シカゴを双璧をなす70年代一世を風靡したジャズ・ロック、ブラス・ロックの代表的グループ。 1967年秋、ブラッド・スウェット&ティアーズ(以下BS&T)は誕生した。このBS&T結成の中心人物となったのは「ブルース・プロジェクト」のリーダーとして注目されていたアル・クーパーという男であった。彼は1943年2月ニューヨークのブルックリンに生まれ、チャック・ベリーやB.B.キングなどのR&Bやブルースに強い影響を受けたミュージシャンである。 彼はブルース・プロジェクト解散後、同じグループの同僚スティーブ・カッツと共に今までになかった新しいタイプの大編成ロック・バンドを組織したいという構想を持っていた。ここにスティーブの友人でエリック・アンダーソンやオデッタのバックを務めてきたボビー・コロンビーが加わり、三人のディスカッションの中からグループが具体化されていった。 マザーズ・オブ・インベンションやバッファロー・スプリングフィールドに在籍経験を持つジム・フィールダー、クラシックとジャズに裏づけされた高度な音楽理論を有する才人、ディック・ハリガン、フレッド・リプシウス、アリー・ウェイス、そして後にブレッカー・ブラザーズとして一世を風靡することになるランディー・ブレッカーらを加え、ブラス・セクションをフューチャーした8人編成のロック・バンド、ブラッド・スウェット&ティアーズが結成されたのである。 デビュー当時のメンバーは次のとおりである。 アル・クーパー(Vo&Kb)、ボビー・コロンビー(Dr)、スティーブ・カッツ(Gt&Vo)、ジム・フィールダー(Bs)、ディック・ハリガン(Tb)、フレッド・リプシウス(Sax)、ランディー・ブレッカー(Tp)、アリー・ウェイス(Tp)。 彼らの、リズムを強化するためにブラス・セクションを加えたユニークな音作りと、従来のロックには見ることの出来ないフリーな音楽へのアプローチの仕方は、各方面からの注目を集めることとなり、この後現れた「シカゴ」「ライトハウス」などの大型ロック・バンドに少なからず影響を与えることとなった。 1968年2月、当時ザ・バンドなどを手がけていたジョン・サイモンのプロデュースによるデビュー・アルバム『子供は人類の父である』(全米第47位)を発表。アル・クーパー色の濃く出たこのアルバムでは、ダイナミックなブラス・ロック・サウンドはまだ鳴りを潜め、60年代後期のアート・ロックやサイケデリック・ロックといわれる範疇を脱皮していなかった。 この初期BS&Tサウンドは、あらゆる音楽的ジャンルの壁を乗り越えた新しい音楽の出現を予言するようなスケールの大きさが聴き手の心を揺さぶるが、荒削りで未完成な面も見られることは否定しがたい。アル・クーパーの体臭があまりにも強く打ち出されすぎた感があり、残りの7人の個性が眠ったままの状態で放置され、BS&Tの音楽を特徴づける変化と多様性をもう一つ印象の弱いものとしてしまった。 そして、ここでBS&Tにとって一つの危機が訪れる。アル・クーパーと他のメンバーとの意見の相違が徐々に表面化しはじめ、1968年5月アルは自主的にグループを退くことを発表したのである。同時にブラス・セクションの二人(ランディー・ブレッカー、アリー・ウェイス)もグループを去って行った。 この後アルはソロ・アーティストとして孤高の道を歩んでいくことになる。 アルの脱退によって、結成以来一年を経たぬうちに暗礁に乗り上げてしまったBS&Tは、ボビー・コロンビーを中心にグループの建て直しをはかり、当時カナダで人気の高かったロック・グループ「ボスマン」のリーダーで、ボーカル兼ギターを担当していた、デビッド・クレイトン・トーマスを見出した。 彼はロック歌手という狭い範疇に入れるにはあまりにも才能に恵まれすぎたボーカリストであり、カナダのレイ・チャールズの異名まで持っていた。このDCトーマスの起用はBS&Tを飛躍的に発展の方向へと導いた。従来弱いとされていたBS&Tのボーカル・セクションは強力なものとなり、その強靭な肉体から発せられるバイタリティー溢れる声は、ソフィストケートされ、ともすればテクニカルなものに陥りやすいBS&Tのサウンドにソウルを吹き込んでくれた。 