カーペンターズ / Carpenters
![]() リチャード・カーペンター(1946年10月15日コネチカット州ニュー・ヘブン生まれ)とカレン・カーペンター(1950年3月12日コネチカット州ニュー・ヘブン生まれ)の兄と妹のデュオ・ユニット。 父親がレコード・コレクターだったことから、二人は幼い頃からクラシック、ジャズ、ロックンロール、ソウル、ポップスなど、ありとあらゆる音楽に接してきた。特に兄リチャードは熱心な音楽ファンで50年代に聴いたアーティストで最も影響を受けたのがレスポールとメリーフォードだったことから、彼らのオーバー・ダビングのテクニックが後のカーペンターズ・サウンドに影響を与えることになる。 そのリチャードは12歳になるとエール大学でクラシック・ピアノを習い始め、20歳と年齢を偽って地元のピザ・ハウスなどに出演していた。1963年、カーペンター家はニューヘブンからカリフォルニア州ダウニーへ引っ越し、リチャードはカリフォルニア州立大学ロング・ビーチ校でピアノの練習を続ける。一方、カレンの方も高校の体育の授業から逃れる為にブラスバンドに入ろうとドラムスを叩き始める。 1966年、リチャードとカレン、そして友人のウエス・ジェイコブスの3人でカーペンター・トリオを結成。このトリオはLA周辺のアマチュア・コンテストに出場して数多くの優勝トロフィーを手にした。特に、ハリウッド・ボウルでのバンド合戦で優勝した時はRCAレコードとの契約まで結ばれ、ここでRCAのために4曲のインストゥルメンタル・ナンバーが吹き込まれたが、コマーシャル性がないという理由でオクラ入り。このトリオは1967年に解散してしまう。 同年、カーペンターズの前身となるスペクトラムを結成。初めはサマーチャイムという名だったが、間もなくスペクトラムと変えられている。このグループはリチャードの大学仲間を中心にメンバーが集められ、その中にはリチャードとコンビを組んで数多くのヒットを書いているジョン・ベティスも参加していた。 音楽的には質の高いものをやっていたスペクトラムだったが、当時のサイケデリック・ムーブメント真っ只中のウエストコースト音楽シーンには受け入れられず、このグループはやがてカレンとリチャードを中心とするカーペンターズへと変わっていくことになる。 しかし、リチャードがデモ・テープを作り、レコード会社を回っても話しは何一つ具体化しなかった。 そうするうちに彼らのデモテープがA&Mのプロデューサー、ジャック・ドアティの耳にとまり、1969年4月、リチャードとカレンのカーペンターズ兄妹はA&Mレコードと契約。この瞬間、70年代のスーパースターが誕生したわけである。 1969年12月、アルバム『オファリング』(のちに『涙の乗車券』と改名)と、そのアルバムからの第1弾シングル「涙の乗車券」でデビュー。ビルボード誌シングル・チャート54位となり、新人としては好調なスタートを切った。 そして1970年5月に発売されたセカンド・シングル「遥かなる影」が6週間全米No.1に輝き、初のミリオン・セラーを獲得。続く「愛のプレリュード」も全米第2位まで上昇し、同じくミリオン・セラー。この2枚の大ヒット・シングルを収めたセカンド・アルバム『愛のプレリュード』は全米No.1に輝き、400万枚を売る大ヒットとなった。ちなみに、1970年の年間チャートでは「遥かなる影」が5位、「愛のプレリュード」は8位にランク・インしている。 記念すべき初来日を果たしたのはアメリカでの大成功を収めた直後の1970年11月「第1回東京国際歌謡フェスティバル」にゲスト出演のため来日したものであった。 そして、1970年の一連の活躍が認められ、1971年の第13回グラミー賞で5部門にノミネート、そのうちの2部門、最優秀新人賞と最優秀ヴォーカル・グループ賞を受賞している。翌年1972年の第14回グラミー賞では最優秀ヴォーカル・デュオ賞を受賞している。 その後もカーペンターズは活躍を続け「トップ・オブ・ザ・ワールド」、「イエスタデイ・ワンスモア」、「プリーズ・ミスター・ポストマン」等の大ヒット曲を飛ばし、アルバムの方も、『トップ・オブ・ザ・ワールド』、『ナウ&ゼン』、『緑の地平線』等のミリオン・セラーを続々と放ち、文字通りのスーパースターとなった。 しかし、この頃からリチャードは過密スケジュールによる疲労と、ヒット曲作りのプレッシャーからドラッグに溺れ、入退院を繰り返すようになっていった。 カレンも無理なダイエットがたたり、ついには拒食症になり1983年2月4日、32歳の若さで死去してしまう。 カーペンターズのサウンドに明るさが戻りつつあった頃の死だけに、本当に惜しまれる死であった。こうして、カーペンターズの歌声は二度と生で聴くことができなくなってしまった。しかし、「イエスタデイ・ワンスモア」、「トップ・オブ・ザ・ワールド」など彼らが残した名曲の数々は今も世界中のどこかのラジオから流れてきて、人々の心に安らぎを与えてくれているのである。 |
