猫学
Nekogaku





【赤猫】
「火事」「放火」の隠語として使われます。
炎の揺らめきが猫の舌に見えるらしく、特に炎の事を赤猫の舌と呼ぶこともあります。
時代小説等で「赤猫様、床を舐めて下され」と火が広がることを望む時に使われたりしています。

火事の多かった江戸時代に使われていた言葉です。猫又やら赤猫やら、猫に対して怖いイメージを持っていたんでしょうか?


【阿豆佐味天神社】

猫返し神社として有名な阿豆佐味天神社(あずさみてんじんじゃ)
寛永6年(1629)に勧請されてきた歴史ある神社。
造りは「一間社流造正面軒破風付こけら葺」。
・・・・・・・よく分からん。
祭神は「少彦名命(すくなひこなのみこと)」
どうも医者みたいな神様らしいです。
この辺りが開拓された際に住民のために立てられた模様。

で、つい最近まで猫返しというご利益は存在していませんでした。
某著名人の猫がいなくなった時に、祈願したところ帰ってきたというエピソードを「昔から猫返し神社」と呼ばれていたと創作して発表したため、猫返し神社として有名になってしまったとか。

絵馬には学業成就、安産祈願に混ざっていなくなった猫の無事や帰りを祈願したものが含まれていました。
実際に帰って来た猫もいるそうです。
純粋な思いが通じたんでしょう。
猫が旅立ってしまった人は試してみる価値はあるかもしれませんね。

創作から始まりましたが、猫との関連は少しあったりします。
絵馬の先に見える蚕影神社は養蚕の守り神として勧請されたもの。
お蚕さんの天敵である鼠を捕ることから猫を蚕の守り神として信仰する風習があったりします。
猫を神様と祭っている訳だから、その恩恵で猫返しがあってもおかしくないですよね


【イエネコ】
イエネコ(家ネコ)
現在、我々の知る一般的な猫のことです。
人間との付き合いはエジプトで家畜化されたことから始まり今に至ります。


【稲荷】
神社といって一番なじみのあるのが稲荷神社だと思います。
結構、あちこちにあったりします。
稲荷神社は稲荷神を信仰したもので、もともとは「稲生(な)り」という意味だったのが神像が稲を荷っていたので「稲荷」になったとか。

そもそもは農業神だったのが、時代とともに鎮守神、商業、屋敷の神とだんだんと信仰の幅を利かせて行ったそうです。だから、多いんですね。

狐は稲荷神の使いということで狛犬などのかわりにおかれてます。
猫と直接は関係ありませんが、狐つながりということで。


【今戸神社】
招き猫の発祥の地とも言われている神社。
他にも何箇所か発祥の地という話があるので実際は分かりません。

奥に黒ぶちの招き猫があるのが見えますか?
反対側には白の招き猫があったりします。

受け付けでも2匹ならんだ今戸焼きの招き猫が売られています。
そういや、縁結びの神社なんだよなぁ。

どうりで若い女性が多い訳です。


【イリオモテヤマネコ】
誰もが聞いたことはある特別天然記念物の猫。
西表島にだけ生息している山猫。

その生態は解明されておらず、謎の部分も多いです。
一説には、イエネコより、ヒョウやライオンに近く、ベンガルヤマネコとの関係が強いとされています。

現在100頭程度と推定されており絶滅IB類(近い将来絶滅の危険性が高い)に指定されています。
西表島で見ることができたら幸運です。


【回向院】
江戸市中を焼き尽くした明暦の大火での焼死者を回向するために建造されました。
ここには一匹の猫のお墓(猫塚)がひっそりと立っています。

両替町の時田喜三郎という男が一匹の猫を飼っていました。
出入りの魚屋は、この猫にいつも魚をやり可愛がっていた。
ある日、魚屋は病を患い貯えもなり困り果ててしまいました。
そんな折、何者かが2両ものお金を置いていきました。
そのおかげで病も治り、魚屋は喜三郎の家に魚を売りにいったがふと気が付くと猫がいない。
喜三郎に聞くと、二両もの金が盗まれたことがあり、注意していると猫が二両を持ち出すところを発見したという。
二度目は捕らえたが、最初の二両を盗んだのも、この猫というので殺してしまったと言う。
魚屋は、猫が自分のために盗んだことを涙ながらに語った。
猫が魚屋に恩返しがしたかったのだと知った喜三郎は二両を魚屋に渡し、猫の志を継いだそうな。
魚屋は猫の為に回向院に塚を建て、供養しました。

