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ピアノ日記
Jazz Piano が 無茶苦茶 達者に弾けるまで



2009/8/3         手っ取り早くうまくなるコツ

ピアノを弾いて「うまくなりたい」と思う人なら、常に

「手っ取り早くうまくなる方法」を探すだろう。


僕も、19歳でピアノを始めた時


楽器店に行って


「ミスタッチしない方法が書いてある本」を本気で探したことがある。苦笑。

今なら失笑モノでしかないが、当時は本気でそういう方法があると思っていた。


今までもずっと、「短時間でうまくなる方法」を探してきた。


そして「ない」という結論に達し、練習するしかないと思って頑張ってきた。


その気持ちは、今も全く変わらない。

やはりピアノは、長年の練習の積み重ねを経験しないと、うまくならないものだからだ。


しかし、「短時間でうまくなる方法はないのか?」と言われれば


「ない」とは言えない。


いやあるのだ。


以下に「短時間でピアノがうまくなる方法」をお話してみたい。


まず以下の条件を満たしている環境を探す。


--------------------------------------------------
● ピアノが滅茶苦茶うまい人たちのサークルや輪の中に入る

● その輪の中にとどまる

● 常に彼らを観察し続ける

● 彼らが普段、何をしているのか、聞く
--------------------------------------------------


これをしているだけで、ひとりでもくもくとヘタなピアノを弾いているよりはずっとうまくなる。


ピアノがうまい人たち、音楽性に優れた人たちと接し、話していると、いろんな刺激をもらうことができる。


ヘタ同士で固まっていては、なかなかうまくならないが、うまい人の「かたまり」に入っていくと、ものすごく大きな発見がある。


ただし・・・


最初はショックを受けるかもしれない。

彼らはあまりにもヘタな自分と違う次元でピアノに接していることが分かり、落ち込むことがある。


それでもやめないで


「オレもあいつらと同じ人間、やってできないことはない」


と思って、ひたすら「うまい人」と接し続けていれば、短時間でうまくなるエッセンスを肌で吸収することができる。




2009/6/26         プロに囲まれて鍛えられた自分

■ 面食らっていた時期

ボクがジャズのセッションに行きだしたのは、一年とちょっと前・・

ジャズのセッションは、アマチュアでうまい人たちが練習し、飛び入りで楽しくやるものだとばかり思っていた・・

しかし・・

現役のプロも練習しに来ることを知って、ビビッてしまった。

現役のプロといっても、僕より、10歳くらい年下の子たちが、ボクの数倍はうまいピアノをがんがん弾きまくるのである。

ある時などは、ピアノが4人いて、うちプロ3人、アマはボク1人ということもあった。

正直言って、ヒジョーにやりにくかった。

だって、プロ3人は、すごい拍手がくるが、僕は失敗ばかりして、拍手よりため息と苦笑いばかりがくる・・

当時33歳だったセッションデビューは、最初は精神的にとても辛いものがあった。

ジャズをやられない方であれば

クラッシックで言うなら、ホームコンサートに音大のピアノ科を出たプロばかりに囲まれて、ヘタクソなピアノを弾いている自分を思い浮かべてもらうと分かりやすいかもしれない。

しかし、そんな環境の中で、僕は鍛えられてきたような気がする。

昨日もセッションに行ってきたが、18歳の男の子がバリバリ演奏したり、25歳の女の子がすごいドラムを叩いたりしていたが、もう気にならなくなってきた。

そう・・

ちょっとだけうまくなった気がするからである。

昨日は上手なアマチュアのおじさんからアドバイスを受けた

「加藤君はええセンス持ってる。けどな、もうちょっとリズムをきれいに感じて、他の楽器やっている奴らの表情とか手の動きをしっかり見て、音で会話するようにしたらいい

そのためにも、できるだけコード譜は見ないようにして弾けるようになって欲しい」・・と

ありがたいアドバイスである。

なんだか頑張って、もっとうまくなってやろうという気持ちが強くなってきた。

あなたも頑張ってください。




2009/6/22         失敗しないと、上達しないじゃないか!!

■ 楽器の上達なんて、「失敗してナンボ」の世界

ボクはそう思っている。

人前でピアノを弾くと、手が震えたり、足が震えたりすることがある。

今でも時々ある。

しかし、毎週のように人前でピアノを弾きまくっていると、段々とそういう緊張がとけてきて、自然体で演奏できるようになる。

人前でピアノを弾くと、最初はミスタッチをしたり、ジャズの場合、今どこをやっているか?分からなくなってしまうことがある。

ボクもジャムセッションで、演奏している場所を間違えて無茶苦茶にしたり、勝手に間違えて演奏を終えたり、まぁ派手に失敗して、恥をかいたものである。

そういえば、「オマエ、オレの音、しっかり聞いてのかい!」と怒られたこともあるし

演奏中に、ドラムのオッサンから「ずれてる!!」と大声で怒鳴られたこともある

そうやって失敗するから、うまくなるのである。

クラッシックだってそうである。

人前にたてば、ひとりで練習していた時より、いい演奏ができない場合の方が多い。

でもそれでいい。

100回、1000回、人前で弾きまくっていれば、人前だからこそ「よりうまく弾ける」ようにもなってくるはず。



ボクもセッションに毎週参加するようになって、はや1年以上の歳月が流れた。

失敗もしたし、まぁまぁうまくいったこともある。

最近、セッションで本当のビギナーに会うことがある。

彼らが失敗して、「はぁ〜」とため息をついている時に

「失敗たくさんした方がええで、その方が上達するから。ため息ついているヒマあったら、失敗した方が、楽しくできるで」

と言うようにしている。

まぁ〜、中には意地悪な人もいて

「なんやあいつ」

「おいおい、そんなレベルでセッション来るなよ」

という輩もいるが、そういう自分も最初はグタグダだったに違いない。

最初からうまくできる人なんていない。

失敗しないと上達しないのである。

だから今、上達のヒントを探している人には、こう申し上げたい。

■ たくさん失敗して、たくさん恥をかくこと そして学ぶこと ■

これだけやっていれば、どんな人でもかなりうまくなる。

※ あ、ちなみにピアノの先生などで、たった一回の失敗も許さず、激しく叱責し、才能がないかのように罵るタイプの人に習っている方は、上達しにくい可能性があり、ピアノが嫌いになることがあるので、先生を変えることをおすすめします。



2009/6/13         15年ピアノを弾いて、今思うこと

■ 実は19歳でゼロからピアノをはじめることは、すごいことなのかもしれない

ボクは今、月に5〜6回のジャズセッションと、月に1〜2回のライブをやっている。

ジャズセッションに行き、ライブをさせてもらっていると

まず

● 19歳で本当にゼロから楽器をはじめたピアニスト ●

に今まで、お目にかかったことがない。

ピアニストさんもたいていは、小学生から始めており、早い人だと3歳からクラッシックの英才教育を受けていたり

ピアノをはじめてまだ数年という人も

● 過去にギターやベースをやっていた

● エレクトーンを長年やっていた

という人がほとんど。

だから

● 楽譜が読めない

● 鍵盤のドの位置が分からない

● もちろん両手で弾けない

こんな状態で、ジャズのセッションに参加し、時々プロの人たちに混じって、まぁまぁ〜という演奏ができるようになった自分は


「ちょっとすごい」と思った。笑


少なくとも、そういう人は見たことがない。


だから、自分では一定の評価をしてもいいのではないかと思うようになった。


これからも頑張って、腕を磨いていこうと思っている。




2009/5/30         5月の音楽活動と、音楽が聴けない自分

■ 5月の音楽活動

5月は、まず連休に「高槻ジャズストリート」で、3バンド、計19曲を2日連続で演奏。

そして毎週木曜日に近所のバーで開催されるセッションの参加。

そして時々、歯医者さんでもある、ジャズギタリストY氏にお声をかけていただき、2つほどのライブをした。

Y氏とのライブは、お客さんがいるにも関わらず、リハーサル一切なし。

ぶっつけ本番でいきなりやるので、ものすごく緊張する変わりに、ものすごく勉強になることがある。

相変わらず、仕事が忙しくて、ジャズピアノにかじりつくより、パソコンにかじりつき、方々の同業者に会いに、クルマに乗り、電車に乗り

あちこちに出かけまわっている毎日で

それほどピアノを弾く機会がないものの

最近はぶっつけ本番でも、なんとか形にはなるようになってきた。


■ 音楽を「垂れ流せない」自分・・

ボクは仕事をしている時も、クルマの運転をしている時も、歩いている時も、音楽を聴かない。

聴かないというより、「聴けない」のである。

これはひとつのコンプレックスなのだが、何かをしながら音楽を聴くことができない。

音楽に気をとられて、歩いている途中もドブに落ちそうになる。

クルマにも音楽CDはもう積んでいない。


ボクがまともに音楽を聴くようになったのは、ピアノをはじめた19歳になってからのこと。

それまでCDを買ったのは3枚くらい。


言わば、『音楽を日常生活に取り入れる』という、脳みそがない。


しかしピアノが上達したければ、音楽を聴きたおしていれば、上達する部分がある。

だから、何度も何度も音楽をかけながらいろんなことをしてみたけれど、やはり音楽をかけながら、同時に2つのことができない。

多分、子どもの頃から音楽がかかっている環境で育っていないこともあると思うが

ボクにとって音楽を聴く時は、正座をしてじっくり聴きこんでしまう。

このクセがとれないので、これからも音楽を聴くことは、自分にとっては特別な時間になるんだろうなと思った。

仕事との兼ね合いもあるので、仕事優先で音楽活動を地道に続けていこうと思っている昨今である。



2009/4/28         音楽のかなめは「リズム」

音楽から旋律をとったら、何も残らなくなってしまうかもしれないが

もうひとつ、なくなってしまったらヤバイものがある。

それは「リズム」である。


ジャズの場合、このリズムがすべてだと思っている。

たとえおかしな音を弾いていたとしても、リズムさえしっかりしていれば、なかなかいい演奏に聴こえるが、いい音を選んで弾いていても、リズムが崩れていると、おかしな演奏に聴こえるものである。

だから、音楽はリズム命・・


しかし、クラッシックピアノは旋律に偏りすぎている傾向があるので、リズムが軽視されやすい傾向にある。

リズムよりもまず、譜面通りに弾くことが大切と言われたものだが、クラッシックもリズム重視で弾くようになると、見違えるほど演奏がイキイキとしたものになることがある。

リズムとは、空間を上手につかむことである。

その空間が上手につかめない状態で、譜面通り弾いてみたところで、やはりいい味が出せない。

クラッシックピアノで、巨匠と呼ばれている人の演奏を聴いてみると、それぞれみんなオリジナルの「いいリズム」を持っているケースが多い。

このあたりをしっかり会得するようになれば

どんなジャンルの音楽をやっても、リズムさえしっかりしていれば、かなりいい演奏ができるようになり、気持ちもそれに従ってノってくるようになる。


とりわけジャズピアノはリズムが命だと僕は思う。


ジャズピアノからリズムをとったら、もう何も残らないのではないか?と思うくらい、リズムは大切な要素である。

1度はじめた演奏は、たとえ少しくらいミスタッチしても気にしないで、とにかくリズムキープをすることに徹底した演奏を心がければ、かなりいい演奏ができる。

人のことを言えた義理ではないが、あらゆるジャンルのピアノを弾いている人たちで

「今ひとつ、演奏がうまくできない」

と言っている人の演奏を聴いていると、だいたいリズムがおかしいことが多い。

ワルツを弾く時、ワルツに合わせて踊れるか?

人がピアノを弾いている横にドラムセットがあれば、それを叩いてもまったく遜色ないように叩けるか?

もしそれができるようになれば、体内リズムはかなり上達している。

ジャズピアノを弾いている人で、「リズムがおかしい」という人が、リズム楽器のドラムを叩くと、たいていおかしなドラムを叩くことが多い。

やっぱり音楽はリズム命なんだなと思った昨今である。



2009/3/19          オリジナリティーの排除

■ 自分なりのピアノを追求していく

ピアノを弾いていると、ついつい

「あの人がこう弾いているのだから、自分もこう弾かないといけないのかなぁ」

という意識にさいなまれることがある。

他人の演奏に影響され、自分の演奏に、ついついNoと言ってしまいたくなることがある。

しかしこれも程度問題で、人の演奏は自分の演奏の参考程度にとどめておくべきだと思うようになった。

ジャンル関係なく、あまり人に影響されすぎると、自分というものがなくなってしまい、自分本来が持っているよさというものが発揮できないまま

人のモノマネに流れていくので注意が必要だと思った。

■ オリジナルを排除してしまう芸術

ある方に聞いた話なのだが、某美術大学の生徒の個展に行くと

どれもこれもみんな、その道の巨匠のモノマネである場合がほとんどらしい。

「あれは●●風」

「これは●●風」

という具合に、まるで自分らしさや、オリジナルというものを完全に排除してしまったかのような、絵画に、その人は辟易したそうだが

音楽にもこれは当てはまる。

■ 巨匠の徹底したモノマネ

■ すごいと言われている人への、イビツなまでの信仰

こういうものがあまりにもまかり通ってしまうと、自分らしさを発揮したり、自分らしさを探す、心の旅などできなくなる。

中にはこういう人もいる。

「最初はマネから入り、徹底的にマネしまくった後に自分らしさが出る」と・・・

僕はどちらかというと、反対の意見である。

わざわざマネをしなくても、少なからず影響は受けているのが人間だから

そういったものは演奏に自然とあらわれる。

自分がいいと思ったものは、自分が意識しなくても自然と心の中に取り入れているものだし、自分がいらないと思ったものは、自然と心の中から排除している。

だからその辺りは、「自然体」でいいのではないかと思うのである。





2009/3/13          ジャズストに向けて・・

■ 近況

最近も相変わらず、いろんなところでピアノを弾く毎日。

特に毎週木曜日に、近所のバーでやっているセッションは、本当にいい勉強になる。

どんなに仕事が忙しくても、どんなに今が大変でも、ピアノだけはやめない・・・

というのは、我ながら面白いな・・と思う。

僕はピアノと同じか、それ以上にクルマの運転が好きだが、仮にクルマの運転が嫌いになったとしても、生活をする上で、運転しなければならないこともあるだろうから

運転が嫌いになっても、生活に必要な移動の手段として、嫌でも乗っていかなければならなくなる。

まぁ、32万キロ走っても、今もって運転は大好きだから、楽しく走っているが・・

かたや、ピアノは嫌いになったら、弾かなくても生活には困らないし、必要にかられてピアノを弾くこともない。

プロではないのだから、ピアノと一切の縁をきっても、生きていくことはできる。

しかし、縁を切らない自分がいる。

最近になって、「自分はピアノがすごく好きなんだな」ということを痛切に感じるようになった。

■ 高槻ジャズストリートに出演

今年も高槻ジャズストリートに出演します。

ピアノで出れる限界「3バンド」まで、出演が決定。

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5/3 Allure 17時〜

佐田美絵 Vo
加藤ミノル Pf
古谷 充 bass
今西正司 d

5/4 同じくAllure 20時〜

諸冨裕子 Vo
加藤ミノル Pf
夏目直人 G
古谷充 bass

5/4 Bar Dools

松浦希美 Sax
加藤ミノル pf
夏目直人 G
古谷 充 bass
今西正司 d

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ドラムとベース、ギターの人とは仲良くしているので、だいぶと「かぶって」いますが、いつも仲良くしているメンバーや、先輩なので