ディスコグラフィー
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Ticket To Ride (1969) A)1.祈り 2.ワンダフル・パレード 3.いつの日か愛に 4.ゲット・トゥゲザー 5.私のすべてをあなたに 6.ターン・アウェイ 7.遥かなる影 記念すべきデビュー・アルバム。ファースト・シングル「涙の乗車券」収録。 |
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Close To You (1970) A)
1.愛のプレリュード 2.ラヴ・イズ・サレンダー 3.メイビー・イッツ・ユー 4.リーズン・トゥ・ビリーヴ 5.ヘルプ 6.遥かなる影 「遥かなる影」、「愛のプレリュード」の2大ヒットを収録した作品。ジャズの影響が随所にみられる。 |
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Carpenters (1971) A)
1.雨の日と月曜日は 2.サタデイ 3.あなたの影になりたい 4.愛は涙のために 5.ふたりの誓い 次作ほどサウンドは華やかではないが、その分カレンの素朴な歌声が心に響いてくる。カレンが歌えばどんな曲も名曲になってしまうのではないかと思えるほどの佳曲揃い。 |
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A Song For You (1972) A)
1.ア・ソング・フォー・ユー 2.トップ・オブ・ザ・ワールド 3.ハーティング・イーチ・アザー 4.小さな愛の願い 5.愛にさようならを 6.インターミッション 彼らの最高傑作と誉れ高きアルバム。このアルバムから「ハーティング・イーチ・アザー」、「小さな愛の願い」、「愛にさようならを」、「トップ・オブ・ザ・ワールド」、「愛は夢の中に」、そして日本のみシングル・カットされた「動物と子供たちの詩」と、なんと6枚のシングル・ヒットが生まれている。 |
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Now And Then (1973) A)
1.シング 2.マスカレード 3.ヘザー 4.ジャンバラヤ 5.アイ・キャント・メイク・ミュージック このアルバムの最大の売りはレコードB面をすべて使った60年代オールディーズ・メドレー。楽しさ満点の名盤。 |
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Horizen (1975) A)
1.希望の鐘 2.オンリー・イエスタデイ 3.愛は虹の色(デスペラード) 4.プリーズ・ミスター・ポストマン 5.アイ・キャン・ドリーム 大人のサウンドへの脱皮に挑戦した作品。前作が底抜けに明るい作品だっただけに、その変貌ぶりがこのアルバムの評価を分けるところである。 |
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A Kind Of Hush (1976) A)1.見つめあう恋 2.ユー 3.サンディー 4.グーファス 5.微笑の泉 このアルバムからも数多くのヒット曲が生まれている。「青春の輝き」は90年代のリバイバル・ブームのきっかけを作った名曲。 |
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Passage (1977) A)
1.一人にさせて 2.ふたりのラヴ・ソング 3.想い出にさよなら 4.月影のバルコニー〜泣かないでアージェンティーナ ティーンズ・ポップスからの脱却を試みた作品だが、昔からのファンにとっては消化不良を起こすアルバムである。 |
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Made In America (1981) A) 1.
遠い想い出 2.ストレングス・オブ・ア・ウーマン 3.バック・イン・マイ・ライフ 4.すばらしき人生 5.あなたを信じて 彼らのラスト・アルバムとなったこのアルバムは爽やかなアメリカン・ポップス・サウンドが溢れている。後期のサウンドに物足りなさを感じている人にも満足してもらえる作品。 |