そんなお話の猫塚が回向院にあります。
もはや、塚は風化して表面の文字は読めないけれど、猫に対する感謝の念は残っていることでしょう。

この塚は鼠小僧の墓の隣にあります。
また、回向院は犬猫などの慰霊碑もあります。


【絵師】
猫は鼠除けの力がある。
江戸時代の養蚕信仰が盛んだったおり、猫の絵を描き鼠除けとして売り歩いた絵師がいました。
一人は雲友という絵師、浮世絵全盛時代に猫を描き続けていたそうな。
もう一人は白仙というお坊さん。
猫とトラの絵を描きやはり鼠除けとしていました。
白仙は秋田にある猫の宮に願をかけ猫とトラの絵を奉納したという触れ込みで鼠除けの効験もあらたかだったそうである。
白仙自身も猫描きと自らを称する程であったとか。
ちなみに伝承にある秋田に猫の宮と呼ばれるものはないらしい。
もしかしたら山形の猫の宮ではないかとされている。

残念ながら、この二人の描いた猫の絵は現在残されていない。
どんな絵が描かれていたのか、是非とも見てみたかったものです。


【尾】
日本猫の尻尾は短く、まん丸。
日本ではあまり人気がないけど、ジャパニーズボブテイルと言う名で海外では人気があったりする。
性格も良いし、日本猫可愛いですよ、ブランドに惑わされずに日本猫に手を差し伸べましょう。
もっとも現在では交配が進んで短い尻尾を持つ日本猫は少なくなっています。

さておき、昔は短い尻尾の猫が好まれていました。
これは尾が長い猫が長生きすると猫又になると信じられてきたからです。
短い猫は猫又にならないらしいです。確かに割れていても分かりませんもんね。
猫又の話がでる前の時代では長い尾を持つ猫が好まれていました。
猫又の出現で長い尻尾を持つ猫は余計な疑惑をかけられてしまった様です。

ちなみに尻尾がカギ状(途中で曲がった)の猫は、その尻尾で福をかき寄せるとのことで商家で大切にされたそうです。


【おかげ横丁】

伊勢神宮内宮の近くにあるおはらい町。
かつて、伊勢神宮に参拝に来た人のための旅館があり、また神楽の奉納、お祓札を授けたところからおはらい町の名がついたそうです。
江戸時代において伊勢参りは一種の娯楽色も強く、おはらい町に行くのを楽しみにしていたとか。
そのおはらい町をさらに進むと、そこにおかげ横町があります。
おかげ横町は幕末〜明治時代を意識した町並みを形成しており様々なお店が並んでいます。

今回、たまたま寄った日に「来る福招き猫まつり」なるものが行われていました。
例年行われているらしく、この日のおかげ横町は招き猫に埋め尽くされていました。
ところ狭しと並べられた招き猫たち。
古い町並みと相まって、のんびりと過ごせる雰囲気をかもし出しています。
茶店でぼ〜と招き猫を見ながら時を忘れて過ごすのも良いかも。

伊勢に行かれる方は、おかげ横町をチェックしてみては?


【オッドアイ】
いわゆる左右の目の色が違うことをいいます。
黄色と青、サファイアとエメラルド、金銀妖眼なんて言われています。
幸福のシンボルとして人気があります。

白ネコで片目が青の場合はそちら側の耳が聞こえない場合があります。

ちなみに写真は見てのとおり合成です。

・・・・・そんなに睨まんでくれ


【踊る猫】
後足で立ち踊る猫のこと。
踊る際には手拭いをかぶって踊ることが多いらしいです。
そんな猫を見かけたら、その猫は間違いなく化け猫(猫又)です。
ちなみに人語をしゃべります。
たいていは見つかると逃げますが、捕まえて退治しようなんて考えると逆に襲ってきます。
万が一見かけたら気をつけましょう。

踊る時の相手は猫だけでなく狐や、ときには狸であったりします。




【解放令】
一六〇二年八月中旬、京都一条の辻に一つの高札が建てられました。
その内容とは。
1.洛中(京都市内)の猫は、綱を解いて放し飼いとすること。
2.猫の売り買いを禁止すること。
これに違反する者は処罰する。

なんとも不思議なお触れです。
何故、このようなお触れがでたかというと、当時の京都で鼠が大発生したそうです。
鼠は伝染病も呼び込みますので、当時としては見過ごすことの出来ない重要な問題だったようです。
鼠の害に頭を悩ませた末に猫に頼ることにしたようですね。
おかげで、鼠の被害は抑えられたそうです。
京都を守った無数の猫たち、かっこいいですね。
しかし、この当時、猫はイエネコで綱につないで飼うのが当然だったようです。昔は高価な上に野良犬が多かったため野良猫は少なかったのでしょう。


【火車】
そもそもは仏教用語で生前に悪事を働いた罪人を地獄へと運ぶ火の車。
又は、地獄で罪人を乗せて責める火の車のこと。
江戸時代に本来の意味のほかに妖怪としてとらえられていました。

野辺送りの際の空を飛び風雨や雷を起こし死体を奪う妖怪が火車であり、この妖怪の正体は化猫とされていました。
罪人の死体を奪わんとする火車と阻止しようとする僧侶の壮絶なる戦いが行われていたそうです。