今回は楽しくやれそうです。




2009/3/2          一ヶ月のピアノ活動を振り返って・・・

■ この一ヶ月、自宅より外でピアノをたくさん弾いた

この一ヶ月間は、仕事がものすごく忙しかったので、その合間をぬって

レッスンと、近所のジャズバーで毎週木曜日の夜に開催されるセッションに参加し、2回ほどギターの人から

「ライブするからピアノ弾いてくれ」と頼まれ、出かけていったのみ・・・・

実はこの間、ほとんど家で練習しなかった。

セッションで人前でピアノを弾くことが練習になり、ライブでちょこっと場末の店で演奏していることが練習になり、レッスンでピアノを弾いていることが練習。

自宅での練習は、チェルニー30番を少しだけやっただけで、ジャズの練習はほとんどしていなかった。

■ ちょっとピアノの環境が変わってきた

今までなら、圧倒的に自宅での練習が多かったものだが、忙しくてできないということもあり

バーのセッションが主な練習場所になった。

これがなかなか新鮮で、自宅でひとりで練習しない分、バーのセッションでは途中で止まることが許されないので、結構必死に弾いた。

他の楽器との掛け合いもそれなりに上達したような気がするし、だいぶとセッションという雰囲気にもなれてきたところがある。

■ じいちゃんのありがたいご指導

バーにセッションに行くと、昔東京で大御所だったジャズピアニストが今、奈良で隠居し、時々遊びに来ているのだが、僕はこの人のことを

敬愛の意味もこめて「じいちゃん」と読んでいる。笑

じいちゃんはヘビースモーカーで、煙突のようにタバコを吸いながら、人の演奏を楽しく聴いているので

タバコが好きな僕と「タバコ談義」をしているうちに、じいちゃんと少し心理的な距離が縮まり

僕がピアノを弾いた後に、じいちゃんが、僕のピアノの「いけないところ」を教えてくれるようになった。

「あなたの演奏わねぇ〜もっとアフタービートをしっかりと出して、タッチは押し込むように弾いた方が、音圧が高くなる」

「それから、鎖骨の下の筋肉にまだまだ力が入っているから、その力を抜くと、もっとジャズらしい音が出るよ」

と教えてくれた。

じいちゃんは、東京でバリバリ活動していただけあって、ピアノの腕前は素晴らしいの一言だが、こういうお方に直接指導してもらえるのは、嬉しい限りである。

■ 高槻ジャズストリートへの出演

今年も高槻ジャズストリートに出演する予定でいます。

大阪府高槻市で、5/3 5/4 に開催されるイベントで、今回は3バンド、おそらく20曲程度は弾くことになるかと思う。

5/3 と 5/4 は、高槻市駅前付近の施設がフリーで開放されるので

酒が飲めない僕でも自由に出入りできる

「キャバクラ」「ちょっと怪しい風俗店まがいの店」でも、老若男女、ジャズが聴けるという面白い空間に恵まれるので、今年の場所とりは

持ち前のスケベ心全快で、出演バンド3バンド全部を、キャバクラに応募しまくっておいた。笑

きれいなお姉さんに囲まれていると、ヘタなピアノでもそれなりに元気に弾けるというものである。

まぁ、最近はこんな活動をしております。




2009/2/2         ピアノが続く人 続かない人     

■ 一度もやめたことがないピアノ

19歳でピアノをはじめて、もう15年になる。

思えば長い15年だったが、いまだにピアノを本気でやめたいと思ったことが1度もない。

昔、一度だけ24歳の頃に習っていたクラッシックのセンセから

「お前みたいなヤツはこなくていい」と言われ、教室から追い出されるように、ボクのレッスンの時間に無理矢理、他の生徒さんをレッスンに入れるという

この上ない意地悪をされたことがキッカケで、「ピアノなんてイヤや!」と、ピアノを弾かなくなったことがあったくらい・・・

それもピアノが嫌いなのではなく、ピアノに関わっている人間、それも一番信頼していたセンセに裏切られたことがキッカケで、一時的に嫌いになっただけで

本質的にピアノが嫌いになったことは一度もないし、今でも大好きである。

なんでここまで続けてくることが出来たんだろうか?

としみじみ考えてみたけど、結局出てきた答えは

「純粋に好きだったから」というものだった。

それ以外には思いつかない。

ピアノをカッコよく弾いて、女にモテようなんて、最初の1年くらいしか思わなかったし、その後いろんなところでピアノを弾くようになると

アマチュアでピアノがうまい人なんてゴロゴロいることを知ったので、ピアノが弾けることなんて、どうということはない。。という風に思うようになった。

実際、ピアノを上手に弾いて見せて、女性にモテたという経験は、残念ながら今のところ一度もない。

逆にモテよう!と意気込んで、「聞いてくれ!」と聞かせても

「ああそう」ですんだことがたくさんあった。苦笑

だから、ピアノでモテようという気持ちは完全になくなってしまった。

それでも続けているのは、ピアノが弾けても、それでモテなくても、商売にならなくても、それでもやっていきたいほど、好きだったんだろうな。という結論に達したわけである。

■ 一流と呼ばれる人のピアノの接し方

関西でとある有名なジャズピアニストがいる。

高校生の頃からプロ活動をし、当時は「天才少年」などと呼ばれたらしい。
しかし彼は、普通に就職した。

そして同時進行でジャズピアニスト活動をするようになった。

今でも、関西ではトップクラスのピアニストとして、君臨しているが、相変わらずサラリーマンだ。というのは、ボクの目には、とてもカッコよくうつる。

彼がとあるバーのセッションに来たらしいのだが、お店が

「閉店するので帰って下さい」

というまで、ずっと一人でピアノを弾きまくっていたらしい。

別に目だってやろうというつもりもなく、「どうだオレってすごいだろう!」という自己顕示欲も一切なく

ひたすら人目など無視で、自分の世界に入り込んでピアノを弾いて弾いて弾きまくるだけ。

要するに彼もピアノが大好きなんだろうと思った。

だから続くんだろうと思うし、だから今でも演奏活動をしたいと思うのだろう。

どんなにうまい人でも、「好きでない」のであれば、続かない。

そう思った。

■ ピアノをやめてしまう人

ボクがこのサイトを9年運営している中で、大人になってピアノをはじめた人にたくさん出会ってきた。

25歳くらいでゼロからピアノをはじめたり

30歳をすぎてゼロからピアノをはじめた人もいた

そのうち、6割はピアノを続け、4割はピアノを完全に「やめている」

4割のやめてしまった人たちは、やはり本当の意味でピアノを弾くことが好きではなかったんだろうなと思う。

生活環境がかわれど、ピアノが好きな人はどんな手段を使ってでもピアノを弾こうとするが

ピアノが根本的に好きではなく

「女にモテたい」

「知的だと思われたい」

という動機だけだと

引越しや結婚、育児であっという間にピアノを完全にやめてしまう。

結局ボクが15年経っても、貪欲にピアノを弾き続けているのは、ただただ

「うまくなりたい。自己満足でよろしい。それ以上何も求めません」

という、ある意味無欲で、「ピアノが好きだから」という気持ちが、ここまで続けることができた、最大の要因だと思っている。

これからもそれは、なくならないだろう。

音楽の世界は、(自分もそのうちの一人かもしれないが)心が汚い連中であふれかえっている。

腹が立つことも日常茶飯事だし、どついてやりたいヤツも一杯いる。

でもそんなことは関係なく、ピアノが弾きたい、弾き続けたいと思うのは、単純に無欲に好きだから・・・それ以外の何物でもないことを最近、ようやく知ったような気がする。




2009/1/25         毎週セッションに通い続けて

思うところあって、自宅からクルマで15分ほどのジャズバーのセッションに毎週通っている。

毎週木曜日の飛び入りセッション。

ほとんど毎週参加している。
かれこれそういう生活をするようになって、一年が過ぎた。

最初の頃は、途中でどこをやっているのか?分からなくなったり

「アンタ!ナニやってんの?」と怒られたり・・・

他の楽器の人を巻き込んで迷惑をかけたり、まぁ色々と恥ずかしい想いもしたものだが

ようやく、一年経って

「楽器で人とコミュニケーションをすることの楽しさ」が少しずつ理解できるようになってきた。

最近、忙しくて自分のピアノの音源をアップしていないが、以前よりもだいぶと上達したなと思えるようになった。

そしてあまり無理をしなくても、面白いピアノが弾けるようになり、それなりに即興演奏ができるようにもなってきた。

今持っているレパートリーは、25曲くらいだが、はじめての曲でも、テーマさえ弾かなければ、初見でアドリブができるようになり、それなりに形になるようにもなってきた。

まだまだ学ぶ課題は山ほどあるが、趣味として楽しんでいるジャズピアノというジャンルで、ここまでこれたことは本当に嬉しい。

19歳でピアノをはじめ、更地の状態から楽譜の読み方から学び、両手で弾けた感動を味わってから、15年。

今、プロもいるようなセッションに混じってピアノを弾いている自分がいるのは、とても嬉しいことである。

クラッシックも弾きたいし、ポピュラーピアノもやってみたい。

また基礎から勉強もしたいという気持ちはあるものの、一点にしぼらないと何事も上達しない。

だから今はジャズピアノ一本でいっている。

こういう趣味をじっくり楽しめる環境にはないので、多少の無理はしているが、それでも年をとった時にもスムーズに演奏ができるようにしたいと思っているので

頭と手が柔らかいうちに、しっかりと会得しておこうと思っている。

今はレパートリーはそんなにいらないから、一曲一曲を洗練された演奏にしていこうと思って頑張っている。




2009/1/13         芸術は、他人と違っているから芸術なんです。

僕は自分のピアノを、自分よりうまい人に「ボロカス」に言われたとしても、不愉快に感じなくなった。

言い方にもよるが、自分がおかしい!と思ったことを素直に表現できる人は嫌いではない。

自分が「これがいい」と思うピアノを弾いていると、どうしても他人が弾いているピアノを聴くと

「それはどうだろうか?」と言いたくなることもあるし

「おお!これは素晴らしい」と言いたくなることもある。

しかし、今の芸術の業界は、「おお素晴らしい!」は連発するものの、批判精神はガンガンに抑圧して、敵意など全くない善人を装い、ヘラヘラしている顔は、見るに耐えないものがある。

芸術である以上、それぞれの好みや主張、スタイルや目指しているところは人の数だけある。

それを批判しない、誰もこれも、どれもこれも素晴らしいなどと、口先だけのきれい事を言って、周囲の輪の中に溶け込んでいこうと必死になっている人を見ていると、なんとも情けない気持ちになることがある。

細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏が、テクノポップというジャンルの音楽を確立した「YMO」というユニットも、若い頃は

「フォークは軟弱だ!」「演歌はどうのこうの!」と批判精神全快で息巻き

「既存のものは正しくない」という視点から音楽というものを徹底的に考え抜いた結果、電子音楽というジャンルに至り、それを確立するに至った。

YMOの3人は、いまやすっかりおじさんになり

「ああ〜若い頃は、随分いきがっていたけど、あれもいい思い出だよね」と笑っているが

今、そう余裕を持って言えるのも、若い頃に既存の芸術を徹底的に否定し、自分たちの音楽を確立しようという意気込みがあったからこそ、今の彼らがある。

「あれもいいよね」

「これもいいよね」

「みんないいよね」

などの綺麗事連発では、みんなが似たり寄ったりのものに流れていき、結局はつまらないものになってしまう。

ピアノをはじめ、音楽にしろ、絵画にしろ、陶芸にしろ、彫刻にしろ、文学にしろ、自分のスタイルをしっかり持つには、ある程度の批判精神が必要であると僕は思う。

誰も間違ってはいないし、どのスタイルも本人にとっては正しいと思うけれど、ある程度の批判精神がないと、みんな「伝説の人」のモノマネになってしまい、やっている自分も次第に楽しくなくなってしまうことがあるので、これは自分に対する戒めの意味もこめて、書いてみた。




2009/1/6          仕事とピアノ 今年の抱負

昨年は、ジャズのセッションに参加しまくった一年だったが、今年は仕事が忙しくなるので、活動規模はやや縮小することになるかと思う。

昨年一年で、音楽のことについても、人生に相対する生き方についても、ジャズのセッションに参加することで多くのものを学ぶことができた。

昨年後半からは、ジャズのCDも積極的にたくさん聴くようになった。

そんな中で、邪道と言われるかもしれないが、僕は、太田昌宏というピアニストの演奏にひどくひかれるようになった。

太田昌宏というピアニストは、ダイソーの100円均一で、日本の民謡や、J-POPをジャズにアレンジした偉業を持つピアニストである。

彼の繊細で、無理をしていないピアノは非常に好感がもてたし、コテコテのジャズではない分、僕にとっては丁度聴き心地がいいサウンドとして、耳に入ってきた。

彼のようなピアノを弾きたい!

そういう風に思ったものである。

それはある意味、多くのジャズを志す人が黒人の巨匠に傾倒することに対する、自分の中にレジスタンスがあったのかもしれない。

今年は無理のない範囲で活動できればなぁと思う。

昨年は、「今しかない!」というので、少し無理をしすぎた嫌いがあるが、今年は仕事とピアノの両立がしっかりできる自分でありたいと思う。




2008/11/10       僕が目指しているのはズバリ「一流のアマチュア」

19歳でピアノをはじめ、ライブをやったりセッションに参加したりしている。

もちろん、大した演奏はできないものの、3歳、5歳からピアノをはじめ、ずっと続けてきた人たちに混じっても、それほど遜色なく弾ける自分が嬉しい。

これも14年間、頑張ってきた成果というべきだろうと思う。

指の技術は頑張って鍛えてきたが、いかんせん今でも初見と音をとることが苦手。

このあたりが、19歳からピアノをはじめた人間のハンディーなんだなぁ〜ということを、しみじみ感じることがある。

しかし僕はアマチュアピアノ弾きとして、これからもいろんな活動を時間の許す限り、やり続けていきたいと思っている。

僕はこの世界でプロになりたいと思ったことがなかったわけではない。

華やかなスポットライトを浴びて、渋いジャズバーで華麗に演奏するジャズピアニストの姿を見て

「自分もこんな仕事と生活ができれば嬉しいな」

と思ったことがないわけではない。

しかし、自分の人生をじっと考えてみると、僕は音で自分の人生を表現することに向いていないと思った。

本当に自分自身を表現するには、言葉と文字でしか伝えられないことがたくさんある。

それをすべて音に代弁してもらうことは不可能だということに気づいた。

僕にはこれからやらなければならない、ぜひともやりたい大仕事がある。

だからピアノは趣味としてとどめ、一流のアマチュアを目指して、60歳くらいまで頑張りたいと心から思っている。

一流のアマチュアになる。

もちろんどれだけうまくなっても、生徒さんはとらないし

どれだけうまくなれても、本業そっちのけで音楽には走りたくない。

目指すは、一流のアマチュアである。

ようやく自分の目指すところも定まってきたような気がする。

これからも頑張りたい。




2008/11/9      ライブ大盛況!

