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ピアノ日記
Jazz Piano が 無茶苦茶 達者に弾けるまで



2008/7/24       後2年くらいかかなるなぁ〜

とある有名なジャズベーシストが、なぜか名前を変えて、三流のバーでギターを弾くようになった。

彼は元々ベースも弾けるが、ギターも弾きたかったらしい。
しかし、ベーシストとしては、かなり有名な人だから、名前を変えてこっそり三流バーでギターを弾いている。

そのギターは、話しによるとあまりうまいものではなく、ザ・初心者のレベルでなんとか舞台にあがっているとのこと。

その心意気に感動したものだが

彼とギターの話しをしていると

「まともに弾けるようになるには、後2年くらいはかかるなぁ〜」という話しをしていた。

彼はベーシストとして有名であり、それ一本で生活し、奥さんと子供も養っているという、関西ではトップクラスの演奏家なだけに

「楽器をはじめたら、それを習得するのにどれくらいの時間がかかるのか?」が前もって予測できるのである。

これは話しを聞いていて結構新鮮だった。

みなさんは今、自分が弾いておられるピアノが、目標としているところにまで達するのに、後何年くらいかかるか?年数で予測できるだろうか?

もしできるとしたら、それはかなり幸せで焦りのない楽しいピアノ生活に違いない。

僕は正直、自分が弾きたいと思っているところまで到達する、正確な年数というものが把握できない。

40歳くらいまで後7年がんばったら、なんとかなるかもしれない。。。くらいの感覚である。

やっぱりこういうものも、経験なんだなと思った。

楽器に触れ、楽器を演奏し、練習し、上達するにはやはり練習量プラス、それ相応の時間がかかるということは、あらためて心得ておく必要があると思った。

僕は楽器の演奏に関しては凡才だが、凡才なりに目指しているところまで後何年かかるかが、見えてくるようなピアノ弾きになりたいと思った。




2008/7/21       ピアノはやっぱり芸術だと思った

昔ついていたクラッシックのピアノ教師が僕にこう言ったことがある。

「私はピアノという芸術は、ピアノを弾いてさえすればいいと思っているの」と、、

当時23歳だった僕は、内心

「いやいや、ピアノを弾くにはすごい技術がいるんでしょうが、それだけしていたからと言って、素晴らしい演奏なんてできんでしょう」

と反発したものだった。

これには賛否両論ある。

ピアノで生活している人の中にも、「演奏家はピアノさえ弾いていれば、後はどうでもよい」というタイプの人がいることはいる。

しかし、僕はこういうタイプの人の演奏を聴けば、一発で

「ああ〜そういう人なんだな、あんまり聴く気がしないな」と思ってしまうのである。

人生ピアノだけがすべてではない。
一日8時間練習したとしても、ピアノだけがすべての人生など存在しない。

喜怒哀楽の感情がある、生身の人間なのである。

美しいものを見て、美しい一時を味わい、素晴らしい世界を見、時には汚れた世界や人間の憎悪の感情を敏感に感じ取り、人生そのものを芸術的に生きようとするような人が演奏するようなピアノを愛していたい。

自分も含めてのことだが、ピアニストは細かいところにこだわりすぎる傾向がある。

全体を通じてどういう世界を表現できるか?

それをもっと大切にすべきだし、個人的な意見からすれば、ピアノさえ弾いていればそれでいいというような演奏をするような人など、演奏家でもなければ芸術家でもない。

ただの88個の音の鳴るパズルを止まらず操作している「曲芸師」以上のものではないと思っている。

曲芸師には曲芸師なりの生き方、表現の仕方がある。

それもまた芸術であるが、曲芸師の位置にいながら大上段に芸術家を気取っている人たちは、どうも生理的に受け付けない自分がいる。




2008/7/20       音楽の世界って。。。

いつもいくジャムセッションのホストで、アマチュアのピアニストでHat君(仮名)という人がいる。

彼はジャズピアノをはじめた年月が浅いにも関わらず、あちこちで演奏活動をし、バーでセッションの司会までやっている。

大したものだといつも感心し、彼のピアノから学ぶことは多い。

そんな彼と先日「演奏家のギャラ」の話しをしていたところ。

僕が「頑張って頑張って、月10万あるかないかの世界なんやってなぁ」と言うと

Hat君は「ええ!10万も儲けられるんですか!?」

という答えが帰って来たのにはビックリした。

Hat君は昼間は楽器店で仕事をし、夜はピアニスト活動をしているので、定収入があり、お金にも困っておらず、楽しくピアノを弾いている。

そんな彼が、仕事が終わってから演奏活動をしても、ほとんど儲けがないとのこと。

それを別のピアニストに聴くと

「う〜ん ライブ活動の収支なんて、プラスマイナスゼロくらいやね」という答えも帰って来た。

実際僕も大阪のバーで弾いた時にもらったギャラは2000円。
駐車場代1800円を支払って、残金200円。ガソリン代をプラスしたら確実に赤字。

僕はこの世界で儲けたいとは思っていないし、そんな器でもないし、第一貧乏が大嫌いなのでやりたいとは思わないが、この世界の中で、演奏活動だけで食べようと競争しまくっている演奏家がかなりいる。

プラス演奏がうまいだけではなく、トークも上手で愛嬌があり、華と呼べるようなアイドル性もなければいけない。ただうまい、ただちゃんと弾けるだけでは通用する世界ではない。

相当有名になり、自分というブランドが出来、ある一定の評価を得て、ライブやコンサートをする際、集客なしでもお客さんが来るほどになるには、ものすごい遠い道のりと、ものすごい努力がいる。

多分、一般的なサラリーマンクラスをピアノ演奏だけで儲けようとすれば、もうその時はラジオかテレビに出ており、CDの1枚や2枚は大手のレコード会社から出ている頃の話になるだろう。

演奏活動だけでご飯を食べていくのは、こんなにも大変なことなのか!と思ったのと同時に、ミュージックマーケットという視点から見れば、確実に生演奏のジャンルは、世の中から必要とされなくなっていることがうかがえる。

結論から言うと、演奏活動は貧乏をしてでもやりたい!という、ものすごい気概と愛着がなければ、これからの時代、続けることは難しいのではないか?としみじみ思った。




2008/7/17      目指す方向が同じだと、同じ音楽になってしまう

ジャズというと、ボストンに有名なバークリー音楽大学というところがある。

国内にもジャズを専門に教えている大学が数箇所あり、専門学校もたくさん存在している。

講師は大方、その道の達人と呼ばれる演奏家で、そこでジャズを学び、そこを起点としてプロになろうとする。

するとどういう現象が起きるか?

