| 【第8章第1節】 |
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| 個人が援助を求めて来る。正確に認知すると、これは、セラピーにおける最も重要な段階のひとつなのである。個人は、いわば、自分というものを掌中に握り、最初の重要な行為を責任を持って遂行しているのである。彼は、これが自立的な行為であることを否認したいかもしれない。しかし、もしもこの自立的な行為が養育されるならば、それはただちにセラピーへと進展してゆくことができるのである。 |
| (全集2 pp.36-37) |
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「段階(step)」は、そのままステップと訳しておいた方が stageと混同されることもないので、よいのではないか。
「自分というものを掌中に握り(take himself in hand)」を、私は「自分自身を手綱にかける」と訳そうかと思っている。MEDによれば、take someone in handは"to start controlling someone who has been behaving badly"と説明されている。
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| 援助的場面が設定されるのが、普通である。来談当初から、クライエントは、カウンセラーが解答を持っているのではなく、クライエントが援助を得て自分の問題を自分自身で解決するようにすることのできる場所を、カウンセリング場面が用意するのである、という事実に気づくようになる。これは、いずれかと言えば、一般的な言葉でなされるときもあるが、他の場合には、たとえば約束に対する責任とか、あるいは、当然とるべき段階やなされるべき決定に対する責任というような、具体的な諸問題によって、きわめて明確に場面が設定されるのである。 |
| (全集2 p.39) |
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「援助的場面が設定されるのが、普通である(The helping situation is usually defined.) 。」を、私は「援助的場面の何たるかがふつう輪郭づけられる。」と訳そうと思っているが、ここでdefine(定義する)という動詞が用いられているように、面接とはこういうものですという説明が与えられるという意味である。
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| カウンセラーが、母親の不平の内容に対してではなく、感情に対して敏感である……。……カウンセラーは、母親がすでに表明しているもの以上に先行していないことに注意されたい。これは、きわめて重要なことである。なぜならば、あまり先に行きすぎたり、あまり急ぎすぎたりすると、また、クライエントがまだ意識していないところの態度を言語化すると、ほんとうにダメになってしまうからである。 |
| (全集2 p.47) |
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「ダメになってしまう(damage)」は、「ダメージが与えられる」の方が原語が容易に想像できていいのではないか。
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| 【第8章第2節】 |
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| 1.個人の適応場面についての構成因子がいちじるしく対立的であり、変化した態度や洞察をもってしてさえも、その場面に対抗できない。家庭もしくは社会的集団における破壊的な経験、ないしは破壊的な環境が、健康・能力および資質における彼自身の不適当さに付加され、環境的な構造を変えるのでなければ全然適応は期待できないようである。 |
| (全集2 p.94) |
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「対立的(adverse) 」では理解しにくいので「逆境的」の方がよいだろう。
「〜に対抗する(cope with) 」は、この句が出てくる他の個所から考えると、「〜を乗り切る」という訳の方がよさそうである。
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できることならば完全な記録を面接中にとるべきであり、その記録は、クライエントの言葉と同様に、カウンセラーの言葉も記録すべきであることは、言うまでもない。圧縮され省略された言葉での対話体形式は、援助的であることが判明しているのである。
……もしもカウンセラーが“何かを首尾よくやり遂げよう”としているのでないならば、もしもその話し合いが、クライエントが自分自身を援けることを学ぶ場所として純粋に計画されているならば、ノートをとる目的が説明されさえすれば、クライエントは、ノートをとる過程によって妨害されないであろう。カウンセラーは次のようなふうに言ってもよかろう。:“わたくしたちが話していることを書きとめていても気にしないでください。わたくしたちが達成したことがわかるように、後で研究したいものですから”と。 |
| (全集2 p.303) |
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「何かを首尾よくやり遂げよう(put something over)」は、「〔記録された〕何かを〔誰か他の人に〕渡そう」の意味ではないか。
「純粋に計画されている(genuinely designed)」も、「嘘偽りなく考案されている」などの方がわかりやすいだろう。
「妨害され(be disturbed)」は、「かき乱され」などの訳の方がよいだろう。MEDではdisturbed
を、"extremely upset and worried" と説明している。
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| 記録がもっと完全にとられる必要があり、しかもそれらの記録は、利用するためであって、ただたんに仕事のための仕事ではないのである。各面接と面接との間に、このような記録やノートは深く研究される必要がある。どのような感情をクライエントは表現していたか? 認知するにあたってどのような誤りがおかされていたか? いきおいのよい面接の流れのなかで、ほんのかすかにしか重要であることが感じられなかった陳述の、ほんとうの意味はなんであるのか? クライエントが、次の話し合いで語ろうとしているらしい態度はなんであるか? もしもカウンセラーが、前の話し合いをこのようにこまかく吟味し、次回の面接がとるであろう方向を適切に認知しておくならば、カウンセラーは、真の感情に対して非常に注意深くなるであろう。 |
| (全集2 pp.308-309) |
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「各面接と面接との間に(between interviews)」は、わかりにくい表現である。「面接と〔次の〕面接との間に」くらいに訳しておいた方がわかりやすい。
「ほんとうの意味(full meaning)」よりは「十全な意味」などと訳しておいた方が、嘘・本当の対立軸を連想しなくてよい。また、直前の「ほんのかすかにしか重要であることが感じられなかった(only dimly felt to be significant) 」も、「ただぼんやりとだけ重大だと感じられた」と訳しておいた方が、“ぼんやり→明確”の路線がはっきりして「十全な意味」とのつながりがよくなる。
「次の話し合いで語ろうとしているらしい(is likely to bring to the next contact)」は、「次の面談で持ち込みそうな」が直訳。