近所のバーセカンドで、ライブをした。

このサイトで古くから、オフ会を通じてお知り合いになった、謎頭巾さんにも来て頂き

演奏後の拍手もたくさんもらえた。

本当に感無量である。

ギャラは、4人合計で、5400円。

みんなで次回のスタジオ練習代にまわすことにした。

今回のライブで気をつけたことは、アップライトピアノの真後ろにドラムがあるので、自分の音がかき消されないように

「多少間違ってもいいから、普段の1.5倍の音量で弾く」

ということを心がけると、たくさんの声援が来て、本当に嬉しかったし、聴きに来てくれた人から

「いいピアノですね」
「ファンになりました」

とまで言われて、本当にいい気分である。

ついに自分もお金をもらって、人にある程度賛辞をいただけるほどのレベルになったかと思うと、本当に嬉しい。

19歳からピアノをはじめて、苦節14年。

今回のライブも、自分が納得できるような素晴らしい演奏とは程遠かったが

ピアノをやっていて

「心からよかったな」と思える日がまた1日やってきたなと、しみじみ思った1日だった。




2008/11/7      近々のライブ予定

明日はライブです。

■ 11月8日  20時スタート

Bar2nd 奈良

佐田美絵 vo.
加藤ミノル pf.
古谷みつる bass
まさし dr.

で 8時からライブします。

そして

■ 12月4日 奈良県桜井市のカフェ 「木風」 14時スタート

というところでも、ピアノを弾きます。

そして

■ 12月13日  20時スタート

Bar2nd 奈良

なのたん G.
松浦希美 Sax
加藤ミノル Pf.
古谷みつる Bass
まさし dr.

のメンバーで、インストで出演予定。

音楽でライブをし、ギャラをもらうなんていうことは、生涯ないか?あっても数度だと思っていたのに、こういう機会が年内でも、最低3回はある。

こういう状況にこれたことをとても嬉しく思います。

また、僕のこういった活動を見て、みなさんにとって励みになればなぁと思っております。

これからもがんばってピアノを弾いていきます。




2008/11/5       ジャズとクラッシックのタッチ

最近も相変わらず、毎週1回木曜日、近所のジャズバーのセッションで練習し

時々ライブをし、自宅で1日1〜2時間。
多いときでは、3〜4時間くらい練習している。

今は商売が忙しいので、1日おきくらいしかピアノに触れないこともあるが、それでも以前よりも上達したように感じることがある。

この数ヶ月で発見したことなんだが、ジャズとクラッシックのタッチは根本的に違うということである。

それは前々から知っていたが、ここまで違うとは正直思わなかった。

どういうことかと言うと、クラッシックは基本ピアノ一台の独演会である。

しかしジャズピアノの場合、ベース、ドラム、サックスがかんできた場合、クラッシックのようなやさしいタッチでピアノを弾いていれば、他の楽器の音にかき消されて、ほとんどピアノの音が聞こえてこない。

だから、常時フォルテでガンガン弾かないと、音すら聞こえてこないことがあるのである。

それに僕は最近まで気がつかなかった。

自分ではすごく大きい音を出しているつもりになっていても、ドラマーの人たちから言わすと

「あまり聴こえてこない」らしい

のである。

そこで

「これ以上デカイ音は出せない!」というくらい、ピアノをぶったたいてみると

「おお!それくらいで丁度いい!」という答えが返ってきた。

いわば、「速く、強く、かつやさしく弾く技術」がジャズピアノには要求される。

基本はフォルテ、そして強調したいところはフォルテッシモ。

こういう感じでジャズピアノを弾かないと、音が聴こえてこないことが、しみじみ分かった。

そういう意味でも、ジャズはジャズピアニストの山下洋輔さんが言ったように

「格闘技」かもしれないし、クラッシックとは全く異質のタッチと、ピアノに対する接し方が要求されるものだという認識をあらためるようになった。




2008/10/23       これからのジャズ業界

ジャズという音楽は、いわばもう古典に近いジャンルの音楽であり、新しいものがどんどんと生み出されている世界の音楽ではない。

僕が常々思っているジャズのクラッシック化というヤツで、ジャズももう半分クラシカルな音楽になりつつあり、古きよきアメリカの黒人のブルースから派生した、1950年代に全盛を極めたジャンルの民族音楽だという解釈をしている。

ここ20年、ジャズは世界的に大ヒットするような新曲が出たわけでもないし、我々の世代に至っては

スタンダードジャズを趣味で聴く人はほとんどいない。

そんな状況の中、ジャズミュージシャンとして食べていこうとする人たちばかりが増えていき、聴こうとするリスナーはどんどん減っている状態。

先日も、かなり有名なプロがライブをしたらしいが、3人のミュージシャンに対して、お客さんは4人。

こういう状態では、ミュージシャン自らがじっと客が来るのを待っていないで、徹底した集客をする必要が出てくる。

じっと待っている状態で、お客さんが満員になる時代ではないし、そういう状態を維持できているブランドのある演奏家は、ほんの一握りに過ぎない。

いわば道楽商売のジャンルになってしまっており、ちょうど食えない劇団員レベルの収入しか入らないマーケットになっている。

この道でプロを目指すなどということは、僕は絶対に嫌なので、ネットビジネスに取り組む傍ら、趣味でピアノを弾くことを決め、趣味の範囲を出ない活動をしているが

これからジャズミュージシャンを目指し、演奏家で食いたいと思っている人には、ぜひとも聞いて欲しいことがある。

多分これから20年も経てば、演奏活動がまともにできるジャズミュージシャンは、今の3分の1くらいになるだろうと思う。

そしてジャズを演奏できるバーやライブハウスも、半分以下になる可能性が高い。

そうなった時でも、生き残っていける人は、独自の世界をジャズというジャンルで構築している人だと僕は思う。

どんな世界でもそうだが、人と同じこと、似たようなことをやっていると、マーケットが飽和する運命にある。

独自の世界を持ち、それを表現し、自分をブランディングして

「あの人だから聴きに行きたい!」という人をたくさん作って欲しい。

そしてよそでは絶対に聴けないようなサウンドを提供して欲しい。

滅多やたらの早弾き。
ジャズの巨匠のモノマネ。

では生き残っていくことはかなり難しい。

とにかく人と違うことをして欲しいのである。

僕も趣味ながら、ジャズという音楽に縁があって取り組んだ以上、人と違うことをしていきたいと思っている。

ピアノは自分を表現するもの。
ならば

みんなと同じ。
よその人にそっくり。

という結果にはならないはずだと思うのだが。。

いかがなものでしょうか?




2008/10/21       自分の演奏を聴いて どう思いますか?

ジャズのジャムセッションに通っていると、いろんな人との出会いがある。

中でも、「ジャムセッションの鬼」と呼ばれている男性が奈良にいる。

彼はギタリストなんだが、ギターのレパートリーはなんと2000曲!!

今すぐにでもプロになれるのではないか?というくらいの腕前で、ベースも弾けるし、ドラムもうまいし、なんとピアノもきれいなタッチでアドリブができる。

どんな楽器でも弾きこなせる彼を最初に見た時、「何者なんだ!?」と衝撃を受けたものである。

彼を見ていると、ピアノだけにかじりついている自分が一瞬バカらしくさえ思えたものである。

彼は全国各地のジャズバーで開催されているジャムセッションを渡り歩き、地方の雰囲気、民度みたいなものを感じ取ることを趣味としているらしい。

見た感じは非常に穏やかで、口数も少ないが、先日彼がこんなことを言ってくれた。

「人が自分の演奏を聴いてどう思うか?よりも、自分が自分の演奏を聴いてどう思うか?その方が大切」

最近、自分のピアノに行き詰まりを感じていた僕にとっては、とても嬉しい発見だった。

それまで僕は、「人が聞いてどう思うか?」ということばかりに捉われていたところがあった。

しかし、一番大切にすべきものは

「自分で自分の演奏を聴いてどう思うか?」だと再認識した次第である。

こういう発想から自分の演奏を考えると

「自分が弾いて、聴いて心地いい音とはどういうものなのか?」

ということを自然と追求していくようになる。

そんな「音の旅」をしている方が、ヒトサマがいいと思ったものを必死にマネしているよりはずっと身になるし、何より演奏していて楽しいものである。

自分で自分の演奏を聴いてどう思うか?

その感受性は、これからも大切にしていきたいと思っている。





2008/10/16       新しいフレーズをどうやって増やすか?

新しいアドリブフレーズを増やしていく方法を考えた時

僕の場合は絶対音感がないので、ササッとコピーすることができないので、コピー譜などに頼ったり、お気に入りのミュージシャンのカッコイイ部分をマネするところから入っていこうかと考えている。

今まで、正式に完全に採譜するようにコピーしたことがない。

相対音感も実に適当なので、音をとろうと思っても、なかなかとれないからである。

もう1つ、重要な問題がある。

音をとったとしても、どのコードが飛んでも来ても、どのキーでも、それが弾けるようになるまで訓練して、どこに行ってもそれが出てくるようになるまで弾きこまないと、フレーズは自分のものにはできない。

コピーをしまくっても、使えないフレーズが山盛りになってしまえば、意味がないわけである。

ということで、耳が弱い僕としては、まずはコピーは楽譜からとることにしようと思う。

そして次は使えるフレーズになるまで、徹底的にいろんなキーで練習して、手に覚えさせるまで頑張り続ける。

そして最後はいろんな曲で弾けるようになるまで訓練する。

この方法で、今までのワンパターンなアドリブからはある程度抜け出すことができると思う。

ただ、これも「賞味期限」があり、新しく覚えたアドリブを何度もやっていると、また新しいフレーズのワンパターン化になってしまうので

また次に新しいフレーズをとることになる。

この繰り返しをしていけば、かなり引き出しの多いアドリブになる可能性があるように思う。

今年一杯は、ライブ活動もあるが、その作業にも専念してみようかと考えている。





2008/10/15       進歩 上達のサイン

ピアノを長く続けていると、ある時期はすごく停滞し、ある時期に一気に伸びることがある。

それには「キッカケ」が必要になる。

そのキッカケとは、たいてい、自分がヘタクソだと心の底から痛感した時。

「ああ〜もうこのままの練習方法をとっていたのでは、死ぬまで上達などせんな」としみじみ感じ入った時、である。

あなたにはそういうことはなかっただろうか?

僕も何度か、そういう悔しい想いをして、頑張って上達してきたような気がする。

クラッシックを習っていた時もそれがあったし、ジャズをやり始めてからもそういうことがあった。

でもジャズを始めてからは、あまりそこまで「心底うまくなりたい」と思ったことは1回か2回くらいしかなかった。

しかし今回はちょっといや、そうとう本気でうまくなりたいと心から思った。

今までの自分はどこかで

「これでええんや」と思っているところがあった。

しかし今回は

「このままではあかんな ほんまに」と心から思うことがあった。

やれるだけのことはやってみよう。




2008/10/7       W流 ゴミ ジャズ ピアニストのたわごと

音楽だけで生活している人と同じ舞台に立って、ピアノを弾いてギャラをもらったり

プロが練習しに来ているセッションに混じって、僕は今日もヘタなピアノを弾いている。

19歳で楽譜も読めず、両手ですら弾けなかったあの頃を思うと、隔世の感がある。

そしてプロと比較され、コキおろされる。
まぁ、相手にされないよりは幸せというものかもしれない。

あちらさんは、それで生活していくために、3歳や5歳からピアノを始め、今もって朝から晩までピアノを弾いているので

19歳ではじめて、生死がかかったような自営業を真剣にやる傍ら、適当にピアノを弾いて、30歳を越えて真剣モードになったアマと比べるのは無理があるが、それでもそういう厳しい環境でピアノを弾いている自分に満足感がある。

今行っているジャズバーのセッションでは、ジャズバーのオヤジから僕のピアノはクソミソに言われる。

「なんか毎回おんなじことばっかりしてんなぁ」

「あの若い女の子に習ったら?その方が上達早いで」

「もう聞くのしんどい」

などなど。。。。

ジャズバーのオヤジはプロのミュージシャンである。

僕がいかに適当なピアノを弾いているかお見通しというわけである。

それでも10歳は年下のプロたちに混じって、ピアノを弾いている自分が楽しい。

なんとかうまくなれないものかと考え、弾いているこの環境が楽しいのである。

そういえば、大阪のライブハウスに出た時、リハーサルでベーシストの生意気なクソガキに

「ベースの音きいてんの!」とすごまれたこともある。

でも本音を言えば(プロの人怒らんといてね)