みんなそれほど変わらないフレーズ、それほど変わらない技術、それほど変わらないメンタリティーでジャズというものを極めようとする。

聴いているCDは、ほとんど黒人のジャズの巨匠のものばかり。

すると、最終的に行き着くところは、巨匠のモノマネプラス、ちょっとした自分色というところにとどまってしまう。

それが一生をかけてやりたい事ならいいが、僕はそうは思わない。

ジャズというと、日本人はひたすら黒人の真似をすることに必死になるが、実は日本の演奏家の中には、日本独自の情緒あふれるピアノを弾く演奏家がたくさんいることに気づく。

僕はむしろ彼らの演奏をたくさん聴き、自分の中に取り入れていきたいと思っている。

毎日10時間もの練習時間を投資した対価が、黒人のモノマネ以上のものにならないというのは、やはりちょっと悲しい。

同じ時間を使うなら、もっと別のところに時間を使ってみたい。

100円均一で売られている、日本の動揺や民謡をジャズにアレンジしているCDがある。

このピアニストは日本人だと思うが、実に情緒あふれる素晴らしいピアノを弾いてくれる。

コッテコテの黒人のモノマネばかりをしていると、会ったことがないピアニストとも似たような演奏になる。

むしろこれからの時代、ジャズに関しては、本当に独自でうまくなりたいと思うのであれば、音楽学校などで通りいっぺんの勉強をしていくより、独自の方向性を模索した方がいいのではないか?と思うようになった。




2008/7/15       ジャズピアノに頂点なし

ジャズピアノに頂点なるものは存在しないと思っている。

もしあるとすれば、ジャズというジャンルの中で新しい風を吹き込み、従来のジャズのスタイルを根底から覆すような、斬新な音楽を創造した人しかいないと思っている。

結果的に自分が作ったわけではない曲を(オリジナルでもどこかで聞いたことがあるパッとしない曲を)、瞬時にアレンジし、そしてアドリブでドラマを作り、テーマでしめくくるという、一連のラインをずっと続けている限り、テクニックや解釈、表現力を争うような格好になり

ジャズもクラッシックの世界とほとんど変わらなくなる。

クラッシックの世界では、まず曲に対する解釈ありき。。みたいなところがあるが、ジャズには曲の解釈という概念が薄い。

本当なら一曲一曲、魂をこめて解釈し、自分なりに表現したいと思っているのだが、みんなと一緒に出来る世界なのか?と問われれば、ものすごく特殊な人を集めてやらないとかなり難しい。

セッションで知り合ったあいつを超えてやる!という意気込みも、結局は

テクニック
アンサンブルの掛け合い
洗練具合
レパートリーの多さ

ということになる。

またクラッシックよりも大きく演奏のスタイルを変えられるため、好みの部分でも、誰よりうまいとか、誰よりヘタだというランクがつけにくい。

そういう意味では、やはり自分としては楽しくひたすらやりたいようにやって遊ぶジャンルの音楽なんだなぁ〜という認識を新たにした。

ちょっと冷めた見方かもしれないが、ジャズの巨匠のように弾けるようになるために、必死に毎日7時間練習することにあまり意味を感じない。

こう思うキッカケになったのは、とあるジャズバーのマスターと、関西でものすごくうまいピアニストの話しをしていた時、彼が

「あんな人の演奏を生で聴くくらいやったら、黒人のCD聴いてる方が安上がりや」という話しを耳にして以来のこと。

この話しをしたのは、もう8年くらい前のことだが、それで自分の中のジャズに対する情熱みたいなものが引いてしまったのを記憶している。

僕にとってジャズという音楽は、クラッシックより気楽にできて楽しく、また感性に合っているということが中心になっているんだなということを再認識した。

色々冷めたことを書いたが、それでもやっていてこれほど楽しい音楽はないと思っている。




2008/7/13       礼儀知らず

一ヶ月前くらいのこと。

その日初めてお会いしたベーシストと一緒に演奏していたら、いきなり演奏を止められて

「ちょっと!ベース聴いてんの!?」と、すごまれた。

確かに彼は、ベース一本で生活している故、シロウトの僕がヘタなのが頭にきたのは分からないでもないが、初対面でまだ会って10分経たないような人間に、タメ口で文句をつけられ

こいつの頭の中は一体どうなってるんや!?とひどく立腹した。

その後、「いくら僕がヘタだからといって、ああいう言い方はないと思いますよ」とメールしておくと、携帯メールに夜中の2時に

「すんませんでした」とメールがきた。

非常識にもほどがある。

確かにベースラインをしっかり聴いていなかった僕が悪いのだが、初対面で会って10分もしない人間をにらみつけ、タメ口をきけるような人間というのは、僕にはおおよそ理解できない種類の人間である。

こういうことを言うと

「いいこと言ってもらったんだから感謝すべき」
「そんなに気にすることない」

という人がいるが、僕は非常に気になった。

僕はジャズピアノがうまくないが、一緒にやる人の中にはもっとヘタな人もいる。
しかし、その人に初対面でタメ口でチンピラヤクザのように因縁などつけたりしない。

みんな頑張ってそこまで来たのである。
もちろん好きでヘタでもない。

そのベーシストだって、何もできなかった時代があったろうに。

しかし、初対面で人に因縁をつけるような物の言い方しかできない失礼な人間と、非常識な人間に囲まれ、それが当たり前になってしまい、自分もその汚染された人間関係と環境にそまってしまうのは、お客相手に商売をしている演奏家としては感心できない。

僕は芸術畑を歩んでいるからといって、非常識なこと、人に平気で失礼なことをしてしまうことを

「オレたちの自己主張だぜ!」というような風潮は、絶対に認めない。

これから先もいろんなことがあると思うが、失礼な奴には、それがたとえ自分より演奏技術が高い人であろうと、糾弾していこうと思っている。

実はこういうことが原因で、伸びるはずの初心者が一杯やめているという現実がある。

ちょっとできるからとイキガッテイルことには、なんの価値もないし、自分を貶めているだけのことでしかないことを、彼らは知るべきである。




2008/7/11       3日連続 ジャムセッション

7/8 7/9 7/10 と3日続けて、ジャムセッションに行ってきた。

20代のうまい人たちに囲まれ、ヒーヒー言いながらピアノを弾いてきたが、得るものは非常に多かった。

こういう場所に行くと、つくづくピアノがうまい人なんてゴロゴロいるもんだなぁと思う。

僕がこのサイトでオフ会を開催した時にもそう思ったものだが、本格的なジャズバーのセッションになると、一段とうまい人たちが多いことに気づく。

「あんなにうまく弾けて悔しいなぁ」

という気持ちを常に抱かされるが、謙虚な気持ちで彼らと話していると、彼らもすごくたくさんの努力をしていることに気づき、実に長い年月をかけて楽器に取り組んでいることがうかがい知れる。

33歳の中年が、22歳 25歳のプロに混じってピアノを弾くのは、心理的にやはり辛いし、しんどい。

年下に頭を下げて、年上の自分がヘタというのでは格好がつかないが、この際そんな邪魔なプライドは捨て去り、持つべきプライドを持つようにしようと心に決めた。

きっとこんなことができるのは、僕を含めてそう多くないに違いない。と密かに自負している。

でもこれを続けることができるようになれば、必ずうまくなる。

僕にとってピアノで自分を表現することは生きがいのひとつであり、大きな自信になっている。

もっともっとうまくなりたい場合、たくさん悔しい想いをするといい。

その想いが強ければ強いほど、ピアノに対する情熱がますます強くなり、ピアノに向かう時間が多くなり、ピアノを弾くことが楽しくなる。

今、振り返ってみれば、僕はピアノを人前で弾き、うまく弾けずにたくさんの悔しい想いをしてきた。

それがバネになって、今の自分をピアノに駆り立てているのかもしれないな。。そう思うことがよくある。




2008/7/8        40歳までの目標

金銭的、時間的余裕がこれから先も確保できるというのであれば

■40歳まで方々のジャズの飛び入りセッションに参加しまくる

ことを目標にし、自分がどこまで自分を表現し、ピアノがうまくなれるのか?試してみたい。

今33歳だから、後7年頑張れば、結構なところまで行くのではないか?と期待している。
ジャズの世界は今、下火になっているから、こういうセッションがいつまで存続してくれるのか、、と思うが、ピアノに対する明確な目標ができたので、喜んでいる。

