※学苑社より刊行予定の『ロジャース理論概説(仮題)』は、まだ発行されていません。発行時には私の無料メールマガジン「カウンセリングと東洋思想」で告知しますので、よろしかったらご登録ください。


 ここに掲載する誤訳・迷訳は、私がそのうち学苑社から出版する予定の『ロジャース理論概説(仮題)』に引用するカール・ロジャースの邦訳の一部である。
 ここでいう誤訳とは、訳者が別の単語と勘違いして間違った意味にしてしまったと思われる翻訳であり、迷訳とは、完全な間違いではないが他の原語を想像させてしまうために邦訳しか読まない読者が本文をだいぶ違ったニュアンスにとってしまう翻訳や、ぴったりした訳語が選択されていないために、読者にはそもそも意味がよく分からない翻訳である。そして以下は、それに対する私のコメントである。これらを参考にしてあらためて邦訳を読み直してみると、訂正箇所以外まで違った意味を帯びてくることがあり、ロジャースを精確に理解するためにはこれまでの翻訳がいかにアテにならない代物か、また、彼の言わんとすることをいかに伝えてこなかったかが分かるはずである。
 『ロジャース理論概説(仮題)』では、ここに掲載した引用箇所のみならず、ほとんどすべての引用箇所について原典にあたって明解な日本語に訳し直してあるので、ロジャースの真意をはるかに明確に捉えることができるようになるだろう。
 なお引用の後の「全集*」は、岩崎学術出版社『ロージァズ全集』第*巻を意味し、「選集上」は、誠信書房『ロジャーズ選集』上巻を意味する。
  【第5章第1節より】
 彼は現実的に彼自身をコントロールすることができ、矯正しがたいくらいに彼の欲望は社会化されるのです。人間の中に獣性はありません。人間のなかには人間があるのみです。
(全集4 p.112)
「人間」という訳語が出てくると、我々はすぐにpersonという語を連想してしまうが、ここではman 。私はこれに「ヒト」または「ひと」という訳語を当てて、personから区別しようと思っている。ロジャースの思想のなかでは主に、objectに対するperson、生物体としてのman が想定されているのではないかと思われる。
 十分に機能している人では、自覚は集中した注意を照らしだすスポットライトというよりは、むしろこれを反射するものである。もっと正確にいえば、このような人では、自覚は、その瞬間に有機体の流れの中にある物を反映するにすぎないのである。尖鋭に自己を意識した自覚が起こるのはただ、機能が分裂している時だけである。
(全集12 pp.417-418)
「十分に機能している(functioning well)」は、fully functioning と区別するために、とりあえず「うまく機能している」と訳しておいた方がよいだろう。
「これを反射するもの(reflexive) 」は、直訳すれば「反射的」である。Macmillan English dictionary(以下MEDと略記する)ではreflexive を、"a reflexive movement or action is one that you do without thinking"と説明している。ここでは、あれこれと余計なことを意識せずに行動するという意味での「反射的」と、有機体の働きを「反映する」という意味とを語呂合わせしているのである。
「自己を意識した(self-conscious)」は、他の個所で「自己意識的」と訳されている。これはこれで原語を想像しやすくてよいのだが、「自意識的」と訳した方がぴったりする。ちなみに、MEDではself-consciousを"embarrassed or worried about how you look or what other people think of you" と説明している。ついでにself-aware(自己覚知した)を調べると、"understanding what your own true thoughts, feelings, and abilities are"と説明されている。本当は、awareness ではなくてこちらにこそ「自覚」という日本語がぴったりするのだが、私はawareの意味で「自覚」という語をよく使うので、ここは専門用語として「自己覚知」で統一することにした。
「分裂している(disrupted) 」は、精神分析ではsplit の訳語として使われるので、「引き裂かれた」などの訳に変えた方がよい。
自己経験が正確に象徴化され、この正確に象徴化された形で自己概念のなかに包含される場合が、自己と経験との一致の状態である。もし、これがすべての自己経験について当てはまる人は、十分に機能している人間(fully functioning person)となるであろう。
(全集8 p.199)
後半の一文も仮定法過去。したがって、十分に機能している人間は、理想であって現実には存在しない。存在するのは「うまく機能している(well-functioning)人間」のみだと言えよう。
