![]() ブレッドの結成は1967年、ザ・プレジャー・フェアーというグループのレコーディングでデヴィッド・ゲイツ、ジェイムス・グリフィン、ロブ・ロイヤーの3人が出会ったことに始まる。 彼ら3人は意気投合し、翌年ブレッドとしてエレクトラ・レコードと正式契約したのである。 デヴィッド・ゲイツ(vo,g,b,kbd)はオクラホマ州タルサ生まれ、バンド・ディレクターの父と音楽教師の母の勧めに従い、幼い頃よりバイオリンやピアノのレッスンを開始し、次いでギターやドラムスもマスター。 ハイ・スクール進学と同時に、ガールフレンドの兄だったレオン・ラッセルらとローカル・ダンス・バンドを結成し、タルサを訪れるチャック・ベリー、カール・パーキンス、といった著名なるロックン・ローラーのバックを務める栄誉にあずかる。 そして、ハイ・スクール卒業後、一足先にスタジオ・ミュージシャンとしての成功を収めつつあったレオン・ラッセルを頼ってハリウッドへと進出し、そこでソロシンガーとしてデビューを果たした。 同時にスタジオ・ミュージシャンとしてレコーディグに参加したり、曲を提供したりとマルチな才能を開花させていった。1967年のある日、レオン・ラッセルの勧めでプロデュースを務めることとなったのが、他ならぬロブ・レイヤーが在籍していたザ・プレジャー・フェアーであった。 ブレッドのもう一人のリード・ボーカリストのジェイムス・グリフィン(vo,g)はテネシー州メンフィスに生まれ、幼少時代よりピアノやクラシック・ミュージックと親しむも、12歳の頃手にしたギターがきっかけとなって、次第にロックン・ロールへと勢いよくのめり込んでいく。 そして、1963年、ソロシンガーとしてレコードデビューを果たしたが、まったく振るわず、ソング・ライターへの転身を余儀なくされた。そしてたまたま曲作りを依頼されたのが、ロブ・ロイヤー率いるザ・プレジャー・フェアーだったというわけだ。 さて、ブレッド三人目のオリジナル・メンバー、ロサンゼルス生まれのロブ・ロイヤー(g,b,kbd,vo)もまた、ロー・ティーンの頃からクラリネットやギター、ピアノ等を次々とこなしてはいたものの、彼の場合、音楽はあくまでも趣味のひとつに過ぎず、大学では迷わず演劇を専攻。 ところが、ほんの小遣い稼ぎのつもりで手を出したユニ・レコード系のセッション・ワークによって、一気にその個性が花開き、とうとう1967年には自ら進んでザ・プレジャー・フェアーなる初のリーダー・バンドを率いてのデビュー・アルバム『The Pleasure Faire』を同レーベルよりリリース。 その際、曲作りの面で多大なる貢献を果たしたのがジェイムス・グリフィン、そしてプロデュースを手がけたのがデヴィッド・ゲイツであったことから、この3人をメインとする新たなバンドの結成の気運が高まった。 ちなみにカーペンターズ1971年のビッグ・ヒット「ふたりの誓い(For All We know)」は、この頃ロブとジェイムスによって書かれた作品である。 こうしてデヴィッド、ジェイムズ、ロブの3人は1968年10月、ブレッドとしてエレクトラ・レコードと契約を交わし、1969年、待望のデビュー・アルバム『灰色の朝』を発表する。しかし、商業的には不発に終わり、敏腕ドラマーのマイケル・ボッツを4人目のメンバーとして迎え入れることとなる。 1970年7月にリリースしたセカンド・アルバム『オン・ザ・ウォーターズ』に先駆けて5月にリリースされたシングル「二人の架け橋」がいきなり全米No.1ヒットとなり、彼らはまたたく間にスターダムへと登りつめた。 続くサードアルバム『神の糧』からは「イフ」という不滅の名曲が生まれている。しかし、ここでロブ・ロイヤーが映画や演劇の脚本家を目指すべく脱退を決意し、1971年8月ブレッドを去ることになる。この、グルーブ存続の危機を救ったのは、アメリカ西海岸屈指のキーボード・プレイヤーと謳われたラリー・ネクテルの加入であった。 