人とのアンサンブルが上達するには、やはりものすごい回数をこなしていかないとうまくなれない。

やはりこの分野でも練習と訓練である。

基本的にジャズピアノは、1人で綺麗に弾こうと思ったら、やはりバンド経験が豊富でないと、いいピアノが弾けない場合が多く

アンサンブルで経験したリズムや雰囲気、感覚を体にしみこませる必要がある。

最近、あちこちのセッションに参加した甲斐があり、人前で演奏する際に、前よりも緊張しなくなってきた。

「とちったらどうしよう」
「止まりそうになったらどうしよう」

というプレッシャーも、人前に出てガンガン演奏していると、段々と慣れてくるものである。

20代の若い人に混じって、これからも頑張っていこうと思っている。

↑実はこれが一番エネルギーがいることなんだが。。




2008/7/8        大人になってビアノを始めたらいけないのか?

2ちゃんねるのスレッドに、大人になってピアノを始めたいんだけど。。という人の書き込みに対して

大多数の人が

「25歳からではもう無理」
「成長期にピアノを弾いていないと、モノにならない」

などという意見が大半だったので、びっくりしたことがある。

少なくとも大したことはないが、19歳でゼロからピアノをはじめ、14年かけてここまできた自分としては、一生懸命頑張れば、頑張っただけのことはある、と実体験を通して思う。

確かに成長期にたくさんの練習をした人は、技術的にも素晴らしいものを持っている人がたくさんいるし、いい耳を持っていたり、初見力が強かったりするものだが

大人からはじめても、無駄なのかと言えば、そんなことは全くない。

頑張って練習すれば、33歳になっても手はまだまだ動く。

実際今年に入って、ハノンの21番〜30番を毎日一時間くらいかけて、片手ずつ練習していると、どんどん手が動くようになってきた。

子供のやわらかい手に比べれば、同じ練習量でも、大人の方が苦労するかどうか?19歳ではじめたのでよく分からないが

少なくとも、19歳の頃と、33歳の今では同じ練習量でも、進歩の度合いは同じであり、手の訓練も19歳の頃と33歳の今では、同じ量の練習をした分だけ技術が身につく。

そりゃ確かに、クラッシックの世界ならホロヴィッツ、ジャズの世界ならピーターソンのように、ビデオを早回ししているのではないかと思うほど、強烈に速く動くことはないかもしれないが、だからと言って、ピアノが弾けないわけではないし、マシンガンみたいに弾ける人はたくさんいるが、人を感動させる心がない人も多くいる。

大人になってビアノを始めたらいけないのか?

いやいやそんなことは全くない。

むしろ大人だからこそ弾けるフレーズがあり、出せる音がある。




2008/7/7        芸術と技術

音楽をやっている人の中に「芸術家」と呼べる人は極めて少ない。
それが僕が感じた偽らざる実感である。

言い方は悪いが、音を並べて得意になり、技術を見せびらかして傲慢になり、自分の思い通りに人を操縦するために尊大な態度をとるような輩が多すぎて、うんざりすることがある。

こんなところには芸術なるものは存在しない。

程度の低いエゴイズムが、悪臭を放って拡散し、極めて質の悪い自己顕示欲がぶつかり合っているだけの話しでしかなく、芸術とはおおよそ遠い場所で、芸術をしているつもりになっている。

ピアノは88個の重たいハズルを組み立てているようなもので、あまりそれに必死になると、肝心な芸術をすることを忘れてしまうことがある。

人が聞いて鳥肌が立ち、涙を流し、生きる力を与えような、そんな音楽をしていきたいなと思った。

それには当然、ある程度の技術がいるが、それプラス、人間としての重みとやさしさがなければ芸術的な要素を発揮することができない。

僕はピアノを弾いている以上、これからもこの楽器を続けていく以上、どんな環境に置かれたとしても、このことは忘れないでおこうと思っている。

芸術には技術がいる。
しかし、人間としての重みもいる。

両方とも身につけるのは、ものすごい「練習と訓練」が必要だと思う昨今である。




2008/7/1       ライブに出てみて分かったこと。

先日、本格的なバーでライブに出てみて分かったことがたくさんあったので、それを書いてみたいと思う。

まず、僕がジャズバーやライブハウスの経営者だったり、コンサートホールの運営をしているとしたら、一体どんなお客さんに来て欲しいと思うだろうか?というところまでさかのぼって考えてみると

その1 たくさんのお客さんが来てくれて、お店を経済的に潤してくれること
その2 お客さんが自分の提供したスペースで楽しんでくれること
その3 演奏者がある程度の技術とパフォーマンスを持ち、お客さんを盛り上げてくれること

だと思った。

要するに楽器のうまいヘタより、経営者からすれば、お客さんがいかに楽しんでくれ、いいひとときを過ごすことができるか?
そしてまた来てくれるか?の方が大切なのではないかと思った。

だから経営者の立場からすれば、お客さんの笑いが絶えず、上機嫌で帰途についてくれるに越したことはない。

しかし、演奏者側の立場からすると、「うまく弾かないといけない」ということに必要以上にこだわりすぎてしまい、ギスギスした感じになることがある。

それがそのまま演奏に出てしまうと、お客さんもその雰囲気を敏感に感じ取り、なんとなくシラーッとした雰囲気になってしまう。

少なくとも人前でピアノを演奏する以上、アマでもプロでも、お客さんの前では、人を幸せにするような演奏家であるべきだと思う。

それもひとつの演奏技術だと思うのである。


難しい顔をして、ひたすらクオリティーの高い演奏を目指しすぎたために、引きつった顔で演奏したり、お客さんに

「オレたちの素晴らしい演奏を聴け!」という雰囲気を出すのは、マナー違反だと思うし、基本的にそれでお客さんは喜ばない。

相手が求めているものと、自分が求めているものをごっちゃにしては、本当の意味でのいい演奏はできないものだとしみじみ思った次第である。




2008/6/28       今の自分にできることを精一杯やる

ピアノは急にはうまくならないし、ものすごい努力と練習をしなければ上達しない。

憧れのあの人のように弾けるようになるまでには、あと何年かかるか分からない。

そんなこんなで、自分のピアノに自信をなくしたり、もう上達しないのではないか?と落ち込んだり、自分はヘタだからどうせピアノなんてやっても。。

という気持ちにかられることがある。

しかし、どんな素晴らしいピアニストでも、今日はじめたばかりのアマチュアでも、自分にあるものしか出せないのがピアノなのである。

Aという素晴らしいピアニストは、Bという素晴らしいピアニストと同じようには弾けないし、別に弾ける必要はない。

AというピアニストにはAさん独自のよさがあり、Bというピアニストには、Bさん独自の良さがある。

同様に、どんなちっぽけなものでもいいから、自分の持っているもののよさに気づくことが大切だと思うようになった。

自分は人とは違う。

だからこそできないこともあるかもしれないが、そればかりに注視するのではなく、時には自分だからこそできるかもしれないことがあることを知ることである。

そして、「今これだけしかできない」というのであれば、オドオドして表現するのではなく、「これしかできないけど、これは精一杯表現する」という、ありのままの自分を否定しないピアノを弾いて行きたいと思うようになった。




