スリー・ドック・ナイトがグループ7人として正式にステージ・デビューを飾ったのは1968年5月、場所はロサンジェルスにある、あの「ウイスキー・ア・ゴー・ゴー」であった。超満員の観客は新しいスタイルと、リズム・アンド・ブルースを巧みに融合させた新しいサウンドのフレッシュな新人グループの華麗な登場に大喝采を贈った。 ニューヨークでステップ・ファーザーのもとに育ったコリー・ウェルズ(Vo)の音楽への芽生えはゴスペル音楽で、小さい頃はボビー・ブルー・バンドとかレイ・チャールズのレコードばかり聴いていたという。その後、ロスアンジェルスに移り、1964年にはジ・エネミーズという自分のバンドを結成、「ウイスキー・ア・ゴー・ゴー」のハウス・バンドとして契約していた。その頃、幾つかのパーティーに出演するうちに、ソニー&シェールのマネージャーにその実力を認められ、彼らのコンサート・ツアーに同行するようになった。そうした公演地で、アイルランド生まれのMGMレコードの新人歌手としてプロモーション・ツアー中のダニー・ハットン(Vo)と出会うことになる。 歌手生活のかたわら、プロデューサー稼業も行っていたダニーとコリーはすっかり意気投合、それが縁でジ・エネミーズの「ヘイ・ジョー」をダニーがプロデュースし、彼らの最大のヒットとなった。 その後しばらくして、ジ・エネミーズは解散、コリーは再びリーダー・グループ「コリー・ウェルズ・ブルース・バンド」を結成。このバンドでベースを弾いていたのが、スリー・ドッグ・ナイトに最初に加わった演奏メンバーであるジョー・シャーミーである。 一方、ダニー・ハットンはコリーと会った後も相変わらずMGM歌手兼セッション・マンとして活躍していたが、この当時、偶然にもコロムビア・レコードが第二のジョニー・マティスとして大宣伝を行っていたチャック・ネグロン(Vo)のセッションを務めることになった。 このチャックのレコーディングには、ダニーの他にグレン・キャンベルがギター、レオン・ラッセルがピアノ、アレンジをデヴィッド・ゲイツが担当し、今では夢のようなレコーディング風景であった。 ニューヨーク生まれのチャック・ネグロンは4才の時に両親が離婚、非常に孤独な少年時代を過ごしたという。そうした寂しさを音楽に求め、幼少時代には既にマンハッタンのティン・パン・アレイに出入りするようになった。14才の時には早くもソウル・ミュージックの殿堂として名高いアポロ劇場に出演している。この後、カリフォルニアに移り、CBSコロムビアと契約している。 こうした各自三人三様の音楽活動が続いていた或る日のこと、コリー・ウェルズは突然ダニー・ハットンからの電話を受ける。モンキーズのメンバーになるためのオーディションを受けるが失敗してしまったダニーは次に、スリー・リード・シンガーのロック・グループを作ろうというアイディアを持ってコリーに電話をした。 コリーはその素晴らしいアイディアにすぐ大賛成、ダニーが昔の仲間であるチャックをコリーに紹介、残る4人の演奏メンバーもジョー・シャーミーを筆頭に、サンセット・ストリップで14才から音楽生活を送っていたジム・グリーンスプーンをキーボード奏者としてダニーがスカウト。ジョー・シャーミーの友人でマイク・オールサップ(G)と、メンバー唯一の黒人でホセ・フェリシアーノのバンドのドラマーとして活躍していたフロイド・スニードも参加。結成と同時にレブ・フォスター・アソシエイツとマネージメント契約をし、「ウイスキー・ア・ゴー・ゴー」でのデビューとなったわけである。 同年11月にはルー・アドラーのダンヒル・レコードと契約し「ノーバディ」でレコード・デビュー、12月28日にはチャック・ベリーやフリーウッド・マック、カントリー・ジョー&ザ・フィッシュ、ジョニ・ミッチェル、キャンド・ヒートら大物に加わってマイアミ・ポップ・フェスティバルに参加し10万人の観客の前で歌い演奏した。 翌1969年、デビュー・アルバム『Three Dog Night(ワン)』からオーティス・レディングでおなじみの「トライ・ア・リトル・テンダーネス」のカヴァーが全米第29位まで上昇したのに続き「ワン」(ハリー・ニルソン作)が同第5位、セカンド・アルバム『Suitable For Framing(融合)』からミュージカル『ヘアー』からの「イージー・トゥ・ビー・ハード」が同第4位、「イーライズ・カミング」(ローラ・ニーロ作)が同第10位、「セレブレイト」が同第15位とヒットが続き、アルバム・セールスもこの後の『Captured Live At The Forum(白熱のライヴ)』がベスト・テン入りするなど順調な成功を収めた。しかし、これはほんの序章にしか過ぎず、その勢いが本格化するのは70年代に入ってからであった。 1970年発表の4作目『イット・エイント・イージー』からは「ママ・トールド・ミー」(ランディ・ニューマン作)が初のNo.1に輝き、続いて「アウト・イン・ザ・カントリー」(ポール・ウィリアムス作)が第15位、アルバム自体も第9位となった。 続く5作目『ナチュラリー』からは「ワン・マン・バンド」が第19位、「喜びの世界」が6週にわたって全米No.1を続け200万枚を突破する記録的大ヒットとなり、スリー・ドッグ・ナイトの人気は頂点を極めた。続いて「ライアー」(ラス・バラード作)が第7位、6作目『ハーモニー』からは「アン・オールド・ファッションド・ラヴ・ソング」(ポール・ウィリアムス作)が第8位、「ネヴァー・ビーン・トゥ・スペイン」(アル・スチュワート作)が第5位、「ファミリー・オブ・マン」(ポール・ウィリアムス作)が第12位、7作目『セブン・セパレート・フールズ』からは「ブラック・アンド・ホワイト」が第1位、「ピース・オブ・エイプリル」が第19位と、ヒット・チャートの常連になった。 その後もこの勢いは続き、発表した23枚のオリジナル・シングルのうち、ビルボード誌のチャートにランクされなかったのはわずかに2枚。残りすべてトップ40内入り、うち18枚が連続でトップ20内に入る快挙を成し遂げている。しかも1968年から1972年までの4年間は毎年、年間アーティスト順位のトップ10内にランクされるというほどで、この時期に絶大なパワーを持っていた。 しかし、1976年になってダニーが脱退を表明し、スリー・ドッグ・ナイトの栄光の軌跡も一気に失速してしまう。代わりにジェイ・グルースカを加え、バック・メンバーもルーファスにいた三人を迎えるなど巻き返しを狙うが、かつての創造性は蘇らず、ステージ活動は続けるもののレコーディングからは遠ざかっていった。 日本では「喜びの世界」の一発屋的な捕らえ方をされているが、アメリカを代表するグループとしてもっと評価されるべき偉大なバンドである。 |