しかし、ずいぶんと派手な猫ですね。


【烏猫】
黒猫のことです。黒いので別名「烏猫」とも呼ばれていたそうです。
烏同様に不吉とされ、疎まれていたようです。
最近では黒は魔除けになるとされていますが(招き猫の黒とかですね)、やはり不吉と見られている気がします。
きれいな毛並みなんですけどねぇ、よ〜く顔を見てやれば可愛らしいと思いますよ。


【唐猫】
中国から渡ってきた猫のこと。
特徴として、日本の猫は背中を撫でるとき、頭から始めると背を高くするが唐猫は逆に背を低くするらしい。
自分の猫を撫でてみると生まれがわかるかも。


【狐】
稲荷神社などで有名な狐。
昔から霊獣として敬われてきました。
稲の収穫期に子を連れて餌をあさったりすることから田の神の使い(稲荷信仰)などとなりました。
田の畦や水口などに狐塚などがきずかれているのはこの関係から。

狐の鳴き声や挙動から吉凶を占ったり、狐の霊をのりうつらして信託を得ようとした呪術もさかん。
東北地方での春の農耕時期に起こる蜃気楼のような現象を「狐の作立て」として豊凶占いとしました。

狐憑きや狐落としなども有名。
そして、猫の呪術的な師匠。

そういえば、陰陽師 阿倍晴明の母君は「葛の葉」という名の狐だとか


【キャッツアイ】
猫目石。
長さが異なる三本の結晶体軸が互いに直交する斜方晶系に属する金緑石の一種です。
光沢が猫の目のように一本の線があることから命名された模様。

ちなみに写真は人工のキャッツアイです。
天然物は不純物が多く含まれるため、キャッツアイの天然物は普通ないそうです。


【黒猫】
幸運のシンボルとされている白猫の対極である黒猫。
不吉のシンボルとして不運に見舞われる黒猫。
基本的に体色は保護色やカモフラージュなので夜行性である猫には最適なのだが人間の感性だけで嫌われてしまう可哀相な黒猫。

魔女狩りの時代に魔女の使いということで同じように死刑にされていた可哀相な黒猫(やがて猫全般が対象とされたらしい)

写真を撮ろうにも素知らぬ顔で行ってしまう黒猫。
でも、好きだよ黒猫。
振り返ってくれ〜

【豪徳寺】
招福猫児(招き猫)の発祥の地の一つ。
貧寺にて厳しいながらも、自分の食を可愛がっていた猫に与えていた和尚さんがいました。
ある日、猫に向かって、もし恩を感じているならば果報を呼んでくれと言い聞かせました。
数ヵ月後、鷹狩をしていた武士が寺の前を通ろうとした時、猫が招いてくる。
不思議に思い、猫の方へ寄ってみると、先ほどまでいた場所に雷が落ちました。
武士は多いに喜び、和尚さんと大いに話し込みました。
この縁から武士と仲良くなり、寺は多いに栄え、猫寺とも呼ばれました。
その猫が死んだ際に墓を建て、この猫の姿形をつくり、招福猫児としたそうです。
死んでしまった後も、皆のために福を呼び続けているんですね。

【琴平神社】
梅香る、東京都青梅市吉野梅郷。
そのすぐ近くにある日の出山ハイキングコースを一時間弱歩いた山の中にひっそりと佇む琴平神社。
小さな社の中には大小の招き猫が鎮座しています。

この地域はかつて養蚕が盛んで、琴平神社は増殖増産の産土神として信仰が厚かったそうです。
猫は養蚕の天敵の鼠から護ってくれる存在。
繭が豊作になった年には、そのお礼として猫の焼き物を奉納するのが習わしであったとか。
今でこそ養蚕は廃れてしまいましたが、商売繁盛の神として信仰が続いています。

たまには都会の喧騒を離れて猫神さまに会いに行かれては?。

【狛犬】
神社の入り口を守っている狛犬さん。
よくよく、その姿を見てみると犬っぽくない。
狛犬とはインドから中国、朝鮮を渡って日本に伝わってきたものらしいですが、そのモデルは獅子であるとのこと。
獅子?、獅子って猫科ですよね。
ということは狛犬は本来は狛猫であった!?。

う〜ん、狛猫と呼ばれていたら猫に対する見方も随分違ったものになっていたかも知れませんね。



【三光神社】
ビルの谷間にある猫返し神社

そもそもは稲荷様が犬猫の病を治すという平癒祈願だったらしい。
いつの間にやら猫返し祈願になっていました。
一説によれば戦前までは迷い猫の祈祷をしていたとか。

ネコが旅だってしまった際にはお試しあれ。


【死者返し】
猫には死者を甦らす力があります。
猫が死者の上に乗ったり、その上を飛び越えたりすると死者は甦します。
しかし、ここで甦るのは死んだ人間ではありません。
死んだ人間には霊魂がないため、猫が自分の霊魂を入れ自由に動かしています。
猫はたくさん魂をもっているらしいですからね。

死者の側に刀や剃刀など刃物を置くのは猫除けの習慣だそうです。

第二の人生を猫から始めてみませんか?