新たにブラス・セクションへ、ジェリー・ハイマン、ルー・ソロフ、チャック・ウィンフィールドをも加えたBS&Tは、こうして蘇り、再び音楽的冒険へと乗り出して行くことになる。 この第二期のメンバーは次のとおりである。 デビッド・クレイトン・トーマス(Vo)、ボビー・コロンビー(Dr)、スティーブ・カッツ(Gt&Vo)、ジム・フィールダー(Bs)、ディック・ハリガン(Kb)、フレッド・リプシウス(Sax)、ジェリー・ハイマン(Tb)、ルー・ソロフ(Tp)、チャック・ウィンフィールド(Tp)。 新たなメンバーにより、1969年1月にリリースされた2作目のアルバム『血と汗と涙』は発売と同時にセンセーショナルな話題を巻き起こした。 この後シカゴをデビューさせることになるジェイムズ・ウィリアム・ガルシオにプロデュースを委ねたこのアルバムは、全米ヒット・チャート、キャッシュ・ボックス、ビルボード両誌で1969年7月から8月にかけて連続7週第1位に輝き、この年行われたニューポート・ジャズ・フェスティバルでは、ジャズ界からもその実力は絶賛され、1969年度グラミー賞においては、アルバム・オブ・ジ・イヤー、最優秀演奏(エリック・サティーの主題による変奏)、最優秀編曲(スピニング・ホイール)の三部門を受賞するという栄誉に輝いた。 フレッドとディックの手による鉄壁のアレンジと持ち前の豊かな即興性とが絶妙にブレンドされ、あの重厚かつダイナミックな「ブラス・ロック・サウンド」は紛れもなくこの時期において確立されたのである。 このアルバムから感じとることのできる、ブルース、ジャズ、クラシック、C&Wなどのテイストはメンバー個々の音楽的特質を平等に提供しあった所産であり、それらが聴き手に対して何の違和感もなく受け入れられたのは、彼らの豊かな音楽性と共に、9人のメンバー間の意思の疎通が一つのユニットの形成を可能にする程まで十分に行われていたからだろう。 彼らはこのアルバムによって全米で最も重要視されるグループとしての地位を確立した。『血と汗と涙』はロック史上に大きな足跡を残した名盤として、今後とも忘れられることはないであろう。 予想をはるかに上回る大きな成功を収めた彼らは、この年、6月22日のトロント・ロック・フェスティバル、7月4日のアトランタ・ポップ・フェスティバルといった野外ビッグ・イベントへの出演を経て、12月にはラスベガスのシーザーズ・パレスに登場。極上のエンターテイメントを演ずることのできる数少ないロック・バンドとして次第に幅広い年齢層のファンを獲得していった。 ジェイムズ・ウィリアム・ガルシオがシカゴのプロデュースに専念することになり、コロンビア専属のロイ・ハリーとバンドのリーダー的存在であるボビー・コロンビーが共同プロデュースをした3作目のアルバム『ブラッド、スウェット&ティアーズ3』は1970年6月に全米でリリースされ、7月8日付キャッシュ・ボックスで13位に初登場、8月8日付では1位を記録、ゴールド・ディスクとなった。 このアルバムの中でローリング・ストーンズ、トラフィック、ザ・バンド、ジェイムス・テイラー、キャロル・キング、ジョー・コッカーなどの曲を卓越したアレンジ力と演奏力で聞かせて、当時何かと比較に出されていたシカゴとの音楽性の違いを明確に示してくれた。 この後、ジェリー・ハイマン(Tb)に代わりデイヴ・バージェロンが加入。彼はトロンボーンの他にチューバも演奏する逸材であった。このメンバーで1971年2月に初来日を果たし、シカゴ、ディープ・パープル、ピンクフロイドなど、後につづくニューロック・ヒーロー達の初来日ブームの先陣を切って素晴らしいパフォーマンスを日本のファンの前で披露している。 この年、来日メンバーによる4枚目のアルバム『ブラッド、スウェット&ティアーズ4』をリリース。プロデュースは前作同様ロイ・ハリーとボビー・コロンビーが担当したが、デビッド・クレイトン・トーマスの発言力が増したせいか、ボーカル中心のコンパクトな仕上がりとなってしまった。極めつけはギターもデビッド・クレイトン・トーマスが担当、スティーブ・カッツの居場所までも脅かし、メンバー間の不協和音が聞こえ始めてきてしまった。 