  【第5章第2節より】
 セラピィのなかで人間は、通常の経験に加えて、彼の体験過程(his experiencing)――彼の感官的・内臓的反応を十分に、しかも歪曲することなく自覚するようになる。彼は自覚のなかの体験を歪曲するのをやめてしまうか、あるいは少なくともそれを減少させる。彼はただたんに、知覚のフィルターをとおして十分にふるいをかけた後に自らに体験することを許すことができるというばかりでなく、彼が現に体験しているものを自覚することができるのである。この自覚でその人間は、感官的・内臓的な反応の基本的な局面に対して、自覚を豊かにするような要素を自由につけ加えていくとともに、はじめて、人間としての有機体の完全な可能体(the full potential of the human organism)となるのである。クライエントがしばしばセラピィのなかで述べるように、その人間は、ありのままの自分になっていく(comes to be what he is)のである。このことは、人間は、自分のありのままのもの――体験における――になっていく――自覚において――という意味であるように思われる。いいかえるならば、彼は、完全にしかも十分に機能する人間有機体(a complete and fully functioning human organism) なのである。
(全集4 pp.111-112)
「知覚のフィルター」は、正しくは「概念のフィルター」。気が散ってconceptualをperceptualと錯覚してしまった誤訳だろう。
「人間としての有機体の完全な可能体(the full potential of the human organism)」を、私は「人間の有機体の十全な潜在的可能性をもったもの」と訳すことにしている。原語が併記されているからいいようなものの、「完全な」はcompleteの訳語に使われるので避けるべきであろう。
「完全にしかも十分に機能する人間有機体(a complete and fully functioning human organism) 」という訳では、「完全に」がfunctioning にかかるように見えるが、原文を見るかぎりでは「人間有機体」にかかっている。ちなみにMEDでは、completeは"including all the parts, details, or features" と説明されており、ここの文脈では、自意識によって人間の一部が拒絶されていない状態を言わんとしていると思われる。
 一般に、内的あるいは外的な経験に開かれているということは、他の個々人に対して開かれ、それらの人を受け容れるということである。クライエントは自分自身の経験を受け容れることができるようになるにしたがって、また他の人の経験も受け容れるようになっていく。彼は、自分自身の経験も他の人びとの経験も、それがなんであれ、あるがままに双方とも価値づけ、承認するのである。
(全集12 p.191)
「価値づけ、承認する(value and appreciate)」は、十分に意味が伝わっていないと思われる。私はこれを「その価値を認め、その真価を認める」と訳すことにしている。
 今日私達は異った状況に直面しています。世界的規模でのコミュニケーションが容易にかつ迅速になった為に、私達はいくつもの真実、現実を知っています。霊魂再来説を馬鹿げていると思ったり共産主義を危険だと感じたとしても、それらを認知しないわけにはいきません。私達は、真理はひとつという閉ざされた世界にはもはや住んでいないのです。
(『人間尊重の心理学』pp.101-102)
「霊魂再来説(reincarnation) 」は、「輪廻転生説」と訳した方がわかりやすいだろう。
「私達は、真理はひとつという閉ざされた世界にはもはや住んでいないのです。」は、原文に忠実に訳すと「私たちは、私たち皆が同じように世界を見ていると思っていられるような、安心な繭の中に存在することはもはやできないのです。」となる。
  【第5章第3節より】
 十分に機能している人間は実存的に生きるであろう。自分の経験に十分に開かれている、つまりまったく防衛のない人間にとっては瞬間瞬間が新しい状況であるということは明りょうなことである……。……われわれのいう仮説上の人間は“次の瞬間に私がどのような状態にいるのか、どのように行動するのかはその瞬間から生まれてくるのであり、だから先のことは私にも他人にも予測することはできない”ということを自覚しているであろう。
(全集12 p.69)
「実存的に生きる(live in an existential fashion)」は、文字通り訳せば「実存的な様式で生きる」
「瞬間(moment)」という訳語では、十分に機能している人間がほとんど狂人のように見えてしまう。私はこれに「時点」という訳語を当てているが、そちらの方が各時点の深さを暗示できていると思う。