「アマの僕と一緒にやるような人でアンタはええんかいな?」といつも思うし

「適当なピアノしか弾けない、ゴミピアニストと一緒に練習して、いい気になっているあなたたちは、恥ずかしいとは思わんかいな。」

と思うこともあるが、この世界で楽しくやるには、こういう批判精神もないと、いい子、いいオッサンを気取っていると、奴らにやられてしまいそうで怖い。苦笑

まぁ、そんなこんなで、今週も1回のセッションと、1回のライブに出かける。

またヘタクソ!もう聞くのしんどいと言われながら。。。




2008/10/3        課題発見

最近も相変わらず、忙しい時間の合間をぬって、ジャズのセッションに参加したり、ライブをさせてもらったりしている。

その中で気づいたことがたくさんあった。

ようやく「自分の欠点」がしっかりと分かるようになったのである。

自分ではある程度できているつもりだと思っていたのに、実際にやってみると、全然てきていないことが多かったり、まだまだの段階で止まっていることもある。

アドリブのフレーズもワンパターン化してしまっており、これから新しいフレーズを作曲していく方向で頑張ってみようと思っている。

多くのジャズ仲間に囲まれながら、楽しくセッションをしている中で発見した欠点。

これは大切にしなければならない。

自分の欠点が分かるようになると、確実に上達する。

逆に自分の欠点が分かっていないと、どこをなおしていいか分からないので、努力のしがいがない。

僕の今後の課題として

「もっと華やかな演奏ができること」
「フレーズの引き出しをもっとたくさん増やしていくこと」
「他の楽器との掛け合いをもっともっと上手になること」

そして最後に

「場慣れ」をすることである。

やはりピアノ音楽は、ジャンル問わず、時間と経験、練習が必要になる。

まだまだこれから頑張れることがたくさんある。

それが分かっているだけでも幸せだなと思った。




2008/9/16        練習曲あれこれ

指の練習はハノンだけしていればいいのか?
よく悩むことがある。

ジャズピアノをやっている人は
「ハノンだけしていればいい」という人が結構いるし、ハノンだけでも攻略するのはとても難しい。

しかし、ツェルニーのエチュードで得られる技術は、ハノンで得ることができない、また特別なものがある。

これが演奏に生きるようになったら最高だと思うのだが。。。

ツェルニーは譜読みが弱い僕としては、練習に非常に時間がかかってしまう。

ツェルニーに真剣に取り組んでいたら、ジャズピアノの練習をする時間がなくなってしまう。

ということで今はもっぱら、ハノンの30番あたりを繰り返し練習していることが多い。

ゆくゆくは、30番から39番までをマスターしていきたいと思っているが、やはりハノンもしっかりと弾くには難しいものだなと痛感することがある。

指は動かないより、動くに越したことはない。

特にジャズピアノの場合、即興が主なため、指が動かないので弾けないフレーズがたくさん出てくると、上達にストップがかかってしまうことが多々ある。

今のところ、僕の結論としては

他のエチュードで腕を磨きたいところだが、やはり譜読みの楽なハノンで、徹底的に指を強くし、この教材を活用しまくる。

という方針で頑張っている。




2008/9/14        ジャズピアノに挫折する人の特徴

某、有名音大のジャズ課を卒業した女性ピアニストとお話したことがあるが

聞いてみると、意外にも「どうしても即興演奏ができなくてやめていく人が多い」というのである。

これはかなり意外だった。
ジャズを目指してそれ専門の大学にまで入ったのにアドリブができないで、やめていく。

なんでだろうか?

と考えたが、最近ジャズピアノ特有の即興演奏ができる人と、なかなかできない人、あるいはできないまま終わっていく人の違いが分かるようになった。

できない人、なかなか上達しない人は

「頭で音楽を考えすぎている」傾向がある。

完璧に理屈を理解してから先に進もうとするから、全くわからなくなる。
そして自分にはできないと諦めるケースが結構多い。

完璧にジャズの理屈など理解できる人は、多分日本にはそう多くはいない。
それを素人が無理して分かろうとするからダメになってしまうのである。

なんとなく、適当に、ある程度理屈が分かったから、そういうものだと思って弾いてみたらうまくできるようになった。

そんな人がジャズの世界では生き残っている。

ジャズに挫折する「頭の固い人」がなぜそんなに多いのか?

やはりクラッシックで、徹底的に頭から考える音楽を叩き込まれている影響は大だなと思った。

しかし、クラッシックも最終的には心や感覚で弾くものだと思っている。
もちろん即興演奏などしてはいけないと思うが、譜面に忠実に再現していくものの、最終的に表現するものは、感覚だったり、自分の内面的な世界だったり、音に対する感覚だったりするものである。

いい意味でいい加減で適当な人ほど上達しているのがジャズの世界。

ジャズの世界では「完璧」という概念は捨て去った方がいいかもしれない。




2008/9/11        反省しすぎないことも、時には大切?        

人前で演奏した際、僕は大抵落ち込む。

「こんな演奏でよかったのだろうか?」
「直すべき点はなかったのだろうか?」

などなど色々と思い悩むタイプである。

しかし、Ha君というピアニストがいるのだが、この青年、あちこちでピアノの仕事を精力的にとってきて、ライブ活動や演奏活動、それからジャズピアノの講師までしているのだが

演奏後、反省しているのを見たことがない。

「まぁ、自分のレベルではこんなもんでしょう」とケロッとしている。

実はこういうタフな精神、ある意味無神経くらいな状態で

「今の自分にはこの程度のことしかできませんよ」という状態で挑んでいくのは、悪い方法ではないと思った。

というのも、反省ばかりし、落ち込んでばかりいると、ピアノを弾くエネルギーが吸い取られるから。

自分の演奏はまだまだだと思っているが、あまり過度に自分の演奏を卑下したり、自分の演奏のいけないところにばかり注視して落ち込むよりは

そのまま突っ走ることも時には大切だと思うようになった。

実践することによって技術は磨かれる。だから余計に落ち込んでいる暇があれば、練習してまた実践すればいいだけのことだと思うようになった。

反省しすぎていいことはあまりない。

そう思う昨今である。




2008/9/5        33歳でもバリバリ上達する快感          

今年の一月から、ジャズのセッションに月2回ペースで通うようになり

今は月に7〜8回通っている。
近所のバーセカンドというジャズバーのセッションには、ほぼ毎週顔出して、顔なじみで一杯になった。

ジャズバーのセッションでうまい人たちからいい刺激をもらい、頑張って練習し、基礎固めをするようになり、音色やリズムをいろんな角度から考え、音楽性についても深く考えるようになった。

そうやって努力しているうちに、かなり上達したなと思える自分に出会うことがある。

いつもいろんなコラムに毒々しいことを書いてはいるが、元来素直な性格で、傲慢になり、偏屈になるのを嫌うところがあり、なんでもとりあえず、言われたことをやってから考え、いいと思ったことはなんでも愚直にやるところがあり

間違っても、「それはオレのスタイルではない」などと頑固にはならないようにしている。

そうすると、いろんなことが吸収できるので、上達するスピードも早くなる。

なんでも一応試してみるクセがあるので、それでいいと思ったものを残し、よくないと思ったものは切り捨てていく作業をしているので、自分にとっても最も聴き心地のいいところをとるようにする。

そうすれば、33歳でもびっくりするほど短期間で進歩することがある。

柔軟な頭と心は、いつの時代でも必要なものだなと思った。

これは自分のスタイルではない。
私はそういうのは嫌いだからやらない。
ここを目指していきたいので他は見ない。

あまりこういう傾向が強すぎると、自分の潜在能力が発揮できないまま、終わってしまうことが多いので、気をつけるようにしている。

また、人の意見に素直に耳を傾けると、そこには素晴らしい上達のヒントが隠されていることがある。




2008/9/1         ライブをたくさん経験してみて分かったこと

たくさんでもないが、8本くらいのジャズライブを経験させてもらった。

今までで、もらったギャラの合計は、5200円。

プロの演奏者と一緒に出演したこともあったが、ギャラは僕とプロの彼も同額だった。

あらためて、ジャズミュージシャンのギャラを知って、ひっくり返りそうになったものである。

「ええ〜!!こんなに少ないの!!」と。

しかも僕のやったライブのお客さんは知り合いが7割ときているから、これで食うのはものすごく大変なことなんだなということをあらためて知った。

しかし!である。

ビジネスという視点から考えてみると、決まったジャズライブハウスに雇ってもらう、出演させてもらうことばかり考えていると、このような金額になってしまうが

自分の持っている実力をもっと別の方向で発揮することはできないものか?と思った。

たとえば雇われること、出させてもらうことばかり考える発想から少し離れ、自分から進んでイベントを企画したり、より利益率の高いようなコンサートを企画したり

そういうことができる、あるいはやっているミュージシャンは、十分に「食えている」

言葉は悪いが、ジャズの巨匠のコピー品みたいなピアノを弾きまくり、老舗のジャズバーに出させてもらうことに全力になり、それで生活していこうというのは、時代の流れに逆行する形となり

飛びぬけて天才的にうまい人以外は淘汰されていく運命にあるのが、今の日本におけるジャズに残されたミュージックマーケットということができる。

ジャズミュージシャンも自営業であり、芸術家であり、ビジネスマン、ビジネスウーマンである以上

先行投資や広告、インターネットなどの新しいツールを使いこなした積極的なアプローチというものが必要になってきた時代だと思う。

うまい!というだけでは通用しなくなった。

これはどこの業界でも「できる」だけではやがて食えなくなる運命にあるのと同じように、そこにプラスアルファの努力と独創性が必要になってくるのではないかと思っている。




2008/8/12       上昇志向が邪魔をする時

ピアノは上昇志向を持って、情熱的に取り組まないとなかなかうまくならない。

それに多大な練習量と、膨大な年月も要する。

しかし最近、上昇志向一辺倒でピアノを弾きつづけることは、ちょっと面白くないなと思うようになった。

それは人の演奏を聞いてみるとすごくよく分かる。

楽しく演奏しようという気持ちでピアノを弾いている人には、自然と拍手を送りたくなる。それに、また聴きたいという気持ちにさせられる。

しかし、上昇志向一辺倒で「うまくならねば うまくやらねば」と必死すぎるピアノを弾いている人には、拍手をしたいという気持ちがあまり起こらない。

堅苦しい雰囲気が演奏に出てしまい、その場の雰囲気も堅苦しくなってしまうのである。

特にうまくなればなるほど、これは顕著に出てしまう。

ジャズの世界に片足を踏み入れていると、いろんなピアニストに出会う。

その中で

■なぜかあまりうまいと思えないのに、結構ピアニストとしての仕事がある人



■ものすごくうまいのに、そんなにピアニストとしての仕事がない人

がいる。

その違いはなんなのか?と考えていた。

そんなにうまくないのに仕事がある人は、ピアノを弾いている表情に常に余裕があり、今の自分にできることをしようという雰囲気がある。
だから、こちらも余裕を持って聞けるし、楽しく聞ける。

しかし上昇志向が強すぎ、すごい演奏家になってやろうと意気込みすぎている人の演奏は、表情がひたすらに険しく、必死にうまく弾こうとし、自分にできること以上のこともやりたい!とばかりに前かがみになりがちで、そのオーラに圧倒されて引いてしまうことがある。

例えが適当かどうか分からないが、押し売りする店員には引いてしまうが、買ってくれても買ってくれなくても、こちらは構いませんよという雰囲気で、余裕を持って立っている店員から物を買ってしまうのによく似ている、といった感じだろうか?

うまいかへたかどちらがいいか?と問われれば、そりゃ果てしなくうまいに越したことはない。

このあたりの上昇志向と今の楽しむ余裕の折り合いをどうつけるか?それもピアニストの技量の一つだと思うようになった。




2008/8/7       「べからず」が多すぎるピアニストたち

ジャズでもクラッシックでも、その道で頑張っている人と話していると、ヒジョーに疲れることがある。

彼らと話しをしていると、「こうすべき」「こうしてはいけない」「これは絶対にやってはダメ!」という、べからず集が異常なほど多いのである。

リズムはこうとるべき
クラッシックの場合は、足踏みをしてカウントするべきではない
ジャズなら裏拍でリズムをとらなければならない
絶対に途中で止まってはいけない

などなど、こうしちゃいけない、ああしちゃいけないという人があまりにも多い。

僕は、もっと自由に弾いてもいいのではないかと思っている。

クラッシックのピアニストが、ジャズピアニストよろしく、左足でカンカンカンと足踏みしてカウントをとりながらピアノを弾いても、それが自分で満足できる演奏であり、人様も喜んでくれるなら、カンカンカンと足踏みをしてもいいと思っているし

途中から演奏をやり直すことも、絶対やってはいけないことだとは思わない。

ピアノを弾いている人は、幼い頃から、「これはしてはいけない」というべからず集を先生から叩き込まれているため、どうしても、あれはしてはいけない、これもしてはいけない。

と頭が固いような気がする。

極端な話し、後ろを向いてピアノを弾いても、それが素晴らしい演奏ならば、それもまたよしだと思っているし

ジャズピアノでは、アドリブの音数を減らすべきといわれるが、音をつめまくって、マシンガンみたいに弾いても素晴らしい演奏ができるし

たまにおかしな、彼らの言う、「絶対にやってはいけないリズム」で弾くことで、かえって面白い演奏ができることだってあるかもしれない。

彼らの言う「常識」だったり、「すべきである すべきではない」をあまり信じていると、みんなが同じ演奏になってしまい、みんなが同じようなことしかできなくなる。

従って、誰がやっても結局はあまり変わらない、中途半端に面白いような面白くないような演奏になってしまう。

もっと自由にピアノを弾いてみる。

その視点は常に持っておいて損はないし、「こうするべからず」という禁じ手は、なぜ禁じ手と言われているのか?一度疑ってかかってみてもいいのではないかと思う。

結局、素晴らしいピアニストと呼ばれる人たちは、ジャンルを問わず、往々にして「掟破り」なことをするものである。

彼らの精神から学べることはたくさんありそうだ。




2008/8/2       焦り

ピアノがうまい人たちに囲まれていると、焦ることがある。

「どうして自分にはあの程度のこともできないのだろうか?」

「あの人のああいう部分ができない自分は、今後も大したことがない」

などと人と比較して、早くそこにたどり着こうと必死に焦ることがある。

最近はほとんど毎週どこかのセッションでピアノを弾いているので、うまい人から地道に学び、それをモノにしていくには、それ相応の年月がかかるということが身にしみて分かったので

以前のように、「一日10時間練習して、人の3倍進歩してやろう」などという、バカなことは考えなくなった。

前にも書いたが、楽器の上達にはそれ相応の練習量プラス、時間がかかるからである。

周囲にうまい人がいて、自分も早くああいう状況にならなければ!と必死に焦っている人のピアノに対する取り組み方を見ていると

華やかな舞台を夢見すぎるあまり、大切なところをすっ飛ばしてしまう傾向が強いように思う。

たとえば指がまわらないのに、ロマン派のものすごく難しい曲を無理矢理弾こうとして、ミスタッチのオンパレードだったり

ジャズの世界なら、理論をぶっ飛ばして適当に不協和音を羅列してしまったり。。。

こういう焦りがあるという背景には

「上達するには、練習量プラス時間がかかる」という認識がない場合が多い。

練習量さえ確保できれば、後はなんとでもなると思っている。

しかし、一日10時間練習したところで、収穫できるものは少ないもので、実は休んでいる間にあたためられるもの、熟成されていくものも多く、そこを見逃すことはできないのである。