2008/6/26        自分にあるものしか出せない

人前で難しい演奏をすることになると、やはり緊張する。

しかし最近は

「今の自分にできることはすべてやったんだから、結果がどうであろうと、チャレンジしたことそのものに価値がある」

と思うようになった。

当たり前のことだが、結局ピアノは今の自分にできることしかできない。

一足飛びにすごいことができるようにはならないし、苦手だったものが一瞬で得意になることもない。

だからやれることだけ精一杯やれば、後は天か自然にでも成り行きを任せ、自分ができることだけを精一杯やればいいんだと思うようになり、余計な緊張はあまりしなくなってきたような気がする。

人前で演奏する際、自分ひとりで練習している時と比較して、6〜7くらいの実力しか出ないのが普通で、8出せれば最高だと思っている。

結局、こんなことの繰り返しの中で、苦手だったものが時間をかけて得意になり、できなかったものができるようになっていく。

大切なのはびびってもいいから、果敢にトライしていくことだと思う。

恥かくのが怖いから、、、と途中で引き返してしまえばそれまでである。





2008/6/24      人前で緊張する人 しない人

同じレベルの演奏家でも、人前で演奏する際

あまり緊張しない人
ものすごく緊張する人

の2つパターンがある。

僕は ものすごく緊張するタイプで、出番の前にリラックスしているような人を見かけると、とても羨ましく思うものだが、これも性格的なもので、どちらがよくてどちらが悪いかは、演奏次第ということだと言える。

巨匠と呼ばれる人の中にも、出番前には何も食べれず、落ち着かず舞台の袖を歩き回っている人がいるかと思えば、一方で、食事をして周囲の人と談笑している人がいる。

どちらにしても素晴らしい演奏をする演奏家には違いないのだが、自分だったら、周囲の人と談笑しているようなタイプの性質でありたいなと思う。

だってその方が気が楽だし、出番前に緊張する、あのなんとも言えない嫌な感覚をあまり味わわなくてすむだろうから。。

しかし、僕は残念ながら緊張しまくるタイプのようである。

いつも手に汗を握ってピアノに向かう。

場数を踏んでだいぶとマシにはなったものの、それでも緊張することに変わりはない。

まぁ、それも一つの自分の持っているよさだと思うようになってきた。




2008/6/23      「これやな!」と思った ピアノ上達法

ジャズのセッションに行くと、ジャズピアノを始めて3年くらいでプロになった人や、ピアノをゼロからはじめて7年くらいで、それで生活しているような人がゴロゴロいることにショックを受けたことがある。

「オレは8年もやってこれかいな」と。。

最近そのカラクリが解けたので、お話したい。

まず短期間であっという間にうまくなる人は、努力量もさることながら、もう一つ共通している事柄がある。

それは「物怖じしない」ということであった。

たとえば

「自分ごときのレベルでそんなセッションなんて行けない」
「自分のようなピアノなんて恥ずかしいから聞かせられない」

というようなことを思っていないように見える。

要するに、ヘタなままライブをしたり、コンサートに呼ばれれば二つ返事でついていく。
そして本当にヘタな演奏をして、顰蹙をかいながらもその中で鍛えられ、磨かれ上達していく。

僕は去年まで「こんな自分がジャズピアノなんて上手に弾けるはずがない」と思っていた。

セッションに参加しても、実際最初は今よりもっとヘタだった。
でもヘタでも毎回参加していると、どんどんうまくなっていった。

できないこともできるようになっていった。

物怖じしまくっていると、肝心なチャンスを逃してしまうことが多い。

弾ける場所があり、お声がかかれば、ヘタでも一生懸命練習して、どんどん出かけていくことである。仮にそこで卵が飛んできたり、罵声が飛んできたとしても、それでも続けられる人は、必ず上達していく。

この話しを書いていると、ジャズピアノの巨匠、オスカー・ピーターソンが、生まれてはじめて参加したセッションで、ピーターソンのあまりにもひどい演奏に、ドラマーから「帰れ!」と激怒された挙句、シンバルまで投げつけられた話しを思い出す。




2008/6/20       芸術として考えるピアノ

池見酉次郎 という精神医学者がいる。ネットで調べてみると、もうすでに故人になっておられるが、日本の精神医学に大きな功績を残した人として知られている。

この人が生前提唱していた事柄で感銘を受けた、人生に対する考え方は

「人生そのものを芸術として捉える」という着眼点。

音楽や絵画、陶芸等、創作活動をしている時のみが「芸術」なのではなく、生きている人生そのものすべてが「芸術」であるという発想を、彼は「人生芸術」と呼んでいた。

芸術的な人生を送るということは、何も極端にドラマチックで波乱万丈で無茶苦茶な状態のことを言うのではない。

自らの成長の過程や現在の心持ち、人間として生きていくために頑張る姿そのものが芸術であって欲しいという願いから、人生芸術という言葉を使われたのかもしれない。

ピアノで言えば、鍵盤に向かっている時だけが芸術なのではなく、人生そのものの反映として、ピアノが自己表現の一つの手段としての役割を果たしてくれるような、そんなピアノを今後は模索していきたいと考えている。

楽器をさわっていると、ついつい表面的なテクニックや技に執着してしまうところがあり、ついつい自己表現という概念を忘れてしまうことが多々ある。

わざとらしい感情移入、わけもわからないのにそれらしく弾くこと。

こういうのは、ピアノ本来の持っている醍醐味を味わい損ねているかもしれないと思うことがある。

どんなにヘタであろうとも、自分のピアノは自分の人生の反映そのものだというようなピアノを弾いてみたい。

これが僕が目指している境地である。




2008/6/18        ジャズピアノというジャンルの限界?

今年に入ってから、方々のバーのセッションに参加するようになった。

今年に入ってから、もう20回以上は参加している。

中には本物の駆け出しのプロが練習しに来ていたり、アマチュアだとは信じがたい演奏をするようなうまい人もたくさんいる。

しかし、最近実は、ジャズピアノそのものにちょっとウンザリしてきたところがある。

というのは、「うまいジャズピアノの演奏ってなんなんだろうか?」という疑問に行き着いたからである。

持ち前の音感と採譜力でもって、ジャズの巨匠のCDを聴いて聴いて聴きまくり、そして耳から鍵盤にフレーズを移し、ひとつの形を作っていく。

そしてそれがいつどの瞬間でもサッと演奏できるようになるまで、繰り返し手に覚えさせるように、必死になって練習する。

それで出来上がった演奏を聴いていると

「なんや、そのフレーズCDで聴いたことあるで」
「その部分のフレーズは、誰々さんのあのCDに入ってたなぁ」
「この人のピアノ、まんま有名な○○さんそのものやなぁ」