 満足すべき生活は、問題のない生活にあるのではなく、統一された目的をもち、たえず問題に取り組んでゆくにあたり、満足を与える基礎的な自信を持つ生活にあるのである。この統一された目的と、現実の生活や現実の生活に現われる障害を克服する勇気こそ、セラピィによって獲得されるのである。したがって、クライエントは、カウンセリングの話し合いから、自分の問題のすべてをきちんと解決する必要はかならずしもない。ただ、建設的な方法で自分の問題に打っ突かる能力をうるのである。
(全集2 p.272)
「満足すべき生活(satisfying living) 」という訳は、(少なくとも私にとっては)我慢して受け入れるべき不本意な生活のように思えてしまう。そこで私は「満足できる暮らし」と訳すことにしている。
最後の二文も不正確であり、「したがってクライエントは、カウンセリングの面談から、必ずしも自分の問題の各々に対するきちんとした解決を〔手に入れるわけ〕ではなく、建設的な方法で自分の問題に立ち向かう能力を手に入れるのである。」と訳されるべきであろう。
 あるクライエントは、セラピィの終結にあたって、かなり混乱した様子で、つぎのように発言している。“わたくしは、自分自身を統合するとか、再組織するとかいう仕事を終ってはいない。それどころか、まったく混乱しているのです。しかし、私は落胆していません。というのは、このような仕事は継続したプロセスであるということが、はっきりわかっているので‥‥自分がどこにいるのかということは、必ずしも、はっきりと意識して、わかっていないけれども、今どこへ行こうとしているかが、はっきりと、わかっているということは、すばらしいことであり、ときには、びっくりすることもあります。しかも、自分自身が動いているということを感じて、深く勇気づけられるのです。”
(全集12 p.135)
「かなり混乱した様子で(in rather puzzled fashion) 」は、そのすぐあとの「混乱して(confusing) 」と混同されないように、「むしろ困惑した様子で」とでも訳す方がよいだろう。もっとも、MEDではpuzzeledを"confused because you cannot understand something"と説明しているので、「混乱した」でも誤訳というほどではない。
「すばらしいことであり、ときには、びっくりすることもあります(It's exciting, sometimes upsetting)」は、「エキサイティングですし、ときどき気が動転します。」 MEDではupsetting を"making you feel sad, worried, or angry"と説明しており、律儀に直訳すると、「それは気を動転させる」となる。
「しかも(..., but....)」は逆接で文が切れていないから、「〜だけれども」という訳にしなければ意味が通じない。
  【第5章第4節より】
 この仮説上の人間は有機体が個々の実存的状況において最も満足すべき行動に到達するためには、自分の有機体が信頼すべき手段であることを発見するであろう。
(全集12 p.70)
ここでも、「最も満足すべき行動」は「最も満足できる行動」と訳すべきである。「べき」がつくと、他から強制されているように思われる訳になってしまう。
「信頼すべき手段」も「信頼に値する手段」
 ある友人は、生命体の選択、言語によってはとらえられない意識下の選択は、進化の方向によって水路づけられると語っていました。私は同意見です。さらに一歩進めて、私は心理治療に携わる中で、この非常に重要な自己認識を促進する最も力のある心理学的条件について学んできた事を指摘したいと思います。自己認識が深まるにつれ、豊かな情報にもとづく選択が可能になり、選択は影響されたものでなくなり、進化の方向と調和した選択となります。このような個人は外的刺激だけでなく思想や夢、流れる感情、情緒、内面から感じとる肉体的反応に対してより認識が深まっています。この認識が大きいほど、その個人はある方向に動いていく進化の流れと調和した動きを示すのです。
(『人間尊重の心理学』p.121)
「自己認識」は、自己覚知(self-awareness)。
「進化の方向と調和した選択(a conscious choice that is even more in tune with the evolutionary flow) 」の「選択」の前に“意識的な”が抜けている。原文はイタリックになっているので、この文に不可欠の語と言える。また「調和」も「波長の合った」など別の訳にしておいた方がよいかもしれない。さらに細かいことを言えば、「進化の方向」ではなく「進化の流れ」である。
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