【自性院】
新宿区西落合にある空海上人が日光山に参詣の道すがら観世音菩薩を供養したと伝えられる歴史あるお寺さん。
江戸時代には、猫寺、猫地蔵と呼ばれて親しまれれたそうです。
この気になる猫地蔵。
秘仏扱いになっているらしく、通常は見ることができません。
唯一のチャンスが2月3日の節分の日、この日だけが一般に開帳されるそうです。 気になる方は節分の日に行かれては?

ちなみにこの猫地蔵、2体あるそうで、それぞれ云われがあります。
一体は戦国武将の太田道灌、戦乱の最中、道に迷ったところ黒猫に自性院に誘われて危機を脱したとのこと。
これに感激した道灌はこの黒猫を大切に飼い、没後、地蔵尊を奉納したとか。

もう一体は、昭和4年、江戸で貞女の誉れ高かった一人の女性が亡くなりました。
この女性の死を惜しみ冥福を祈ると共に後世に貞女の鏡として伝えたい。
そんな願いから猫面地蔵尊が奉納されたそうです。
ちなみにこの奉納した男性は、亡くなっ女性の旦那ではなく、単なるおすし屋さんだとか。
ここまで、想われる女性ってどんな人だっだんでしょうか?
・・・・・でも、何故に猫面?


【人語を介する猫】
猫は10年も生きれば人語を介し、15年も生きれば神変を起こします。
猫も長生きすればいろいろできるようになります。
踊る猫も同様で、しゃべって踊れるスーパー猫に変化します。まぁ、化け猫とも言うんですが。
ちなみに狐との間に生まれた猫はもう少し若い段階でしゃべります。
しゃべっている姿を見られるとやはり、どこかへと行ってしまうそうです

【集会】
夜に一所に集まり集会を行います。
・・・・ただ集まるだけです。べつに何もしません。
一説には顔合わせを行っているとの話もあります


【西方寺】
こちらも、招き猫発祥の地とされています。
元禄年間。江戸の新吉原の遊女、薄雲太夫は大の猫好きで、どこに行くにも三毛猫と一緒だったそうです。
「猫に魅入られた」と噂されるほどとなり、ある日厠にまでついて来た猫を見かねた楼主が首をはねてしまいました。
しかし、飛ばされた猫の首が、厠の下で薄雲を狙っていた大蛇を仕留めました。
猫は主人の薄雲を護るために、どこでも一緒にいたのでした。
薄雲は忠義な猫を悼み西方寺に葬り猫塚を建てました
薄雲に贔屓の豪商は、長崎から取り寄せた伽羅の木で猫を刻み贈ったそうです。
後に、この猫を真似たものが浅草の歳の市で売り出され、招き猫となったとか。

猫塚は関東大震災で焼失。寺も移動して、現在では猫の像が残るのみです

【ソトネコ】
いわゆる外を生活の場としている猫のこと




【狸】
昔々の人々は狸と猫を同じようなものと考えていた?。
文献上、初めて猫が登場してきた時、狸と書いて「ねこ」と読ませていたそうです。
ちなみにその文献とは平安時代に纏められたという「日本霊異記」という本です。

狸は犬科であるので、当然「猫」とは別の種類の生き物ではあるのですが、共通点もあります。
猫は明るい所に出ると瞳が縦に収縮します、実は狸も同じように縦に収縮します。
ところが、同じ猫科のライオンなどは縦ではなく人間と同じ円形収縮するそうです。
昔の人は種族は違えども、瞳の動きを見て同属と考えたのかも知れませんね。よく観察しているものです。


【旅立ち】
ある日突然、猫がいなくなってしまう日がきます。
その猫は年を経て修行のため、はるか猫岳まで修行に行ったのです。
一説では宮使えとも言われています。
とても悲しいことですが、これも猫の定め。
気持ちを整理して元気でやっていることを信じてあげましょう。

耳が裂けて帰ってきた場合、見事に修行を終えて立派な化け猫になった証です。
こうなると一緒には住めませんが、立派に生きているということで喜んであげましょう。


【玉ちゃん】
有楽町のビル街にぽつんと一匹の猫の像があります。
この猫の名前は玉ちゃん。
昔、戦に破れた太田道灌に逃げ道を案内し、命を救ったと言う猫。
この後に太田道灌は江戸を開いたことから、この猫は江戸の恩猫とも言える当時の人は考えました。
ただの猫では、名も残らないことをふびんに思い「玉ちゃん」と名づけ、後々まで江戸の護りを願ったそうです。

きっと今でもこの地を護ってくれているんでしょうね。


【地域猫】
猫を個人ではなく地域で世話をしようという試み。
野良猫による被害の防止。
避妊手術などを地域住民の手で行う。
不幸な猫たちを防止する上でも、非常に喜ばしい試みだと思います。

この看板は江ノ島で見たものです。
やはり猫の多い島でした

気になるのは、この地域猫。不幸な猫は少なくなるとは思うのですが、何れは【猫のいない地域】になってしまう気がするんですが。
この辺りはどうなんでしょう?