みたいな演奏をする人が実に多い。

芸術である以上、ジャズピアノも独創性が必要だと思う。それはどんなちっぽけなものでもいい。自分の心からにじみ出てくるものを大切にしたいと思うのである。

言葉は悪いが、巨匠のまがいものみたいなピアノを流暢に弾いて、気軽な気持ちでジャズをやり、それを自分で芸術だと呼称し、得意になってナルシー全快でいきがっている姿は、ちょっと見るに耐えないものがある。

確かに、いろんな人の演奏を参考にすることは絶対に必要だし、最初はフレーズを抜き出したり、コピーしたりすることも必要だと思う。

でも、そういう部分的なものだけではなく、巨匠のスピリット、精神性をもっと見習うべきなのではないかと思った。

小説家を例にとると、かっこいい文章、泣かせる文章、感動させる起承転結をごっそりマネしてみたところで、そんな浅はかな感覚だけでは自分がいい小説など書けるはずはない。

むしろ、その小説家の生き様、なぜそのような小説を書くに至ったか?こういうところにもっともっと着眼するのが小説家として大切な事柄のように

音楽も同様に、もっと彼らの生き様やスピリットに学びたいと思った。

人には分からなくてもいいから、自分で作っていく、考えていく力を持ち、それを形にする能力は、ピアノだけに限らず、どの芸術でも最も大切されることは当たり前。

これから先、僕はジャズピアノがもっとうまくなりたいし、きれいに弾けるようになりたい。

しかしそれは、CDから丸移しをした演奏をし「俺はうまいんだ」と言っている人とは違う方向性になるだろうと思うし、そういう方向性でピアノを考えて行きたいと思っている。




2008/6/16        今よりも3倍うまくなる方法

最近、音楽関係のイベントで走り回っていた。

気がついたら、6月に2回もライブをやることになり、8月も近所のバーに出演することになった。

19歳でピアノをはじめて苦節14年。
アマチュアピアニストとして、あちこちにピアノでライブができることを感慨深く感じると共に、本当に嬉しく思う。

この頃強く思うことの一つに

「ピアノがうまくなりたければ、ピアノがうまい人のそばにいればいい」

という教訓がある。

ピアノがうまい人のそばにいる時間を多くとり、彼らの演奏をたくさん聴くようになると、すごくいい刺激をもらうことになるからである。

時には、自分と素晴らしいピアニストとを比較して、ひどく落ち込むこともあるだろうし、自分はなんてヘタクソなんだ!とイライラすることもある。

そんな中で、気がついたら結構鍛えられている自分に出会うことがある。

「雲の上の人」のような存在の人のところに身をよせても、なかなか上達のヒントはないかもしれないが、自分より少しか、かなりうまい人で、対等の場所に出演できるような人のピアノを聴き、交流を持つと、学ぶことが大変多い。

やはりこのあたりの積極性がないままに、ピアノを弾いているより、この積極性を発揮して外に出かけた方が、同じ練習時間でも、少なくとも3倍はうまくなるし

練習意欲は5倍になる。

今、僕とは比較にならないほどうまいピアニストと接していると、彼らも同様に、うまいピアニストの元で研鑽を積み、ここまできたんだなぁということが、話しを聞いていてよく理解できる。

ジャンルを問わず、いろんな人の「うまいピアノ」を聴くこと、そして交流することは、上達には欠かせないヒントだと思うようになった。




2008/6/3        あるがままで、ピアノを弾く

楽器をやっていると、できない人が、できるフリをしてどんどんイキガって活動の幅を広げていくケースがある。

たとえば大した実力もないのに、すぐにリサイタルを開き、デカイホールを借りたけれどお客はまばらで、毎回赤字を出しているクラッシックのピアニストだったり

できもしないのに、無理してジャズのセッションでできるフリをして大恥をかいたくせに、演奏の出来がまずかったのを、全部他の演奏者のせいにして嫌われている人がいたり。。

楽譜を見ればいいものを、暗譜しているとかっこいいとばかりに、暗譜しそこなっている状態で演奏してぐちゃぐちゃになっている人。

みんなに共通していることは、今の自分の実力を正しく評価していないところにある。

音楽の世界で無理してイキガっていいことなんて何もない。

この手の人たちには、そのくらいの謙虚な気持ちで音楽に接しているくらいが丁度いいのである。

自分がどれだけの実力があるのか?は、実践してみればすぐに答えは出る。それを素直に認めることが大切。
思ったより、できないのであれば、できるように努力するしかない。間違ってもできないのに、できるフリをしていきがっていては、上達するものも上達しない。

逆に思ったよりできるのであれば、どんどん外に向いて活動をするといい。

いずれにしても、あるがままの自分を正当に評価し、その尺度を基準にして無理のない活動をしていく必要がある。

芸術なんて、等身大の自分から出てくるものが最も美しいのだから、無理していきがって出てくるものは、いやらしいものばかりである。

あるがまま、自然体で見栄を張らずにピアノを弾く。
僕はこの姿勢を一貫して貫いていきたいと思っている。




2008/5/31       すぐにうまくなる人 なかなかうまくならない人

同じ努力をしても、ある人はすぐにうまくなるし、ある人はなかなかうまくならないケースがある。

だいたい僕は後者である。

しかし、すぐにうまくなったからいいというものでもないような気がしている。
じっくり時間をかけて習得したものは、なかなか忘れず、またじっくり習得した過程で、すぐに習得できた人には経験し得ないものを持っている可能性が高いからである。

僕はジャズピアノを習って8年になる。
8年かかってようやくライブなどに呼んでもらえるようになった。ハッキリ言って相当に遅い。

しかし、自分には才能やセンスが全くないとは思っていない。

ジャズピアノを習いだしてから5年くらいは、自分でも本当にジャズがしたいかどうか分からず、かなりいい加減にピアノを弾き、あまり練習をしてこなかった。

ピアノに対しての目標もほとんどなく、適当にうまくなればいいけど。。くらいにしか考えていなかった。

そして昨年末から時間が空いたことで、一気に上達するようになったが、ある程度本気になるまでにはものすごく時間がかかったものの

その間に吸収した事はとても大きかった。

ただ指がまわればいいピアノではないことが分かったし、人に聞かせる演奏がどういうものかも理解できた。

一生懸命練習しているのに報われない演奏がどういうものかを知ったし、言葉は悪いが、あまり練習しなくても、人を泣かせるくらい素敵な演奏ができるのは、どういう要素が絡んでいるのかも理解できた。

なかなか本気にならなかった分、回り道をしながらいろんなことを学んできたような気がする。

だから、同じレベルの人と比較して、相手の方が進歩が早いからという理由で落ちこまないことが大切。

彼らが猛スピードで駆け上がっている間に、確実に「取りこぼしているもの」はたくさんある。

むしろノロイくらいのスピードで上達した方が、後々の財産になるというくらいに考えておけば、ピアノと共に生きる人生は、より豊かなものになると思っている。




2008/5/30       楽しみ6割 向上心4割 が丁度いい。

ピアノはうまくなるのに非常に時間のかかる楽器だが、焦っても焦っても、そうそうすぐに結果が出るものではない。

そこで最近思ったことなんだが

「楽しみ6割 向上心4割」くらいの割合でピアノと接するのが、僕としては丁度心地いいような気がしている。

これが楽しみ10割になってしまうと、向上心に欠けてしまう為、いつまでたってもワンパターンの同じことを繰返してしまうことになってしまう。

対して、向上心10割だと、ノイローゼになってしまい、ピアノを弾くことが苦痛になってしまう。

やはり楽しむことに重点を置きながらも、向上することは忘れないという点で

「楽しみは6割程度 向上心は4割程度」がいいのではないかと思う。

実際にピアノを弾いてみると分かるが、楽しい楽しいというだけでピアノを弾いている状態だけでは、今まで出来なかったところができるようになりにくい。

ある程度の向上心がないと、適当に楽しんでいるだけでは、その楽しみにも限界が来てしまう。

向上心を伴った練習は、苦手なところを克服したり、今まで出来なかったことをできるようにする練習のため、楽しいというよりは、どちらかというと苦痛を伴うことがままある。

