■東部川手水辺地域 この水辺地域は,沖積低地にあたりかつては水害の常襲地域でもありましたが,1910年に着工し20年の歳月をかけて完成した荒川放水路(現:一級河川荒川)や1963年に完成した中川放水路(現:一級河川新中川)など水害対策事業が継続的に進められました. また,地形的条件から1970年代半ばまでは水田を中心とする農業が展開していましたが,東京オリンピック(1963年)を契機に急速に広がりつつあった宅地化のなかでそれらは徐々に衰退し,代わって市街地の中で集約的かつ収益性の高い,コマツナ,ほうれん草などの葉菜を中心とする「都市農業」が展開することにより,それまで灌漑用として利用されてきた河川・水路(農業用水路)はその役割を終え,徐々に埋め立てが進んで減少していきました.こうした中で,下水道の普及率が都心部に比べやや遅かったため,一時期は水路への家庭排水の流入による汚濁が深刻化しましたが,近年その普及が行き渡り,現在ではかつての農業用水路跡を再生した「親水公園」として整備している様子を見ることが出来ます. |
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■沿岸運河水辺地域 江戸湊,木場を原型とし,埋立地造成に伴う人工的に創出された水辺で,水運(舟運)から陸運への交通形態の変化により,水上交通としての機能は減少したため一部は埋め立てられるものもありましたが,オフィス街と集合住宅地の混住地区に立地するものが多く災害時の活動施設としてリバーステーションが整備されている様子を見ることが出来ます.また,近年では,大型コンテナ輸送基地としてガントリークレーンを擁する国際埠頭が整備されたり,国際会議,展示場や住宅,オフィス,観光地機能を有する「お台場」のウォーターフロントが展開し,新たな都市の機軸にもなっています. |
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■西部山手水辺地域 東京緑地計画(1939年)において位置づけられた河川緑地空間は,しかし急速な市街地化による雨水等の不浸透域が拡大した結果,沿川地域では1960年代以降都市型水害が頻発し,最近では河川の水位が上昇したときに洪水の一部を流入させて貯留する「地下調節池」が整備され,下流部で川が溢れるのを防いでいます.中でも、神田川環状七号線地下調節池は,水害の頻発している神田川中流域の安全性を向上させるため、環状七号線の道路下に延長4.5k
m、内径12.5
mのトンネルを建設し,神田川と善福寺川の洪水約54万立方mを貯留するものです。現在までに約24万立方m分の施設が完成しており,さらに30万立方m分の整備が進められています. |
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■都心遺構水辺地域 旧江戸城の濠や水路を原型とし,東京都心部(千代田区,中央区)に位置するこれらの水辺は,終戦後の都心の戦災残土処理場として投棄の対象地となったほか,東京オリンピックを契機にその多くが首都高速道路高架の橋梁設置場所として利用されていくなかで,徐々に水域が減少していきました.しかし,これらの水辺はオフィス街に近く,憩いの場としての他,防災用水,防災避難空間や最近ではクールアイランド効果が期待されるなど貴重なオープンスペースにもなっています.(右写真 東京都千代田区外濠公園 JR市ヶ谷駅下車) |
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■城南山手水辺地域 この地域の水辺は,西部山手水辺地域と同様河川周辺からの汚水流入による慢性的な汚濁に陥っていたことから1961年にその昭和年号から名付けられた,通称「36答申」により不要河川の埋め立てや覆蓋化が進められ水域が減少していきました.しかし,本地域も都市型水害の発生が懸念されており,石神井川から本水辺地域の目黒川に至る「地下河川ネットワーク」の建設による局地的豪雨水害への対応が進められています.また,清流復活事業の一環で下水上の処理水を通水し,小川を復活させる事業の試みも行われています. |
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