「方向を適切に認知して(recognized the probable direction) 」のうち「適切に」に相当する原語はない。probableの訳のつもりなのかもしれないが、「ありそうな方向」と訳すのが妥当である。
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| 【第8章第3節】 |
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| 多くの初心のカウンセラーのウォーターローは、次のようなクライエントである。すなわち彼は、自分の問題を表現してから、結局、“いったいどうしたらよいのでしょうか?”と要求するのである。このようなクライエントが解答を望んでいるのではないということは、録音機によって記録された経験からも、すでに繰り返し証明されている。これはひとつの事実であり、その事実は、あまり経験を積んでいないカウンセラーが容易に受容しがたいものなのである。このような質問は、カウンセラーをクライエントの側に引き入れて、クライエントがあらかじめ受容されたいと念じている解答を与えてもらうために出されているか、あるいは、情動的に受容されがたい解答が与えられる場合には、カウンセラーを自分の敵意に対する象徴として利用するために出されているかであり……。 |
| (全集2 pp.197-198) |
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「ウォーターロー(Waterloo)」は、訳注として「運命の決戦場」という脚注が付けられている。ちなみにこれは「ウォータールー」と発音する。それでも説明不足である。これは、ナポレオンが大敗北したワーテルローの戦いであり、MEDではmeet your Waterlooを、"to fail at something that you have always been successful at until now"と説明している。
「結局(in effect) 」は、after all やeventuallyを連想させる訳語である。私はこれを、「要するに」と訳そうかと思っている。「結局のところ」と訳してもよかろう。MEDによれば、in
effect は、"used for giving a summary of what you think the situation
really is" と説明されている。
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| 表明される否定的態度がクライエント自身に向けられている場合や、カウンセラーに向けられている場合には、クライエントに対する同情心からクライエントをかばってしまったり、カウンセラーが自分自身の防衛に専心したりしていることに、あまりにもしばしば気づくのである。このような場合においてもカウンセラーは、いずれの側にもかたよらないで、感情を意識的に明らかにするように援助するならば、きわめて効果的であることを認知すべきである。この場合、カウンセラーは、いわば鏡の作用をするものであることを認知することが、きわめて大切である。すなわち、この鏡は、クライエントに真の自己を示し、この新しい認知によって援けられ、自分というものを再体制化することができるようにするのである。 |
| (全集2 p.175) |
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「感情を意識的に明らかにするように援助する(aid in bringing the feeling
consciously into the picture)」は、「〔クライエントが〕その気持ちを意識的に〔自分の〕心象の中にもたらすよう補助する」くらいに訳しておく方が精確だろう。
「カウンセラーは、いわば鏡の作用をするものであることを認知する(he should
recognize his function as that of a mirror)」は、「カウンセラーは自分の機能を鏡の機能として認識する」が直訳。
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| 【第8章第4節】 |
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ある程度の再教育が行なわれるのは、このようなカウンセリングの終結的段階においである。再教育という言葉は、カウンセリングを論ずるときに広く用いられ、おそらく強調されすぎていよう。本書が叙述しているクライエント中心のタイプのセラピィでは、再教育によってクライエントの問題を解決しようとする試みがなされていないことを指摘しなければならない。……
このような再教育の経験は、主として洞察を拡張してゆくことであり、すでに主導的に歩んでいる積極的な段階を増強することである。 |
| (全集2 pp.271-272) |
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「すでに主導的に歩んでいる積極的な段階(the positive steps already initiated)」は、「すでに始動した肯定的なステップ」と訳すべきだろう。おそらく、self-initiatedを自己主導的と訳すのに引っ張られてこういう訳になったのだと思われる。 |
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| その人がセラピィの必要をもう感じなくなったという状態のとき、あるいは防衛的な自己の再体制化をしたときに、ポジティヴな自己感情が回復され、ポジティヴな態度がネガティヴな態度を支配するようになる。 |
| (全集8 p.80) |
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「ポジティヴな態度がネガティヴな態度を支配する(positive attitudes predominate over negative)」は、前者が後者をコントロールするという意味に誤読されそうな訳だから、「肯定的な態度が否定的な態度より優位を占める」という訳がよいだろう。
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| カウンセラーとクライエントとの両者が率直に失敗を認めることは、両者における防衛的な行為を阻止するうえに、まことに大切な価値を持っている。実際には、カウンセラーは、“全然進歩していないように思えるのですが、おそらくそれは、わたくしが未熟なためと、あなたが本気になっていないためなんでしょう。とにかく、だれかを責めるというようなことはなしにして、わたくしたちがよい結果を得ていないことは明らかなんです。話し合いを中止しましょうか? それとも、もっと満足のゆく話し合いを見出せるという希望のもとに、もうしばらくつづけてみたいですか?”と言う。現在の状況について、このような明確な陳述をすることは、きわめて援助的なのである。それは、クライエントがカウンセラーを攻撃する必要を軽減する。また、いくつかの可能性への道を開くのである。 |
| (全集2 p.295) |
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「実際には、カウンセラーは……と言う。」は、「カウンセラーは要するに(in
effect) こう言う。」の方がよいだろう。実際にこの通り言うわけではない。
「わたくしが未熟なため(owing to my lack of skill) 」は、人格的なイメージが重なるといけないから、ここは直訳して、「私の技能が欠如しているため」の方がいいだろう。あるいは、ここは会話体だから、「私が下手なため」くらいの訳がよいのかもしれない。
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