こういうところもグッと我慢して練習しないと、ピアノはなかなか上達しない。

今の僕にとって、楽しみが6割 向上心が4割程度が最もいいピアノとの接し方ではないかと考えている。。




2008/5/29         エンターテイナーとしての要素

これはジャンルは問わず、どんな演奏に対しても言えることだが、聞いていて面白い演奏と、面白くない演奏がある。

それは必ずしも

「うまい=面白い」
「ヘタ=面白くない」

ということではない。

ものすごく上手な人でもひどくつまらない演奏もあれば、あまり上手でない人でも、すごく心に残るいい演奏をする人もいる。

その違いはなんなんだろうか?と考えていたのだが、ようやくいろんなピアノを聴いてみて、一つの答えが自分の中から出てきた。

それは「聴かせる技術」があるかどうか?ということである。

技術と書くと、いやらしい響きになるが、ピアノという芸術をある時は面白く、ある時は楽しく、ある時は悲しく、ある時は切なく伝えられる感情や空間を持っている人は、技術のウマヘタに限らず、聴いている人の心をしっかりとらえることができる場合が多く、結果的に聴き終わると

「いいものが聴けた」という感情を相手に与えることができ、自分も演奏をしていて楽しく感じられる。

そういったエンターテイナーとしてのピアニストの資質は一体どこから出てくるのだろうか?

やはりそれはその人の人間性にある。

面白くない人間、サービス精神がおおよそない人間、様々な感情を的確に表現できずに悶々としたり、イライラしたりする、自分をコントロールできない自律性がない人間、聴いている人をバカにしているような傲慢な人間には、芸術性の高い演奏をすることができない。

こういう人はたくさん見てきた。

ものすごくテクニックはあるのに、全く心に響かない。
感じたことといえば、手がよく動くな。という程度である。

ヘタでもいいから、こういうピアノ弾きにだけはなりたくない。

どんなことでもいいから、、何かを表現するピアノを弾いていこうと思うようになった。

そのためには結局、日々の生活をいいものにしていき、自分を磨いていこうとする心意気が一番大切なことだと思うと同時に、ピアノは鍵盤の上だけですべてが簡潔するような、つまらない芸術などではないと思った。




2008/5/27        人に聞いてもらうメリット

ジャズのセッションに参加してみると、レベルの高いアマチュアピアニストが多いことに驚く。

「これくらい弾ける技術とハートがあるなら、もうプロとしても十分にやっていけるのではないか?」と感じるくらい、うまい人がたくさんいる。

中には、本当の初心者みたいな人がいたり、クラッシックからすぐにジャズにやってきました。という感じの人もいることにはいるが、全体的なセッションのレベルはものすごく高い。

高いセッションのレベルについていくために、日々必死になって練習しているが、上には上がいて、遂にはプロまでもが練習しに来るので、ある意味すごくいい勉強になる。

そしてこういう環境にいると、日々いい刺激をもらって帰ってくるので、頑張って参加していると、どんどん新しい課題が生まれ、克服していこうとする自分がいる。

実際、時間とお金に余裕ができた今年のはじめから、月3回ペースでセッションに参加して、グッとレベルアップした自分を感じることができるようになった。

ジャズは、ジャズ独自の即興性があるため、飛び入り参加がしやすく、初対面の人とでも一曲ができてしまうメリットがあるので、腕を磨く機会に多く恵まれることがあるが

クラッシックやポピュラーといったジャンルにも、こういう気軽に発表できる場があればいいなと思った。

クラッシックなどは、教室が主催するような定期の発表会か、アマチュア同士の演奏会以外では、なかなか発表の機会がないため、人前で演奏することに慣れるのがとても難しい。

僕もクラッシックをやっていた頃は、年に一度人前で発表する程度で、滅多にない発表の機会に、いつも手や足が震えたものである。

お互いの演奏を聴きあうということは、ものすごくいい勉強になる。

昔はクラッシックも、喫茶店などで気軽に発表できる場があったと聞くが、今はそういう話は聞かない。

ジャズもやがてはそういう運命をたどっていくかもしれないので、今のうちにしっかり腕を磨いていこうと思った。




2008/5/22        ピアニストはやや自虐的

ピアノを弾いている人に共通しているなと思うことの一つに

「やや自己評価が低い傾向がある」ということを、自分も含めて痛感することがある。

特に幼い頃からピアノを習ってきた人の中で、常にピアノの先生からダメ出しをくらい続けてきた人の中には、自分のピアノがどんなに上手に弾けていても、それに納得せず、もっとできる!と常に悩んでいる人が結構いる。

僕も人前でピアノを弾いた後、ちゃんと弾けたかどうか?
恥ずかしくない演奏をしているかどうか?気になって気になって仕方がない。

しかし、実際に録音をして聴いてみると、そんなにひどくない場合もある。

往々にして、クラッシックでダメ出しをくらいながらピアノを弾き続けてきた人は、自分のピアノに対して自信と誇りを持っていないことが多い。

あまり過剰な自信や誇りを持ち、傲慢になるのはよくないが、少しは自分のピアノの良さにじっくり目を向けてみることも大切のではないかと思う。

ピアノ教師から常に「あこがいけない、ここがいけない」と言われ続けると、いつも自分はダメなんだという感情に支配され、自分のピアノに対して自信を持つことができない土壌が培われてしまうことがある。

そして要求水準ばかり高く、自分を評価しない姿勢ができてしまうと、どこまでいっても自分のピアノに対して満足できず、演奏することに喜びの感情を見出せないことがある。

これでは少しつまらない。

ほんの少しくらい、「オレは(ワタシは)ピアノが弾けるんだ!」という自負心があってもいい。

最近になってそう思うようになった。

実際、19歳までピアノを一本指でしか弾けなかった人間からすると、ピアノが両手で弾け、しかも難しい曲をこなしていけるなんていう芸当は、19年間弾けなかった人間からすると、神業のように感じたものである。

