体の中の創造的な活動を支援するため公的助成がえられるするべきである。いかなる統制、とくに検閲によっても、自由な芸術創作を制限してはならない。
国際的共同体
最大かつ最も緊急な課題は、平和を維持し、自由を守ることである。
民主的社会主義はつねに、国際的な協力と連帯の側に立ってきた。すべての利害と関係が国際的につながっている時代には、いかなる国ももはや、政治、経済、社会、そして文化の問題を単独で解決することはできない。ドイツ政治における文化、経済、法律、そして軍事の課題は、諸国民との緊密な協力のもとで解決されねばならないという認識によって、社会民主党は導かれている。
すべての国との正常な外交および通商関係は、政治制度や社会構造にかかわりなく欠くことができない。
国際裁判所と条約、すべての国の自決権と平等、領土主権の不可侵、そして他国民に対する内政不干渉――これらは、平和保障にとって必要である。それは国際的権威によってうらづけられる。
国際連合は、それが意図されているとおりの普遍的機構にならなければならない。その諸原則は普遍的な拘束力をもたなければならない。少数民族の権利は、国連憲章合で宣言された人権に基づいて承認されなければならない。ドイツ社会民主党は、祖国、民族の伝統、言語、そして文化に対する、すべての国民の権利を宣言する。
全般的軍備撤廃と国際緊張緩和に向かう歩みとして、国際連合の枠内で地域安全保障体系を設立するべきである。再統一されたドイツは、すべての権利と義務をもった、ヨーロッパ安全保障体系の一員にならなければならない。経済発展によってヨーロッパ諸国感の協力が必要になる。社会民主党は、このような協力の必要を認識する。これは、何よりも経済と社会の発展に役立つはずである。地域に限定した超国家的協力が、外の世界に対する「鎖国政策」になることを許してはならない。平和的共存の必要条件は、対等なパートナー間の協力と、すべての国に開かれた世界貿易システムである。
民主主義国は、とくに発展途上国との連帯を表明しなければならない。世界人口の半数は未だ、極貧と無教育の中で生活している。世界の富が再分配され、途上国の生産性がかなり引き上げない限り、民主的な発展は危険にさらされ、平和への脅威はつづく。すべての国民は協力して、飢餓、困窮そして疾病と闘う義務がある。途上国が新たな形の抑圧の犠牲にならないなら、その国の経済、社会、そして文化の発展が民主的社会主義の理念によって鼓舞されているはずである。
われわれの道
社会主義運動は歴史的任務をもつ。それは、資本主義体制に対する賃金労働者の、自発的、倫理的反抗から始まった。科学技術を利用した生産力の巨大な発展は、少数の階層に富と権力を、しかし労働者には窮乏と悲惨だけをもたらした。支配階級の特権をなくし、すべての人々が自由、公正および繁栄を手にすることは、過去においても現在においても
社会主義の目標の本質である。
労働者階級は、闘いにおいて自分の力に頼るしかなかった。労働者階級は、自分たちが置かれた状態を認識するようになること、その状態を変える決意、団結した行動、そして成功した闘争の経験によって、自信を得た。
重大な後退といくつかの誤りにもかかわらず、労働運動は19世紀と20世紀に、多数の要求を勝ち取ることに成功した。かつて無保護、無権利の置かれ、飢餓賃金で日に16時間働かなければならなかったプロレタリアは、8時間労働制、労働での保護、そして失業、病気、廃疾、老齢における困窮に対する保障を達成した。プロレタリアは、児童労働と女性の夜間労働の禁止、青少年と母
親の保護、そして有給休暇を達成した。プロレタリアは、集会の権利、労働組合を結成する権利、集団交渉とストライキの権利を闘って得た。プロレタリアは共同決定の権利を得ようとしている。かつて単に搾取の対象であった労働者は今、国民が等しく権利と義務をもつこの国で市民としての地位をしめている。
ヨーロッパのいくつかの国々で、新しい社会の基礎は、社会民主主義政権のもとで築かれてきている。
社会保障と経済の民主化はいっそう広く実現されている。
これらの成果は、数多の犠牲を必要としてきた労働運動の前進を示す里程標である。労働者の解放は、すべての人の自由を拡大するのに貢献してきた。社会民主党は、労働階級の政党から国民政党になっている。党は、産業革命と生活全領域での技術進歩によって解放された諸力を、すべての人の自由と公正のために役立てようと決意している。資本主義世界を打建てた社会勢力は、この課題に取り組むことができない。資本主義の歴史は、驚異的な技術と経済の発展を記録している。しかし、破壊的戦争、大量失業、国民の貯蓄を奪うインフレーンョン、そして経済的不安定の記録でもある。
古い勢力は、粗暴な共産主義の挑戦に対して、個人の自由と政治的自由を高められ、経済的安定と社会的公正が保障される、新しい社会へのより良い計画をもって対抗することができない。このゆえに彼らは、植民地搾取の鎖を断ち切り、自由に自国の未来をつくり、そして世界の富に与ろうとする新興諸国が求めている、援助と連帯に応ずることができない。これらの国々は、それらをその勢力圏に引きこもうとしている共産主義の誘惑に抗している。
共産主義者は、自由の徹底的な抑圧者であり、人権、そして個人と民族の自立の侵害者である。共産主義が支配している国々の人びとは、共産主義体制にますます反対している。それらの国々においても変化が起こつている。そこにおいても自由への要求が高まっている。いかなる体制も、それを全面的に長期にわたって抑圧することはできない。しかし、共産主義の支配者は、自らの生残りをかけて闘っている。彼らは、国民に負担を強い、いっそうの自由への脅威となる、軍事力と経済体制を建設している。
民主的社会主義の基本価値に基づいた社会への展望だけが世界に、新しい希望、すなわち人の尊厳への尊重、欠乏と恐怖から、そして戦争と抑圧からの自由に基づき、すべての善意の人々のうえに建てられる、社会を指し示している。
このメッセージはドイツとともに世界のすべて男女に呼びかける。
ドイツでは社会主義者は社会民主党に結集している。党は、民主的社会主義の基本価値と基本要求を受け入れるすべての人々が我々の仲間に加わることを歓迎する。
[注]原典は、Godesberger Program ( English)
on SDP HP, http://www.spd.de/です。