【ツシマヤマネコ】
日本の誇る(?)天然記念物の猫。
こちらも天然記念物なのだが、何故かイリオモテヤマネコ程知名度は高くはありません。
長崎県対馬に生息。70〜90頭程と推定。
イリオモテヤマネコより危険な絶滅危惧IA類(ごく近い将来に絶滅の危険が極めて高い)に分類されています。

原因として人間による針葉樹の植林などにより、餌となる小動物の数が少なくなったこと。
雑食性でないため、他の動物との生存競争に負けてしまうことなど。 無論、飼犬、飼猫とのケンカ、交通事故などツシマヤマネコを取り巻く環境は厳しいものがあります。

写真はイリオモテヤマネコ


【てぬぐい】
猫は踊る際に手ぬぐいをかぶっています。
今でこそ手ぬぐいは顔や手などを拭くことを主な目的としているが、昔においては冠や帽子などと同じでした。
手ぬぐいで頭部を隠すことは礼儀であり、礼装。
人と会う際はわざわざ手ぬぐいを着け、用が済むと外す。現在と逆の状態でした。
そんな手ぬぐいは神に対する礼儀にも使用され、手ぬぐい自身に霊的な能力があると考えられてきました。
つまるところ、猫が手ぬぐいを使用するのは手ぬぐいを使用することで霊的能力を高めていると考えらます。

手ぬぐい被ってパワーアップ!!

【天気予報】
猫が顔を洗うと雨が降る。
昔からそんなことが言われています。
正確には、
・「猫が耳の後ろまで顔を洗う」とまもなく雨が降る。
・「猫が耳の前で顔を洗っている」とどんなに曇りでも雨が降らない。
といった感じのようです。
もっとも、このあたりの話は諸説あって逆の話もあるようです。

まっとうな話をすると、猫が顔を洗う理由として
・雨の前の湿気を感じとり耳辺りが気持ち悪くなるので撫でる。
・気圧の下降を感じ、ストレスを感じるので毛づくろいをして落ち着く。
なんていう話もあります。
いずれの話も正確なところは分からないそうです。

まぁ、細かい理屈よりも、猫の姿を見て天気に思いを馳せるほうが風情がありますよね。



【楠?社】

大阪の住吉神社の裏手にひっそりと佇む稲荷社
稲荷神社なので、もちろんお稲荷様を祀っている訳だが、どういうわけが猫の土人形を扱っている。

裃を着た愛嬌のある猫が招いている、何かほっとする人形である。
この猫のお話は次のとおりである。

住吉神社では古来より、最初の辰の日に境内にある「種貸社」「楠?社」「浅沢社」「千歳社」の4箇所の末社を巡る「初辰まいり」という行事がありました。
これは商売繁盛を祈って行われたもので辰の日には早朝より大勢の参拝客で賑わうそうである。
この招き猫の右手を上げているのは「お金招き」で左手を上げているのは「人招き」とか。
一説には右手は「家内安全」、左手は「商売繁盛」と言う話もあり、お好みの方をどうぞ。
お好みと言いつつ、実はルールがあり、偶数月は右手、奇数月は左手を上げた猫を求めるのが習わしがあるそうである。
これを毎月続けて行き48体揃うと満願成就するそうです、4年もかかりますけどね(^^;)

ところで何故48体かというと、48の辰の日で「四十八辰」書き換えると「始終発達」となり縁起が良いとのこと。
完全に語呂合わせなのだが、遊び心満点の風習である。

ちなみに48体揃うと、それを奉納して大きなものと取り替えるそうです。
本当に遊び心満天ですね。
一応、辰の日以外でも入手は可能なので、大阪に行った際には尋ねてみてはいかがでしょう?。

最後にこの人形の裃姿は戦後の話で、戦前は羽織袴であったとか。
何故変わったかは?。
招き猫の話自体は新地にあった本荘席主人の五郎兵衛が露天で招福猫人形を求めて神棚に祀ったところ、商売繁盛したのが始まりだとか。


【猫】
猫。これ以上の説明はいらないでしょう。
猫好きの人はゴマンといます。
猫はその振る舞いから女性に例えられてきました。そんな猫が擬人化されたのも自然な流れだったのではないでしょうか。
我輩は猫である・長靴を履いた猫など見事に擬人化された作品です。
ネコミミが発生したのも自然な流れ・・・・・・すいません、自然とは思ってません。

猫の祖先はエジプトから始まり、その後、世界へと散り様々な種類が存在することに至りました。

猫に関しては理屈はいいでしょう。あ〜かわいい。


【猫石】
鼠除けのお守りです。
養蚕信仰の中で鼠から蚕を守る神として信仰されました。
猫の宮という言われる神社も存在します。
その他類似した話は存在していますが、石を置いた場所には鼠は近寄らないといったもの。

鼠でお困りの方、お一ついかがです?