ピアノが弾ける!それだけで、少しくらいは自負心と自信を持ってもいい。
そしてよりよい演奏ができるように、がんばってみたいと思う。




2008/5/19        目指すところがハッキリしていると

目指すところがハッキリしていると、ピアノを弾く意味が強くなり、より意欲的にピアノに取り組めるようになるから、練習意欲も旺盛になり、練習時間も必然的に多くなる。

そして気がつけば結構うまくなっていることに気付くことがある。

今までのピアノ人生を振り返ってみれば、いつも何かを目指していた時期もあれば、何も目指さなかった時期もあった。

何かを目標にピアノを弾いていた時期は、成長するのが早く、練習時間も多くなっていたが、何も目指さず適当に弾いていた頃は、あまり練習せず、あまりうまくならなかった。

去年の自分がそうだったかもしれない。

今の僕の目標は、あちこちのライブハウスで開催されているジャズセッションを攻略していくことにある。

店によってレベルはまちまちだが、レベルの高いところは、現役のプロばかりが練習するための溜まり場になっているほど、レベルの高いところが一杯ある。

今は自分が問題なく弾けるような場所で精一杯ピアノを弾き、そして次第にレベルアップしていくに連れて、昔の自分だったらかなわなかったようなセッションに参加し、最終的には関西で最もレベルの高いと言われているセッションにも問題なく参加できるようにすることが、今の自分の目標である。

プロが集うレベルの高いセッションを攻略するには、後数年はかかるだろう。

短く見積もって3年。
普通で5年。
長く見て8年くらいか。。。

それでもやるだけの価値はある。

僕はどこまでいってもアマチュアでいたいから、うまくなることは単なる自己満足に過ぎない。しかし、それが生きる力にもなっているので、これからも頑張ってみたいと思っている。




2008/5/15        後数年。。

19歳からピアノをはじめて、かれこれピアノとは14年の付き合いになる。

思えばあっという間の14年間だったような気がするが、14年もピアノを弾いていると、そうすぐにはうまくならないことが理解できる。

ベラボウにうまくなる、ちょっとしたコツもなければ、一晩にして攻略できる素晴らしいテクニックもないことが分かるようになる。

すると、自分よりうまい人で、ああいう風に弾きたいという人の演奏を聴いた場合

「ああ〜頑張って3年 適当にやって8年というところか」と、今の自分の技量と、これからの努力でどこまで行けるか?ということが次第にわかってくるようになる。

これが理解できるようになると、むやみに焦ることがなくなる。

ピアノなんていくら焦って毎日10時間弾いたところで、そうそううまくなるものではない。

そうやって忍耐強く、かつしっかり日々のピアノ攻略に向けて頑張っていれば、必ず上達する時期が自然とやってくるものである。

やはりどんな分野でも経験がモノを言うように、ピアノも経験がモノを言い、努力がモノをいう世界。

経験しているけど活かさなければ、モノにはならないし

努力しているけど、方向性が無茶苦茶でもモノにはならない。

両者セットで、方向性がハッキリしており、経験を上手に活かしていくことで、どんどん上達していく。

腕立て伏せ100回の体育会系のノリが、必ずしも功を奏することがないのがピアノの世界。

やはり頭を使って努力をしないと、実を結ばないことがよく理解できるようになった。




2008/5/14        楽器の王様ゆえの難しさ

高槻ジャズストリートが終わり、今までにないほどピアノに燃えて、楽しくピアノと暮らしている毎日だが、自分もやれば結構なところまでこれることが分かった。

僕は他の楽器をしたことがないからハッキリとしたことはいえないが、いろんな楽器ができる人から言えば、やはりピアノが一番、「まともに弾くことが難しい楽器」らしい。

メロディーとハーモニーが同時に出せる楽器はほとんどない。まともにソロで演奏できる楽器はピアノくらいのものである。だから楽器の王様と呼ばれているのだろう。

しかし、楽器の王様ゆえ、これを上手に扱うのはとても難しい。

うまくなるには、ものすごい練習時間が必要になるし、数年の歳月はかかる。

また次々と新しい課題が出てきてしまい、うまくなればなるほど、やらなければならないことも多くなってくる。

だからこそ、頑張った甲斐は、他の楽器よりも大きいのではないか?と思うことがある。

結局僕がピアノがうまくなりたい最大の理由は、どんな状況でも楽しく弾けるようにすることで、うまくなればなるほど、より自由度が高まり、鍵盤上でいろんなことが表現できるようになる。

ジャズピアノの場合も、クラッシックと同様に、ある程度上達を志すと、次から次へと新しい課題が山のように出来てくるし、難しい課題にもぶつかるようになってくる。

それを克服するのが苦しくて仕方がなく、やめてやろうと思ったことがないのが、今まで僕がピアノを続けてこれた最大の理由なのではないかと思う。

苦しい課題があればあるほど、楽しくそれに取り組み、いつか克服するようにしていきたいという前向きな気持ちが持てるようになった。

ピアノに対して焦りが減り、いつかできるようになればそれでいい。。。くらいに考えられるようになったからである。

この気持ちはピアノと長く付き合っていく場合にはぜひとも必要な精神で、すぐにうまくなろう、すぐにやっつけてやろう、人前でカッコよく弾いてやろうということしか考えていないと、どうしてもやる気が失せる。

ピアノが上達することの目標を、「より楽しくできること」に設定すると、困難がやってきても、大変な課題があっても、なんとなく努力しているから、知らない間にサラッと乗り切っていることが多い。

だから、焦らないであまり無理しないで、楽しいと感じる程度にとどめておく段階が今は一番心地いい。





2008/5/3        うまくなろうとして 損な事は何もない

プロで生活する。アマチュアのままで楽しくピアノを弾く。

いずれにしても、「うまくなりたい」と思って練習している人がほとんどだと思う。僕もその1人である。

「このままでいい」とか「うまくなりたいと思わない」という人は滅多にいるものではない。

ピアノがうまくなると、鍵盤の上で表現できる自由度がものすごくアップする。

更に、ピアノがうまくなると、自然と外に出て行きたくなるので、交流の幅が広がり、ピアノを通じて楽しい人生を謳歌することができるようになる。

僕は、去年の11月に仕事がえをしたが、時間の余裕があり、去年の12月あたりからピアノを真剣に練習するようになった。

すると、それを誰かに聞いてもらいたくて、ジャズのセッションという道を選んだ。

あれから何十人もの知り合いに囲まれるようになり、音楽以外の交流も深まり、いい友達にもたくさん恵まれるようになった。

そういう場所に出てくる人に話しを聞いてみると、みんな一様に「音楽をやっていてよかった」と話す。

うまくなることの意味は、本質的にそういうところに存在しているのではないかと思った。

心が不健全だと

「うまくなって人を蹴散らしたい」
「えらっそうな態度をしてみたい」

などと思うらしいが、そういう病んだ人以外のまともな人なら

うまくなることイコール、人に対する復讐や支配とは考えないはずである。ま、経験的にこの手の病んだ人は自然と誰からも相手にされなくなり、消えていく運命にあるのだが。。

ピアノはうまくなって損なことは何もない。プロになる必要がなくても、50歳でピアノをはじめたとしてもである。

やればできるようになるんだという自信は、何者にも変えがたい、お金では買えない素晴らしい財産である。うまくなるまでは苦しい時期があり、僕は今もその道を歩いているのかもしれないが、ある程度頑張れば、もっと楽しくなるだろう

と、希望を持って楽しくピアノを弾いている。

みなさんにも、無理しない程度に、楽しくうまくなるピアノを弾いていただきたいと思う。





2008/5/1        プロのピアニストと話して分かったこと

セッションで知り合いになった、23歳のブロのジャズピアニストの女の子と、ピアノの話をする機会があり、プロのアプローチの仕方について、アマチュアピアニストの僕にとって、大変参考になるものが多くあった。

まず、彼らはジャズのコードや簡単な音符を書いた譜面を見ないようにしている。

目から入る部分を徹底的に排除し、耳で音楽をすることに徹底していれば、使う脳の場所が変わるとのこと。これまで楽譜に縛られていた自分にとって、このアプローチの仕方は大きな発見だった。

プロいわく、全部覚えたら、ジャズのリード譜なんて、燃やしてしまってもいいそうな。

それから、そのプロの女の子は、バンドを組んだことがない!