人よりうまくなってやろうという野心は結構だし、自分も持っていたいと思うが、そこに焦りが介入すると、色々と厄介な問題が起こる。

少なくともうまくなれる可能性が減ってしまう。

僕はジャズピアノに取り組んでいるが、セッションなどに参加してとことん腕を磨かないと、うまくならないということが分かったので

一ヶ月に6回も7回もセッションに参加するようにしている。

時間と練習、そして経験がプラスされないと、ピアノはなかなか上達しない。

焦ってもしょうがないというより、焦ることで見落としてしまうことが多く、結果として

しょうがないというより、焦りは禁物だなと思うことがピアノにおいては多々ある。




2008/7/28       これから音楽で成功していきたい人へ

広告関係の自営業を営んでいると分かるのだが

「自分が今取り組んでいることは、将来どれくらいの人が必要としてくれるのだろうか?
また、自分が頑張った結果、音楽で生活することができるのだろうか?」

ということはよくよく、考えておく必要がある。

芸術も仕事にするなら、ビジネスである。

ビジネスである以上、それを必要としてくれる「マーケット」が存在している必要があり、そのマーケットがどこにあるのか「リサーチ」しなければならない。

そしてそれがある程度分かるようになれば、次の段階では

「どの場所に自分の持っているものを売り込んでいけばいいのか?」考え、セールス活動をしなければならない。

楽器をしている人、音楽に取り組んでプロを目指している人は、往々にして

「うまけりゃいいだろう」
「独創的であれば、人から声がかかるだろう」

と、練習は一生懸命するものの、ビジネスという観点から見れば、極めて受身でいい加減な姿勢で取り組んでいる人が実に多い。

その結果腕がよくても、独創的でも、貧乏に泣き、音楽をやっていることで自分を苦しめてしまう人がたくさんいる。

音楽もお金をもらう以上ビジネスである。

従って、ミュージックマーケットをリサーチし、徹底的に商売についても学ぶ必要がある。

そこをおさえておかないと、毎度赤字を出しながら「オレのよさなんて誰もわかっちゃあいない!」と怒り心頭するだけの演奏家、音楽家になってしまう。

もしこれから先、音楽活動で成功したいと思う方がこれを読んでおられるのなら、マーケットリサーチを徹底していただきたい。

これをやらないミュージシャンがあまりにも多いから、ごく少数の「やった人」が成功しているという事実がある。




2008/7/24       後2年くらいかかなるなぁ〜

とある有名なジャズベーシストが、なぜか名前を変えて、三流のバーでギターを弾くようになった。

彼は元々ベースも弾けるが、ギターも弾きたかったらしい。
しかし、ベーシストとしては、かなり有名な人だから、名前を変えてこっそり三流バーでギターを弾いている。

そのギターは、話しによるとあまりうまいものではなく、ザ・初心者のレベルでなんとか舞台にあがっているとのこと。

その心意気に感動したものだが

彼とギターの話しをしていると

「まともに弾けるようになるには、後2年くらいはかかるなぁ〜」という話しをしていた。

彼はベーシストとして有名であり、それ一本で生活し、奥さんと子供も養っているという、関西ではトップクラスの演奏家なだけに

「楽器をはじめたら、それを習得するのにどれくらいの時間がかかるのか?」が前もって予測できるのである。

これは話しを聞いていて結構新鮮だった。

みなさんは今、自分が弾いておられるピアノが、目標としているところにまで達するのに、後何年くらいかかるか?年数で予測できるだろうか?

もしできるとしたら、それはかなり幸せで焦りのない楽しいピアノ生活に違いない。

僕は正直、自分が弾きたいと思っているところまで到達する、正確な年数というものが把握できない。

40歳くらいまで後7年がんばったら、なんとかなるかもしれない。。。くらいの感覚である。

やっぱりこういうものも、経験なんだなと思った。

楽器に触れ、楽器を演奏し、練習し、上達するにはやはり練習量プラス、それ相応の時間がかかるということは、あらためて心得ておく必要があると思った。

僕は楽器の演奏に関しては凡才だが、凡才なりに目指しているところまで後何年かかるかが、見えてくるようなピアノ弾きになりたいと思った。




2008/7/21       ピアノはやっぱり芸術だと思った

昔ついていたクラッシックのピアノ教師が僕にこう言ったことがある。

「私はピアノという芸術は、ピアノを弾いてさえすればいいと思っているの」と、、

当時23歳だった僕は、内心

「いやいや、ピアノを弾くにはすごい技術がいるんでしょうが、それだけしていたからと言って、素晴らしい演奏なんてできんでしょう」

と反発したものだった。

これには賛否両論ある。

ピアノで生活している人の中にも、「演奏家はピアノさえ弾いていれば、後はどうでもよい」というタイプの人がいることはいる。

しかし、僕はこういうタイプの人の演奏を聴けば、一発で

「ああ〜そういう人なんだな、あんまり聴く気がしないな」と思ってしまうのである。

人生ピアノだけがすべてではない。
一日8時間練習したとしても、ピアノだけがすべての人生など存在しない。

喜怒哀楽の感情がある、生身の人間なのである。

美しいものを見て、美しい一時を味わい、素晴らしい世界を見、時には汚れた世界や人間の憎悪の感情を敏感に感じ取り、人生そのものを芸術的に生きようとするような人が演奏するようなピアノを愛していたい。

自分も含めてのことだが、ピアニストは細かいところにこだわりすぎる傾向がある。

全体を通じてどういう世界を表現できるか?

それをもっと大切にすべきだし、個人的な意見からすれば、ピアノさえ弾いていればそれでいいというような演奏をするような人など、演奏家でもなければ芸術家でもない。

ただの88個の音の鳴るパズルを止まらず操作している「曲芸師」以上のものではないと思っている。

曲芸師には曲芸師なりの生き方、表現の仕方がある。

それもまた芸術であるが、曲芸師の位置にいながら大上段に芸術家を気取っている人たちは、どうも生理的に受け付けない自分がいる。




2008/7/20       音楽の世界って。。。

いつもいくジャムセッションのホストで、アマチュアのピアニストでHat君(仮名)という人がいる。

彼はジャズピアノをはじめた年月が浅いにも関わらず、あちこちで演奏活動をし、バーでセッションの司会までやっている。

大したものだといつも感心し、彼のピアノから学ぶことは多い。

そんな彼と先日「演奏家のギャラ」の話しをしていたところ。

僕が「頑張って頑張って、月10万あるかないかの世界なんやってなぁ」と言うと

Hat君は「ええ!10万も儲けられるんですか!?」

という答えが帰って来たのにはビックリした。

Hat君は昼間は楽器店で仕事をし、夜はピアニスト活動をしているので、定収入があり、お金にも困っておらず、楽しくピアノを弾いている。

そんな彼が、仕事が終わってから演奏活動をしても、ほとんど儲けがないとのこと。

それを別のピアニストに聴くと

「う〜ん ライブ活動の収支なんて、プラスマイナスゼロくらいやね」という答えも帰って来た。

実際僕も大阪のバーで弾いた時にもらったギャラは2000円。
駐車場代1800円を支払って、残金200円。ガソリン代をプラスしたら確実に赤字。

僕はこの世界で儲けたいとは思っていないし、そんな器でもないし、第一貧乏が大嫌いなのでやりたいとは思わないが、この世界の中で、演奏活動だけで食べようと競争しまくっている演奏家がかなりいる。

プラス演奏がうまいだけではなく、トークも上手で愛嬌があり、華と呼べるようなアイドル性もなければいけない。ただうまい、ただちゃんと弾けるだけでは通用する世界ではない。

相当有名になり、自分というブランドが出来、ある一定の評価を得て、ライブやコンサートをする際、集客なしでもお客さんが来るほどになるには、ものすごい遠い道のりと、ものすごい努力がいる。

多分、一般的なサラリーマンクラスをピアノ演奏だけで儲けようとすれば、もうその時はラジオかテレビに出ており、CDの1枚や2枚は大手のレコード会社から出ている頃の話になるだろう。

演奏活動だけでご飯を食べていくのは、こんなにも大変なことなのか!と思ったのと同時に、ミュージックマーケットという視点から見れば、確実に生演奏のジャンルは、世の中から必要とされなくなっていることがうかがえる。

結論から言うと、演奏活動は貧乏をしてでもやりたい!という、ものすごい気概と愛着がなければ、これからの時代、続けることは難しいのではないか?としみじみ思った。




2008/7/17      目指す方向が同じだと、同じ音楽になってしまう

ジャズというと、ボストンに有名なバークリー音楽大学というところがある。

国内にもジャズを専門に教えている大学が数箇所あり、専門学校もたくさん存在している。

講師は大方、その道の達人と呼ばれる演奏家で、そこでジャズを学び、そこを起点としてプロになろうとする。

するとどういう現象が起きるか?

みんなそれほど変わらないフレーズ、それほど変わらない技術、それほど変わらないメンタリティーでジャズというものを極めようとする。

聴いているCDは、ほとんど黒人のジャズの巨匠のものばかり。

すると、最終的に行き着くところは、巨匠のモノマネプラス、ちょっとした自分色というところにとどまってしまう。

それが一生をかけてやりたい事ならいいが、僕はそうは思わない。

ジャズというと、日本人はひたすら黒人の真似をすることに必死になるが、実は日本の演奏家の中には、日本独自の情緒あふれるピアノを弾く演奏家がたくさんいることに気づく。

僕はむしろ彼らの演奏をたくさん聴き、自分の中に取り入れていきたいと思っている。

毎日10時間もの練習時間を投資した対価が、黒人のモノマネ以上のものにならないというのは、やはりちょっと悲しい。

同じ時間を使うなら、もっと別のところに時間を使ってみたい。

100円均一で売られている、日本の動揺や民謡をジャズにアレンジしているCDがある。

このピアニストは日本人だと思うが、実に情緒あふれる素晴らしいピアノを弾いてくれる。

コッテコテの黒人のモノマネばかりをしていると、会ったことがないピアニストとも似たような演奏になる。

むしろこれからの時代、ジャズに関しては、本当に独自でうまくなりたいと思うのであれば、音楽学校などで通りいっぺんの勉強をしていくより、独自の方向性を模索した方がいいのではないか?と思うようになった。




2008/7/15       ジャズピアノに頂点なし

ジャズピアノに頂点なるものは存在しないと思っている。

もしあるとすれば、ジャズというジャンルの中で新しい風を吹き込み、従来のジャズのスタイルを根底から覆すような、斬新な音楽を創造した人しかいないと思っている。

結果的に自分が作ったわけではない曲を(オリジナルでもどこかで聞いたことがあるパッとしない曲を)、瞬時にアレンジし、そしてアドリブでドラマを作り、テーマでしめくくるという、一連のラインをずっと続けている限り、テクニックや解釈、表現力を争うような格好になり

ジャズもクラッシックの世界とほとんど変わらなくなる。

クラッシックの世界では、まず曲に対する解釈ありき。。みたいなところがあるが、ジャズには曲の解釈という概念が薄い。

本当なら一曲一曲、魂をこめて解釈し、自分なりに表現したいと思っているのだが、みんなと一緒に出来る世界なのか?と問われれば、ものすごく特殊な人を集めてやらないとかなり難しい。

セッションで知り合ったあいつを超えてやる!という意気込みも、結局は

テクニック
アンサンブルの掛け合い
洗練具合
レパートリーの多さ

ということになる。

またクラッシックよりも大きく演奏のスタイルを変えられるため、好みの部分でも、誰よりうまいとか、誰よりヘタだというランクがつけにくい。

そういう意味では、やはり自分としては楽しくひたすらやりたいようにやって遊ぶジャンルの音楽なんだなぁ〜という認識を新たにした。

ちょっと冷めた見方かもしれないが、ジャズの巨匠のように弾けるようになるために、必死に毎日7時間練習することにあまり意味を感じない。

こう思うキッカケになったのは、とあるジャズバーのマスターと、関西でものすごくうまいピアニストの話しをしていた時、彼が

「あんな人の演奏を生で聴くくらいやったら、黒人のCD聴いてる方が安上がりや」という話しを耳にして以来のこと。

この話しをしたのは、もう8年くらい前のことだが、それで自分の中のジャズに対する情熱みたいなものが引いてしまったのを記憶している。

僕にとってジャズという音楽は、クラッシックより気楽にできて楽しく、また感性に合っているということが中心になっているんだなということを再認識した。

色々冷めたことを書いたが、それでもやっていてこれほど楽しい音楽はないと思っている。




2008/7/13       礼儀知らず

一ヶ月前くらいのこと。

その日初めてお会いしたベーシストと一緒に演奏していたら、いきなり演奏を止められて

「ちょっと!ベース聴いてんの!?」と、すごまれた。

確かに彼は、ベース一本で生活している故、シロウトの僕がヘタなのが頭にきたのは分からないでもないが、初対面でまだ会って10分経たないような人間に、タメ口で文句をつけられ

こいつの頭の中は一体どうなってるんや!?とひどく立腹した。

その後、「いくら僕がヘタだからといって、ああいう言い方はないと思いますよ」とメールしておくと、携帯メールに夜中の2時に

「すんませんでした」とメールがきた。

非常識にもほどがある。

確かにベースラインをしっかり聴いていなかった僕が悪いのだが、初対面で会って10分もしない人間をにらみつけ、タメ口をきけるような人間というのは、僕にはおおよそ理解できない種類の人間である。

こういうことを言うと

「いいこと言ってもらったんだから感謝すべき」
「そんなに気にすることない」

という人がいるが、僕は非常に気になった。

僕はジャズピアノがうまくないが、一緒にやる人の中にはもっとヘタな人もいる。
しかし、その人に初対面でタメ口でチンピラヤクザのように因縁などつけたりしない。

みんな頑張ってそこまで来たのである。
もちろん好きでヘタでもない。

そのベーシストだって、何もできなかった時代があったろうに。

しかし、初対面で人に因縁をつけるような物の言い方しかできない失礼な人間と、非常識な人間に囲まれ、それが当たり前になってしまい、自分もその汚染された人間関係と環境にそまってしまうのは、お客相手に商売をしている演奏家としては感心できない。

僕は芸術畑を歩んでいるからといって、非常識なこと、人に平気で失礼なことをしてしまうことを

「オレたちの自己主張だぜ!」というような風潮は、絶対に認めない。

これから先もいろんなことがあると思うが、失礼な奴には、それがたとえ自分より演奏技術が高い人であろうと、糾弾していこうと思っている。

実はこういうことが原因で、伸びるはずの初心者が一杯やめているという現実がある。

ちょっとできるからとイキガッテイルことには、なんの価値もないし、自分を貶めているだけのことでしかないことを、彼らは知るべきである。




2008/7/11       3日連続 ジャムセッション

7/8 7/9 7/10 と3日続けて、ジャムセッションに行ってきた。

20代のうまい人たちに囲まれ、ヒーヒー言いながらピアノを弾いてきたが、得るものは非常に多かった。

こういう場所に行くと、つくづくピアノがうまい人なんてゴロゴロいるもんだなぁと思う。

僕がこのサイトでオフ会を開催した時にもそう思ったものだが、本格的なジャズバーのセッションになると、一段とうまい人たちが多いことに気づく。

「あんなにうまく弾けて悔しいなぁ」

という気持ちを常に抱かされるが、謙虚な気持ちで彼らと話していると、彼らもすごくたくさんの努力をしていることに気づき、実に長い年月をかけて楽器に取り組んでいることがうかがい知れる。