【眠石】
岐阜県、高山陣屋の裏にひっそりとたたずむ猫石。

その昔、娘によく懐いている猫がいた。
娘も猫のことを可愛がり何時も一緒にいた。
ある日、娘は松の下で池の鯉を眺めていた。
すると猫は娘の裾をひっぱり出し、怒られても止めることはなかった。
娘に危害が及ぶと考えた家人は刀で猫の首を落としてしまった。
すると、猫の首は松の上から娘を狙っていた大蛇目掛け飛んで行き、大蛇の息の根を止めた。
娘を守っていた事に気が付いた家人は猫を祀るために祠をたてた。
それが猫石の由来と言われています。


【猫板】
猫専用の暖かい板の間のことです。

江戸時代によく使われたいた長火鉢という暖房器具に猫板と呼ばれる場所があります。
長火鉢とは木炭を使った四角形の火鉢に引き出し機能をつけて、引き出し内を乾燥機のようにつかうものです。
引き出し部の一番上の段が、とても暖かく猫の特等席になっていたところから、猫板と呼ばれるようになったそうです。

言葉だと説明しにくいですね。写真があればよかったんですけど。
さすがに火鉢は見かけないですからね〜。


【猫越】
伊豆の湯ヶ島温泉の近くに猫越と呼ばれる土地があります。
猫越山、猫越峠、猫越川。
その由来は、雨が降りしきる中、商人がある村に一晩泊まりました。
夜中に、なにやら騒ぎが聞こえるので確かめに行くと、大きな猫が踊り、その廻りを子猫が囲んでいました。
結局、商人は眠ることができずに、夜明けと共に下田の方へと進んでいったところ、山道に大量の猫の足跡が残っていたそうな。
それ以降、この辺りを猫越と呼ぶそうになったとか

写真は猫越峠へと向かう道の看板です。猫越自体は行けませんでした。残念


【猫岳】
岐阜県乗鞍岳近く。
乗鞍スカイラインの途中にありました。
所以は知りません。そう言えば地図で近くに猫の小屋というのもあるみたいです。
こちらは未確認。2003年から一般車の通行が禁止になるんで見ることはできないかも。

残念、なんとか見たかったな。


【根子岳】
猫岳。地図上では根子岳と記載されています。
日本中の猫の帰りつく先であり、猫の王の住む山でありまする。
猫の修行場。

修行場としてではなく、除夜に詣でる、節分の時に詣でるなどの伝説が多く残っています。
この山には数百の猫が住み社会を作り上げているらしい。

ここで修行を終えた猫は耳が裂け、尾が二つに割れ立派な猫又になります。
このまま山に残り山猫となるか元の地に戻り猫社会の頭になるかの選択となります。

猫好きなら一度は行って見たい場所


【猫塚】
我輩は猫である。
夏目漱石の代表作であり、一度は聞いたことがある題名かと思います。
その猫に関連のある塚が新宿の夏目漱石公園にあります。

この猫塚、我輩は〜の猫ではなく、夏目漱石の家で飼っていた犬猫、小鳥などの合同碑のようです。
今、公園にある塚は複製で、戦争で、漱石の家と共に消えてしまったそうです。



【猫の王】
虎ほどの大きさを誇る猫。
人はその猫を猫の王と呼びました。
猫岳に住んでおり数多くの猫が集会に集まります。
猫の王は様々な姿をとっており、場所によって姿を変えます。
猫岳の精と呼ばれる黒猫は三日三晩稽古をつけるという武闘派猫
ニタ殿に住むと言われる猫の化身の仙人は、多くに神通力を持ち猫社会の管理を行います。
猫の王は猫たちの王であり、猫としての位を上げてくれる存在でもあります。


【猫の島】
宮城県牡鹿半島西南沖の田代島のこと。
犬を飼ったり、犬を連れてきてはいけないという言い伝えがある島。
島の中央の丘には猫神社があり、神として祭られている大きな黒猫は今でも岩窟にいるとされています。
毎年の初漁には魚を一尾供えるという。もし怠ると不漁になるらしい。

