オールマン・ブラザーズ・バンド / The Allman Brothers Band

 サザン・ロックというジャンルを確立した立役者。ツイン・リード・ギターによる白熱のパフォーマンスとデュアン・オールマンの弾くスライド・ギターが彼らの最大の売りであった。

オールマン・ブラザーズ・バンドの中心人物デュアンとグレッグのオールマン兄弟はナッシュビルに生まれたが、二人が幼い時に父親が他界、母親に連れられフロリダ州デイトナに移り住む。ラジオでブルースを聴いた二人は早速ブルース・バンドを組み、ハウス・ロッカーズ、オールマン・ジョイズ等に名で南部のクラブを廻り始めた。オールマン・ジョイズ時代に、二人はレコーディングの機会を得ることになる。それはウィリー・ディクスンの『Spoonful』のサイケデリック・バージョンだったが、二人にとっては満足のいくものではなかった。

1960年代半ば二人はロスに移住しアワーグラスを結成しリバティと契約、しかしこのバンドも『Hourgrass』、『Power Of Love』の2枚のアルバムを残しただけで解散してしまう。ロスのシーンに失望してデュアンはフロリダに戻ったが、グレッグはロスに留まることにした。

やがてデュアンはアトランティックのリック・ホールの誘いに乗って、マッスル・ショールズのフェイム・スタジオ専属ギタリストになり、ウィルソン・ピケット(デュアンに"スカイドッグ"の愛称を与えたのは彼である)、キング・カーティス、アレサ・フランクリン等のR&Bシンガーのバックを務め、名をあげてゆく。

そんなある日、オーティス・レディングの良き友人であり、マネージャーでもあるフィル・ウォルデンがキャプリコーンを設立するにあたり、デュアンのソロ・アルバムの話が持ち上がった。

これには尻込みしたデュアンであったがバンドでなら・・・ということで、グレッグをロスから呼び寄せ、かねてから知り合いだったセカンド・カミングのディッキー・ベッツ(ギター)、ベリー・オークリー(ベース)、31st.オブ・フェブラリーのブッチ・トラックス(ドラムス)、もう一人ドラマーにジェイ・ジョニー"ジェイモ"ジョンスンを迎え、レコーディングに臨んだ。ここにオールマン・ブラザーズ・バンドが誕生したわけである。

1969年、デビュー・アルバム『The Allman Brothers Band』をリリースすると、ちょうど南部が注目されつつあったこともあり、そのアーシーなサウンド、ツイン・リード、ツイン・ドラムスという編成も話題を呼び、多くのロック・ファンに絶賛され支持をうけることになる。

この頃マイアミでのステージを見て、デュアンのギターに惹かれたエリック・クラプトンは彼のニュー・グループのレコーディングにデュアンを招き、歴史的レコーディングを行う。これがデレク&ドミノスの『Layla』であったのはいうまでもない。

そして『Idlewild South』(1970年)につづいてリリースされたライブ2枚組『At Fillmore East』(1971年)は全米13位を記録、バンドは一気にブレイクしたが、その直後に悲劇は訪れた。

1971年10月29日デュアンがバイク事故で24歳の若さで非業の死を遂げたのだ。しかし悲しみを乗り越え、バンドはデュアンの遺作を含んだ2枚組『Eat A Peach』(1972年)をリリース、全米4位という成功を収める。

ところがデュアンの死から約1年後の1972年11月11日、今度はベリー・オークリーがデュアンと同じくバイク事故で死亡・・・・それも二人が事故に遭った場所は3ブロックしか離れていなかったという。ちなみに、彼の後釜に加わったラマー・ウィリアムスも1983年ガンで死亡している。

だが、またもそれを乗り越えるように、ピアニストのチャック・リーヴェルを加えての『Brothers And Sisters』が全米5週連続No.1の座を獲得、シングル『Ramblin' Man』が全米2位を記録、名実ともにアメリカを代表するバンドに成長した。

その年、彼らはザ・バンド、グレイトフル・デットと共にワトキンス・グレン・フェスティバルに出演、実に60万人を動員する。

しかしこの頃、グレッグやディッキーがソロ活動を始め、バンドとしての一体感が薄れていった。1975年の『Win, Lose or Draw』は全米5位を記録したものの完成度は低かった。

そして決定的だったのは彼らのローディ、スクーター・ヘリングのドラッグ売買に関する裁判で、グレッグが彼に不利な証言を強要された事件であり、バンド内でグレッグは孤立し、1976年バンドは解散する。

その後、グレッグはソロ、結婚相手のシェールとのデュオへ、ディッキーはグレイト・サザンを、大学に戻ったブッチ以外の残りのメンバーはシー・レヴェルを結成することになる。