33歳の中年が、22歳 25歳のプロに混じってピアノを弾くのは、心理的にやはり辛いし、しんどい。

年下に頭を下げて、年上の自分がヘタというのでは格好がつかないが、この際そんな邪魔なプライドは捨て去り、持つべきプライドを持つようにしようと心に決めた。

きっとこんなことができるのは、僕を含めてそう多くないに違いない。と密かに自負している。

でもこれを続けることができるようになれば、必ずうまくなる。

僕にとってピアノで自分を表現することは生きがいのひとつであり、大きな自信になっている。

もっともっとうまくなりたい場合、たくさん悔しい想いをするといい。

その想いが強ければ強いほど、ピアノに対する情熱がますます強くなり、ピアノに向かう時間が多くなり、ピアノを弾くことが楽しくなる。

今、振り返ってみれば、僕はピアノを人前で弾き、うまく弾けずにたくさんの悔しい想いをしてきた。

それがバネになって、今の自分をピアノに駆り立てているのかもしれないな。。そう思うことがよくある。




2008/7/8        40歳までの目標

金銭的、時間的余裕がこれから先も確保できるというのであれば

■40歳まで方々のジャズの飛び入りセッションに参加しまくる

ことを目標にし、自分がどこまで自分を表現し、ピアノがうまくなれるのか?試してみたい。

今33歳だから、後7年頑張れば、結構なところまで行くのではないか?と期待している。
ジャズの世界は今、下火になっているから、こういうセッションがいつまで存続してくれるのか、、と思うが、ピアノに対する明確な目標ができたので、喜んでいる。

人とのアンサンブルが上達するには、やはりものすごい回数をこなしていかないとうまくなれない。

やはりこの分野でも練習と訓練である。

基本的にジャズピアノは、1人で綺麗に弾こうと思ったら、やはりバンド経験が豊富でないと、いいピアノが弾けない場合が多く

アンサンブルで経験したリズムや雰囲気、感覚を体にしみこませる必要がある。

最近、あちこちのセッションに参加した甲斐があり、人前で演奏する際に、前よりも緊張しなくなってきた。

「とちったらどうしよう」
「止まりそうになったらどうしよう」

というプレッシャーも、人前に出てガンガン演奏していると、段々と慣れてくるものである。

20代の若い人に混じって、これからも頑張っていこうと思っている。

↑実はこれが一番エネルギーがいることなんだが。。




2008/7/8        大人になってビアノを始めたらいけないのか?

2ちゃんねるのスレッドに、大人になってピアノを始めたいんだけど。。という人の書き込みに対して

大多数の人が

「25歳からではもう無理」
「成長期にピアノを弾いていないと、モノにならない」

などという意見が大半だったので、びっくりしたことがある。

少なくとも大したことはないが、19歳でゼロからピアノをはじめ、14年かけてここまできた自分としては、一生懸命頑張れば、頑張っただけのことはある、と実体験を通して思う。

確かに成長期にたくさんの練習をした人は、技術的にも素晴らしいものを持っている人がたくさんいるし、いい耳を持っていたり、初見力が強かったりするものだが

大人からはじめても、無駄なのかと言えば、そんなことは全くない。

頑張って練習すれば、33歳になっても手はまだまだ動く。

実際今年に入って、ハノンの21番〜30番を毎日一時間くらいかけて、片手ずつ練習していると、どんどん手が動くようになってきた。

子供のやわらかい手に比べれば、同じ練習量でも、大人の方が苦労するかどうか?19歳ではじめたのでよく分からないが

少なくとも、19歳の頃と、33歳の今では同じ練習量でも、進歩の度合いは同じであり、手の訓練も19歳の頃と33歳の今では、同じ量の練習をした分だけ技術が身につく。

そりゃ確かに、クラッシックの世界ならホロヴィッツ、ジャズの世界ならピーターソンのように、ビデオを早回ししているのではないかと思うほど、強烈に速く動くことはないかもしれないが、だからと言って、ピアノが弾けないわけではないし、マシンガンみたいに弾ける人はたくさんいるが、人を感動させる心がない人も多くいる。

大人になってビアノを始めたらいけないのか?

いやいやそんなことは全くない。

むしろ大人だからこそ弾けるフレーズがあり、出せる音がある。




2008/7/7        芸術と技術

音楽をやっている人の中に「芸術家」と呼べる人は極めて少ない。
それが僕が感じた偽らざる実感である。

言い方は悪いが、音を並べて得意になり、技術を見せびらかして傲慢になり、自分の思い通りに人を操縦するために尊大な態度をとるような輩が多すぎて、うんざりすることがある。

こんなところには芸術なるものは存在しない。

程度の低いエゴイズムが、悪臭を放って拡散し、極めて質の悪い自己顕示欲がぶつかり合っているだけの話しでしかなく、芸術とはおおよそ遠い場所で、芸術をしているつもりになっている。

ピアノは88個の重たいハズルを組み立てているようなもので、あまりそれに必死になると、肝心な芸術をすることを忘れてしまうことがある。

人が聞いて鳥肌が立ち、涙を流し、生きる力を与えような、そんな音楽をしていきたいなと思った。

それには当然、ある程度の技術がいるが、それプラス、人間としての重みとやさしさがなければ芸術的な要素を発揮することができない。

僕はピアノを弾いている以上、これからもこの楽器を続けていく以上、どんな環境に置かれたとしても、このことは忘れないでおこうと思っている。

芸術には技術がいる。
しかし、人間としての重みもいる。

両方とも身につけるのは、ものすごい「練習と訓練」が必要だと思う昨今である。




2008/7/1       ライブに出てみて分かったこと。

先日、本格的なバーでライブに出てみて分かったことがたくさんあったので、それを書いてみたいと思う。

まず、僕がジャズバーやライブハウスの経営者だったり、コンサートホールの運営をしているとしたら、一体どんなお客さんに来て欲しいと思うだろうか?というところまでさかのぼって考えてみると

その1 たくさんのお客さんが来てくれて、お店を経済的に潤してくれること
その2 お客さんが自分の提供したスペースで楽しんでくれること
その3 演奏者がある程度の技術とパフォーマンスを持ち、お客さんを盛り上げてくれること

だと思った。

要するに楽器のうまいヘタより、経営者からすれば、お客さんがいかに楽しんでくれ、いいひとときを過ごすことができるか?
そしてまた来てくれるか?の方が大切なのではないかと思った。

だから経営者の立場からすれば、お客さんの笑いが絶えず、上機嫌で帰途についてくれるに越したことはない。

しかし、演奏者側の立場からすると、「うまく弾かないといけない」ということに必要以上にこだわりすぎてしまい、ギスギスした感じになることがある。

それがそのまま演奏に出てしまうと、お客さんもその雰囲気を敏感に感じ取り、なんとなくシラーッとした雰囲気になってしまう。

少なくとも人前でピアノを演奏する以上、アマでもプロでも、お客さんの前では、人を幸せにするような演奏家であるべきだと思う。

それもひとつの演奏技術だと思うのである。


難しい顔をして、ひたすらクオリティーの高い演奏を目指しすぎたために、引きつった顔で演奏したり、お客さんに

「オレたちの素晴らしい演奏を聴け!」という雰囲気を出すのは、マナー違反だと思うし、基本的にそれでお客さんは喜ばない。

相手が求めているものと、自分が求めているものをごっちゃにしては、本当の意味でのいい演奏はできないものだとしみじみ思った次第である。




2008/6/28       今の自分にできることを精一杯やる

ピアノは急にはうまくならないし、ものすごい努力と練習をしなければ上達しない。

憧れのあの人のように弾けるようになるまでには、あと何年かかるか分からない。

そんなこんなで、自分のピアノに自信をなくしたり、もう上達しないのではないか?と落ち込んだり、自分はヘタだからどうせピアノなんてやっても。。

という気持ちにかられることがある。

しかし、どんな素晴らしいピアニストでも、今日はじめたばかりのアマチュアでも、自分にあるものしか出せないのがピアノなのである。

Aという素晴らしいピアニストは、Bという素晴らしいピアニストと同じようには弾けないし、別に弾ける必要はない。

AというピアニストにはAさん独自のよさがあり、Bというピアニストには、Bさん独自の良さがある。

同様に、どんなちっぽけなものでもいいから、自分の持っているもののよさに気づくことが大切だと思うようになった。

自分は人とは違う。

だからこそできないこともあるかもしれないが、そればかりに注視するのではなく、時には自分だからこそできるかもしれないことがあることを知ることである。

そして、「今これだけしかできない」というのであれば、オドオドして表現するのではなく、「これしかできないけど、これは精一杯表現する」という、ありのままの自分を否定しないピアノを弾いて行きたいと思うようになった。




2008/6/26        自分にあるものしか出せない

人前で難しい演奏をすることになると、やはり緊張する。

しかし最近は

「今の自分にできることはすべてやったんだから、結果がどうであろうと、チャレンジしたことそのものに価値がある」

と思うようになった。

当たり前のことだが、結局ピアノは今の自分にできることしかできない。

一足飛びにすごいことができるようにはならないし、苦手だったものが一瞬で得意になることもない。

だからやれることだけ精一杯やれば、後は天か自然にでも成り行きを任せ、自分ができることだけを精一杯やればいいんだと思うようになり、余計な緊張はあまりしなくなってきたような気がする。

人前で演奏する際、自分ひとりで練習している時と比較して、6〜7くらいの実力しか出ないのが普通で、8出せれば最高だと思っている。

結局、こんなことの繰り返しの中で、苦手だったものが時間をかけて得意になり、できなかったものができるようになっていく。

大切なのはびびってもいいから、果敢にトライしていくことだと思う。

恥かくのが怖いから、、、と途中で引き返してしまえばそれまでである。





2008/6/24      人前で緊張する人 しない人

同じレベルの演奏家でも、人前で演奏する際

あまり緊張しない人
ものすごく緊張する人

の2つパターンがある。

僕は ものすごく緊張するタイプで、出番の前にリラックスしているような人を見かけると、とても羨ましく思うものだが、これも性格的なもので、どちらがよくてどちらが悪いかは、演奏次第ということだと言える。

巨匠と呼ばれる人の中にも、出番前には何も食べれず、落ち着かず舞台の袖を歩き回っている人がいるかと思えば、一方で、食事をして周囲の人と談笑している人がいる。

どちらにしても素晴らしい演奏をする演奏家には違いないのだが、自分だったら、周囲の人と談笑しているようなタイプの性質でありたいなと思う。

だってその方が気が楽だし、出番前に緊張する、あのなんとも言えない嫌な感覚をあまり味わわなくてすむだろうから。。

しかし、僕は残念ながら緊張しまくるタイプのようである。

いつも手に汗を握ってピアノに向かう。

場数を踏んでだいぶとマシにはなったものの、それでも緊張することに変わりはない。

まぁ、それも一つの自分の持っているよさだと思うようになってきた。




2008/6/23      「これやな!」と思った ピアノ上達法

ジャズのセッションに行くと、ジャズピアノを始めて3年くらいでプロになった人や、ピアノをゼロからはじめて7年くらいで、それで生活しているような人がゴロゴロいることにショックを受けたことがある。

「オレは8年もやってこれかいな」と。。

最近そのカラクリが解けたので、お話したい。

まず短期間であっという間にうまくなる人は、努力量もさることながら、もう一つ共通している事柄がある。

それは「物怖じしない」ということであった。

たとえば

「自分ごときのレベルでそんなセッションなんて行けない」
「自分のようなピアノなんて恥ずかしいから聞かせられない」

というようなことを思っていないように見える。

要するに、ヘタなままライブをしたり、コンサートに呼ばれれば二つ返事でついていく。
そして本当にヘタな演奏をして、顰蹙をかいながらもその中で鍛えられ、磨かれ上達していく。

僕は去年まで「こんな自分がジャズピアノなんて上手に弾けるはずがない」と思っていた。

セッションに参加しても、実際最初は今よりもっとヘタだった。
でもヘタでも毎回参加していると、どんどんうまくなっていった。

できないこともできるようになっていった。

物怖じしまくっていると、肝心なチャンスを逃してしまうことが多い。

弾ける場所があり、お声がかかれば、ヘタでも一生懸命練習して、どんどん出かけていくことである。仮にそこで卵が飛んできたり、罵声が飛んできたとしても、それでも続けられる人は、必ず上達していく。

この話しを書いていると、ジャズピアノの巨匠、オスカー・ピーターソンが、生まれてはじめて参加したセッションで、ピーターソンのあまりにもひどい演奏に、ドラマーから「帰れ!」と激怒された挙句、シンバルまで投げつけられた話しを思い出す。




2008/6/20       芸術として考えるピアノ

池見酉次郎 という精神医学者がいる。ネットで調べてみると、もうすでに故人になっておられるが、日本の精神医学に大きな功績を残した人として知られている。

この人が生前提唱していた事柄で感銘を受けた、人生に対する考え方は

「人生そのものを芸術として捉える」という着眼点。

音楽や絵画、陶芸等、創作活動をしている時のみが「芸術」なのではなく、生きている人生そのものすべてが「芸術」であるという発想を、彼は「人生芸術」と呼んでいた。

芸術的な人生を送るということは、何も極端にドラマチックで波乱万丈で無茶苦茶な状態のことを言うのではない。

自らの成長の過程や現在の心持ち、人間として生きていくために頑張る姿そのものが芸術であって欲しいという願いから、人生芸術という言葉を使われたのかもしれない。

ピアノで言えば、鍵盤に向かっている時だけが芸術なのではなく、人生そのものの反映として、ピアノが自己表現の一つの手段としての役割を果たしてくれるような、そんなピアノを今後は模索していきたいと考えている。

楽器をさわっていると、ついつい表面的なテクニックや技に執着してしまうところがあり、ついつい自己表現という概念を忘れてしまうことが多々ある。

わざとらしい感情移入、わけもわからないのにそれらしく弾くこと。

こういうのは、ピアノ本来の持っている醍醐味を味わい損ねているかもしれないと思うことがある。

どんなにヘタであろうとも、自分のピアノは自分の人生の反映そのものだというようなピアノを弾いてみたい。

これが僕が目指している境地である。




2008/6/18        ジャズピアノというジャンルの限界?