元は対岸の大原浜の八兵衛さんの飼い猫。30年の時を経て立派な化け猫(神?)になった。
その後、人間に化けて島に渡ったそうです。


【ねこま】
猫の和名。
昔は「ねこ」ではなく「ねこま」と呼ばれていたらしい。
鴨長明さんの「四季物語」の中に、「ねこまというけものは、かたちは虎にによそひて、心はねじけまがりたち、
この国に、ともすれば、老いたるねこま、野らにすむなどは、人の子をうばひ、あるいは、人の妻をかどわかして
むくつけきものなり」とある。
様は「ねこま」という怖い生き物がいるぞ〜ということを書き連ねたもの。 どうも、このあたりから「ねこまた」という言葉が発生したらしい。


【猫又】
化け猫とも表されます。
化け猫の姿があいまいなのに対し、猫又は尾が2つに割れていることが特徴としています。
これは、猫の師匠である狐が九尾となっていることが起因されていると考えられます。
基本的に大きな体を持ち、耳が裂け、尾が二つに割れています。
様々な神通力を持っていて、たいていにおいて人間に敵対していますが、まれに猫又ということを
隠し、飼い主とともにいることもあります。正体がばれると立ち去ってしまいます。

様々な神通力を持ち空を飛び、天変地異をも引き起こすことができます。
また、人間に化け悪さを働いたり、火車などに化けることもあるそうです。


【ネコピアノ】
猫を箱に詰め、尻尾を引くことで鳴かせ音楽を奏でるという、はた迷惑なピアノ。
何考えていたいたのやら。17世紀のヨーロッパで行われていたそうです。
同様に猫のコンサートも頻繁に行われていた。
おめかしされた猫たちが聴衆の前で鳴き立てるのを拍手喝采するというもの。

なんとも平和な時代ですね〜、そして猫たちには不運な時代ですね

【猫山(福島)】
化け猫が住むと伝えられている山。
福島県会津、磐梯山近くの猫魔ヶ岳もその一つ。
昔むかし、会津藩に穴沢という郷士がいました。
ある日、檜原湖穴沢淵で釣りをしていると乳母が迎えに来ました。
乳母は魚に貪りつき、夜中に起きてやはり魚を貪り喰っていました。
不審に思い郷士は乳母を斬り殺しました、朝見てみると。年老いた大猫でした。
この後、磐梯の湯に妻と供に行く途中、年老いた木こりに妻は殺されてしまいました。
年老いた木こりは郷士に語りました。
自分は乳母に化けていた猫の夫である。仕返しにお前の妻を殺した。
この山にいる限りは子孫まで祟ると言い、郷士の妻の死体を咥え飛び去った。
以後、穴沢の性を持つ者が磐梯山に登ると、その夜に猫魔ヶ岳から黒雲が一夜荒れまわるといいます。

穴沢さん、猫魔ヶ岳に行くときはご注意を。


【猫山(広島)】
化け猫が住むと伝えられている山。
広島県比婆郡東城町小奴可と西条町の境にある猫山。
そこには山に入る人間を食い殺す化け猫がいるという言い伝えが残っています。
地子給という猟師が化け猫退治に山に入りました。
日が暮れてくると、遠くから提灯の灯りが近づいてきます。
提灯を持つ者は、声をかけて気ました。その声は息子の虎太郎の声でした。
母親が病気だから早く帰ってくれといっています。
提灯に記された紋は自分の家のものではあるが、化け猫と思い、提灯の紋をめがけて銃を撃ちました。
そこで提灯は消えたため、猟師は翌日に様子を見に行きました。
夜明けにそこに行くと血が続いています。
その跡を追うと下引地という屋号の家にたどり着きました。
何でも、そこの婆さまが昨晩、怪我をしたというので、猟師は化け猫と思い婆さまを撃ち殺しました。
次の朝みると婆さまは大きな山猫となっており、床下から本当の婆さまの骨がでてきました。
以後、化け猫はでなくなったといいます。


【ネコ鎧】
古代エジプト。猫は神聖なるものとして崇められていた時代。
猫を傷つけることは死刑を意味していました。
そこに目をつけたのが、当時エジプトと戦争をしていたペルシャ人。
最前線の兵士は猫を抱え、盾に縛ってエジプト軍に突撃。
エジプト兵は成す術も無く撤退するしかなかったそうです。

ある意味、最強の防具とも言えますね。しかし、猫にとってはいい迷惑どころではない話ですね


【眠猫】
日光、東照宮で居眠りを続ける仔猫。
江戸時代から眠りつづけるのんきな猫です。
飼い主は名工、左甚五郎。
この猫の裏には雀が楽しそうに遊んでいます。
猫が寝てれば雀も遊んでいられ平和である、とのこと。
実際、猫の寝ている姿は平和そのものですよね。
東照宮に行ったら探してみて下さい。予想より小さいと思います。
ちなみに見ざる、言わざる、聞かざるの三猿もいます