カリフォルニアで生まれ育ち、18歳の頃より、デュアン・エディのツアー・バンドや人気TV番組「Shindig」のレギュラー・バンド、あるいはフィル・スペクター系のレコーディング・セッション等で大活躍していたが、なんといっても彼の名を世界中の音楽ファンに知らしめたのは、サイモン&ガーファンクル1970年の不滅の名曲『明日に架ける橋』のピアノ・プレイであろう。 ラリーを加えた新生ブレッドは1972年1月4枚目のアルバム『愛の別れ道』を発表。続く同年11月の5枚目のアルバム『ギター・マン』と共に複数のシングルがリリースされ大ヒットしている。 この余波をかって日本ではデビュー・アルバムから「灰色の朝」がシングルでリリースされ、大ヒットになっている。彼らはこの時期、ゆるぎない地位と名声を手中にし頂点を極めたのであった。 だが、しだいにメンバー間のトラブルが表立つに連れ、バンドの行く末を案じた4人は潔く事態に決着をつけるべく、1973年6月21日、ソルト・レイク・シティにあるソルト・レイク・パレスでのステージを最後に解散の道を選ぶこととなる。 その後、各人がそれぞれの道を進み、ソロ活動の道を選んだデヴィッドは1977年「グッドバイ・ガール」のビッグ・ヒットを放っている。 |
ディスコグラフィー
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Bread (1969) A)
1.灰色の朝 2.ロンドン・ブリッジ 3.クッド・アイ 4.僕をみつめて 5.ラスト・タイム 6.エニイ・ウェイ・ユー・ウォント・ミー 70年代最高のメロディ・メーカーの1人に挙げられることも多いデヴィッド・ゲイツが結成したブレッドの記念すべきファースト。清涼感溢れるコーラス、洗練されたコード感など、すでに本作で完成の域。日本では「灰色の朝」が72年にシングルヒットしている。 |
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On The Waters (1970) A)
1.何故待たせるの 2.二人の架け橋 3.ブルー・サテン・ピロー 4.ルック・ホワット・ユーヴ・ダーン 5.私は私 6.旅は長すぎた この2作目から「二人の架け橋」がヒット、人気を決定付けた。70年代ソフト・ロックの代表グループとしての地位を確立したアルバム。 |
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Manna (1971) A)
1.レット・ユア・ラヴ・ゴー 2.テイク・コンフォート 3.あふれる愛 4.イフ 5.優しくしておくれ 6.彼はいい奴 彼らの代表曲「イフ」を収録。「イフ」はシングルで聴くよりも、このアルバムの中にあってこそ輝きを増す名曲である。 |
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Baby I'm-A Want You (1972) A)
1.マザー・フリーダム 2.愛の別れ道 3.ダウン・オン・マイ・ニース 4.涙の想い出 5.ノーバディ・ライク・ユー 6.ダイアリー 70年代を代表する名曲「愛の別れ道」を収録。イントロのメジャー7thの響きが心の琴線に触れる。他にも「涙の想い出」、「ダイアリー」などデヴィッド・ゲイツ・ファンにはたまらない一枚である。このアルバムからキーボードにラリー・ネクテルが加入。 |
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Guitar Man (1972) A)
1.ようこそ音楽へ 2.ギター・マン 3.自分でおやり 4.オウブレイ 5.ファンシー・ダンサー 6.スイート・サレンダー 彼らのラスト・アルバム。デヴィッド・ゲイツの歌うソフトな曲とジェイムス・グリフィンの歌うビートの利いた曲が絶妙のバランスを保っている傑作アルバム。「ギター・マン」、「スイート・サレンダー」、「オウブレイ」などのヒットが生まれた。 |