今年に入ってから、方々のバーのセッションに参加するようになった。

今年に入ってから、もう20回以上は参加している。

中には本物の駆け出しのプロが練習しに来ていたり、アマチュアだとは信じがたい演奏をするようなうまい人もたくさんいる。

しかし、最近実は、ジャズピアノそのものにちょっとウンザリしてきたところがある。

というのは、「うまいジャズピアノの演奏ってなんなんだろうか?」という疑問に行き着いたからである。

持ち前の音感と採譜力でもって、ジャズの巨匠のCDを聴いて聴いて聴きまくり、そして耳から鍵盤にフレーズを移し、ひとつの形を作っていく。

そしてそれがいつどの瞬間でもサッと演奏できるようになるまで、繰り返し手に覚えさせるように、必死になって練習する。

それで出来上がった演奏を聴いていると

「なんや、そのフレーズCDで聴いたことあるで」
「その部分のフレーズは、誰々さんのあのCDに入ってたなぁ」
「この人のピアノ、まんま有名な○○さんそのものやなぁ」

みたいな演奏をする人が実に多い。

芸術である以上、ジャズピアノも独創性が必要だと思う。それはどんなちっぽけなものでもいい。自分の心からにじみ出てくるものを大切にしたいと思うのである。

言葉は悪いが、巨匠のまがいものみたいなピアノを流暢に弾いて、気軽な気持ちでジャズをやり、それを自分で芸術だと呼称し、得意になってナルシー全快でいきがっている姿は、ちょっと見るに耐えないものがある。

確かに、いろんな人の演奏を参考にすることは絶対に必要だし、最初はフレーズを抜き出したり、コピーしたりすることも必要だと思う。

でも、そういう部分的なものだけではなく、巨匠のスピリット、精神性をもっと見習うべきなのではないかと思った。

小説家を例にとると、かっこいい文章、泣かせる文章、感動させる起承転結をごっそりマネしてみたところで、そんな浅はかな感覚だけでは自分がいい小説など書けるはずはない。

むしろ、その小説家の生き様、なぜそのような小説を書くに至ったか?こういうところにもっともっと着眼するのが小説家として大切な事柄のように

音楽も同様に、もっと彼らの生き様やスピリットに学びたいと思った。

人には分からなくてもいいから、自分で作っていく、考えていく力を持ち、それを形にする能力は、ピアノだけに限らず、どの芸術でも最も大切されることは当たり前。

これから先、僕はジャズピアノがもっとうまくなりたいし、きれいに弾けるようになりたい。

しかしそれは、CDから丸移しをした演奏をし「俺はうまいんだ」と言っている人とは違う方向性になるだろうと思うし、そういう方向性でピアノを考えて行きたいと思っている。




2008/6/16        今よりも3倍うまくなる方法

最近、音楽関係のイベントで走り回っていた。

気がついたら、6月に2回もライブをやることになり、8月も近所のバーに出演することになった。

19歳でピアノをはじめて苦節14年。
アマチュアピアニストとして、あちこちにピアノでライブができることを感慨深く感じると共に、本当に嬉しく思う。

この頃強く思うことの一つに

「ピアノがうまくなりたければ、ピアノがうまい人のそばにいればいい」

という教訓がある。

ピアノがうまい人のそばにいる時間を多くとり、彼らの演奏をたくさん聴くようになると、すごくいい刺激をもらうことになるからである。

時には、自分と素晴らしいピアニストとを比較して、ひどく落ち込むこともあるだろうし、自分はなんてヘタクソなんだ!とイライラすることもある。

そんな中で、気がついたら結構鍛えられている自分に出会うことがある。

「雲の上の人」のような存在の人のところに身をよせても、なかなか上達のヒントはないかもしれないが、自分より少しか、かなりうまい人で、対等の場所に出演できるような人のピアノを聴き、交流を持つと、学ぶことが大変多い。

やはりこのあたりの積極性がないままに、ピアノを弾いているより、この積極性を発揮して外に出かけた方が、同じ練習時間でも、少なくとも3倍はうまくなるし

練習意欲は5倍になる。

今、僕とは比較にならないほどうまいピアニストと接していると、彼らも同様に、うまいピアニストの元で研鑽を積み、ここまできたんだなぁということが、話しを聞いていてよく理解できる。

ジャンルを問わず、いろんな人の「うまいピアノ」を聴くこと、そして交流することは、上達には欠かせないヒントだと思うようになった。




2008/6/3        あるがままで、ピアノを弾く

楽器をやっていると、できない人が、できるフリをしてどんどんイキガって活動の幅を広げていくケースがある。

たとえば大した実力もないのに、すぐにリサイタルを開き、デカイホールを借りたけれどお客はまばらで、毎回赤字を出しているクラッシックのピアニストだったり

できもしないのに、無理してジャズのセッションでできるフリをして大恥をかいたくせに、演奏の出来がまずかったのを、全部他の演奏者のせいにして嫌われている人がいたり。。

楽譜を見ればいいものを、暗譜しているとかっこいいとばかりに、暗譜しそこなっている状態で演奏してぐちゃぐちゃになっている人。

みんなに共通していることは、今の自分の実力を正しく評価していないところにある。

音楽の世界で無理してイキガっていいことなんて何もない。

この手の人たちには、そのくらいの謙虚な気持ちで音楽に接しているくらいが丁度いいのである。

自分がどれだけの実力があるのか?は、実践してみればすぐに答えは出る。それを素直に認めることが大切。
思ったより、できないのであれば、できるように努力するしかない。間違ってもできないのに、できるフリをしていきがっていては、上達するものも上達しない。

逆に思ったよりできるのであれば、どんどん外に向いて活動をするといい。

いずれにしても、あるがままの自分を正当に評価し、その尺度を基準にして無理のない活動をしていく必要がある。

芸術なんて、等身大の自分から出てくるものが最も美しいのだから、無理していきがって出てくるものは、いやらしいものばかりである。

あるがまま、自然体で見栄を張らずにピアノを弾く。
僕はこの姿勢を一貫して貫いていきたいと思っている。




2008/5/31       すぐにうまくなる人 なかなかうまくならない人

同じ努力をしても、ある人はすぐにうまくなるし、ある人はなかなかうまくならないケースがある。

だいたい僕は後者である。

しかし、すぐにうまくなったからいいというものでもないような気がしている。
じっくり時間をかけて習得したものは、なかなか忘れず、またじっくり習得した過程で、すぐに習得できた人には経験し得ないものを持っている可能性が高いからである。

僕はジャズピアノを習って8年になる。
8年かかってようやくライブなどに呼んでもらえるようになった。ハッキリ言って相当に遅い。

しかし、自分には才能やセンスが全くないとは思っていない。

ジャズピアノを習いだしてから5年くらいは、自分でも本当にジャズがしたいかどうか分からず、かなりいい加減にピアノを弾き、あまり練習をしてこなかった。

ピアノに対しての目標もほとんどなく、適当にうまくなればいいけど。。くらいにしか考えていなかった。

そして昨年末から時間が空いたことで、一気に上達するようになったが、ある程度本気になるまでにはものすごく時間がかかったものの

その間に吸収した事はとても大きかった。

ただ指がまわればいいピアノではないことが分かったし、人に聞かせる演奏がどういうものかも理解できた。

一生懸命練習しているのに報われない演奏がどういうものかを知ったし、言葉は悪いが、あまり練習しなくても、人を泣かせるくらい素敵な演奏ができるのは、どういう要素が絡んでいるのかも理解できた。

なかなか本気にならなかった分、回り道をしながらいろんなことを学んできたような気がする。

だから、同じレベルの人と比較して、相手の方が進歩が早いからという理由で落ちこまないことが大切。

彼らが猛スピードで駆け上がっている間に、確実に「取りこぼしているもの」はたくさんある。

むしろノロイくらいのスピードで上達した方が、後々の財産になるというくらいに考えておけば、ピアノと共に生きる人生は、より豊かなものになると思っている。




2008/5/30       楽しみ6割 向上心4割 が丁度いい。

ピアノはうまくなるのに非常に時間のかかる楽器だが、焦っても焦っても、そうそうすぐに結果が出るものではない。

そこで最近思ったことなんだが

「楽しみ6割 向上心4割」くらいの割合でピアノと接するのが、僕としては丁度心地いいような気がしている。

これが楽しみ10割になってしまうと、向上心に欠けてしまう為、いつまでたってもワンパターンの同じことを繰返してしまうことになってしまう。

対して、向上心10割だと、ノイローゼになってしまい、ピアノを弾くことが苦痛になってしまう。

やはり楽しむことに重点を置きながらも、向上することは忘れないという点で

「楽しみは6割程度 向上心は4割程度」がいいのではないかと思う。

実際にピアノを弾いてみると分かるが、楽しい楽しいというだけでピアノを弾いている状態だけでは、今まで出来なかったところができるようになりにくい。

ある程度の向上心がないと、適当に楽しんでいるだけでは、その楽しみにも限界が来てしまう。

向上心を伴った練習は、苦手なところを克服したり、今まで出来なかったことをできるようにする練習のため、楽しいというよりは、どちらかというと苦痛を伴うことがままある。

こういうところもグッと我慢して練習しないと、ピアノはなかなか上達しない。

今の僕にとって、楽しみが6割 向上心が4割程度が最もいいピアノとの接し方ではないかと考えている。。




2008/5/29         エンターテイナーとしての要素

これはジャンルは問わず、どんな演奏に対しても言えることだが、聞いていて面白い演奏と、面白くない演奏がある。

それは必ずしも

「うまい=面白い」
「ヘタ=面白くない」

ということではない。

ものすごく上手な人でもひどくつまらない演奏もあれば、あまり上手でない人でも、すごく心に残るいい演奏をする人もいる。

その違いはなんなんだろうか?と考えていたのだが、ようやくいろんなピアノを聴いてみて、一つの答えが自分の中から出てきた。

それは「聴かせる技術」があるかどうか?ということである。

技術と書くと、いやらしい響きになるが、ピアノという芸術をある時は面白く、ある時は楽しく、ある時は悲しく、ある時は切なく伝えられる感情や空間を持っている人は、技術のウマヘタに限らず、聴いている人の心をしっかりとらえることができる場合が多く、結果的に聴き終わると

「いいものが聴けた」という感情を相手に与えることができ、自分も演奏をしていて楽しく感じられる。

そういったエンターテイナーとしてのピアニストの資質は一体どこから出てくるのだろうか?

やはりそれはその人の人間性にある。

面白くない人間、サービス精神がおおよそない人間、様々な感情を的確に表現できずに悶々としたり、イライラしたりする、自分をコントロールできない自律性がない人間、聴いている人をバカにしているような傲慢な人間には、芸術性の高い演奏をすることができない。

こういう人はたくさん見てきた。

ものすごくテクニックはあるのに、全く心に響かない。
感じたことといえば、手がよく動くな。という程度である。

ヘタでもいいから、こういうピアノ弾きにだけはなりたくない。

どんなことでもいいから、、何かを表現するピアノを弾いていこうと思うようになった。

そのためには結局、日々の生活をいいものにしていき、自分を磨いていこうとする心意気が一番大切なことだと思うと同時に、ピアノは鍵盤の上だけですべてが簡潔するような、つまらない芸術などではないと思った。




2008/5/27        人に聞いてもらうメリット

ジャズのセッションに参加してみると、レベルの高いアマチュアピアニストが多いことに驚く。

「これくらい弾ける技術とハートがあるなら、もうプロとしても十分にやっていけるのではないか?」と感じるくらい、うまい人がたくさんいる。

中には、本当の初心者みたいな人がいたり、クラッシックからすぐにジャズにやってきました。という感じの人もいることにはいるが、全体的なセッションのレベルはものすごく高い。

高いセッションのレベルについていくために、日々必死になって練習しているが、上には上がいて、遂にはプロまでもが練習しに来るので、ある意味すごくいい勉強になる。

そしてこういう環境にいると、日々いい刺激をもらって帰ってくるので、頑張って参加していると、どんどん新しい課題が生まれ、克服していこうとする自分がいる。

実際、時間とお金に余裕ができた今年のはじめから、月3回ペースでセッションに参加して、グッとレベルアップした自分を感じることができるようになった。

ジャズは、ジャズ独自の即興性があるため、飛び入り参加がしやすく、初対面の人とでも一曲ができてしまうメリットがあるので、腕を磨く機会に多く恵まれることがあるが

クラッシックやポピュラーといったジャンルにも、こういう気軽に発表できる場があればいいなと思った。

クラッシックなどは、教室が主催するような定期の発表会か、アマチュア同士の演奏会以外では、なかなか発表の機会がないため、人前で演奏することに慣れるのがとても難しい。

僕もクラッシックをやっていた頃は、年に一度人前で発表する程度で、滅多にない発表の機会に、いつも手や足が震えたものである。

お互いの演奏を聴きあうということは、ものすごくいい勉強になる。

昔はクラッシックも、喫茶店などで気軽に発表できる場があったと聞くが、今はそういう話は聞かない。

ジャズもやがてはそういう運命をたどっていくかもしれないので、今のうちにしっかり腕を磨いていこうと思った。




2008/5/22        ピアニストはやや自虐的

ピアノを弾いている人に共通しているなと思うことの一つに

「やや自己評価が低い傾向がある」ということを、自分も含めて痛感することがある。

特に幼い頃からピアノを習ってきた人の中で、常にピアノの先生からダメ出しをくらい続けてきた人の中には、自分のピアノがどんなに上手に弾けていても、それに納得せず、もっとできる!と常に悩んでいる人が結構いる。

僕も人前でピアノを弾いた後、ちゃんと弾けたかどうか?
恥ずかしくない演奏をしているかどうか?気になって気になって仕方がない。

しかし、実際に録音をして聴いてみると、そんなにひどくない場合もある。

往々にして、クラッシックでダメ出しをくらいながらピアノを弾き続けてきた人は、自分のピアノに対して自信と誇りを持っていないことが多い。

あまり過剰な自信や誇りを持ち、傲慢になるのはよくないが、少しは自分のピアノの良さにじっくり目を向けてみることも大切のではないかと思う。

ピアノ教師から常に「あこがいけない、ここがいけない」と言われ続けると、いつも自分はダメなんだという感情に支配され、自分のピアノに対して自信を持つことができない土壌が培われてしまうことがある。

そして要求水準ばかり高く、自分を評価しない姿勢ができてしまうと、どこまでいっても自分のピアノに対して満足できず、演奏することに喜びの感情を見出せないことがある。

これでは少しつまらない。

ほんの少しくらい、「オレは(ワタシは)ピアノが弾けるんだ!」という自負心があってもいい。

最近になってそう思うようになった。

実際、19歳までピアノを一本指でしか弾けなかった人間からすると、ピアノが両手で弾け、しかも難しい曲をこなしていけるなんていう芸当は、19年間弾けなかった人間からすると、神業のように感じたものである。