今まで様々なバンドを渡り歩いて、楽しみもし、苦労もしてきたが、そういった方向性で音楽をするのではなく、飛び入りセッションに参加しまくって腕を磨き、どんな人とでも、どんな楽器とでも瞬時にあわせられる能力を培っていくことで、腕を鍛えている様子。

これはアマチュアにはなかなかない発想で、今までバンド組んでもめたり、辛い想いをしたりしていた自分の方向性もちょっと見直してみてもいいかなと思うに至った次第である。



正直なところ、固定バンドでいつも同じ人とばかりやっていると、いつも一緒にやっている人のクセにのみこまれて、なかなか上達しないところがある。

突然違う人と違うことをすると、全くできなかったり、合わせるのにものすごく苦労している間に曲が終わってしまうことがある。

やはりジャズの世界で自由に生きて行きたいと思うならば、固定バンドにしがみつくのではなく、自由に腕のたつ、一匹狼の世界を目指していく方向で模索した方が、より楽しくなるような気がした。

僕にとってピアノはアマチュアで楽しく、自由にやっていくことがモットーなので、やはり性格的に気合の入ったバンド活動は向いていないことをつくづく再認識するようになった。

プロと話してみて、色々な発見があったが、プロを目指す人は

「どうすればその世界で収入を得ることができるか?どうすればうまくなれるか?」

という発想をし、それにのっとった行動をしている。当たり前のことだが、これは大変参考になった。

僕はピアノで食べていくつもりがないので

「どうすればより自由に楽しく、人間関係で苦労することなく、楽しく音楽ができるか?」に焦点をしぼって

もう1回ゼロから自分のピアノ生活のあり方について再考してみようという気になった。




2008/4/28       ピアノを弾いてギャラをもらう

詳しくはブログにも書きましたが、19歳からピアノをはじめて14年。

こんな日が来るとは思っていませんでしたが、ついにギャラをもらう日がやってきました。
奈良のカフェでのライブで、大阪のピアニストさんにお声がかかったんですが、大阪のピアニストさんが距離的な問題で出られないということで

僕におはちが回ってきたというわけです。

送られてきた譜面を見て、あまりの難しさに「これは無理かも」と思ったんですが、思い切ってできる曲だけやってみようと、ライブに行ってみましたが、全曲それとなくできてしまい

最後に「お疲れさん」とギャラをもらいました。

今までピアノというと、お金を出して出して出しまくってきましたが、もらったのは今回がはじめて。

別にこれで生活したいなんて思いませんし、そんな器でもないと思っていますが、ピアノを弾いてお金をもらってみたいという気持ちは常にありました。

それが実現したというわけです。

本当に嬉しかったです。

プロのピアニストさんも、最初はこうして成長していくもんなんだなぁという感触を味わいました。

いただいた1000円札は、ずっと大事にとっておきたいと思っています。

そしてこれからも、自分のペースで無理のない範囲で頑張りたいと思っています。




2008/4/26       なぜ短期間でうまくなれるのか?

ものすごく短期間であっとう間にうまくなる人がいる。

天才的な素質の持ち主は別として、凡人でも短期間でうまくなる方法がある。

それは「どうしても上手に弾かなければならない機会を作る」ことである。

僕の場合この3年、バンド活動をしたことによって短期間でグッと上達したと思っている。

できるかできないか?に関係なく、やらなければならないという状況になってくると、人間は結構な力を発揮する。たとえそれがどんなに大したことがないものであったとしても、自分の中から精一杯のものを搾り出していけば、必ずうまくなる。

特にバンド活動のように、人と一緒にやるアンサンブルの場合、自分がしくじったらみんながしくじるという責任感があるために、勢い、自分も頑張らないわけには行かなくなる。

すると、どんどん上達し、どんどん弾けるようになってくる。

これが1人でなんとなくうまくなればいいやという発想で取り組んでいると、なっかなかうまくならないところがあり、ジャズピアノをはじめて8年の間、最初の5年は亀の歩みで、ほとんど上達しなかった。

ジャズの飛び入りセッションに行き、とりあえずピアノの前に座ってみた。

楽譜はペラペラの紙でコードしか書いていない。しかも知らない曲ときている。しかし、イントロ弾いくれという視線でみんなが僕のことを見ると、弾かないわけには行かなくなるので、どんなまずいイントロでも弾いてみようという気になる。

そして曲が始まったら、必死になってついていく。

途中で見失うわけにはいかないから、これまた必死。

そういう経験を繰返していると、気がついたらかなりうまくなっている。

ジャンル問わず、短期間でグッと上達している人に話しを聞いてみると、例外なく、そういう「弾かなければならない状態」に追い込まれた結果、うまくなっていることが多い。

伸び悩んでいる人は、外に出て、どうしても弾かずにはいられない環境を作ってしまうと、一気に伸びる可能性がある。
これは、僕が保証しましょう。




2008/4/25        苦手なところは集中的に

苦手意識をもっているところ、うまくいかないところは、そのまま通り過ぎてしまい、適当にごまかしていれば、いつまで経っても上達しないことがある。

「いつかはできるようになる」と楽観的に構えていても、実際苦手なところをしっかりやろうとしないと、本当にできないまま終わるのもピアノという楽器の持つ特性の一つなんだなと思うようになった。

それにしても、苦手な部分の克服にはかなりの時間が必要になってくる。

毎日少しずつでも、苦手な部分の克服の時間をとっていき、より自由に楽しくピアノが弾けるようにしたいなぁと思うのだが、実際のところ、苦手な部分を挙げはじめたらキリがなく、いくつもいくつも課題が出てきて、何から手をつけてよいか分からなくなることがある。

そういう場合は、まずこれだけというものに絞っていき、他の苦手意識は一旦忘れ、集中的にそこを克服するように取り組んでいかないと、ピアノは劇的に上達することがない。

19歳からはじめて14年。

もう初心者でもなくなったし、14年も弾いていれば、ピアノの持つ特性もだんだんと見えてくるようになった。

やはりその中の一つに、苦手なところは徹底して克服しないと克服できないことに気付く。

この作業に真剣に取り組むことができるようになると、ピアノは一気に上達することが多い。

苦手なまんま、100回素通りするのと、苦手なところを100回繰返して弾くのとでは、同じ練習時間でも、練習した甲斐、効果が10倍も100倍も違ってくる。

新しい弾き方をゼロから覚えるくらいの気概で取り組んでいけば、苦手はものは次第に克服されていく。

僕も数え切れないほど苦手なものがあるが、自分でこういうコラムを書いている以上、一つずつ克服していき、ピアノを弾く総合的な力をもっとレベルアップしていきたいと考えている。