ディスコグラフィー
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Three Dog Night (1968) A)
1.ワン 2.ノーボディ 3.ヘブン・イズ・イン・ユア・マインド 4.イッツ・フォー・ユー 5.レット・ミー・ゴー 6.チェスト・フィーバー ダンヒルレーベルを、そしてアメリカを代表する人気グループのデビュー・アルバム。本作のタイトル・トラック「ワン」はニルソン作。あのオーティス・レディングの名唱「トライ・ア・リトル・テンダーネス」も見事にカヴァーしている。 |
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Suitable For Framing (1969) A)
1.フィーリング・オールライト 2.レディ・サマンサ 3.夢を追っても 4.ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム 5.イーライズ・カミング 本作からは「イージー・トゥ・ビー・ハード」、「イーライズ・カミング」、「セレブレイト」といったヒットが生まれた。「セレブレイト」ではシカゴのホーン・セクションが客演している。 |
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Captured Live At The Forum (1969) A)
1.ヘブン・イズ・イン・ユア・マインド 2.フィーリング・オールライト 3.イッツ・フォー・ユー 4.ノーボディ 5.ワン 単なるヒット・チャート・グループではないことを実証したアルバム。とにかくスタジオ盤の数倍は凄い歌と演奏が聴かれる。アルバム・チャート6位を記録。 |
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It Ain't Easy (1970) A)
1.ウーマン 2.カウボーイ 3.イット・エイント・イージー 4.アウト・イン・ザ・カントリー 5.グッド・フィーリング1957 ダニー、コリー、チャックの三人三様のヴォーカル・スタイルが楽しめるアルバム。2週連続全米NO.1を記録したランディ・ニューマンの「ママ・トールド・ミー」などを収録。 |
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Naturally (1970) A)
1.アイ・キャン・ヒアー・ユー・コーリング 2.ワン・マン・バンド 3.アイル・ビー・クリーピング 4.ファイヤー・イーター 5.キャント・ゲット・イナフ・オブ・イット 彼らのアルバムの中でもっともソウル色が濃く、地味でリズムの重いアルバムである。この後、ブルー・アイド・ソウルなどと呼ばれ白人のソウル音楽が流行るが、スリー・ドッグ・ナイトのサウンドはそれらとは一線を隔す泥臭さがある。 |
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Golden Bisquits (1971) A)
1.ワン 2.イージー・トゥ・ビー・ハード 3.ママ・トールド・ミー 4.イーライズ・カミング 5.ユア・ソング(僕の歌は君の歌) 6.セレブレイト デビューから前作「ナチュラリー」までの中からセレクトしたベスト盤。スリー・ドッグ・ナイトというグループを理解するには最適な一枚。 |
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Harmony (1971) A)
1.ネバー・ビーン・トゥ・スペイン 2.マイ・インパーソナル・ライフ 3.アン・オールド・ファッションド・ラヴ・ソング 4.ネバー・ドリームド・ユード・リーヴ・イン・サマー 5.ジャム このアルパムからのシングル・カット曲「アン・オールド・ファッションド・ラヴ・ソング」の大ヒットにより日本中に名前が知れ渡るようになった。 |
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Seven Separate Fools (1972) A)
1.ブラック・アンド・ホワイト 2.マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム 3.朝のプレリュード 4.ピース・オブ・エイプリル 5.ある愛のすべて 6.絆(きずな) 前作の延長線上にありながら、ヒット曲「ブラック・アンド・ホワイト」に代表されるように、よりアメリカン・ポップス色が濃くなったアルバム。 |
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Cyan (1973) A)
1.ハッピー・ソング 2.プレイ・チュルドレン・プレイ 3.ストーリーブック・フィーリング 4.ライディン・サム オリジナル・メンバーでのラスト・アルバム。「シャンバラ」や「レット・ミー・セレネーデ・ユー」のヒットが生まれている。 |