ヒット・チャートも全米10位どまりと、彼らの勢いにもやや陰りみたいなものが見えてきた矢先の同年12月にデビッド・クレイトン・トーマスとフレッド・リプシウスが脱退。すぐにディック・ハリガンも後を追うことになった。BS&Tのサウンドを支えてきた看板シンガーであり有能な作曲と、優秀な作・編曲家二人を失ってしまったわけである。 この危機を乗り切るべく、ジェリー・フィッシャー(Vo)、ジョージ・ワデニウス(Gt)、ラリー・ウィリス(Kb)、ルー・マリニJr(Sax)をメンバーに加え、1972年ボビー・コロンビーのプロデュースによる5作目『ニュー・ブラッド』を発表。よりクロスオーバー色を強め復活したインストゥルメンタル・パートに比べ、ボーカルの非力さが目立つ結果になってしまった。やはりデビッド・クレイトン・トーマスのいないBS&TはBS&Tではない。 この後メンバー・チェンジを繰り返し、1975年にはデビッド・クレイトン・トーマスが復帰するが、メンバーの入れ替えは止まらず、最後までグループを支えてきたボビー・コロンビーも1980年には脱退、結成当時のメンバーは一人もいなくなり、BS&Tは完全にデビッド・クレイトン・トーマスと彼のバック・バンドになってしまった。 こうして70年代にブラス・ロックというジャンルでシカゴと競い合いながら一時代を築いたブラッド・スウェット&ティアーズはロックの歴史の中に埋もれていった。 |
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Child Is Father To The Man (1968) A)
1.オーヴァーチュア(序曲) 2.アイ・ラヴ・ユー・モア・ザン・ユール・エヴァー・ノウ 3.モーニング・グローリー 4.マイ・デイズ・アー・ナンバード 5.彼女なしには 6.ジャスト・ワン・スマイル いわゆるブラス・ロック・サウンドとは異なるアル・クーパー在籍当時の貴重な音源。ブルースやアート・ロックという当時主流のサウンドが色濃く反映されている。 |
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Blood, Sweat&Tears (1969) A)
1.エリック・サティーの主題による変奏曲 2.微笑みの研究 3.サムタイムス・イン・ウィンター 4.モア・アンド・モア 5.アンド・ホェン・アイ・ダイ 6.神よ祝福を BS&Tといえばこのアルバム。D.C.トーマスをボーカルに迎え「スピニング・ホイール」、「ユーヴ・メイド・ミー・ソー・ベリー・ハッピー」など後世に残る名曲を収録。 |
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Blood Sweat&Tears 3 (1970) A)
1.ハイ・デ・ホー 2.ザ・バトル 3.マック・エビル 4.マック・エビル変奏曲 5.ファイアー・アンド・レイン 6.悲しきスージー 前作の勢いをそのまま引き継いで作られた作品。前作とこのアルバムを彼らのベストとするファンは多い。卓越したアレンジ力が光る。 |
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B,S&T;4 (1971) A)
1.ゴー・ダウン・ギャンブリン 2.カウボーイとインディアン 3.洗礼者ヨハネ(ホリー・ジョン) 4.救い 5.お聞き、リサ 6.ア・ルック・トゥ・マイ・ハート 全2作よりもボーカルのD.C.トーマスの比重が大きくなった作品。その反面インストゥルメンタル・パートが少なくなった。 |
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New Blood (1972) A)
1.ダウン・イン・ザ・フラッド 2.タッチ・ミー 3.アローン 4.ヴェルヴェット 5.君に微笑みを グループの看板であったD.C.トーマスが脱退してジェリー・フィッシャーがボーカルに加わった作品。ボーカルの非力さが目立つが、演奏自体は聞き応え十分。前作では外されたスティーブ・カッツのボーカル曲も復活している。 |