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創立48周年を迎えて
弊社は1957年(昭和32)に個人名で事務所をスタートした。しかし、責任のある仕事をするためには、規模は小さくても組織が必要であると、1959年(昭和34)に株式会社にしたが、利益主義の株式会社組織は建築設計事務所に相容れないものがある。一日も早く建築の設計監理法人ができることを期待したい。
建築設計は、無から有をつくる創造の仕事で、よく絵画や彫刻を製作することと似ていると言われるが、建築設計は決められた予算の範囲内で、構造の安全性、諸設備の機能性を考慮し、快適な内外の造形をつくるといった、非常に多岐多様な要望を満たさなければならない。どれか一つ欠けても建築家の責任を問われる大変な仕事である。それだけ重要な、価値ある仕事をしている割りには、日本の社会での評価がまだまだ低いのが残念でならない。私どもの事務所の48年を回顧してみると、最初の10年が今思えばもっとも活発な、活動をした時期だと思われる。日本経済は戦後の復興期でもあったので、住友電工、住友ゴム、吉原製油、田崎真珠、光印刷などの生産設備の建築設計が三分の一以上を占めていた。またこの時期は、住宅の設計も多く手がけてきたように思う。次の1969年(昭和44)からの10年間は、工場の設計が減り、事務所ビル、共同住宅などが増えた。市街地の防災共同ビル(再開発法施工前の造成組合)、貿易ビル(商工中金融資の事業協同組合)といった建築の設計以前の共同化に伴う権利調整、資金計画などの問題とも取り組まねばならず、建築家にトータルコーディネーターという新しい仕事が加わったのを体験した時期であった。その後も、常にクライアントのニーズを取り入れ、使う立場に立って計画し、斬新な、しかし奇抜でない意匠を考え、構造の安全性は多少不経済になっても頑丈に、そして機能的な建物の設計に取り組んできた。1995年(平成7)1月17日に予期せぬ阪神・淡路大震災が起こり、阪神間の建物・道路が甚大な被害を受けた。幸いにも私どもの設計による建物は阪神間に百数十棟あったが、構造の安全性を重視してきたおかげで、倒壊を免れた。
補修、補強工事の費用は決して安いものではなかったが、各オーナーから大変感謝されたことがいまだに忘れられない。
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