【肉球】
肉球には魔力があります。肉球のおかげで音をならさずに歩けます。しかし重要なのはそんなことではない。
肉球は触らずにはいられない。嗚呼、肉球をぷにぷにしたいなぁ




【化け猫】
変異を成す猫の総称。
猫又はその中に分類されており、同義語ではありません。

【バステト】
古代エジプトの女神。もともとは太陽の熱を人格化した 獅子の女神でしたが、その聖獣であった猫の女神となり、猫の頭の女性の姿となりました。
紀元前950年ころには国の主神にまでなりました。
バステト女神は音楽や舞踊を愛し猫の形をした振鈴を手にしリズムを生み出しました。
また、はやり病や邪悪な精霊から人間を守りました。
それ故、猫は大切にされ猫を殺したものは死刑となり、猫の死後はミイラにされ死を悼んだそうです。


【船猫】
船に乗り込み仕事をする猫のこと。
当時、船旅において鼠の害に苦しんだ際に猫を一緒につれ鼠を防いだとのこと。
17世紀には某国の宰相が「各船舶に鼠駆除のため、2匹以上の猫を乗せること」
という政令をだすほど。
また、三毛猫のオスなどは幸運の使いとして船に乗せられていました。
船が迷った際には猫を海に投げ入れ、進んだ方角が陸地ということもあるそうです。
猫は優れた方向感覚も持ち合わせており正に航海に欠かせない存在だったようです。
しかし、鼠捕りをしていた挙句に海に投げ込まれたのでは堪らないものです。




【三毛猫】
三毛猫のオスは幸運の使い。船の守り神として崇めている地域も存在します。
何故かというと遺伝子上の矛盾から生まれるためとても稀少であるからだと思われます。
本来、三毛猫は遺伝子の特徴から雌しかなりえないのが、性染色体が両性具有のような状態、もしくは、染色体がモザイクのように複雑になっているため、三毛猫であり雄である猫が生まれるのではと考えられています。
何れにしろ、遺伝の法則から矛盾した存在であるため、生まれたとしても繁殖能力はほとんどないそうです。
飼い主としては幸福でも、その三毛猫は生まれながらに宿命を背負っているのかもしれません


【招き猫】
これまた有名な招き猫。
招き猫発祥の話は複数存在するのでよく分かりません。
最近はカラーが増えてきて、
三毛=福招き、黒=魔除け、商売繁盛、赤=病気除け、金=金運、ピンク=恋愛成就
また、耳より長い手の招き猫は「手長」と呼ばれ福を多く集める。右手を上げるのは雄で金運を、左手を上げるのは雌でお客を招くといった話もあります。

・・・・・しかし、ピンクの猫はいくらなんでもないでしょう。

ちなみに写真は豪徳寺で入手した招き猫。漢字の振り方も変わっています。


【ミイラ】
エジプトでの猫の死は悲劇として捉えられていました。
猫の喪中ということで家族全員が眉を剃り死を悼みました。
そんな猫は墓地に埋葬される際に貴重な油を塗り香を炊き木や葺を編んで作った棺に納められました。
さらに、あの世までの食料として鼠のミイラが添えられました。
こうして埋葬された猫の遺骸は自然とミイラ化していったそうです。

ところが、このミイラ。イギリス人に発掘されて持ち帰ったあげくに粉砕されて肥料にされてしまいました。
その数30万体。とほほ、今では100体ほどが残っているだけ。

猫に呪われますよ


【眼】
猫の目の光彩はおどろくほどに変化します。
明るい場所では細くなり、暗い場所では大きくなる。
夜中には光まで放つ(網膜の裏の反射層で光を増幅(40倍以上)したものがそう見える)

江戸時代には猫の目は時間の経過と共に変化するものと考えられ、時計代わりに使用(?)されていたとか。
精度は・・・・・・、場所によって変動しそうですね。





【野猫】
野生化したイエネコ。
野良猫ではなく、完全に野生化した猫のことです。
ヤマネコではありません。あくまでイエネコが野生化したものです。
こうなると、人に懐くことはありません。
昔は野猫とヤマネコがよく間違えられたそうです。


【ヤマネコ】
いわゆるイエネコの親戚。
イエネコに似てるが、体が一回り大きい。また頭は細長く、尾は太く、耳は丸みを帯びてるなどの特徴がある。
イリオモテヤマネコなどが、ヤマネコに分類され世界各地に住んでいます。
ヤマネコは例え、赤ん坊のころに拾われたとしても決して人になれることはないそうです。

イエネコとヤマネコは親戚的な関係であり、交配は可能ですが繁殖能力をほとんど持たない子が生まれます。
つまり、イエネコの祖先がヤマネコではないとう証明であったりします


【狸奴(りど)】
猫の異名。もともとは中国での呼称。
狐や狸に使われるものとして考えられていたのでこんな呼称がついた模様。
狐や狸に誘われれば、共に踊り、集まりがあれば必ず集まるとされています。