ピアノが弾ける!それだけで、少しくらいは自負心と自信を持ってもいい。
そしてよりよい演奏ができるように、がんばってみたいと思う。




2008/5/19        目指すところがハッキリしていると

目指すところがハッキリしていると、ピアノを弾く意味が強くなり、より意欲的にピアノに取り組めるようになるから、練習意欲も旺盛になり、練習時間も必然的に多くなる。

そして気がつけば結構うまくなっていることに気付くことがある。

今までのピアノ人生を振り返ってみれば、いつも何かを目指していた時期もあれば、何も目指さなかった時期もあった。

何かを目標にピアノを弾いていた時期は、成長するのが早く、練習時間も多くなっていたが、何も目指さず適当に弾いていた頃は、あまり練習せず、あまりうまくならなかった。

去年の自分がそうだったかもしれない。

今の僕の目標は、あちこちのライブハウスで開催されているジャズセッションを攻略していくことにある。

店によってレベルはまちまちだが、レベルの高いところは、現役のプロばかりが練習するための溜まり場になっているほど、レベルの高いところが一杯ある。

今は自分が問題なく弾けるような場所で精一杯ピアノを弾き、そして次第にレベルアップしていくに連れて、昔の自分だったらかなわなかったようなセッションに参加し、最終的には関西で最もレベルの高いと言われているセッションにも問題なく参加できるようにすることが、今の自分の目標である。

プロが集うレベルの高いセッションを攻略するには、後数年はかかるだろう。

短く見積もって3年。
普通で5年。
長く見て8年くらいか。。。

それでもやるだけの価値はある。

僕はどこまでいってもアマチュアでいたいから、うまくなることは単なる自己満足に過ぎない。しかし、それが生きる力にもなっているので、これからも頑張ってみたいと思っている。




2008/5/15        後数年。。

19歳からピアノをはじめて、かれこれピアノとは14年の付き合いになる。

思えばあっという間の14年間だったような気がするが、14年もピアノを弾いていると、そうすぐにはうまくならないことが理解できる。

ベラボウにうまくなる、ちょっとしたコツもなければ、一晩にして攻略できる素晴らしいテクニックもないことが分かるようになる。

すると、自分よりうまい人で、ああいう風に弾きたいという人の演奏を聴いた場合

「ああ〜頑張って3年 適当にやって8年というところか」と、今の自分の技量と、これからの努力でどこまで行けるか?ということが次第にわかってくるようになる。

これが理解できるようになると、むやみに焦ることがなくなる。

ピアノなんていくら焦って毎日10時間弾いたところで、そうそううまくなるものではない。

そうやって忍耐強く、かつしっかり日々のピアノ攻略に向けて頑張っていれば、必ず上達する時期が自然とやってくるものである。

やはりどんな分野でも経験がモノを言うように、ピアノも経験がモノを言い、努力がモノをいう世界。

経験しているけど活かさなければ、モノにはならないし

努力しているけど、方向性が無茶苦茶でもモノにはならない。

両者セットで、方向性がハッキリしており、経験を上手に活かしていくことで、どんどん上達していく。

腕立て伏せ100回の体育会系のノリが、必ずしも功を奏することがないのがピアノの世界。

やはり頭を使って努力をしないと、実を結ばないことがよく理解できるようになった。




2008/5/14        楽器の王様ゆえの難しさ

高槻ジャズストリートが終わり、今までにないほどピアノに燃えて、楽しくピアノと暮らしている毎日だが、自分もやれば結構なところまでこれることが分かった。

僕は他の楽器をしたことがないからハッキリとしたことはいえないが、いろんな楽器ができる人から言えば、やはりピアノが一番、「まともに弾くことが難しい楽器」らしい。

メロディーとハーモニーが同時に出せる楽器はほとんどない。まともにソロで演奏できる楽器はピアノくらいのものである。だから楽器の王様と呼ばれているのだろう。

しかし、楽器の王様ゆえ、これを上手に扱うのはとても難しい。

うまくなるには、ものすごい練習時間が必要になるし、数年の歳月はかかる。

また次々と新しい課題が出てきてしまい、うまくなればなるほど、やらなければならないことも多くなってくる。

だからこそ、頑張った甲斐は、他の楽器よりも大きいのではないか?と思うことがある。

結局僕がピアノがうまくなりたい最大の理由は、どんな状況でも楽しく弾けるようにすることで、うまくなればなるほど、より自由度が高まり、鍵盤上でいろんなことが表現できるようになる。

ジャズピアノの場合も、クラッシックと同様に、ある程度上達を志すと、次から次へと新しい課題が山のように出来てくるし、難しい課題にもぶつかるようになってくる。

それを克服するのが苦しくて仕方がなく、やめてやろうと思ったことがないのが、今まで僕がピアノを続けてこれた最大の理由なのではないかと思う。

苦しい課題があればあるほど、楽しくそれに取り組み、いつか克服するようにしていきたいという前向きな気持ちが持てるようになった。

ピアノに対して焦りが減り、いつかできるようになればそれでいい。。。くらいに考えられるようになったからである。

この気持ちはピアノと長く付き合っていく場合にはぜひとも必要な精神で、すぐにうまくなろう、すぐにやっつけてやろう、人前でカッコよく弾いてやろうということしか考えていないと、どうしてもやる気が失せる。

ピアノが上達することの目標を、「より楽しくできること」に設定すると、困難がやってきても、大変な課題があっても、なんとなく努力しているから、知らない間にサラッと乗り切っていることが多い。

だから、焦らないであまり無理しないで、楽しいと感じる程度にとどめておく段階が今は一番心地いい。





2008/5/3        うまくなろうとして 損な事は何もない

プロで生活する。アマチュアのままで楽しくピアノを弾く。

いずれにしても、「うまくなりたい」と思って練習している人がほとんどだと思う。僕もその1人である。

「このままでいい」とか「うまくなりたいと思わない」という人は滅多にいるものではない。

ピアノがうまくなると、鍵盤の上で表現できる自由度がものすごくアップする。

更に、ピアノがうまくなると、自然と外に出て行きたくなるので、交流の幅が広がり、ピアノを通じて楽しい人生を謳歌することができるようになる。

僕は、去年の11月に仕事がえをしたが、時間の余裕があり、去年の12月あたりからピアノを真剣に練習するようになった。

すると、それを誰かに聞いてもらいたくて、ジャズのセッションという道を選んだ。

あれから何十人もの知り合いに囲まれるようになり、音楽以外の交流も深まり、いい友達にもたくさん恵まれるようになった。

そういう場所に出てくる人に話しを聞いてみると、みんな一様に「音楽をやっていてよかった」と話す。

うまくなることの意味は、本質的にそういうところに存在しているのではないかと思った。

心が不健全だと

「うまくなって人を蹴散らしたい」
「えらっそうな態度をしてみたい」

などと思うらしいが、そういう病んだ人以外のまともな人なら

うまくなることイコール、人に対する復讐や支配とは考えないはずである。ま、経験的にこの手の病んだ人は自然と誰からも相手にされなくなり、消えていく運命にあるのだが。。

ピアノはうまくなって損なことは何もない。プロになる必要がなくても、50歳でピアノをはじめたとしてもである。

やればできるようになるんだという自信は、何者にも変えがたい、お金では買えない素晴らしい財産である。うまくなるまでは苦しい時期があり、僕は今もその道を歩いているのかもしれないが、ある程度頑張れば、もっと楽しくなるだろう

と、希望を持って楽しくピアノを弾いている。

みなさんにも、無理しない程度に、楽しくうまくなるピアノを弾いていただきたいと思う。





2008/5/1        プロのピアニストと話して分かったこと

セッションで知り合いになった、23歳のブロのジャズピアニストの女の子と、ピアノの話をする機会があり、プロのアプローチの仕方について、アマチュアピアニストの僕にとって、大変参考になるものが多くあった。

まず、彼らはジャズのコードや簡単な音符を書いた譜面を見ないようにしている。

目から入る部分を徹底的に排除し、耳で音楽をすることに徹底していれば、使う脳の場所が変わるとのこと。これまで楽譜に縛られていた自分にとって、このアプローチの仕方は大きな発見だった。

プロいわく、全部覚えたら、ジャズのリード譜なんて、燃やしてしまってもいいそうな。

それから、そのプロの女の子は、バンドを組んだことがない!

今まで様々なバンドを渡り歩いて、楽しみもし、苦労もしてきたが、そういった方向性で音楽をするのではなく、飛び入りセッションに参加しまくって腕を磨き、どんな人とでも、どんな楽器とでも瞬時にあわせられる能力を培っていくことで、腕を鍛えている様子。

これはアマチュアにはなかなかない発想で、今までバンド組んでもめたり、辛い想いをしたりしていた自分の方向性もちょっと見直してみてもいいかなと思うに至った次第である。



正直なところ、固定バンドでいつも同じ人とばかりやっていると、いつも一緒にやっている人のクセにのみこまれて、なかなか上達しないところがある。

突然違う人と違うことをすると、全くできなかったり、合わせるのにものすごく苦労している間に曲が終わってしまうことがある。

やはりジャズの世界で自由に生きて行きたいと思うならば、固定バンドにしがみつくのではなく、自由に腕のたつ、一匹狼の世界を目指していく方向で模索した方が、より楽しくなるような気がした。

僕にとってピアノはアマチュアで楽しく、自由にやっていくことがモットーなので、やはり性格的に気合の入ったバンド活動は向いていないことをつくづく再認識するようになった。

プロと話してみて、色々な発見があったが、プロを目指す人は

「どうすればその世界で収入を得ることができるか?どうすればうまくなれるか?」

という発想をし、それにのっとった行動をしている。当たり前のことだが、これは大変参考になった。

僕はピアノで食べていくつもりがないので

「どうすればより自由に楽しく、人間関係で苦労することなく、楽しく音楽ができるか?」に焦点をしぼって

もう1回ゼロから自分のピアノ生活のあり方について再考してみようという気になった。




2008/4/28       ピアノを弾いてギャラをもらう

詳しくはブログにも書きましたが、19歳からピアノをはじめて14年。

こんな日が来るとは思っていませんでしたが、ついにギャラをもらう日がやってきました。
奈良のカフェでのライブで、大阪のピアニストさんにお声がかかったんですが、大阪のピアニストさんが距離的な問題で出られないということで

僕におはちが回ってきたというわけです。

送られてきた譜面を見て、あまりの難しさに「これは無理かも」と思ったんですが、思い切ってできる曲だけやってみようと、ライブに行ってみましたが、全曲それとなくできてしまい

最後に「お疲れさん」とギャラをもらいました。

今までピアノというと、お金を出して出して出しまくってきましたが、もらったのは今回がはじめて。

別にこれで生活したいなんて思いませんし、そんな器でもないと思っていますが、ピアノを弾いてお金をもらってみたいという気持ちは常にありました。

それが実現したというわけです。

本当に嬉しかったです。

プロのピアニストさんも、最初はこうして成長していくもんなんだなぁという感触を味わいました。

いただいた1000円札は、ずっと大事にとっておきたいと思っています。

そしてこれからも、自分のペースで無理のない範囲で頑張りたいと思っています。




2008/4/26       なぜ短期間でうまくなれるのか?

ものすごく短期間であっとう間にうまくなる人がいる。

天才的な素質の持ち主は別として、凡人でも短期間でうまくなる方法がある。

それは「どうしても上手に弾かなければならない機会を作る」ことである。

僕の場合この3年、バンド活動をしたことによって短期間でグッと上達したと思っている。

できるかできないか?に関係なく、やらなければならないという状況になってくると、人間は結構な力を発揮する。たとえそれがどんなに大したことがないものであったとしても、自分の中から精一杯のものを搾り出していけば、必ずうまくなる。

特にバンド活動のように、人と一緒にやるアンサンブルの場合、自分がしくじったらみんながしくじるという責任感があるために、勢い、自分も頑張らないわけには行かなくなる。

すると、どんどん上達し、どんどん弾けるようになってくる。

これが1人でなんとなくうまくなればいいやという発想で取り組んでいると、なっかなかうまくならないところがあり、ジャズピアノをはじめて8年の間、最初の5年は亀の歩みで、ほとんど上達しなかった。

ジャズの飛び入りセッションに行き、とりあえずピアノの前に座ってみた。

楽譜はペラペラの紙でコードしか書いていない。しかも知らない曲ときている。しかし、イントロ弾いくれという視線でみんなが僕のことを見ると、弾かないわけには行かなくなるので、どんなまずいイントロでも弾いてみようという気になる。

そして曲が始まったら、必死になってついていく。

途中で見失うわけにはいかないから、これまた必死。

そういう経験を繰返していると、気がついたらかなりうまくなっている。

ジャンル問わず、短期間でグッと上達している人に話しを聞いてみると、例外なく、そういう「弾かなければならない状態」に追い込まれた結果、うまくなっていることが多い。

伸び悩んでいる人は、外に出て、どうしても弾かずにはいられない環境を作ってしまうと、一気に伸びる可能性がある。
これは、僕が保証しましょう。




2008/4/25        苦手なところは集中的に

苦手意識をもっているところ、うまくいかないところは、そのまま通り過ぎてしまい、適当にごまかしていれば、いつまで経っても上達しないことがある。

「いつかはできるようになる」と楽観的に構えていても、実際苦手なところをしっかりやろうとしないと、本当にできないまま終わるのもピアノという楽器の持つ特性の一つなんだなと思うようになった。

それにしても、苦手な部分の克服にはかなりの時間が必要になってくる。

毎日少しずつでも、苦手な部分の克服の時間をとっていき、より自由に楽しくピアノが弾けるようにしたいなぁと思うのだが、実際のところ、苦手な部分を挙げはじめたらキリがなく、いくつもいくつも課題が出てきて、何から手をつけてよいか分からなくなることがある。

そういう場合は、まずこれだけというものに絞っていき、他の苦手意識は一旦忘れ、集中的にそこを克服するように取り組んでいかないと、ピアノは劇的に上達することがない。

19歳からはじめて14年。

もう初心者でもなくなったし、14年も弾いていれば、ピアノの持つ特性もだんだんと見えてくるようになった。

やはりその中の一つに、苦手なところは徹底して克服しないと克服できないことに気付く。

この作業に真剣に取り組むことができるようになると、ピアノは一気に上達することが多い。

苦手なまんま、100回素通りするのと、苦手なところを100回繰返して弾くのとでは、同じ練習時間でも、練習した甲斐、効果が10倍も100倍も違ってくる。

新しい弾き方をゼロから覚えるくらいの気概で取り組んでいけば、苦手はものは次第に克服されていく。

僕も数え切れないほど苦手なものがあるが、自分でこういうコラムを書いている以上、一つずつ克服していき、ピアノを弾く総合的な力をもっとレベルアップしていきたいと考えている。