1979年オールマン・ブラザーズ・バンドは復活し『Enlightened Rogues』をリリース、全米9位を記録し根強い人気を証明してみせた。 

 


 

ディスコグラフィー

オールマン・ブラザーズ・バンド
Allman Brothers Band
(1969)

A) 1.ドント・ウォント・ユー・ノー・モア 2.ノット・マイ・クロス 3.腹黒い女 4.トラブル・ノー・モア
B) 1.ハングリー・ウーマン 2.夢 3.ウィッピング・ポスト

 サザン・ロックの原動力となる彼らの第一歩が刻まれた記念すべきファースト。60年代後半の混沌から新たなロックが形作られていく過程を、力強いギター・プレイと熱気を帯びたグルーヴで実感できる。

アイドルワイルド・サウス
Idlewild South
(1970)

A)1.リヴァイヴァル 2.キープ・ミー・ワンダリン 3.ミッドナイト・ライダー 4.エリザベス・リードの追憶
B)1.フーチー・クーチー・マン 2.プリーズ・コール・ホーム 3.マイ・ブルース・アット・ホーム

 前作よりもポピュラリティを意識して作られ、その甲斐あってようやくヒットも叶ったが、今日の評価は逆転している。当時はセカンド・ギタリストの地位に甘んじていたディッキー・ベッツの音楽的志向が徐々に浸透してきているのがわかる。

フィルモア・イースト・ライヴ
At Fillmore East
(1971)

Disc1
A) 1.ステイツボロ・ブルース 2.誰かが悪かったのさ 3.ストーミー・マンデイ
B) 1.ユー・ドント・ラヴ・ミー

Disc2
A) 1.アトランタの暑い日 2.エリザベス・リードの追憶
B) 1.ウィッピング・ポスト

 オリジナル・メンバーによるライヴ録音盤。デュアン・オールマンとディッキー・ベッツによるツイン・ギターをメインとしたエキサイティングなバンド・サウンドの迫力は現在でも古びていない。彼らの最高傑作。

イート・ア・ピーチ
Eat A Peach
(1972)

1.時はもう無駄に出来ない 2.レ・ブレル・イン・Aマイナー 3.メリサ 4.マウンテン・ジャム 5.ワン・ウェイ・アウト 6.トラブル・ノー・モア 7.スタンド・バック 8.ブルー・スカイ 9.リトル・マーサ

 前作で頂点に上り詰め、これからという時にリーダー、デュアンを失い、残されたメンバーだけによる録音と彼の生前のライヴ&スタジオ録音を収めた、変則的な構成のアルバム。全米4位を記録している。

ブラザース&シスターズ
Brothers And Sisters
(1973)

1.むなしい言葉 2.ランブリン・マン 3.カム・アンド・ゴー・ブルース 4.ジェリー・ジェリー 5.サウスバウンド 6.ジェシカ 7.ポニー・ボーイ

 デュアン・オールマンに続き、ベリー・オークリーもバイク事故で失った彼らの5作目。ディッキー・ベッツの舵取りでポップ色を強め、「ランブリン・マン」のような大ヒット曲も生む。73年秋に5週連続のNo.1に輝いた彼ら最大のヒット作である。

ウィン・ルーズ・オア・ドロウ
Win, Lose Or Draw
(1975)

1.キャント・ルーズ・ホワット・ユー・ネヴァー・ハッド 2.ジャスト・アナザー・ラヴ・ソング 3.ネヴァーザレス 4.ウィン・ルーズ・オア・ドロウ 5.夜明けのギャンブラー(ルイジアナ・ルー・アンド・スリー・カード・モンティ・ジョン) 6.ハイ・フォールズ 7.スウィート・ママ

 すでにまとまりを欠いた個々のメンバーの中では、チャック・リーヴェル一人が気を吐き、彼のソロが存分に聴ける「ハイ・フォールズ」の方向性はシー・レヴェルへと連なっていく。

 
いま、再び
Enlightened Rogues
(1979)

1.クレイジー・ラヴ 2.キャント・テイク・イット・ウィズ・ユー 3.ペガサス 4.ニード・ユア・ラヴ・ソー・バッド 5.ブラインド・ラヴ 6.トライ・イット・ワン・モア・タイム 7.ジャスト・エイント・イージー 8.セイル・アウェイ

 グレッグ・オールマン、ディッキー・ベッツを中心に復活したオールマン・ブラザーズ・バンドの再結成第1弾。久々にツイン・ギターとなり、彼らならではのバンド・アンサンブルが楽しめる。


 
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